2. そこから見える景色
夢葉は、地元、埼玉県の西にある、とある私立大学に通っている大学1年生の、どこにでもいる女の子だった。
友達はそれなりにいるけど、将来の夢も、これと言った趣味もなかった。
ただ、何となく、毎日を過ごしているだけ。
そんな日々に変化を与える出来事が間もなく起こった。
大学の夏休みは長い。彼女の通う私立大も、ご多分に漏れず、2か月近くも夏休みがあった。
その日、たまたま夢葉は、夏休みにも関わらず、大学の授業のレポート課題を調べに、大学に行った。しばらく授業をサボっていたからだ。
図書室で調べものをして、レポートを少し書き、帰宅しようと思った彼女は、夕方、大学の駐輪場に向かった。今日も自転車で来ていたからだ。
その駐輪場のすぐ隣には、バイク駐輪場が、自転車とは別にあった。
そこで、あのバイクを見かけたのだ。
白を基調とした、赤いラインが入った、スポーツタイプのバイク。
そう、あの日、峠で会ったヤンキー女が乗っていたバイクだった。
思わず夢葉は、そのバイクに近づいて、間近で見てしまったのだった。
車体は少しくすんだ白い色をしており、お世辞にも新しいバイクには見えない。年代物といった感じだが、それでも小まめに洗車はしているようで、目立った汚れはないようだった。
よく見ると、バイクの運転席付近には風よけと思われるシールドがついており、右側には、黒いマフラーがついている。
(なんだか、少しだけカッコいいな)
と、思って、しばらく見つめていた夢葉。
後ろからドスの効いた声がかかった。
「てめえ、人のバイクに何してんだ、ああ?」
ビクっと身体を震わせ、恐る恐る振り向いた夢葉の眼に映ったのは。
あの日、出会ったヤンキーだった。
そのヤンキー女が、眼を吊り上げながら、睨みつけてきている。
(うわぁ。しまった。殺される!)
そう思い、
「すいません、すいません。見てただけです!」
直立不動の姿勢で、頭を下げ謝っていた夢葉。
ところが、ヤンキー女は。
「なんだ。白石峠で会った女じゃねえか」
意外にも
「あ、どうも……」
なんだか気の抜ける返事をして、愛想笑いを浮かべる夢葉。
(同じ大学の人だったんだ)
改めてそう思った夢葉だったが、今まで彼女の姿を校内で見かけたことは一度もなかったことを思い出していた。
それに対し、ヤンキーは。
「ったく、そんなに興味あるなら、乗ってみるか?」
突然、そんなことを言い出すヤンキー女に、さすがに面食らった夢葉は、
「いえいえ。そんな滅相もないです。ヤンキーさんのお手を
と言いかけて、
「てめえ、ケンカ売ってんのか。ヤンキーじゃねえよ!」
「ひぃぃぃ。お助け下さい!」
頭を抱える夢葉。
会話になってなかった。
ヤンキー女は、溜め息をつきながら、
「いいか。バイクなんてものはな、乗ってみねえとわからねえんだ。口でいくら言ったところで、その良さが他人にわかるはずがねえ。だから、ちょっとでも興味あるなら、私が乗せてやるって言ってんだが」
意外にもそんな優しい言葉をかけてきたから、夢葉は一瞬、言葉に詰まった。
「えっ、でも……。私、ヘルメットだって持ってないですし、二人乗りっていいんでしたっけ?」
「メットなら持ってるよ。それに、私はとっくの昔にバイク乗ってんだ。タンデムくらい訳ねえよ」
そう言って、彼女は、背負っていたリュックから、小ぶりな半ヘルメットを取り出し、そのヘルメットを夢葉に放り投げ、自分のヘルメットをかぶって、バイクにまたがると、後ろを指さして、
「乗れ」
と言ってきた。
慌てて半ヘルメットを受け取って、かぶる夢葉。
後ろのステップらしきものを踏み、何とかまたがって、彼女の後ろに乗ってみた。
意外と高い位置だった。
そして、彼女の大きな背中が目の前にある。
「いいか。私の腰をしっかり掴んでろ。あと、曲がる時は私に合わせて自然に体を傾けろ」
「は、はい」
いまだに怯えたような声を上げる夢葉を無視し、女はキックしてエンジンをかけた。
あの甲高い音には少し遠いが、普通のバイクよりは高い「パランパラン」という特徴的な音が響く。
それよりも、振動が夢葉を驚かせた。
(すごい振動。お尻に伝わってくる)
夢葉は、女の腰にしっかりと捕まった。
女は、わざとらしくエンジンを吹かした。その甲高い音が校内に響く。
そして、何も言わず、急発進した。
(うぉぉおっ!)
