16. キャノンボール!(前編)

 4月からは、4年生の怜と翠が就職活動に入ったため、しばらくはツーリングはできなかった夢葉だった。


 意外にも怜は将来のことをきちんと考えており、バイクの整備士を目指すそうだ。元々、父の影響でバイク好きで、知識もある彼女には向いていると夢葉は思っていた。

 一方、翠は、こちらも彼女には意外だったが、アパレル関係を目指すそうだ。ただ、夢葉の目から見ても、翠は可愛いし、オシャレなところもあったから、それなりに似合うのかもしれない、とも思った。


 その間、夢葉は一人であちこちにソロツーリングに行っていた。山梨県、長野県、静岡県など、それなりにバイクの楽しさもツラさもわかってきた彼女には充実した時間であり、バイク乗りとしての経験も、知らず知らずのうちに上がっていた。


 そして、7月後半。

 怜と翠は、それぞれバイクの整備士、アパレル関係の内定にこぎつけていた。なんだかんだで、彼女たちは将来の道筋をしっかり決めて、集中して就職活動をしていたためだ。


 7月後半から9月後半まで、大学は2か月も夏季休暇に入る。

 そのためか、ある時、怜は夢葉と翠が集まったところで、こんなことを言い出した。


「夏休み、バイクで北海道に行こう」


「北海道ですか? いいですね。私、行ったことないんですよ」


「ええなあ。私も行ったことあらへんやに」


 それぞれ夢葉、翠が目を輝かせる中、怜は、二人にとって、意外なことを提案した。


「ただし、普通に北海道を回っても面白くない。だから、『キャノンボール』をやろう」


「キャノンボール?」


「何やねん、それ?」


 何も知らない二人に、怜は得意げな表情で語り始めた。

「オヤジから聞いたんだ。昔、アメリカの映画で『キャノンボール』ってのがあってな。要はアメリカ大陸を横断する非合法レースのことだ」


「でも、それってアメリカのことやろ?」


「ところが、これに影響を受けた、当時の日本のライダーが実際にやったらしい。東京の皇居から北海道の屈斜路くっしゃろ湖までな。ルールは自由。陸路、空路、海路、何でもいいからとにかく早く着いた方が勝ちという、非合法レースだったらしい」


「屈斜路湖ってどこですか?」

 尋ねる夢葉に、怜は、携帯の地図アプリを見せながら、


「大体この辺だな」

 と示した。


 それは大体、釧路くしろから網走あばしりの間くらいにある、大きな湖だった。


「へえ。つーか、めっちゃ遠いやん」


「ですね」


 二人は少し辟易したように、地図を眺めるが、怜は、


「だからこそ面白い。あと、ルールはなしだとつまらないから、独自ルールを決める」

 すでに、このレース自体を楽しみ始めている怜は、不敵な笑みを浮かべている。


「独自ルールですか?」


「ああ。大きく分けると、ルールその1、高速組と下道組に分かれる。その2。津軽海峡以外の海路は使わない。その3、途中で宿に泊まっても構わない、その4、一番負けた奴は勝った二人にスイーツをおごる」


