52. 夢葉という「奇跡」

 ついに「その日」は来た。

 3月23日、土曜日。


 黒羽夢葉は、大学の卒業式を迎えていた。

 しかも、その時まで結局、就職先が見つからないままであった。もっとも、彼女自身があまり本格的に収縮活動に身を入れてなかったのもあったが。


 大学の卒業式は、滞りなく行われ、振袖姿の彼女は、親しかった女友達に別れを告げると、帰宅したが。


 その夜。


「ごめんなさい。就職先、決まりませんでした」

 父と母に頭を下げていた夢葉。さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 父の亮一郎には、絶対に怒られることを覚悟していた夢葉だったが。

「はあ。お前、これからどうするつもりだ?」

 父は、予想に反して怒りはしなかったが、呆れたように目線を娘に向けた。


「とりあえず、バイトしながら考えます」

 そう言った、娘に、


「とりあえず、って何だ? 本当にちゃんと考えてるのか、お前は?」

 父の小言が始まった、と身構える夢葉だったが。


 その前に、母の絵美が、

「まあまあ、お父さん。夢葉ももう子供じゃないんだし、しばらくは見守りましょう」

 と助け船を出してくれるのだった。


「お母さん、ありがとう」

 そう安心したように、微笑む夢葉に対し、母は、


「ただし。適当に考えてて、ずっとフリーターだったら、『追い出す』わよ」

 夢葉には優しい母には珍しく、真剣な目つきで見下ろすように告げていた。


「わ、わかりましたー」

 そう言って、恐縮したように表情を強張らせる娘を見て、母は苦笑していた。


 絵美は、脅かすように言ったが、内心では本当に追い出すつもりはなかったのだ。


 その彼女の内心から、この話は始まる。

(夢葉。あなたが「産まれた」時のことを思い出すわ)

 絵美の長い回想が始まる。



 2001年12月10日。

 埼玉県所沢市にある病院。

 黒羽夢葉はそこで生を受けた。


 21世紀最初の年の、最後の月にギリギリで産まれた彼女は「」の子だった。


 1999年、33歳の春にバイクで車と衝突事故を起こし、絵美は入院した。大腿部だいたいぶの骨折だった。幸い、大事には至らなかったが、長期による入院を余儀なくされる。当然、バイクは廃車になり、両親からはこっぴどく叱られて、バイクを降りた。


 退院した後、ようやく本格的な婚活を始めた絵美が、偶然出会ったのが亮一郎だった。世の中は、「ノストラダムスの大予言」が外れて、平穏な世紀末を迎えていた頃だったが、同時に「2000年問題」が話題になった頃だった。


 絵美は、若い頃から美人だったから、モテた。性格も明るく、人付き合いの良かった彼女は、色々な男と付き合ってきたが、その多くが「バイク乗り」だった。


 それこそ、イケメンという言葉すらなかった当時、モデルのようにハンサムな男と付き合ったこともあったし、筋骨隆々な男らしい若者と付き合ったこともあった。


 だが、そのいずれとも結婚には至らなかった。


 それは、「恋人」と「結婚相手」に求める条件が、異なるからだ。女性なら誰しもがイケメンと付き合いたいと思う。それは男性が美人と付き合いたいと思うのと同様である。女性の場合、出来れば金持ちがいいと思うものだが。


 だが、それは「恋人」としては素晴らしいかもしれないが、結婚相手となると、話は別になる。


 彼女が付き合ってきた男たちは、いずれも軽い、つまり今で言う「チャラい」男に見えたし、金持ちもいたが、金を一番大事にしているようにも見えた。


 だから、34歳の時に初めて、亮一郎と出会った時の、絵美の彼に対する第一印象は「頼りない」だった。


 亮一郎は、普通のサラリーマンで、どこか自信がないようにも見えて、収入も普通だったし、顔もまあブサイクではないにしても「普通」だった。


 だが、絵美は付き合うことに決め、しばらく様子を見ていて、気がついた。

(この人は、きっと浮気をしない。私を大事にしてくれる)

 と。


 亮一郎は、不器用ながらも、常に絵美のことを一番に考えてくれたし、その不器用で誠実な優しさが、当時、事故でバイクを廃車にして、バイクから降りて、沈んでいた彼女の心を癒してくれた。


