竜と毛玉の異世界放浪記

錨 凪

第一部:竜魔激突

プロローグ

プロローグ①

 運び屋と言う仕事がある。

 単に物を運ぶ仕事と聞けば「なんだ、その程度か」と思うことも多いかもしれないが、存外危険が伴うものだ。

 街道には野盗が出る、森に入れば怪物が出る、山や海を超えるのに貴族や国家が事業を組む。

 つまり、運び屋とは、そういった危険を相手にする仕事というわけだ。

 

 草原を吹き抜ける風に後押しされながら、大きな木箱を背負った男が一人、ゆったりと歩いていた。

 比較にするものは周囲にないが、それでもその巨大な体躯はひと目で分かる。

 破けた編笠から突き出る片角、長い紅蓮の髪に赤い肌、金色の瞳は爛々と輝き、心地よい風に緩んだ口元には鋭い牙が並んでいる。派手な刺繍の着物を羽織り、その裾からは長い尻尾が溢れ出て揺れていた。

 それは竜人ドラゴニュートという古い種族の運び屋だった。

 名をミロクと言う。

「ふむ、結構歩いたものだ」

 懐から取り出した巻物に記されているのは古い手書きの地図だ。辿ってきた道を指でなぞる。

 虫食い穴も目立つそれだが、高価なそれは安安と買い換えられるものではない。慎重に、破かないように再び丸めて懐へとしまう。

 地図によればもうしばらく歩けば湖にたどり着くという。そこで一つ休憩でもしようと考えていた頃に行く先の丘の向こうから蹄と車輪の音が近づいてくるのが聞こえてきた。

 普段なら脇に避けて会釈の一つでも交わすのだが、今日は様子が違う。

 下卑な笑い声が風に逆らって届いてきたのだ。得物を追いかけるそれの声だった。

「野盗の類か」

 ミロクが荷物を背負い直した時、稜線を飛び越えるように飛び出してきたのは二頭立ての馬車だった。

 突き刺さった矢で栗毛が赤黒く濡れている。

 御者は進行方向に立つミロクを避けようとして制御を誤ってしまった。

 馬は倒れ、それに引っ張られた馬車は大きく傾き積荷を草原へ投げ出した。

 急ぎ駆けつけてみれば、馬はその衝撃で足が折れてしまっている上、折れた木材が腹を穿っていた。

 それ以前から血を流しすぎたせいでもはや虫の息、もう長くないだろう。ここまでの傷を癒やす術はない。

 ミロクは一思いに首を圧し折った。もうこれ以上苦しむことはない。

「御者殿は大丈夫……ではないようだな」

 御者もまた、倒れた馬車の下敷きになっていた。重たい箱がその頭部を覆い隠している。

 そうこうしているうちに、周囲はすっかりと取り囲まれてしまっていた。

「止める手間が省けたぜ、お前も荷物を置いていきな」

 ミロクは盗賊の言葉を無視し、もう一頭の馬の元へ近づいた。矢傷もあるし掛かってはいるが、まだ生きる力に溢れている。

「ここで巡り合うもなにかの縁、お前だけでも助けてやろう」

 ミロクは背後まで近づいてきていた野盗を、その長く太い尾で薙ぎ払った。

 人間が矢の速度で飛び、仲間にぶつかってやっと止まる。無論、両者とも即死だ。

 先程まで野盗に漂っていた弛緩した空気が一気に引き締められる。

「無益な殺生は好まぬが、貴様らがそのつもりなら致し方なし」

 立ち上がるその姿に、初めて見る自分より巨大な男に野盗の頭は恐怖していた。

 しかし、それを部下に悟らせるわけには行かない。

「やっちまえ!」

 雑巾をカラカラに絞り上げるようにして振り出した去勢だった。

 雑多な武器を持って襲いかかる野盗に、ミロクは泰然自若としている。

 刹那、金属同士がぶつかり合うような高音が響いた。

「脆弱ッ!!!」

 竜巻のような威力で振るわれたそれは、その場にいた誰もが認識できなかったが、蹴りだった。取り囲んでいた野盗がその威力に文字通り飛び散る。

 中から現れたその男は無傷だ。強靭な鱗が幾重にも重なって振るわれた武器の一切を弾いたのだ。

 曲刀サーベル投斧トマホーク手槍スピア鎚矛メイス、突き刺し切り払い殴りつけ、通せたものは一つとしてない。

「逃げるならば追わぬ、しかし向かってくるならば容赦せん」

 頭はその視線が自分に向けられていることを理解したくなかった。それは恐怖そのものだった。

 

 生まれてこの方、力という点では負けたことがなかった。

 十人力ともてはやされ、いつしか力で全てを支配できると思っていた。

 抜きん出た体格に、見合った剛力。仲間内では自分だけが振るうことが出来た大斧グレートアックス

 真面目に働いて稼ぐのが馬鹿らしくなり、街道を行く行商人を襲って富を強奪する日々。

 部下もある程度増えてきて、順風満帆だった。


 そこに、この怪物が現れた。


 初めて目にする脅威だった。


 しかし、哀れにも彼は知らないのだ、自分より強い相手にどうすればいいかを。


 ましてや振り下ろした大斧がピタリと止まることを予想することなど出来るはずもなく。

 自身が地面にめり込むようにして叩き潰されることなど理解できるはずもなく。

 これが現実であることを呪いながら死んでいった。

 それで最後だった。

 もはや野盗は散り散りになり、そこにはいくつかの死体と横たわる一頭の馬だけが残っていた。

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