 それを聞いた二人は、


「ええっ! 船、使っちゃダメなんですか。私は大洗おおあらいから苫小牧とまこまいまで行こうと思ってたのに」

 夢葉が、衝撃を受けたように、頭を抱えるように大げさにリアクションをしていた。


「ルール3は当たり前やんな。そもそも泊まらんで行くのは無理やん。ルール4は、まあ女子らしいっちゃらしいけど」

 翠は、どちらかというと、怜に近いようで、このレースを楽しみ始めたように、微笑んでいた。


「で、その高速組と下道組はどう分けるんですか?」

  夢葉の問いに、怜は、


「じゃんけんだ」

 と、こともなげに言い出した。


「ええっ!」


「マジか?」


 不満げな二人に対し、怜は、


「やらないんなら別にいいぞ。私は一人でも走るから」

 と、早くも乗り気な姿勢を見せていた。


「しゃーないな」


「わかりました」


 二人が渋々ながら頷き、勝負を決める運命のじゃんけんが、こんな形であっさりスタートした。

 じゃんけんでは、一番勝った者と二番目に勝った者が高速、一番負けた者が下道という、ある意味、悪夢のようなルールだった。


 そして、

「うぉ! 私だけ下道か!」

 負けたのは、翠だった。


「やった! でも、高速でも青森までかなりかかりそう」


「大丈夫だ、夢葉。たったの10時間くらいだ」


「10時間! 全然『たったの』じゃないですよ」


 ということで、着々と決まっていく北海道ツーリングだった。


「出発はいつにするんや?」


 すると、怜は少し考え込んだ後で、静かに答えた。

「そうだな。元々、日本版キャノンボールは7月7日にスタートするというのが恒例だったらしいが、もう過ぎてるし、そもそも夏休みでもないからな。だから、私は旧暦の7月7日にしようと思う」


「旧暦?」


「って、わかるんか?」


 疑問を呈する二人に、怜は、あらかじめ調べておいたらしい、携帯電話でネットの情報ページを開いて見せた。

 そこには、その年のカレンダーと共に、旧暦の日付も乗っていた。


「今年の旧暦7月7日は、8月14日だ」


 ということで、あっさりと決まり、行程や日程が決まって行った。ちなみに、せっかく休みが長いので、屈斜路湖まで行った後は、北海道を少し回ってから帰ることになるそうだ。


 翠は、ぐちぐちと文句を言っていたが、最後には、諦めたように、

「まあ、私のZX-10Rは長距離乗っても疲れへんからな。実力を見せたるわ」

 と言っていた。


 怜によると、出発は8月14日、土曜日。警察の目を避けるためと渋滞を避けるために、出発は深夜0時と決まった。



 その日、帰宅した夢葉は、母に、

「ねえ、お母さん。『キャノンボール』って知ってる?」

 と聞くと、彼女の母・絵美は、


「ああ、知ってる知ってる。昔のアメリカ映画でしょ」

 とあっさり答えていた。


(やっぱり、怜さんのお父さんと同世代だな)

 と、少し笑いがこみ上げてくる夢葉だった。


「それがどうしたの?」


「今度、友達とそれをやるの。北海道まで自走で行くから」


 そう言う娘に対し、母は、反対するどころか、感慨深げに、

「へえ。懐かしいな。私も昔やったわよ」

 と言ってきたが、


「でも、お父さんには言っちゃダメよ。絶対反対するから。あと、いくら非合法レースとは言っても、無理はしないでね」

 母親らしく、そこは娘を気遣っていた。


 ちなみに、『キャノンボール』とは、英語で「鉄砲玉」のことを意味する。元々、1981年の映画が有名だが、その元ネタになったのが、昔、実際にアメリカで行われた、非合法の大陸横断レースだという。

 1994年、それを真似て、オーストラリアでも行われたことがある。


 そして、実際に1980年代のバイクブームの時、日本の若者の間でも、東京の皇居から北海道の屈斜路湖まで行われ、警察がそれを察知し、違反者を待ち構えていたという。



 あっという間に、その日はやってきた。

 8月13日、深夜23時50分。皇居、平川門前。


 そこに3台のバイクにまたがる少女たちが集まった。

 ホンダ レブル250にまたがる夢葉は、アライの白のフルフェイスヘルメット、コミネの白のライダースジャケットをメッシュ仕様にして着込み、黒ジーンズ、elfのライダースショートブーツ。


