8. 初めての「恐怖」

 大学1年生、18歳で初めて「バイクの世界」を知った夢葉。


 10月初旬の納車直後にいきなり「立ちゴケ」を経験したが、その後はひとまずは順調だった。


 バイクに乗ったことによって、人生観すら変わってしまった、夢葉は毎日大学にバイクで通うようになり、怜ともよく会って、話す仲になっていた。


 そんな10月中旬。


 メッセンジャーで怜を呼び出した夢葉は、授業が終わった夕方、大学構内にあるカフェテリアで怜と向かい合っていた。


 話すことはもちろんバイクのこと。


「ねえ、怜さん。バイクって確かに面白いんですけど、街中だと信号機ばかりで、シフトチェンジばっかして疲れますね。なんか、こう思いっきり走れる道ってないんですかね?」


 コーヒーを飲んでいた、怜は、楽しそうに話す後輩に対し、


「もちろんあるぞ。週末、行ってみるか?」


 と声をかけると、その後輩の女の子は、まだあどけなさの残る顔に喜色を浮かべた。

「行きます!」



 3日後、土曜日。

 天気は秋晴れ。やっと、熱さも少し落ち着いてきて、絶好のツーリング日和だった。

 大学で待ち合わせをし、二人は初めてまともなツーリングに旅立つ。


 だが、夢葉は事前に怜から言われていた。

「お前は素人だから、念の為に、ちゃんとプロテクターをつけてこい」


 夢葉は、浮かない表情で、

「ええー。イヤですよ。メンドくさい」

 と言っていたが、ケガをしたら、もっと面倒になると怜に説得され、渋々ながら膝と肘、そして胸部のプロテクターを装着した姿で、大学のバイク置き場に現れた。


「じゃあ、行くか。今日は私が案内してやる。初心者のお前は後ろをついてこい」


「はい。わかりました」


 そうして、怜が向かった先は。


 道志どうしみち


 と呼ばれる道だった。

 国道413号。神奈川県相模原さがみはら市から山梨県富士吉田ふじよしだ市の山中湖やまなかこへと至る道のうち、相模原市の青山交差点から山中湖までを、一般には「道志みち」と呼ぶ。


 ここは、くねくねと曲がった道が多い、山の中を抜ける、ワインディングロードだが、信号機が少なく、バイクには走りやすいため、週末ともなると、バイク乗りたちが多く集まり、ツーリングを楽しむ場所として、首都圏では知られている。


 下道で1時間15分ほどで、二人は青山の交差点に差し掛かり、いよいよ道志みちへと入る。


(いい道だなぁ)


 先程から信号機がほとんどない、真っすぐな道で、しかも天気も良かったから、夢葉は上機嫌だった。


 だが、少し進むと、山道に入り、一気にカーブが多くなる上に、道幅も狭くなる。


 先頭を走る怜は、後ろの夢葉を気遣いながら、いつもよりスピードを落とし気味に走っていたが、彼女は彼女なりに、気になっていることがあった。


 それは、大きく二つあった。


 所沢から相模原に至る途中、夢葉は交差点で右直うちょく事故を起こしそうになっていた。つまり、直進する夢葉のバイクと右折しようと交差点で待っている車。予想とは違い、車が強引に右折してきて、夢葉は急ブレーキに近い状態で、減速していた。


 そして、もう一つ。この「道志みち」でやたらとスピードを出して、カーブを曲がる夢葉が、カーブのコーナーからはみ出しそうになっていたことが何回かあった。



 やがて、40分ほどで、道志みちの真ん中より少し山梨県側にある「道の駅どうし」に入った怜のバイクを追って、夢葉もその駐車場にバイクを停めた。


 周りは、すでにバイクでいっぱいだった。首都圏からツーリングに来たと思われる、無数のバイクで駐車場のバイク置き場があふれていた。


 怜は、バイクを降りると、夢葉をいつものように喫煙所に誘い、夢葉は渋々ながらついてきた。


 そこで怜は、タバコを吹かしながら、思っていたことを口にしていた。


「夢葉。お前、右直事故を起こしそうになってたな」


「右直事故?」


「ああ。車から見ると、バイクは小さく、遅く見えるんだ。だから、奴らは、『バイクはまだ来ない』と思って、強引に曲がってくる。交差点では気をつけろ。つーか、教習所でも習っただろ?」


