4. 一本橋なんて大嫌い!

 次の教習が始まった。


 夢葉は、まずは教官に従って、コースを巡回する。まずここで失敗していた。

 やたらとエンストする。


 かと思えば、上手く発進した途端、車体がガクガクする。


「うーん。まずは半クラッチを覚えようか」

 教官が少し呆れながらそう言った。


「半クラッチですか?」


「そう。指をこういう形にして、ゆっくりと開いて行って、アクセルを開けていくんだ」

 手で形を作り、教官は丁寧に教えてくれた。


 ようやく少しずつだが、まともな運転ができるようになっていく夢葉。


 だが。

「じゃあ、次は一本橋だね」


 そう言って教官は、細い板のような鉄の通路をバイクで渡っていく。


(ええっ! マジで! あんなのどうやったって無理じゃん!)

 心の中で、叫ぶ夢葉。


「じゃ、やってみて」

 教官から言われ、覚悟を決める夢葉。


 最初の坂を登って一瞬で、脱輪して落下していた。


「一本橋のコツは、ニーグリップと視線を前に向けること。あと、クラッチを上手く使って、アクセルをこうやって上手く使って操作するんだよ」

 教官に教えてもらい、もう一度やる。


 ニーグリップというのは、確か膝をバイクのタンクに押し当てるようにして、運転するんだっけか。

 と思い出す夢葉。

 だが、落ちる。ひたすら落ちる。


 何度やっても、ひたすら上手くいかない夢葉。


(ああ、もう! 何なの、これ! こんなのやる必要ないじゃん!)

 心の中で愚痴っていた。


(つーか、こんな道があったら、通らないっての!)

 それは、バイク乗りが引き起こしの次に必ず通る試練。

 そして、誰もが思うことだった。


 実際、公道でこんな道があっても、普通は避けて通る。

 だが、実はこの一本橋には重要な意味があり、二輪車特有の「すり抜け」をする時に、この一本橋で得た知識や経験が役に立つことを、もちろん彼女は知らない。


 結局、その日、夢葉は一度も一本橋をまともに通過できなかった。


(一本橋なんて大嫌い!)

 それが夢葉がまともに教習を受けた最初の感想だった。


 自宅に帰って、ネットで調べてみた夢葉。


 すると、わかったことがあった。

 「一本橋」あるいは「平均台」などと呼ばれることもあるこの通路。

 長さが約15メートル、幅が約30センチ、高さが約5センチのこの狭路は低速走行でバランスを保ちながら安全に走行することが目的である、ということ。

 そして、バイクは二輪ゆえの不安定さから、低速が特に苦手ということ。


(よし! とりあえずしょうがないからやってやるか)


 気合いを入れ直した夢葉だったが。


 次に教習所に行った時は、一本橋ではなく、「クランク」走行をやらされた。



 クランク、これはほぼ90度のコーナーを回るものだが、低速ゆえの不安定さから、バイクにとっては、地味に難しい課題だった。


 実際、夢葉は何度も挑戦し、しょっちゅう転倒していた。

 ある時は、バランスを崩し、またある時はパイロンに当たって転倒。

 そのたびに、また面倒な引き起こしが発生する。


(ああ、もうバイクって奴は!)

 引き起こしの回数が増えるほど、だんだんイライラしてきていた夢葉。


 続いて、今度は「スラローム」と呼ばれる、いくつか置かれたパイロンの間を低速で交互に回る走行練習に入る。

 ギアを2速に入れ、バイクを傾けながら走るのだが、これが上手くいかず、大抵パイロンに当たるか、侵入速度が速すぎるため、曲がれず転倒。


 さらに、「急制動」という課題も厄介だった。

 時速40キロ前後で侵入し、ラインが引かれた部分で停まるのだが、侵入速度が速すぎても遅すぎてもダメ。

 ここでの転倒はあまりなかったが、夢葉はよく失敗して、ラインを越えていた。

(私には向いてないのかな)



「ただいま……」

 夜、珍しく落ち込んでいる表情の夢葉を見て、母・絵美が彼女の部屋にやってきた。

「夢葉。教習は順調?」


 夢葉は、母のことが嫌いではなかった。このちょっとお茶目な母は、母というより、友達に近い感覚で接してくれるからだ。年が離れている割には、話しやすい人だった。


「うーん。なんかね、上手くいかない」

 そう自信なさげに沈んでいる娘に、母は、照れ笑いを浮かべながら、懐から一枚の写真を取り出して、夢葉に見せた。


「これ、恥ずかしいけど、お母さんが20歳の頃の写真」


 そう言って、絵美が見せた写真。

 そこには、スポーツタイプの中型バイクにまたがって、笑顔でピースをしている、夢葉が見たこともない母・絵美の姿があった。

 しかも、真っ黒な革ジャンを着て、ジーンズを履いて、頭もちょっと茶色に染めていた。


「えっ、これお母さん? マジで?」


「うん、マジで」


「全然、今と違うじゃん! お母さん、ヤンキーだったの?」


 すると、絵美は照れ笑いを浮かべながらこう言った。

「まさか。ヤンキーなわけないじゃない。当時は、今と違ってちょっとしたバイクブームだったのよ。若者はみんなバイクに乗ってたの」


「へえ。でも、まさかお母さんがね」


 夢葉にとっては、意外すぎることだった。母は、何でもソツなくこなすし、昔は知らないが、今は料理も上手いし、家事も一通り全部こなせるし、立派な主婦のように見えたからだ。


「……だからあなたには見せたくなかったのよ」

 ちょっと拗ねたような表情を作る母が、少し可愛いと思う夢葉だった。


「ねえ、お母さん。バイクの免許って、どうやったら取れるの? 私、自信なくしちゃった」

 すると、夢葉の母は、娘の眼を正面から見て、


「大丈夫よ、夢葉。何でも最初は困難に見えるものよ。でも、バイクなんて慣れてしまえば、誰だって乗れるんだから」

 そう笑顔を見せた。


「そうかなあ」


「そうよ。それに、こう言っちゃなんだけど、あなたはきっとお父さんよりは運転が上手いわ。どっちかというと、お母さんに似てるからね」


「えっ、そうなの?」


 そう尋ねる、夢葉に、絵美は含み笑いをしながら続けた。

「ふふふ。なんたってお父さんは、付き合い始めた頃、車の運転もまともにできなかったからね。仕方ないからお母さんが運転を教えてあげたの」


「そうなんだ。初めて知ったよ」


 知られざる母の過去に、眼を輝かせる夢葉。ただ、確かに父の運転は昔から何だか危なっかしいところがあった。そう思い返すのだった。


「まあ、焦らずがんばることね。免許って言ったって、すぐに取らないといけないものでもないし、ちゃんと通ってれば絶対いずれはできるようになって、合格するから」


「ありがとう、お母さん」


 夢葉は、改めて母に礼を言って、同時に決意を新たにするのだった。


「ただし」

 絵美は、人差し指を立てて、最後に夢葉に強い口調で告げた。


「絶対に無茶はしないこと。事故だけは起こさないでね。それはお母さんもお父さんも悲しませることになるから」


「うん。わかった」


 母や父の笑顔が悲しみの色に変わる。それだけは避けたいと、夢葉自身も強く思うのだった。


 そして、孤独な教習は続いていく。

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