11. バイク乗りの宿命

 夢葉を初めて「バイクに乗っててツラい」と感じさせるもの、それは「冬」だった。

 そう、すべてのバイク乗りの天敵にして、忌むべき季節である。


 地球温暖化の影響で12月半ばまで暖かく、ニュースでは「今年は暖冬」と言っていたが、冬はきっちり来た。



 12月中旬。

 毎日、バイクで学校に通っている夢葉の身に、変化が訪れる。


「寒いっ!」


 朝、いつものように自宅のバイク置き場に行って、バイクにまたがり、走り出した途端、猛烈な寒気が彼女を襲った。

 その日は、真冬なみの低気圧が発達し、朝の最低気温は、埼玉県でマイナス2度、最高気温は8度程度だった。


 ちょっと走り出しただけで、全身に凍りつくような寒さが襲ってくる。

 おまけに、彼女のレブルには、カウルもウィンドシールドもない。むき出しの車体に向けて、冬の切るような寒さが全力で襲いかかってくる。


 それは「寒い」を通り越した「痛い」ような感覚だった。


 一般に、風速が1メートル毎秒増すごとに、体感温度は1度下がると言われているが、実際には風が強くなればなるほど、体感温度はさらに下がる。


 この日、朝の最低気温がマイナス2度、湿度が30%、風速が3メートル程度だったが、この場合、彼女が体感する温度は、マイナス9度にもなる。


 まさに「極寒」だった。


 なんとか大学の構内までたどり着くが、その頃には指先の感覚がなくなり、全身が凍り付くように冷えていた。



 その事を怜に相談した夢葉。

 だが。


「いや、お前のバイクはまだインジェクションだからマシだろ。私のなんて、キャブ車だから、そもそも冬はエンジンがなかなかかからない」


「インジェクション? キャブ車?」


 キョトンとする夢葉に、怜は溜め息交じりに説明した。


「今のバイクは電子制御しててな。コンピューターによって、燃料噴射を制御できるんだ。それがインジェクション。ところが、昔のバイクはそういうのがなくて、機械的にガソリン噴射をするんだ。それがキャブレター」


「何が違うんですか?」


「簡単に言うと、インジェクションは環境には左右されないが、メンテナンスが面倒なんだ。キャブレターはメンテナンスが簡単だが、環境に左右されるし、燃費も悪い。」


「ふーん」


「それはともかく、冬の寒さだけは、どうしようもない。『バイク乗りの宿命』だ。何とか対策を考えるんだな」


「そんな~」


 いつものように、大学構内にあるカフェテリアで、授業後に怜とお茶を飲んでいた夢葉は、机に突っ伏すようにして、残念がっていた。


「とりあえず、いくらインジェクションでも暖気はちゃんとしとけよ」


「暖気って?」


「エンジンを暖めることだよ。冬は特に気温に影響されて、エンジンが不調を起こすこともある。まあ、インジェクションならキャブ車ほど、心配はないけどな」


 コーヒーを飲みながら、怜は暖機運転について、詳しく説明してくれるのだった。



 夢葉は、自宅に戻り、バイク乗りの大先輩とも言える、母に相談していた。

「寒さ? そうねえ。それだけは『バイク乗りの宿命』だけど……」


 怜と同じようなことを言う母に、夢葉の一縷いちるの望みは断ち切られたと思ったが。


「グリップヒーターでもつけてみれば?」


「グリップヒーター?」


「そう。簡単に言うと、ハンドル部分に電気を通して、暖める装置のこと。バイク屋の人に相談してみなさい。多分取り付けくらいやってくれるだろうから」


 母からの教えに従って、早速、夢葉はバイク屋に電話をして、週末に行ってみた。



 バイク屋の主任メンテナンス、酒田晴が、いつものように笑顔で対応する。


「あら、夢葉ちゃんじゃない。久しぶりね。今日はどうしたの?」


「晴さん! 助けて下さい。寒すぎて、死んじゃいます!」


 大げさに言う夢葉の表情と、話し方に、晴は笑いながら、


「それは『バイク乗りの宿命』よ」


 と、怜や母と同じことを言ってきた。


「それに、冬でもバイクに乗れるだけ、関東はマシなのよ。私の実家なんて、冬の間の半年くらい、ずっと雪でバイク自体、乗れないからね」


「えっ。晴さんの実家ってどこですか?」


 その夢葉の問いに対して、返ってきたのは、意外な地名だった。


「北海道よ」


「ええっ、いいなー、北海道」


 と、目を細めて羨ましがる夢葉に対して、晴は表情を曇らせながら、現実的なことを突きつける。


内地ないちの人はみんな、そう言うけどね。実際は大変よ。一年の半分くらい冬で、寒いし、雪かきは大変だし、冬は自転車もバイクも乗れないし……」


 「内地」とは、北海道の言葉で、道外のことを指す。


 酒田晴の説明によると、彼女の実家は、北海道の内陸にある、音威子府おといねっぷ村という小さな街で、冬はよく大雪に見舞われるという。


 大体、11月、早ければ10月には初雪が降り、その雪が12月頃には積り始め、3月下旬頃、ひどければ4月頭まで溶けない ―これを根雪ねゆきという― という。しかも真冬の最低気温がマイナス20度になることもあるという。それはまさに極寒の地だった。