思わず後ろに体を持っていかれそうになり、慌てて女の腰にしがみ着く夢葉。
バイクは、校門を出て街を走り出した。
そして、一気に加速する。
風景が、ものすごい勢いで後ろに流れていく。
そして、風がすごい勢いで夢葉の顔面に当たってくる。
半ヘルメットでシールドもなかったから、風がモロに直撃するのだ。
(痛い痛い。風が痛いよ!)
さらに彼女を驚かせたのは、カーブだった。
猛烈な勢いでヤンキー女はバイクを傾けたのだ。
(めっちゃ傾いてる!)
必死に彼女の腰にしがみ着き、なんとか一緒に体を傾ける夢葉。
(つーか、めっちゃ速いよ! あと、お尻痛い!)
怯えるように、風景に目をやる余裕もなかった。
やがて、バイクは県道を抜け、国道を通り、山道に入っていた。
夢葉の記憶では国道299号。真っすぐ行くと、
(バイクなんて、全然良くないよ!)
初めはそう思っていた夢葉。
だが、しばらく彼女の腰にしがみ着いて走っていると。
少しだけ余裕が出てきたのか、夢葉の眼に、夏の夕方特有の、まだ強い陽射しが入り、そして生暖かい風が降りかかってきた。傾いて、西の山の端に降りようとしている太陽が遠くに見えた。
そんな中、例の甲高い音を鳴らし、走るバイク。
――パァァァァーーン
例の甲高い音は、スピードが上がると、出てくるんだ、と夢葉は気づいた。
(気持ちいい!)
次第に、夢葉は、そう思うようになっていた。
同時に、自然とはこんなに美しく、そして風景とはこんなに変化するものなのか、と思っていた。
自転車とは全く違う感覚、スピード。何よりも足の力がいらない。そんなところに夢葉の心は動かされていた。
そして、1時間くらい走っただろうか。
女は、「道の駅果樹公園あしがくぼ」と書かれた場所へ入って行き、駐車場でバイクを停めた。
まず夢葉に降りるように促し、次いで彼女が降りた。
互いにヘルメットを脱ぐ。
女は、喫煙所に向かい、夢葉についてくるように言った。
(タバコは嫌いなんだけどな)
そう思いつつ、怖いので、黙ってついていく夢葉だった。
喫煙所では、彼女と同じように革ジャンや、あるいはライダースジャケットを着た男たちが数人いた。女性はむしろ彼女たちだけだった。
タバコに火をつけ、紫煙をくゆらせながら、女はゆっくりと口を開いた。
「どうだ? 初めて乗ったバイクは?」
答えに窮する夢葉。なんと言えばいいのか、わからなかった。ただ、嘘をつくよりは、素直な気持ちを述べた方が、この女はきっと怒らない。そんな気がしていた。
「楽しかったです。思ったよりもずっと速いんですね、バイクって」
タバコの灰を灰皿に落としながら、女は言った。
「だったら、お前も乗ればいい。免許取れ」
「免許? 免許がいるんですか?」
「はあ? 当たり前だろ、バカか、てめえは」
「ひぃぃぃ。すいません、すいません」
反射的に謝っている夢葉に、女は呆れたように。
「いいか。とりあえず普通二輪免許を取れ。話はそこからだ」
「普通二輪免許?」
すると、女はイラついたように、舌打ちをして、
「そうだよ。んなもん、てめえでネットで調べろ」
「わ、わかりました!」
喫煙所から戻る途中、彼女は自販機で缶コーヒーを二本、買って、夢葉に渡した。
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます」
そして、夢葉を駐車場から少し離れたベンチに誘った。
夕方ということもあり、すでにこの道の駅にも人影が少なかった。
というよりも、夏の長い陽がそろそろ山の端に消えようとしている。
二人でベンチに腰掛け、飲み物を口につける。
「そういえば、お互い名前も名乗ってなかったな。私は
「あ、はい。黒羽夢葉、1年です」
(見た目通り、男っぽい名前だなぁ)