「あー。習ったような気がします。忘れてました」


 なんだか上の空のような夢葉を、怜は大丈夫か、と少し心配になった。


「あと、カーブでもスピード出しすぎだ。カーブの手前でちゃんと減速しろ。対向車線にはみ出してたこともあったな。そんな運転してると、そのうち死ぬぞ」


「わかりましたー」


 軽い口調でそう答え、やはり上の空のような夢葉が心配だった、怜だったが。


「それより、怜さん。すれ違うバイク乗りの人たちが、よくピースしたり、手を振ってくるんですが、あれって何ですか?」


「ああ、あれは『ヤエー』って言ってな。まあ、同じバイク乗りだ、っていう挨拶みたいなもんだ」


「へえ。なんだか面白いですね」


 気にしすぎなのか、とも思った怜だったが。


 当の本人は、浮かれていた。初めてのまともなツーリングに、周りの状況が見えていなかった。


(ツーリングって楽しいな!)


 夢葉は、怜の忠告もあまり聞いておらず、完全に浮かれていた。



 そして、そんな彼女に「恐怖」が襲いかかることになる。


 道の駅どうしから山中湖へ至る途中、小さな峠を越えるが、ここで怜より遅れて後ろを走っていた夢葉は、スピードを出しすぎて、対向車線をはみ出していた。


 そして、その対向車線からは大型トラックが向かってきていた。


「うわっ!」


 さすがに心臓がドキッと跳ね上がり、一瞬、死の恐怖を感じた夢葉は、夢中でハンドルを切って、左に避けた。


――パッパァァー!


 トラックからクラクションを鳴らされたのも、彼女を恐怖に追い込んだ原因だった。


 しかも、それだけパニックに陥った状態だったから、今度は勢い余って曲がりすぎて体勢を崩し、走行中にバイクが傾き、そのまま転倒していた。


 幸い、減速し、スピードはそんなに出ていなかったが、怜はすぐに気づき、バイクを反転させて、夢葉に近づいてきた。


「いたた……」


 膝を抑えて、うずくまる夢葉。


「夢葉! 大丈夫か!」


(怜さんが近づいてくる……。そっか、私、またコケたんだ)


 ぼんやりとそう思っていた夢葉だったが、直後、怜は大声で怒鳴っていた。


「バカ野郎! 死にてえのか!」


「ご、ごめんなさい!」


 その一言で我に返った夢葉は、事態の重さを感じ取り、さすがに、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、謝っていた。


「まったく。だから言ったんだ。バイクってのはな、楽しいだけじゃ済まないんだ。きちんと『怖さ』もわかって、全力で楽しむものなんだ」


「はい。ごめんなさい」


 何度も謝る夢葉。

 すると、蹲る夢葉に、怜は、


「で、ケガは大丈夫か? まさか骨とか折れてないだろうな?」


 顔を覗き込んでくるように、近づいてきた。


「だ、大丈夫です。プロテクターのお陰です」


 夢葉は、幸い打撲程度で済んでいた。


 なんとか立ち上がり、一人でバイクを起こす。

 その後、再度、怜に向き合い、


「怜さん。本当にごめんなさい。あと、ありがとうございます」


 そう、心底、申し訳なさそうに頭を下げる夢葉。


「ああ、もうわかったよ。とにかく気をつけろ。ベテランライダーならともかく、お前はまだ素人なんだからな」


 怜は、なんとか怒りを鎮めてくれたようだった。


 バイク自体の損傷は、車体に多少のキズがついたのと、メーター周りやウィンカー部分に傷がついた程度で助かったから走行には問題なかった。


 だが、初めてのツーリングで、夢葉は、実体験として、「バイクの恐怖」を思い知ることとなった。


(このことは、お父さんには絶対言えないな)


 心の中で、父の怒る顔を想像し、夢葉は固く決意する。


 同時に、怜の言葉にも、ちゃんと従うことにしたのと、彼女が本気で怒ってくれたこと、気遣ってくれたことを嬉しく思うのだった。


 世の中、本気で怒ってくれる人というのは、家族以外では珍しいものだ。それだけ怜は夢葉を心配してくれているという証拠だと、彼女は思った。


 その日、見た山中湖から見る、富士山の景色は夢葉に大きな感動を植えつけたが、それ以上に彼女は、「バイクの恐怖」と「怜の優しさ」に触れたような気がしていた。

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