36. 初めてのキャンプツーリング
翠の発案、思い付きによるキャンプツーリングは、10月第二土曜日に実施されることになった。
当日。
天気予報は曇りのち晴れ。翌日の天気も晴れ予報だった。気温も20度前後という絶好のキャンプ日和だった。
朝、早速、集合場所である道の駅「八王子滝山」にバイクで向かった夢葉。彼女自身、初のキャンプツーリングに期待していたが、その前に荷物を積むのに苦労していた。
レブルの荷台にテント、シュラフ、テーブル、チェアーを載せて、ツーリングネットで縛る。だが、それだけでは荷物が足りず、結局、リュックにクッカーやバーナーを入れ、さらに着替えや化粧品を入れると、もうリュックがパンパンになっていた。
(重い!)
そう心の中で毒づきながら、彼女は集合場所へ向かった。
荷物の積み込みに苦戦した彼女は、到着が遅れ、あらかじめ遅れる旨を、二人にメッセージで送っていた。
予定時刻よりも20分ほど遅れて、ようやく到着する彼女。
すでに待っていた怜と翠は、彼女よりもスマートに荷物をバイクに積んでいた。
怜は、大型のツーリングバッグにテント、シュラフ、クッカー、チェアー、テーブル、バーナーの全てを入れ、簡単なリュックだけを背負うという格好。
翠は、リアキャリアの中にテント、シュラフを入れ、足りない分のチェアーやテーブルをツーリングネットで縛って、さらにリュックもネットで縛っていた。
「遅いな。何かあったのか?」
「荷物積むのに苦戦したんやろ?」
二人の先輩に対し、夢葉はありのままを告げて謝る。遅れた理由を翠に当てられて、夢葉は照れ臭そうにうつむいていた。
早速、出発する三人。
今回は、割と近場ということで、下道を使うことになった。
相模原方面に抜けて、国道413号「道志みち」をたどって、山梨県の山中湖に入り、そこから国道138号、139号とたどれば、目指すふもとっぱらキャンプ場に到着する。
時間にして、およそ3時間ほどの距離だ。
だが、その前に。
今回、先導することになった翠は、途中、国道139号沿いにある富士河口湖町の大型ショッピングセンターに入って行った。
「ここで、食材を調達するで」
「マジですか? ここからキャンプ場までまだ20キロ以上もありますよ」
「キャンプ場の周りには、何もあらへんのや」
そう言われて、納得する二人。
食材は、それぞれの食事当番が、中身を明かさずに作る料理に合わせて買うことになった。
即ち、その日の昼食は夢葉、夕食は翠、翌日の朝食は怜と決まっていた。
夢葉が買ったのは、パスタ、玉ねぎ、アスパラ、しめじ、ベーコン、スライスチーズ、牛乳。それに自宅から持ってきたオリーブオイル、にんにくチューブ、コンソメ、塩、胡椒を使う予定だった。
翠は、キャベツ、もやし、冷凍餃子、ニラ、白ごま、鶏ガラスープの素。それに自宅から持ってきた醤油、みりん、おろししょうが、ごま油など。
怜は、卵、ほうれん草、コンビーフ、チーズなど。さらに自宅から持ってきたバターを使う。
それぞれの料理を秘密にしたまま、三人は、真っすぐにキャンプ場に向かった。
着いてみると、そこには彼女たちの想像を絶する壮大な景色が広がったいた。
受付を済ませ、敷地内に入ると。
目の前に雄大な富士山が顔を覗かせ、辺り一面が大草原になっていた。キャンパーはこの草原のどこでも好きなようにテントを張ることができるし、バイクも車同様に乗り入れが可能だった。
早速、広大な平原の真ん中あたりに陣取り、テントを張る準備を始める段階になるが。
「うわぁ。すごいですね! 富士山、めっちゃキレイ!」
夢葉は、感動のあまり、写真ばかり撮って、全然テントを張ろうとしていなかった。
「後でいくらでも見れるんだ。さっさとテント張れ。っていうか、お前テント張れるのか?」
怜が呆れたように声をかけていた。
「張れますよ、多分」
「多分?」
若干不安そうな表情の夢葉の姿に、怜は不安を覚える。
そして、20分後。
「できたで」
「私も」
あっさりとテントを組み立て終わり、テントの周りに、テーブルやチェアーを広げる翠や怜に対し、
「ええー、二人とも速いです。さっきからやってるんですけど、テントが全然立ち上がりません!」
夢葉は苦戦していた。
「何、やってるんだ、お前は」