 ヤマハ TZR250 3MAにまたがる怜は、ショーエイの白のフルフェイスヘルメット、夏用の薄い革ジャン、黒のレザーパンツ、Formanismのライダースブーツ。


 カワサキ ZX-10Rにまたがる翠は、シンプソンの赤いフルフェイスヘルメット、黒のライダースーツ上下、FC-Motoのライダースブーツ。


 ちなみに、この時、すでに函館までのコース設定がそれぞれの頭の中にはおおまかにあった。

 夢葉は、オーソドックスに東北道を北上し、青森から函館へ渡るルート。

 怜は、東北道から下北半島を北上し、大間から函館へ渡るルート。

 翠は国道4号から会津若松へ抜け、日本海側を北上し、青森から函館へ渡るルート。


 深夜0時。

 それぞれの携帯電話の時間が8月14日0時00分を示したところで、ついに、彼女たち独自の「キャノンボール」がスタートした。


 高速組の夢葉と怜は、すぐ近くにある一ツ橋インターチェンジから首都高5号線に乗り、そのまま東北道を目指す。

 一番不利な翠は、内堀通りから秋葉原、上野方面を目指して、下道を北上する。


 怜は初めから飛ばしていた。

 夢葉は必至で彼女に追いつこうとするも、どんどん距離は離されていった。

 最初こそ追いつこうと思っていた彼女だったが、次第に遠ざかる怜に、


(まあ、いいか。私と怜さんじゃバイク歴も技術も違うし。焦らなくてもそのうち、休憩してれば追いつくだろうし、それに多分翠さんよりは速いはず)


 そう、のんびり構えて、急激なスピードによる危険を避けていた。


 ということで、始まったこのレースだったが。


 実際に一番飛ばしていたのは、怜だった。

 通常、深夜の交通量の少ない状態なら東京の皇居から青森まで、高速道路ならノンストップで約8時間30分で着く。しかも、この8月14日は帰省ラッシュが始まっていたが、それは東京へ向かう上り車線なので、下りは空いていた。


 怜は、ほとんど休憩も取らず、ぐんぐん距離を伸ばし、夜が明ける5時前にはすでに仙台まで到着していた。


 一方、夢葉はのんびりと休憩を取り、無理をしないながらも順調に進み、仙台まであと一歩の村田インターチェンジ付近まで到達。


 そして、翠は。ZX-10Rの最新制御技術、長時間乗っても疲れにくい車体、そして下道とはいえ、国道4号のバイパスは高速で進めるためか、同じ頃、すでに福島県の会津若松市まで進んでいた。



 午前8時。


 怜は、やはり一番速く八戸自動車道を走っていた。

 疲れ知らずのタフな彼女は、トイレ休憩とわずかな水分補給だけの休憩で、後はひたすら走っていた。


(このまま大間まで突っ切ってやる)


 彼女は、もはや走ることを楽しんでいた。


 一方、夢葉は。

(おなか空いたなあ。あと眠い)

 東北自動車道、岩手山サービスエリアでのんびりと朝食を取って、食後にコーヒーを飲んでいた。元来、どちらかというと、のんびり屋の彼女は、もう無理に怜に追いつこうとはしていなかった。


 翠はというと。

 彼女だけ唯一の下道というハンデのためか、怜と同様にかなり無理をして休憩をすっ飛ばして、下道を法定速度をはるかに上回る速度で走り、それでもやっと山形県の鶴岡市と酒田市の間くらいだった。



 午前10時30分。夢葉はやっとの思いで、青森フェリーターミナルと書かれた、ガラス張りの建物に到着。

 早速、中に入っていた。


 (えーと、次の船は……)


 電光掲示板を見て、彼女は息を飲んだ。


(げっ。次は14時20分だ! まだまだあるじゃん!)

 そう思った彼女は、先に乗船予約と手続きだけ済ませると、


(とりあえず眠いけど、今寝ると起きれなくなるなあ)

 そう思い、バイクで青森市内を散策に出かけた。


 着いたのは、アスパム。青森県観光物産館と呼ばれる、三角形の特徴的な建物だった。

 ここにはアイスも食べ物もある。

 青森とはいえ、真夏なので暑い。

 彼女は、ここでアイスクリームを食べ、青森港や、かつての青函連絡船、八甲田丸を写真に撮り、さらに昼食まで取ってから、ようやくフェリーターミナルに戻り、無事に14時20分の船に乗り込み、船内の雑魚寝スペースで、死んだように横になっていた。ちなみに函館到着は、約4時間後の18時頃の予定だった。


 怜は、ハイペースで高速から下道をぶっ飛ばし、午前11時15分頃には、早くも下北半島の最北端、大間町にある大間フェリーターミナルに到着していたが、夢葉と同じように、


(次の船は14時10分か)

 と時刻表で知り、これも夢葉と同じように腹ごしらえをしていた。

 ただ、こちらは、まぐろで有名な大間。豪勢に港の食堂でまぐろの刺身を食べていた。


(さすが大間のまぐろ。こいつは美味い!)

