17. キャノンボール!(後編)

 北海道、それはすべてのライダーの憧れの地。

 しかしながら、北海道に住む人間にとっては、実はこの大地は生きるのに厳しい過酷な環境。


 一年の半分は雪に埋もれ、その間、バイクも自転車もほとんど乗れないし、冬の最低気温はマイナス10度、20度は当たり前。春になってようやく乗れる環境になっても内地(北海道から見て道外)よりもはるかに気温は低いまま。

 かろうじて短い夏に乗れる程度だから、実は北海道民のバイク保有率は他地域よりもかなり低い。


 バイク屋は北海道にもあるが、それだけでは食べていけないので、冬の間は除雪機を売っていたりもするのだ。


 そして、夢葉が言ったように、「津軽海峡を越える」と体感温度は一気に変わる。夏でも夜には熱帯夜になることはほとんどない。


 だが、釧路や根室、北海道では「道東どうとう」と言われる地域は、真夏でも最低気温が15度くらいがザラにあり、夏とは思えないくらい「寒い」のだ。


 キャノンボール2日目。

 夢葉が起きて、バイク駐車場に行くと、すでに怜と翠のバイクはなかった。


(あっ、二人ともずるい!)

 そう思った夢葉だったが、別に示し合わせたわけでも何でもなかったから、仕方がない。


 翠は、下道のハンデを補うため、朝食も食べずに6時にさっさと出発していた。

 怜は怜で、7時には出発。

 遅れた夢葉は8時にようやく出発。それぞれ1時間の差だった。


 一番早く出発した翠は、9時前には洞爺とうや湖付近まで到着。北海道は下道でも、平均時速は60キロ以上は出せる道が多いので、ほぼ高速と変わらないスピードで駆け抜けることもできる。


(よっしゃ。これで少しは取り戻せるやろ)

 翠はそう思いながら、広い北海道の道路に感動していた。たとえ片側一車線しかなくても、道幅自体がとてつもなく広い。

 北海道は、開拓の過程で、道路から先に作ったことと、雪による除雪のために、元々道路を広く設計してある。


(ホンマ、走りやすいわ)


 一方、怜は。

 翠とほぼ同じ9時10分頃には、道央自動車道の虻田あぶた洞爺湖インターチェンジ付近を通過。


(少し出遅れたが、このペースなら私が一番だな)

 自信満々に突っ切っていた。


 そして、夢葉。

 8時に出発したことで、彼女は9時にやっと道央自動道の八雲やくもインターチェンジ付近だった。


(これ、ヤバイかも。私がビリじゃん!)

 さすがに少し焦っていた。



 正午。

 翠はようやく千歳の先、夕張より少し行った、国道274号線を東にひた走っていた。

 下道オンリーで行く必要がある彼女だったが、それでも北海道の田舎道は交通量が少ない上、周りの車が関東などとは比べ物にならないくらい、飛ばすので、流れは速く道路標識の制限速度以上に飛ばしていた。


(ホンマ、北海道は走りやすいわ。こいつの性能が生かせるやん)


 唯一の大排気量、大型バイクのZX-10Rの実力を試せることを喜ぶように、休憩もほとんど取らずに突っ走っていた。


 同じ頃、怜は早くも道東自動車道の音更帯広おとふけおびひろインターチェンジ付近を通過。一路、東へ爆走していた。


(やっぱ北海道はいいな)

 高速から見る風景でさえも、本州とは違う。広大な森林や山が広がり、自然に溢れている。普段、ビルに囲まれた街で生活している彼女には新鮮な体験だった。


 そして、夢葉。遅れを取り戻すべく、珍しく休憩もあまり取らなかった彼女だったが、それでも道東自動車道の追分おいわけ町インターチェンジに到着した頃だった。


(走りやすいけど、後れちゃったな。まあ、それでも多分、翠さんには勝てるだろうなあ)

 のんびり屋の彼女はそれでもまだ多少は余裕があるようだった。



 15時頃。

 翠は、下道を国道274号、同241号とかっ飛ばし、足寄あしょろ町付近に到着。


(やっぱ下道はあかんわ。こりゃ、負けるで。夢葉ちゃんがいつ出たかが気になるな)

 そう思いながらも、焦りによって、彼女はいつも以上に飛ばしていた。


 それより10分ほど前。足寄インターを降りて、森林の中を突っ切り、阿寒湖を越えて走る国道241号をかっ飛ばし、怜は14時50分頃にはゴール地点の屈斜路湖畔の駐車場に到着していた。


 周りには二人のバイクの姿はない。


(やっぱ私が一番か。だが、翠が高速組だったら負けてたな)

 そう思いながらも、喫煙所で優雅にタバコを吸って、疲れを癒していた。


 最後に夢葉。

 なんだかんだで、疲労から休憩を取っていた夢葉は、ようやく足寄インターを降りて、国道241号を東に向かっていた。


 その時、後ろから聞き覚えのある爆音が響いてきた。


 サイドミラーを見ると、翠のZX-10Rだった。


(ヤバい! 追いつかれた!)