「しゃーないな」
なんだかんだで、二人は夢葉を手伝うべく近づくと。
彼女は、ワンポールテントの自立に苦戦していた。
つまり、普通のテントはポールを通し、テントの生地とポールを固定することで立ち上がる「自立式」テントだが、ワンポールテントは、地面と生地をペグでしっかり固定し、ポールを立ち上げ、地面と引っ張る力を利用して立ち上げる「非自立式」テントだからだった。
この場合、非力な夢葉が、ペグをきちんと打ち込んでいなかったため、固定が甘く、テント自体が立ち上がらないのだった。
そのことに気づいた、翠が指摘する。
「夢葉ちゃん。ペグはもっときちんと打った方がええで」
「そうだな。もっと力を入れて、ぶっ叩け」
二人に一斉に言われる夢葉だったが。
「でも、私。力入れてペグをハンマーで打ちましたよ」
「これがか? お前、本当に非力だな」
怜が微笑と共にそう言って、目の前でハンマーで思いきりペグを打ち込んだ。
それは夢葉が打った時とは、段違いの力の強さで、ペグは一気に地面にめり込んで行く。
「うわ、怜さん。すごい」
「お前が非力なだけだ」
「ぷははは。まあ、そんなところもかわええけどな」
怜に助けられ、翠に笑われ、夢葉は申し訳なさと、情けなさで恥ずかしくなって、目をそらしていた。
無事にテントを張り終えると。
「ほんなら、まずは夢葉ちゃん。昼飯頼むで」
「任せて下さい」
胸を張って、張り切る夢葉。
彼女は、早速、水場に行って水を汲んで来てから、料理に挑戦する。
まずは食材を切った後、クッカーにオリーブオイルを入れて、にんにくチューブ、玉ねぎ、アスパラ、しめじ、ベーコンを軽く炒める。
水とコンソメを入れて沸騰させる。
パスタを半分に折って、柔らかくなってきたところで、牛乳を入れる。
パスタが食べごろになった頃、スライスチーズを入れる。チーズがとろけたら、塩と胡椒で味付けてして終了。
出来たのは「スープパスタ」だった。
「おお。これはええな。まろやかで美味しいで」
「そうだな。思ったより美味い」
二人の先輩の感想に、夢葉は照れながらも、解説する。
「ありがとうございます。パスタは野外でやると、どうしても水が邪魔になっちゃいますからね。家だと普通のパスタでいいですけど、こういう場所なら、水を無駄にしないスープパスタがいいと思ったんです」
食べ終わったところで、時刻はまだ午後1時。
早すぎたため、三人はそれぞれ夢葉は読書、怜は音楽鑑賞、翠は散歩、と思い思いの時間を過ごすことになった。
やがて、日が傾き、夕陽が富士山の陰に入り、辺りは暗くなっていく。
次は夕食担当の翠の出番だった。
まず、鍋にスープの材料を入れる。水に鶏ガラスープの素、醤油、みりん、おろししょうがを入れて、よく溶かす。
その上からざく切りにしたキャベツを山盛りに乗せる。キャベツの外周を囲むように冷凍餃子を並べる。
その上からもやし、ニラを乗せ、白ごまをトッピングして、強火で仕掛ける。餃子に火が通ったところで、中火にして、ごま油をかけて完成。
「餃子鍋」だった。しかも彼女は、これとは別にきちんと3人分の米を飯ごうで作っていた。
「あ、美味しい! あまり辛くなくて、いい感じですよ」
「ああ。身体が暖まるな」
二人の感想を横目に、翠は得意げに説明する。
「この辺りは、この時期でも冷えるさかい。どうせなら身体が暖まる料理を作ろうと思ったんや。ご飯も進むやろ」
そう言って、彼女は早くも、日本酒を取り出して飲んでいた。
「っていうか、お前、もう飲むのか。どこから持ってきた、その酒?」
怜が驚いて突っ込む。
「ああ。最初から持ってきたんや。キャンプ来て、酒飲まへんとかないやろ。今夜は飲むでー」
すでに酒が入って、いつも以上に陽気になっている翠だった。
そして、食後。
真っ暗になる中、怜が用意した焚火を囲む三人。
このふもとっぱらキャンプ場は標高が800メートル以上はある高地にあるため、10月のこの時期でも十分寒い。
寒がりの夢葉は、念のために持ってきた毛布をかぶって震えていた。
「思ったより寒いですね」
「せやから、酒飲んで暖まるんや。ほら、夢葉ちゃん。もっと飲むんや」
「お前はもう飲みすぎだろ」
三人の談笑が始まる。
話すことは色々とあった。恋愛のこと、将来のこと、仕事の愚痴など。