と思いつつ、その市振と呼ばれる女を見上げる夢葉。
気になっていたことを思い出していた。
「あの、市振さんのバイクって、なんていうバイクですか?」
すると、彼女は、少しだけ目を細め、
「怜でいいよ」
と言った後、
「ヤマハ TZR250 3MA。通称『サンマ』って呼ばれてるバイクだよ」
「サンマ? お魚のですか?」
「バカ、ちげーよ!」
「す、すいません!」
怒られて、委縮する夢葉は、謝った後、改めてもう一つの疑問を投げかける。
「あの、怜さんのバイクは壊れてませんか? 後ろからなんかすごい白い煙が出てるし、変な匂いがするんですけど」
「壊れてねえよ。そういうバイクなんだよ。私のバイクは
「2スト? って何ですか?」
怜は遠くを見ながら、少し間を置いてから話し始めた。
「要はエンジンの造りが違うんだよ。2ストってのは、2行程で一連の流れを終えるエンジンでな、吸気と圧縮、爆発と排気を同時に行うんだ」
「普通のバイクは違うんですか?」
「
正直、夢葉には何のことか、ちんぷんかんぷんだった。
ただ、ヤンキーのような見た目の彼女が、楽しそうに話す話題に、少しだけ興味を持ち始めていた。
気がつくと、夢葉は怜と話し込んでいた。最初は怖いと思っていたが、今はそんなに怖さを感じていなかった。
「へえ。何が違うんですか?」
「同じ排気量なら、ピークパワーは4ストより高いし、エンジンも軽くてコンパクトなんだ」
怜は言葉を区切ってから、続ける。
「ただな。今じゃ2ストのバイクなんて、ほぼ絶滅してる」
「どうしてですか?」
「環境に悪いからさ。最近、何でもかんでもエコだの、環境だの、言うだろ? 古い物は、どんどん淘汰されてしまうってわけさ」
バイクに関しては、実に饒舌に楽しそうに話す怜を、ちょっと羨ましいとすら思いながら、夢葉は耳を傾けていた。
「最近、エコって流行ってますもんね。車もそういうの多いみたいですし。ところで、怜さんのバイクって何年前のバイクですか?」
「ああ、30年くらい前だな」
「30年前! 私たち、まだ生まれてませんよ」
「そうだな。だから、あのバイクはオヤジに譲ってもらったんだ」
「へえ」
すでに陽が山の端に落ちて、暗くなっていた。
気がつけば、二人はだいぶ長い間、話し込んでいたようだ。
「夢葉」
「は、はい」
突然、下の名前で呼び捨てで呼ばれ、少し驚いて声を上げる夢葉。対して、怜は、
「とりあえず、免許を取ってみろ。あと、乗りたいバイクは自分で決めろ。私と同じ2ストにする必要なんてねえ」
「わかりました」
「あと、免許を取ったら、ちゃんと知らせろよ」
そう言って、怜は夢葉に連絡先を聞いて、お互いにアドレスとメッセンジャーを交換し合った。
帰りは、怜が暗い夜道を、行きよりもスピードを落として、帰ってくれたのだった。それはまるで後ろに乗る夢葉を気遣うように。
(怖そうな人だけど、意外といい人かも)
後ろで怜の腰にしがみ着きながら、夢葉は思っていた。
大学の駐輪場に着いた頃には、すっかり夜になっていた。
きちんと駐輪場まで、夢葉を送り届けた怜に、お礼を言って、ヘルメットを返す夢葉。
「じゃあな」
とだけ言って、怜はバイクで走り去って行った。
残された夢葉は、一人暗闇の中で考えた。怜という女のことを。
(もしかして、一人じゃ寂しいのかな、怜さん)
いきなり「免許を取ってバイクに乗れ」などと言う怜の心情を勝手に探っていた。
そして、同時にすぐに結論を下す。
(よし! 私も免許取ってみよう)
と、同時に。
(あ、自転車部やめなきゃ)
そうも思い出すのだった。
真夏の峠で出会い、再会した二人。
二人のバイク乗りの物語は、やっと動き出す。
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