中央への道⑱
あの後、夜通し警戒はしていたものの、無事何事もなく夜が明けて、中央へ向かう馬車の上。ミロクは着物をはだけさせ背中を晒していた。
「どうだ」
「聖水も効果が薄いな、だめそうだ」
その背中にはタールのような黒く粘ついた液体で魔法陣が刻まれている。素人目に見てもこれが呪いの現況であることは疑いようもない。
しかし、布で拭っても全く落ちる様子はなく、指で触れても手につくことはない。
グレースは聖水やら祝詞やら、手持ちの祭具やらで様々な方法で解呪を試みていたが、結局どれもうまくいかなかった。
「手持ちのもんじゃ無理だ。アタシくらいの聖職者が近くにいりゃあまぁ多少は効果は薄くなるだろうけど……」
お手上げだ、とジェスチャーをするグレースは鞄から取り出した煙管に火を入れる。
「つーかなんだよこの背中。鎧か?」
「ふはは、我が鱗はそんじゃそこらの甲冑よりもずっと頑丈ですぞ」
無遠慮に背中をガンガン叩くグレースの横で、妖術師が興味深そうに魔法陣を覗き込み、またもや無遠慮に魔法陣に触れてみたりしている。
「…………」
「何かわかりますかな?」
妖術師はふるふると横に首を振る。術士としてなにか感じるものがあるのだろうか。あるいはただの興味本位か。どちらにしろ悪魔に刻まれた呪いの魔法陣などはなかなか見れるものではないのだろう。
「フィサリス殿はなにか話を聞いたことはないだろうか」
「うーん……悪魔の呪いの話は多いけど、大抵は清らかなる乙女が同衾するって話よ?それにこの手のお話って具体的な解呪の方法なんてまず語られないし」
そも吟遊詩人とは武勇伝や英雄譚を伝えたり、あるいは宣伝や広告を行うものである。得てしてその細かい内容までは詳しく伝わっているわけではない。
「グレース殿では無理ですなぁ……」
「悪かったな、清らかじゃなくて!」
「少なくとも乙女はそういう口の利き方はせんでしょうや」
「ぐぬぬ……」
抗議とばかりににらみつけるグレースをよそにミロクは着物を整えた。
「して、いつまでもこのままではおちおち眠ることもできん」
「ぷぃ……」
一呼吸開けて、頭上で眠る毛玉に意識を向ける。そういえばこの毛玉も夜鬼に襲われたこともあり一晩中起きてたのだったか。
「それに、これにも不便をかける故にな。何か対策はないか?」
「あー……中央の神殿まで行けばいい祭具があるだろうし、そこで解呪すりゃあなんとかなるかもな」
「なら明日にはなんとかなりますかなぁ……」
着物を戻しながら目を向けた先には、地平線から姿を表した瓦屋根が山のように連なるの姿があった。
中央ウェストヒルズの町並みが、もうすぐそこまで迫っていた。
襲撃こそあったものの、荷物も、令嬢も無事のはずだ。
「そういえば、だれか例のご息女の顔は見たのですかな?」
「アタシは見てねぇな。お前は?」
「んーん?見てない」
「私も見ていない。貴公は」
妖術師は首を横に振る。結局だれも顔を見ていない。一日たりともだ。
「本当に令嬢というのはいたのだろうか……」
「ふはは、べつに首を突っ込むこともないでしょうや」
そこに何があろうと、関係はない。あの豪華な馬車に詰んであるのが本当の人間でも、物言わぬ人形でも運び屋であるミロクには関係のないことだ。大切なことは荷物を目的地へ運ぶことだけ。
その仕事は無事に遂行しつつある。
「なぁ、各方」
「どうした?」
「着いたら、打ち上げと行きましょうや」
街は近い。街に付けば、仕事は終わる。仕事が終われば、酒の時間だ。面倒事は明日で良い。
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