ところが、翠が期待したような「男関係」の話は、二人からは全然聞き取れず、夢葉も怜も軽く受け流していた。というより、二人の口からは語るような恋バナがなかったのだった。
「つまらんな」
そう呟く翠に、夢葉が珍しく真剣な表情で、話を切り出した。
「ところで、お二人は小さい頃の将来の夢って何かありました?」
日本酒を傾けて、すっかり顔を赤くしている翠が、
「そうやな。私は花屋やったかなあ」
と言うと、隣にいた怜が露骨に笑い出した。
「ぷっ。お前が花屋。似合わねえ」
「何だ、怜。ほんなら、お前は何やねん?」
「私か。私は……確かケーキ屋だったかな」
「ぷははは。お前がケーキ屋! 絶対似合わへん。その顔じゃ、子供が怖がって逃げるで!」
今度は翠が大笑いしていた。翠は酒瓶を抱いたまま、しばらくの間、笑い転げていた。彼女は酒が入ると普段以上に笑う、いわゆる「笑い上戸」だった。
「なっ。お前、笑いすぎだろ!」
珍しく感情を露わに、恥ずかしそうにしながら怒り出す怜。
「へえ。怜さんがケーキ屋ねえ」
珍しい物を見るように、怜に目を向ける夢葉。
「何だ、夢葉。お前まで。じゃあ、お前は何だったんだ?」
突然、話を振られた夢葉は、小学校時代に書いた「将来の夢」のことを思い出す。
「私は、確か……。お嫁さんだったかな」
「ぷははは。乙女や。乙女がおる!」
「くくっ。お前のが一番ウケるわ」
普段、滅多に笑わない怜まで声を押し殺して、笑っていた。
二人に露骨に笑われて、夢葉は頬を膨らませる。
「むぅ。馬鹿にして。いいじゃないですか。小学生だったんですから。夢見たって」
だが、ひとしきり笑われた後、夢葉は再び真剣な表情になって、問いかけるように呟いた。
「でも、子供の頃の夢とは違いますからね。今、私は何をすればいいのか悩んでるんですよ」
「何かやりたいこと、ないのか?」
怜がビール缶を傾けながら答える。
「うーん。漠然とですが、『旅に関わる仕事』がしたいなあって思うくらいですね」
「旅に関わる仕事? ほんなら、ツアコンとかキャビンアテンダントとかか?」
翠に言われて、夢葉は微妙に表情を硬くする。
「ええと。それも何か違う気がするんですよね。私はどうせなら『バイクを生かした仕事』がしたいのかもしれません」
「それなら、バイク便とかか? あれは面白いけど、稼げないし、待遇悪いぞ。そもそも保障とかもないしな」
だが、そんな怜の言葉も、夢葉には響いていなかった。
「バイク便、も違う気がしますね。配達がやりたいわけじゃないんです」
二人の先輩は、一時は笑いながらも、その実、真剣に夢葉の将来のことを案じてくれていた。そのことが彼女には嬉しいのだった。
「わからへんな。結局、何がしたいんや?」
「そうだな。まあ、お前が何を選んでも、私たちには止める権利も義務もない。せいぜい悩め。悩むのは若者の特権だ」
そんな二人に対し、夢葉はしかし。
「怜さんってホント、たまにおっさんみたいなこと言いますよね」
ようやく口をつけ始めたチューハイをちびちびと飲みながら笑っていた。
「お前なあ。人がせっかく心配してやってるのに」
「やめえやー。漫才ちゃうんやから、腹痛くなってまうわ」
そんな二人を見て、翠は酒も入っているせいか、余計に大声で笑っていた。
こうして、三人の静かな夜は更けていった。
たらふく晩飯を食べ、さらに飲酒をしたことで、午後10時前には三人はそれぞれのテントに入って就寝。
(寒い! 今夜、ちゃんと寝れるかな)
夢葉はテントの中で、シュラフにくるまってその上から毛布をかけていたが、それでも寒かった。
すぐに寝つけると思っていた彼女だったが、頭の中を先程の会話がループしていた。
(お嫁さんか……。小学生みたいに簡単に思えればいいんだけど、現実には難しいな)
辺りはすっかり暗くなっており、時折、鳥の鳴き声だけが聞こえる。自然の中の静寂さに包まれていた。
(第一、結婚するにしても、まずは仕事しなきゃ。旅に関わる仕事、かぁ。何かいいのないかなあ)
そう思い悩みながらも、卒業の時期は刻一刻と彼女に迫る。
結局、彼女自身がまだ明確な将来の道筋を見つけてはいなかった。悩みながらも、漠然と「旅に関わる仕事がしたい」と思う夢葉。