 だからなのだろう。

 当時としては、遅いながらも結婚を決意したのは。


 付き合ってから、半年と少しで二人が結婚したのは2000年。世は「ミレニアム」と呼ばれた年だった。


 そして、約1年3か月後の2001年12月10日。

 彼女は産まれた。


 夢葉が「」である理由は、色々とあった。絵美はその年、35歳で、年を跨ぐと早生まれの彼女はすぐに36歳になってしまう。


 女性は35歳を境に、自然妊娠する確率が急激に低下するという。35歳というのは、ある意味では、ギリギリの年齢だった。


 そして、そもそも妊娠自体が「」である。

 通常、男子が射精する精子の数は一回につき、約3億個と言われるが、それが卵子にたどり着けるのは、たったの200個と言われる。卵子はたった一つの精子だけを受け入れ、受精卵となる。


 受精卵は1週間かけて子宮内へと進むが、途中で死んでしまうこともあれば、たどり着いても着床できず、流されてしまうこともある。


 妊娠というのは、この受精卵の着床をもって成立するが、妊娠してもすべての赤ちゃんが無事に生まれるとは限らない。実際に、妊婦のうち、約15%が、22週までに「自然流産」、つまり妊娠の終了を経験しているという。


 では、一人の赤ちゃんが男女から産まれる確率はどれくらいなのか。なんと「1400兆分の1」という確率だという。


 下世話な話をすると、どんなに愛し合う夫婦が、どんなに性行為を続けても、それで必ず赤ちゃんが産まれるとは限らないのだ。


 そういう意味では、すべての赤ん坊が「」なのである。


 だからこそ、彼女の喜びは一際大きかった。

 お産は、戦場のように慌ただしかった。大勢の看護師や医者が彼女の周りに集まり、彼女は産みの苦しみを味わいながら、息を吸ったり、吐いたりしながら必死に耐える。


 しかもこういう時、夫は何もできない。ようやく産まれて、医師がへその尾を切って、彼女がその小さすぎる体を抱いた時。


 夢葉の体重は「2500グラム」しかなかった。

 通常、女児の赤ん坊の平均体重が2900グラムと言われている。それよりもはるかに低い「低体重児」であった。


 彼女は産まれた時から、そういう「心配」を抱えてこの世にやっと生を受けたのだった。


 さらに、名前の付け方で、思わぬことが起きた。


「なあ、絵美。名前はどうする?」

 と、病室で尋ねる夫に、絵美は、


がいい」

 と最初から言っていたが。


「どういう漢字だ?」

 と聞く夫に、絵美が最初に提示した名前は、実は「」だった。


 しかも、夫の亮一郎に意見を聞くと、「葉子ようこ」がいいという。


って、あなた……。いくらなんでも『昭和』すぎない?」

 さすがに、夫のセンスを疑ってしまう絵美は、それだけは避けたいと思っていた。


 お産から3日後。

 尚も紛糾して決まらない名前だったが、そこへ親友の京子が現れたことで、状況が変わる。


 当時、まだ結婚しておらず、独身の京子は、この3年後に結婚し、4年後に「涼」という男の子を産むことになるのだが。


 出産祝いに病院を訪れた親友を迎え入れる絵美だったが。

「おめでとう、絵美。それで、その子の名前は?」


「うーん。にしようと思ってるんだけど……」

 尚も、煮え切らない様子の彼女に、


「どういう漢字?」

 京子は、夫と同じように質問をしてきたため、「夢羽」という漢字を書いたメモを彼女に見せた絵美に対し、京子は表情を曇らせると、


「ちょっと旦那さん。すいませんけど、二人だけで話させてくれるかしら?」

 何を思ったのか、夫を病室から追い出すように言い放っていた。


 二人きりになり、絵美が何事かと訝しんでいると、京子は大げさなくらい大きな溜め息をついて、

「あのねえ、絵美。自分の子供にそういう名前はないんじゃない?」

 と言ってきたから、絵美の方が驚いていたが。理由を聞くと、


「だって、それってホンダの正規販売店の『Dreamドリーム』と、ホンダのウィングマーク、つまり羽を合わせたんでしょ?」


 つまり、「Dream=夢」、「Wingウィング=羽」であると言いたかったらしい。

 鋭い、と絵美は思って焦った。実際、その通りで、見事に図星を突かれて、苦笑いしながら、

「あははは。なーに、言ってるの、京子。そんなわけないじゃない」

 と照れながらも視線をそらしていた。


 すぐに親友の嘘に気づいた京子は、