「それはそうかもですけど。とりあえず、グリップヒーターを着けて下さい」


「わかったわ」


 ということで、相談すると、レブルには丁度簡単に取りつけができる、ENDURANCEエンデュランスから発売されている、グリップヒーターがあるとのこと。


 仕組みは、夢葉にはよくわからなかったが、とにかく取り付けてもらった。


「あとはそうねえ。ウィンドシールドを取り付けるとかも有効だけど、どうする?」


 そう言われて、カタログを見せてもらう夢葉だったが。そのウィンドシールドをレブルに取り付けた姿を想像すると、何か違和感があった。


(カッコ悪い気がする)


 そういう単純な理由だった。


 ウィンドシールドは確かに走行風から守ってくれるという意味では有効だろうけど、見た目、つまりデザイン的に完成されていると彼女が思っている、このレブル250に取り付けることを想像すると、見た目が気に入らなかった。


 そのため、ウィンドシールドの装着は、彼女は丁重に断った。


 とりあえず、試しに走ってみる夢葉。


「これは暖かい! でも、指先以外は寒いなぁ」


 指先に伝わる熱気。それは彼女を幸せな気分にしてくれた。確かに暖かい。だが、逆に言うと、それ以外の部分の寒さは軽減できない。


 仕方がないので、夢葉は、バイク用品店に向かった。


 東京の府中にある、この地域では大きいバイク用品店に向かったが。

 その途中、早くも寒気が彼女に襲いかかる。


 全身を貫くような寒さ、そして寒さで曇るフルフェイスヘルメットのシールド。足先から冷気が這い上がってきて、全身に走行風が襲いかかるような感覚。


 まるでかき氷の中を進んでいるような感覚だった。


 やっとの思いで、バイク用品店にたどり着く夢葉。


 ジャケットコーナーに行ってみた。

 季節柄、バイク用品店では、冬物のコーナーを拡充しており、冬用のジャケットからグローブ、ヒートテックやグリップヒーターなど所狭しと売っていた。


 彼女は、それらの用品を手に取ったり、試着してみたりしていたが。


(やっぱり値段が高いなあ。ホント、バイクってお金かかるなあ)


 自分の財布や銀行の預金残高を思い出し、溜め息をつく彼女。


 結局、ジャケットは値段的に高くて買えず、冬用グローブだけを購入し、我慢した。

 冬はどんどん深くなり、毎日がツラくなってくる夢葉。



 自宅に帰り、母に相談してみると。


「ああ、それなら、お父さんが持ってる、登山用のジャケットを使ったら?」


 と言ってくれた。


 父が趣味で、たまに登山をしていることは知っていた。


 しかし、表情が曇る夢葉。父には、未だにバイクに乗ること自体、反対されていたからだ。


「女の子がそんな危ない物に乗るんじゃない!」


 と、口癖のように言ってくるから、そのことを話すこと自体が、彼女には億劫だった。


 だが、仕方がないので、父が帰宅した午後8時頃。思いきって、父に相談してみた。


「お前はまだバイクになんて乗ってるのか。いい加減にしろ」


 と早くも説教に入りそうな父。夢葉は早くも二の足を踏みそうになっていた。

 が、父の亮一郎は、厳しい表情のまま、意外なことを口に出した。


「まあ、お前が寒さで凍える思いをして、体調を崩してもかなわんからな。お父さんが使わない時だけ、使ってもいいぞ」


「ホント! ありがとう、お父さん!」


 大げさに喜色を全身で表す夢葉。


 亮一郎はソッポを向いて、不機嫌そうな顔をしていたが、なんだかんだで、父は娘の身を案じていたのだった。


 と、いうことで、期せずして冬の対策として、彼女が手に入れた物は。


 ENDURANCE製のグリップヒーター、コミネ製の冬用バイクグローブ、そして父が使っているmont-bellモンベル製の登山用ジャケットだった。

 なお、この登山用ジャケットは「スペリオダウンジャケット」と呼ばれるジャケットで、性能的にはマイナス10度くらいまで耐えられるそうだ。

 色は黒で、当然Men'sメンズ用だったが、夢葉は全然そんなことは気にしなかった。


 それより、寒さへの対策の方が重要だったからだ。


 さらに、インナーには、ヒートテックを着込み、万全の寒さ対策を取る夢葉。


(これは、冬山登山と変わらないんじゃないかな)


 冬のバイクのツラさ、厳しさを身を持って、味わうのだった。

 そして、苦難はまだまだ続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る