10. コーナリングが命

 那古翠なごみどりは、苦労して新しく手に入れた、自分の名前と同じ色のカワサキ ZX-10Rを慈しむように眺めていた。


 ずっと欲しかったと思っていたこのバイクが手に入ったのが先月のこと。ようやく納車にこぎつけたのが2週間前。


 この200PSを越える圧倒的なパワー、カワサキの技術の粋を使った最新制御システム、そして圧倒的な加速や最高速。


 彼女はそれに満足していた。



 大学の授業をサボって、ZX-10Rで出かけることが多かった翠が、久しぶりに大学に行くと、駐車場に見慣れないバイクがあった。


(これ、レブルやんな)

 生まれ故郷の三重県の方言で、そう思った翠。


 すぐ隣には、彼女がよく知るバイクが並んで停まっていた。


(怜のTZRと並んどるな。知り合いかいな)


 大学構内にある、カフェテリアに行ってみると、見慣れた革ジャンにレザーパンツ姿の怜がいた。その向かい側に見たことのない女の子が座っていた。

 翠が声をかける。


「怜。久しぶりやんか」

 特徴的な三重弁で声をかける翠。その声は、いわゆるアニメ声に近い高い声域で、身長は168センチくらい。怜より少し低いが、女子にしては長身で、髪型はショートカット、というよりも男の子みたいなベリーショートだった。


 その割には、随分と可愛らしいしゃべり方と、人懐こい笑顔を向ける女の子だ、と初めて見る夢葉は思った。


 目元がちょっと優しげにも見える、少し垂れ目で、全体的に丸顔に近い、愛嬌のある顔立ちだった。


「翠。お前、授業、サボってたな」


「バレてもうたか。いや、実はZX-10Rを手に入れてな。せっかくやし、走りにいかへん?」


「まあ、いいけど」


 そう答える怜の向かい側に座っている、見慣れない娘に、彼女の視線が向いた。


「なんや、随分(=可愛らしい)娘、連れとるな。誰や?」


「ああ、こいつは黒羽夢葉。最近、バイクに乗り始めた素人だ」


 紹介された、夢葉は立ち上がって、丁寧に挨拶をする。

「はじめまして。黒羽夢葉です。関西の方ですか?」


「3年の那古翠や。よろしゅう。三重県出身や」


 夢葉の目には、この人懐こくて、愛想がある女が、怜と同じバイク乗りには見えないほどだった。


(バイクの世界にも、いろんな人がいるな)


 そう漠然と思っていた。

 怜や、先日会った翔みたいな、見るからにヤンキーっぽい、つまり怖い風貌の人が、夢葉の頭の中にあった、「バイク乗り」のステレオタイプな姿だった。


 結局、いつの間にか3人でツーリングに行くことを話し合うことになっていた。

 人懐こい翠は、夢葉にとっても、怜以上に話しやすい印象を抱かせたし、すぐに二人は仲良くなっていた。


「怜は昔からスピード狂やったからな」


「そうですよね。出しすぎなんですよ」


 早くも意気投合している翠と夢葉。対して怜は、


「バイクなんて、スピード出して乗るものだろ」

 と言っていたが。


 翠は、夢葉にはちょっと意外と思える一言を呟いた。


「ちゃうで。バイクは『コーナリングが命』や!」


 二人の意見は真っ向から対立していたが、特別、喧嘩になっていたわけではなかったし、仲が良さそうだった。


「お二人はどういう知り合いですか?」

 夢葉は尋ねる。


「ああ、高校時代からの走り屋仲間みたいなものだ」


「こいつは、ホンマ、昔からスピード狂のアホやったわ。よう事故って死なんもんや、と思ったわ」


 カフェテリアで、紅茶を飲みながら、けらけらと明るい声で笑う翠。


「うるせえ。お前だって、リッターバイクのスーパースポーツなんて、化け物みてえなバイク買ってるじゃねえか」


「アホ。バイクはでかい方が安定するんや。スピード出したいから乗ったわけやあらへん」


 なんだか、二人を見てると、微笑ましいような、不思議な感じがする、と思った夢葉。そして、初めて聞く三重弁が、翠の容姿と相まって、とても「可愛らしい」ものに見えるのだった。