「もうバレバレよ。何年の付き合いになると思ってるの。あなた、バイクはやめたんだから、せめてバイクと関係ない名前にしなさい」

 と鋭い目線で、たしなむように言ってきたが。


 絵美は、事もあろうに、代替案を提示していた。

「じゃあ、鈴華すずかってのは、どう?」

 それは一応、彼女が代替案として考えていたのだが。


「はあ。スズキとカワサキでしょ。だからいい加減、バイクから離れなさい」

 親友には一発で見抜かれており、やはり深い溜め息が京子の口から漏れていた。


「わかったわかった」

 と言って、その日は京子と別れて、夫と共に再度考え直すことにしたのだった。


 ところが、1週間経っても、名前は決まらなかった。

 絵美は、当初の案である「夢羽」を捨てきれず、未だに押しており、亮一郎は「葉子」を譲らなかった。


 だが、絵美の中でも「夢羽」という名前に、どこか「しっくりこない」感覚を感じているのも確かだった。


 そもそも「黒羽夢羽」だと「羽」が二つついてしまい、「くどい」感じすら与えてしまう。


 気がつけば、2週間近くの月日が流れていた。夫の亮一郎は仕事に戻っており、なかなか話す機会もなくなっていた。


 だが、さすがにまずいと思ったのだろう。

 絵美はすでに退院していたが。ある日、亮一郎が自宅に駆け込むようにして帰ってきて、


「いい加減に名前、決めてやれ。子供が可哀想だ」

 と慌てた様子で言ってきたが、それには理由がある。


 赤ちゃんが産まれると、「出生届しゅっしょうとどけ」を役所に出さないといけないが、その提出期限が産まれてから2週間、つまり14日と決まっている。


 正確には、14日を過ぎても受付的には受理されるが、あまりにも日数が経ってから提出すると、期間経過通知という書類を書かされたり、戸籍上では「名は未定」と書かれたりする。そのことを夫は心配していた。


 というよりも、通常、名付けに2週間もかかる親はまずいないのだが。優柔不断で、どこか適当なところがある絵美は、しばらく放置していた。


 だが、彼女はその子をすでに「ゆめは」と呼んでいた。


 彼女の中では恐らく決まっていたのだろうが、最後の踏ん切りがついていなかった。

 いくら親友の京子に言われたとはいえ、バイクにまだ未練があった彼女は、ホンダの正規販売店である「Dream」、つまり「夢」という文字を入れたがっていた。だが、「夢羽」では京子が言うように、ストレートすぎる。


 夫の亮一郎は、そのことを危惧したのか、スーツのポケットからメモ帳を取り出して、その紙片を妻の絵美に見せた。それは亮一郎が苦心の末に考えた策でもあった。


 そこには男らしい文字で大きく、


「夢葉」


 と書かれてあった。

 その瞬間、何かに閃いたかのように、絵美の表情が明るくなって、抱きしめていた幼い我が子を持ち上げて見て、


「これよ! あなたは『』ね」

 と言って微笑んだ。産まれたばかりの幼い子は、ただ抱き上げられているだけだったが。


 亮一郎が、ホッと胸を撫で下ろす中、

「じゃあ、役所への届け出、よろしくね。速攻で行ってきて」

 と、妻に母子手帳と印鑑を強制的に渡され、急かされるように、亮一郎はそのまま役所へと向かった。


 結局、夫の亮一郎が、役所に「出生届」を出して、「夢葉」という名前を提出したのは、13日目と、期限ギリギリだった。


 ちなみに、役所への「出生届」の届け出は、「婚姻届」と同じく、実は24時間受けつけてくれる。


 こうして、「母」と「父」から案をもらって、名付けられたのが夢葉だった。音は主に母が、漢字は半分が母、半分が父によって名付けられた。


 同時にそれは「夢を持って、葉を広げて欲しい」という願いが込められた名前だった。


 すべての子供の名前には、きちんとした「意味」が必ずある。そこには、両親の深い愛情と願いと、そして星の数ほどの「物語」があるのだ。



 そうして、苦労の末に名付けられた夢葉に、母の絵美は小さい頃から「苦労」をさせられた。

 低体重児だった彼女は、幼い頃は病弱で、泣き虫で、色々と「手がかかる」子だった。

 2歳で自転車に興味を持った夢葉は、5歳になる前に自転車の補助輪を外した。その時もなかなか泣き止まず、散々苦労した末に、ようやく補助輪を卒業した。


 また、女の子というのは、男の子に比べて「よくしゃべる」。言葉を覚え始める年齢になってから、四六時中、夢葉は絵美に話しかけてきた。


(うるさい)