その特徴的な名前をつけてくれた両親の期待に、彼女は応えようとしていたわけではなかったが、平凡な人生を送ることを彼女は拒否しつつあった。
やがて、考えながらも、酒が入っていた彼女はゆっくりと眠りに落ちて行った。
翌朝。
酒を飲んだことで、必然的に眠りが浅くなったためか、夢葉は午前5時30頃に目を醒ました。
(寒い。あと、トイレ行きたい)
前日から残っていた酒、そしてこの早朝のこの辺り、
薄っすらと東の空が赤く輝いていた。
それはちょうど、目の前にある富士山の巨大な影の真後ろから輝き、富士山を薄く、ぼんやりと赤く照らしていた。
(神秘的な風景だなあ)
そのままテントに入らず、彼女は少しでも富士山に近づくべく、歩き出した。
草原はまだ眠っていた。物音がしないテントの間を歩く。
そんな中、ゆっくりと東の空が明るくなり、やがて、太陽は富士の山を赤く染め上げていく。思わず携帯で写真を撮る彼女。
(寒い寒い)
さすがにこの寒さではじっと見ていられず、一旦テントに戻り、そのままお湯を沸かして、コーヒーを飲む夢葉。
ぼんやりと富士山の後ろから登る朝日を眺めながら考えていた。
(旅はいいなあ。こんな風景を見ながら暮らしたい。きっと私は、「旅の中」で生活したいんだ)
漠然とそんなことを思っていた。
やがて、怜と翠もそれぞれのテントから出てきた。
「早いな、夢葉」
「おはようございます、怜さん」
「ふわあああ。頭痛い」
「飲みすぎですよ、翠さん。二日酔いですか?」
それぞれに挨拶をした後、夢葉は再び富士山を眺める。太陽はまだ富士山の大きな影に隠れていた。
朝食は予定通り、怜が用意することになった。
事前に、「料理が得意」と言っていた怜の料理。夢葉は密かに期待していた。
怜は、持ってきたホットサンドメーカーを使った。
まず、食パンの片面にバターを塗り、ホットサンドメーカーで目玉焼きを作って取り出す。
次にバターを塗った面を下にして、食パンをホットサンドメーカーの中に置き、ほうれん草と目玉焼き、ほうれん草とコンビーフ、チーズの順番に乗せる。
バターを塗った面を上にして、食パンを重ね、弱火から中火で片面を2分ずつ焼く。表面がこんがりときつね色になったら出来上がり。
「何や、これ?」
初めて見る不思議な物を前に、尋ねる翠に、怜は、自信たっぷりの顔を向けて言い放った。
「卵とほうれん草のコンビーフココットサンドだ」
「へえ。怜さん。顔に似合わず、オシャレな物、作りますねー。見直しましたよ」
「てめえ。顔に似合わずって何だよ。喧嘩売ってんのか?」
怜が夢葉に向かって、拳を振り上げる仕草を見せるが、その目は笑っていた。
朝食を食べ、怜がコーヒーバネットで作った、濃い目のコーヒーを飲んでいると、やがて太陽が富士山の陰からようやく姿を現した。
それは、山の稜線にかかっており、まるでダイヤモンドのように輝いて見えた。通称「ダイヤモンド富士」とも言われる現象だった。
「うわぁ。これはすごいですね。来た甲斐がありましたよ」
夢葉が感動のあまり、早速写真を撮っている。
その横で、怜も写真を撮り、翠はまだ酒が残っているのか、少しぐったりとしてチェアーに座ったまま眺めていた。
テントを畳んで帰る頃には、ようやく二日酔い気味の翠も元気になっていた。
帰り際、先にゴミをまとめて捨てると言ってテントから離れた翠。
怜は、何を思ったのか、おもむろに夢葉に近づいて、
「夢葉。お前が将来、どんな道を進もうと私も翠も反対はしないと思う。だから、思うままに進め」
「怜さん」
「それが『夢葉』という特徴的な名前をもらったお前の宿命かもな。どうせなら大きな『夢』を描いて『葉』を広げてみせろ」
そう言ってきた怜に対し、夢葉は、
「怜さん。
と少し口角を上げて、微笑みながら告げていた。
「お前なあ」
「あははは。冗談ですよ、怜さん。ありがとうございます」
溜め息と苦笑の入り混じった、複雑な表情で怜は、夢葉を見ていた。
やがて、戻ってくる翠。
三人の将来、そして夢葉の将来はまだまだ未知数だったが、夢葉には少しだけ明るい未来が見えた気がしていた。
もっともまだまだこの段階では、彼女の「夢」はわからないままだったが。
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