「お前は確かに昔から、峠みたいなくねくねした道、好きだったよな」


「当たり前やん。コーナーを曲がる時こそ、バイクは楽しいんや。せや、ほんなら週末、箱根に行かへん?」


「箱根って、確かカーブが連続であるところですよね?」


「せや。夢葉ちゃんもええ練習になるやろ」


「しかたねえな」


 と、いうことで、あっさり行き先が決まっていた。



 週末の日曜日。

 土曜日はあいにくの天気だったため、予定をずらし、今回は日曜日のツーリングとなった。

 しかも、夢葉にとっては初の「3人ツーリング」だった。


 今回は、現地での待ち合わせになった。


 待ち合わせ場所は、小田原から箱根へ向かう途中にある1軒のコンビニだった。

 夢葉は初めて高速道路に乗り、そこへ向かった。


 カウルもシールドもついていない、ネイキッドに近いアメリカンタイプのレブルでの高速は、風に煽られるし、想像以上にツラいものだった。


 コンビニには既に怜のTZRと翠のZX-10Rが停まっていた。


「おはようございます」


 改めて、その巨体を見て、夢葉は驚き、まじまじとZX-10Rを見ていた。


「へえ。翠さんのバイク、カッコいいですね!」


 その一言で、どんなライダーも幸せな気持ちになる。それは「魔法の言葉」だ。


「おおきに! ホンマ、ええバイクやろ」


 誇らしげに胸を張る翠。

 翠は、シンプソンの赤いフルフェイスヘルメットに、FCエフシー-Motoモトの黒いライダースーツ上下に、AVIREXアヴィレックスの茶色いライダーブーツという格好。

 怜は、いつものように、ショーエイの白いフルフェイスヘルメット、黒い革ジャンに、黒いレザーパンツ、そしてFormanismの黒いライダースブーツを履いていた。

 そして、夢葉は、アライの白いフルフェイスヘルメットに、コミネの白いライダースジャケット、ジーンズに、elfのライダースショートブーツという格好だった。



 そして、3人でのツーリングがスタートする。

 天気は曇り空だったが、雨が降る気配はなかった。

 気温も涼しくて、バイクに乗るにはいい天候だった。


 3人ということで、一番排気量がある大型バイクのZX-10Rが先行し、次に夢葉のレブル、最後に怜のTZRが続いた。


 これは、怜がスピードを出しすぎるから、ということを危惧した翠が提案したことだ。そして、彼女には初心者の夢葉の走りも見ておきたいという気持ちがあった。


 とにかく「カーブが大好き」という翠は、あえて真っすぐな箱根新道を使わず、国道138号から宮ノ下を経由し、旧道の国道1号を登って行った。


 夢葉にとっても初めての箱根は楽しいものだった。


(カーブ多いなあ)


 と思いながらも、漠然と翠を追って、走る夢葉。もちろん、排気量が違いすぎるから、遠ざかっていく大型バイクを追うことにも必死になっていた。


 最初に休憩した、道の駅箱根。


 ここで、翠は、親切に夢葉に声をかけた。


「夢葉ちゃん。コーナーを曲がる時はな、『リーンイン』や『リーンアウト』を意識するんや」


「何でしたっけ、それ?」

 なんか、教習所で聞いたことがあるな、と思い出していた彼女だが、内容はほぼ忘れていた。


「『リーンイン』っちゅうのは、バイクの傾きに対して、上半身をイン側にずらす走行。『リーンアウト』はその逆にアウト側にずらすんや」


「へえ」


「ま、他にも『リーンウィズ』とか『ハングオン』っちゅう、ライテクもあるんやけどな」


「ライテク?」


「ライディング・テクニックのことや」


「さすがです、翠さん。怜さん、そういうの全然教えてくれないんです」


 すっかり意気投合し、仲良く姉妹のように会話をする二人。怜は相変わらず喫煙所でタバコを吹かしていた。


「ま、あいつはスピード狂やからな」


「ですね」


 笑い合う、そんな二人を、怜は少し顔を綻ばせながら見守っていた。

(すっかりバイクにハマったな、あいつ)


 もちろん、彼女をその「バイクの世界」に引き込んだのは、怜自身なのだが。


 だが、夢葉にとって、楽しいだけではない、バイクの厳しさ、大変さを嫌というほど味わうことになる季節が、もうすぐそこまで来ていた。

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