 一番体力がある怜だが、それでもそれなりに疲れていたが、これで疲れが吹っ飛んだ気がしていた。


 そして、翠。

 立場上、最も不利なはずの彼女だったが、待ち時間が発生した二人とは違い、彼女はその間に距離を伸ばしていた。

 山形県から秋田県を経て、青森県の弘前市を経由、そしてついに青森フェリーターミナルに着いた頃には、出発から14時間以上が経ち、すでに14時を回っていた。

 乗船手続きは、90分前には行わないといけないので、彼女は14時20分の函館行きフェリーには間に合わなかったのだ。


(あかん。あとちょっとやったのに)

 と悔しがるも、すでに体力的に限界に近づいていたため、次の17時5分発のフェリーの予約手続きだけをして、待合室で仮眠を取っていた。



 一番早く、北海道入り、すなわち函館港から上陸したのは、やはり怜だった。大間から函館までは約1時間30分で着く。4時間かかる青森から函館の間よりも速かった。彼女は15時40分に函館に到着。


(とりあえず、今日は疲れたからホテルに泊まろう)


 怜は、適当に検索して安かった駅前のビジネスホテルに宿泊。


 二番手は夢葉。船の中で爆睡したまま、陽が落ち始める18時にようやく函館に到着。


(眠い、疲れた、シャワー浴びたい。ホテル行こう)


 そして、夢葉もまた、同じように検索して駅前のビジネスホテルへ。


 そして、最後に翠。彼女が到着したのは20時45分。すでに辺りは真っ暗だった。


(あかんわ。もう限界や。ホテル行かな)


 さすがに15時間近く走り続けて一番疲れている翠は、吸い込まれるように駅前のビジネスホテルへ。


 そして、偶然にも三人が三人とも同じビジネスホテルに泊まり、ロビーでばったり会ってしまう。


 最初こそ驚いた三人だったが、すぐに顔を見合わせて、この奇妙な偶然と、不思議な友情の奇跡に、お互いに笑い出した。

 風呂に入った後、三人はロビーに集まった。すでに時刻は22時を回っていた。


「怜さん、相変わらず飛ばしすぎですよ。何時に函館に着いたんですか?」

 と聞く夢葉に、


「15時40分だな」

 と答える怜。二人は驚愕していた。


「15時40分! 速すぎでしょ」


「せやな。私なんて20時45分やで。まあ、青森には14時くらいには着いとったけどな」


「えっ、翠さん。14時に青森に着いたんですか。ちょうど私、14時20分のフェリーでしたよ」


「ああ、惜しかったんやけど、さすがにギリギリで手続き締めきってもうたんや。しゃーないから次の船に乗ったんやに」


 盛り上がる二人に対し、怜は静かに、

「どうだ? 面白かっただろ? キャノンボールは一種のロマンなんだよ。苦労してこの北海道までたどり着くことに意義がある」


 などと、嬉しそうに顔を綻ばせていたが、二人は。


「いやー、私はもう勘弁ですね。眠いし、コーヒー飲みすぎてトイレ近くなるし、函館は真夏なのにヒンヤリしてるし……」


「私もやな。さすがに下道で15時間とか拷問やん」


 がっくりと肩を落として、うなだれていた。


 怜は、溜め息を突いて、

「はあ。バイク乗りのロマンがわからん奴らだな」


 と呟いたが、その後、不敵な笑みで、

「だが、ここからが本当のキャノンボールさ。北海道の道路はとにかく広くて、走りやすい。明日からさらに面白くなるぞ」


 そう予言めいたことを言っていた。

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