 さすがに焦って、アクセルをひねり、エンジンの回転数を一気に上げる彼女。


 だが、そもそも250ccと1000ccではパワーが違いすぎる。

 レブルはたちまちZX-10Rに追いつかれ、翠に、これみよがしに手を上げられ、彼女は追い抜かれた。


「ああー。私がビリじゃん!」

 思わずそう叫んでいた。


 諦めきった彼女は、国道241号の途中で案内看板を見つけて、バイクを停めた。

「オンネトー? 何語?」


 それは、北海道の知られざる観光地の一つ、オンネトーだった。

 ちなみに「オンネトー」とは、アイヌ語で、「年老いた沼」、あるいは「大きな沼」という意味だ。


 北海道には、元々アイヌ民族が住んでおり、明治以降に日本人が大量に入植、移住したから、無理矢理漢字に当てた地名が多いが、当てられなかったアイヌ語地名はカタカナとして残っているのだ。

 なお、アイヌ民族は文字を持たない民族で、すべて口承や口伝で伝えるという。


 国道をそれ、森林の中の一本道を走っていく彼女。

 それは、夏とは思えないほど清々しい気分のする、森の中の一本道だった。

 10分ほど走ると、視界の中に不思議な、しかしとてつもなく荘厳な雰囲気の湖が姿を現す。


 夢葉は思わずバイクを降りて、湖のほとりに立ち、息を飲んだ。

 その頃、曇っていた空が晴れてきたのも原因だったが、その目に映る景色は、今まで見たことのないほど、美しいものだった。


 彼女は、北海道に初めて来て、その広大な道路の道幅、そしてどこまで続くかわからないような森林や山岳地帯に感動していたが、ここはそれらのどの感動とも違った。


 まさに神々しいほどの美しさだった。


(何、ここ。キレイ!)


 湖面は鏡のように美しく澄んでおり、遠くにある山々が湖畔に映り込む姿が、絵画でも見ているかのようだった。


 ここは、湖面が時間によって刻々と色を変えることから「五色沼」とも呼ばれ、特に午前中はコバルトブルーに染まる。


 深い森の奥に、ひっそりと存在し、ある意味、観光地とはいえ、いわゆる内地の有名観光地のように、ごみごみとしてはいない。


 なお、オコタンペ湖、東雲しののめ湖と共に、「北海道三大秘湖」の一つとされている。


 結局、この湖に見とれてしまい、しばしボーっと眺め、写真を撮っていた彼女はすっかり遅れ、屈斜路湖に着いたのは17時15分を回っていた。



「遅いな。何やってたんだ?」

 待ちくたびれた怜が、文句を言いながらタバコを吹かし、


「ホンマやな。途中で追い抜いてから寄り道でもしとったんちゃうん?」

 翠もまた尋ねていた。

 ちなみに翠は、16時30分頃には着いていた。


「すいません。でも、途中でめっちゃキレイな湖見つけたんですよ。オンネトーっていうんですけど、知ってます?」

 一番遅れた夢葉は二人におごらないといけないのだが、それも忘れるくらい興奮気味に語っていた。


「知らへんな」


「私も」


「じゃあ、是非行きましょう! 絶対感動しますって」

 なおも興奮が抑えきれないような夢葉に対し、怜と翠は、


「それはともかく、お前が一番ビリだから、ちゃんとおごれよ」


「せやな。ドベやから、スイーツおごるんやで」


 と例の約束を迫った。


 それに対し、夢葉は、溜め息をつきながら、

「はあ。わかりましたよ」


 と言ったが、すぐに、

「でも、この辺、スイーツなんて売ってないですよね。それに私、そんなにお金ないですよ」

 と辺りを見回す。


 二人も辺りを見回すが、この辺りは確かに森林と湖しかないのだ。

 怜は、


「わかった。とりあえず今日は、ここから近い、川湯温泉に泊まるから、セイコーマートでいいぞ」

 と諦め気味に言い放った。


「セイコーマートか。ホンマ、いっぱいあるんやな、北海道には。下道の道中、セイコーマートだらけやったで」

 翠は初めての北海道の感想が、セイコーマートの多さに驚いたようだった。


「わかりました。川湯温泉の近くにセイコーマートがあるみたいなので、行きましょう」


 そして、三人は走り出す。セイコーマートへと。

 セイコーマート。それは北海道にあるローカルコンビニチェーン。

 だが、札幌のような都会はともかく、北海道の地方に行けば、本州以南のように大手のコンビニチェーンよりも、セイコーマートの方が圧倒的に多いのだ。


 というより、むしろ人口が少ない地域では、セイコーマートが一種のコミュニティーに近い存在にすらなっている。


 北海道民にとっては、なくてはならないものであり、良心的で、価格も安く、北海道独自の物が売っていることもあり、人気があるのだった。


 川湯温泉の温泉街にあるセイコーマートで、三人分のスイーツを買った夢葉。


 夜は、三人で温泉に浸かって、疲れを癒していた。


「いやー、さすがに疲れましたね。でも、温泉、気持ちいいですね」

 夢葉は風呂の中で伸びをしていた。


「やっぱ、ツーリング後は温泉だよな。ライダーに温泉は欠かせない」

 目をつぶりながら、気持ちよさそうにしている怜。


「ホンマやな。温泉は魔物やで。このままねぶたくなってくるやに」

 三重弁でしゃべりながらも、半目状態ですでに眠りそうな翠。彼女が一番苦労をしているから、当然と言えば当然だった。


「ところで、明日はどうするんですか?」

 そう尋ねる夢葉に、怜は、


「やっぱここまで来たら、端っこに行かないとな」

 と言い出した。


「端っこですか?」


「ああ、日本最東端の納沙布のさっぷ岬と、最北端の宗谷そうや岬にな」


「面白そうですね!」

 目を輝かす夢葉。


「もう私だけ下道ってのは、なしやで?」

 半目状態のまま口を開く翠。


「大丈夫だ、翠。後は下道だけだ。つーか、そもそも北海道に高速道路なんていらないんだ。下道が高速みたいなもんだからな」


「それはわかる話やな。ホンマに下道が高速やったわ」

 そう言ったまま、翠はほとんど寝そうになっており、二人は苦笑しながら、翠を起こしていた。


 こうして、三人のキャノンボールは終わった。

 いよいよ、端を目指す旅が始まる。

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