 と、絵美が思うくらいに、とにかくよくしゃべる。


 同時に、感受性が強いというか、よく笑い、よく泣き、よく怒る、そんな感情が豊かな子だった。


 そして、彼女はとても不思議な子だった。


 夢葉が5歳の2007年の夏。家族三人で長野県に1泊2日のドライブに出かけたことがあった。


 当時、夫の亮一郎が乗っていたのは、トヨタの青いヴィッツだった。まだ拙い運転をしていた夫を、妻の絵美が支えるように指示しながら、観光地を巡った。


 長野市の善光寺、諏訪湖、そして松本城。

 ところが、夢葉はそのいずれにも興味を示さなかった。


 車内で退屈そうに車窓の風景を眺めている我が子に対し、

「じゃあ、平湯ひらゆ温泉にでも行くか」

 亮一郎は予定を変更して、岐阜県にある、上高地の先の温泉、平湯温泉へと向かうことを提案し、絵美も応じた。


 当時、5歳の夢葉にはそこがどんな場所なのか、という知識はもちろんない。


 ところが。

 松本から上高地方面へ真っすぐに向かう国道158号を走り、山の上の開けた場所に出た時、夢葉の表情が一変した。


「パパ! とめて!」

 我が子の叫びに応じて、亮一郎が慌てて車を停めた。


 そして、小さな手で車のドアを開けた夢葉が走り出した。

 慌てて後を追う絵美が見たのは。


 駐車場から柵の前まで行って、身を乗り出すように覗き込む夢葉の姿だった。さすがに絵美は、肝が冷える思いがした。


 その柵の向こう側は、高さ百メートル以上はあるからだ。

 慌てて、夢葉の手を握り、そのまま後ろから抱きかかえるようにしていた。


 そこは、


 奈川渡ながわどダム。


 と呼ばれるダムであり、目の前には梓湖あずさこという名の人造湖が広がっている。ダムの高さは約155メートルにもなる。


 壮大な景色が広がるが、かと言って有名観光地ではない。土産物屋も観光施設もここにはなかった。

 ところが、夢葉は。


「なに、ここ。すごーいっ!」

 まだ舌足らずな、つたないい話し方で、幼いながらも、彼女はその光景に魅了され、その旅で一番明るい笑顔を見せていた。


「ここはね、ダムっていうのよ、夢葉」


? だむってなあに?」


「お水を貯めたり、電気を作ったりしてるの」

 母の絵美が一生懸命に説明するが。


「おみずをためるの? なんで?」

 その頃の夢葉は、5歳という年齢もあってか、絵美を度々質問責めにする癖があった。絵美が答えられずに困っていると、夫の亮一郎が、


「夢葉。高い高いしてやろう」

 と言って、妻の絵美から娘を受け取り、肩の上に乗せた。


 低体重児だった夢葉は、この頃、まだその影響なのか、平均的な5歳児に比べて小さかったから、簡単に肩の上に上げることができた。


「ねえ、パパ。どうしておみずをためるの? だむって、なにをするところ?」

 肩車されながらも、5歳の夢葉は母と同じように、今度は父にせがむように聞いていた。


「ダムってのはね。洪水が起きないように水を調整して制御したり、発電って言って電気を作ったりしてるんだ」

 だが、父の説明は5歳の彼女には、さすがに難しかったようだった。


「うーん。パパ、なにいってるかわかんないよぅ」

 夢葉は途端に愚図るように、泣きそうな顔になっていた。


「ごめんごめん。でもね、ここはみんなの役に立つところなんだよ」

 亮一郎が夢葉をあやしながら、かろうじて、それだけを告げると。


「そっかー。すごいんだね、だむ!」

 亮一郎の肩の上から、夢葉は目をキラキラと輝かせながら、ひたすらダムを見ていた。


 それは、5分、10分経っても変わらないのだった。

 まるで、何かに取り憑かれたように、彼女はじーっとダムと湖、そしてその彼方に広がる山々を見続けていた。


 子供というのは、不思議である。

 大人が思いもしない言動をしたり、まるで「子供にしか見えない」物を見ている、と感じることもある。


 その時の夢葉が、まさに「それ」であった。


「ほら、夢葉。そろそろ行かないと。ホテルに行ったら、美味しいご飯があるよ」

 と、次第に傾いていく西日を心配しながら絵美が、しびれを切らして声をかけるが。


 さすがに10分以上も肩車をして、疲れた亮一郎は、幼い夢葉を下ろしていたが、彼女は尚もダムを見下ろせる柵の前から動こうとしなかった。


「やだやだ! ここにいるの!」

 駄々をこねて、彼女は全く動かなかった。


 何が彼女をそこまで引きつけたのかわからないが、仕方ないので、30分以上も彼女に付き合った両親。


 ようやく諦めた夢葉を連れて、その日は平湯温泉近くのホテルで一泊した。


 ところが翌日、真っすぐに帰ろうとする父に対し、夢葉は、


「パパ。あっちにいって!」

 まるで何かに導かれるように、幼い彼女はその小さな指でそこから北の方角を示した。


 一体、こんな山の中に何があるのだろう、と父も母も不思議に思うほどだったが。

 岐阜県の国道471号から県道475号に入り、高原川という川沿いの道を真っすぐ山に向かって進み、さらに夢葉に指示されるように向かった先には。


 北アルプスの山々が一望に見渡せる、大きな橋があった。深い峡谷と、深淵な山々に囲まれて静かに佇むその橋は、


 北アルプス大橋。


 そう呼ばれる橋であり、よくライダーが走りに行って、写真を撮ったり、SNS ―当時はまだ今ほど一般的に普及はしていなかったが― にアップすることでも知られている。

 その日も、何人かのライダーが、自分のバイクを橋から見える、雄大な北アルプスの山々をバックに写真を撮っていた。


 だが、ここもいわゆる「有名観光地」とは違う雰囲気があって、付近には土産屋も観光地特有の施設もない。もちろん、人でごった返す観光地的な雰囲気はまるでない。


 幼い夢葉は、その北アルプス大橋から見える、雄大な山々に、取り憑かれるように見入っていた。


 その日は、夏らしい、よく晴れた暑い日だったが、標高が高いそこには、涼しげな空気が流れており、雲間から見える太陽に照らされた北アルプスの山塊が青々と茂っている様子がよく見えた。


「うわぁ! すごいねー。ほら、パパ、ママ。みて!」

 夢葉が一際大きな声を上げ、輝く太陽のように明るい笑顔で両親を呼んでいた。


 ゆっくり近づきながらも、母の絵美は、心の中で、

(不思議な子。一度も来たことないのに、どうしてここがわかったのかしら)

 と思っていた。


 かつてライダーだった絵美は、この場所をよく知っていた。何度かツーリングで来たこともあったのだ。


 子供は、大人には見えない物が見える、とも言われるが、同時に実は「胎児の時の記憶」があるとも言われている。


「ねえ、夢葉。どうしてここを知ってたの?」

 こんな小さな子供に聞いても無駄、とは思いながら、絵美は聞かずにいられなかった。


 すると、小さな夢葉は、驚きもせずに、円らな瞳で、

「だって、ママのおなかのなかにいたとき、みたよ」

 と言ってきたから、さすがに絵美は驚きを隠せなかった。


 子供の中には、極まれに「胎児の時の記憶」がある子がいるという。


 恐らく、夢葉は母の胎内にいる時に、母の記憶を通して、この場所のことを記憶していたのだろう。


 その瞬間、絵美は、思わず涙ぐむほどに、感動を覚えていた。

(この子は、『』の子だ)

 それは他人には決してわからない絵美だけの感動だった。その感動は子供を産むことができない夫ですらもわからない、世界中で彼女だけが味わえる感動だった。


 もちろん、今の夢葉には5歳当時の記憶はほとんどないが、彼女はわずか5歳にして、ある意味では「バイク乗りの聖地」とも言える場所に、導かれていた。



 長い回想から覚めた絵美は、娘の夢葉が今や立派に成長したことに、感動を覚えると共に、


(夢葉。あなたは真っすぐに「夢」を叶えなさい)

 と、密かに実の娘がたどるであろう「道」をぼんやりと予想していた。


 そして、世の中の「母」は、何よりも強い。

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