48. バイクに「歳」は関係ない

 秋が深まり、朝晩の気温が一気に下がり、紅葉が進む11月頃。

 それは起こった。


 夢葉は、大学4年生の秋を迎えているにも関わらず、未だにまともな内定をもらっていなかった。

 彼女自身、何回か気まぐれで旅行会社の面接を受けたことがあったが。元々、そんなに興味があるとは言い難く、きちんとした「志望動機」すら書けていなかった彼女は、当然ながら落とされたのだった。


 そして、だんだんと就職活動自体に興味を無くしていた。そういう「一般的」で「杓子定規」なことを嫌う彼女は、もう「普通」の枠には囚われていなかった。


 そんな娘を見ていた、父は早くまともに就職活動をしろ、と言っていたが、不思議と母はそれに対して、ぐちぐちと言ってくることはなかった。過保護なところがある、父でさえも彼女が予想していた以上には言ってこないのだった。


 そんな11月中旬の山梨県早川町の県道37号で、彼女はまたも「不思議な出会い」を果たすことになる。


 怜と翠の都合が合わず、たまたま一人で来ていた夢葉は、道志みちから山中湖に抜け、国道139号を通り、本栖湖もとすこ付近から国道300号へ乗り換え、下部しもべ温泉方面へ抜けて、県道37号に入っていた。


 地図で見ると、何もないように見えるし、道の先が行き止まりになっているようにも見えるのだが。


 そういう、「一見すると観光地に見えない」ような、何気ない風景や自然に彼女は心惹かれる性質たちだったから、喜んでこの道を選んだ。


 携帯アプリの地図を見ると、道の先には小さな日帰り温泉、「奈良田ならだ温泉」があるというのも気になっていた。


 そして、こういう道は彼女の予想通り、交通量が少ないため、バイクにとっては非常に走りやすい。おまけに信号機も少ない。


 県道37号を走り、早川を右手に見ながらしばらく進んで行くと、案内標識に「赤沢あかさわ宿」という標識が見えた。


 そのため、予定にはなかったが、急きょ、その赤沢宿を目指すべく、彼女は県道を左折して山道に入った。


(こういう行き当たりばったりが、バイクの旅のいいところだよね)

 自然とそう思うようになっていた。


 そして、その気まぐれが、不思議な出会いをもたらす。


 1台の古いバイクが道の真ん中付近で倒れていた。そこは赤沢宿へと続く、狭い坂道で、恐らくバイクの主は坂道の途中で切り返しをやろうと思ったのか、それとも停まって降りようとしたのか。それでバランスを崩したのだろう。


 バイクというのは、こういう時によく立ちゴケをしやすい、ということが経験則として彼女自身わかってきていたから、すぐにそう考えたのだが。


 その古いバイクを、一生懸命持ち上げようとしていた男がいたが、なかなか持ち上がらない様子だった。


 心根や優しく、情にも厚いところがあり、コミュニケーション力も高い彼女は、バイクをゆっくりと左脇に停め、自分自身のバイクが安定した位置にいることを確かめると、エンジンを止めて、バイクを降りて男に声をかけた。


「大丈夫ですか?」


 見ると男は、かなりの高齢のようだった。

 白く、そして後退した頭。皺の多さがこれまでの人生の苦労を物語るようにも見えたし、節くれだった指が、男の歳が高齢であることを物語っているようだった。


 夢葉が見たところ、恐らく65歳以上は行っているだろう。高齢者ライダーだった。


 バイクは、鮮やかな漆黒の車体が美しいオールドスタイルのネイキッドバイクで、銀色のマフラーや、いかにもバイクらしいと言えるオーソドックスなフロントフォーク、丸目のライト、楕円形のタンクが一目で美しいと思えるバイクだった。


「あ、ありがとう」

 その老人は、手を貸してくれる若い夢葉に少々、驚いた様子を見せたが、緊急の時ゆえか。黙って彼女の手を借りてバイクを起こすことになった。


 車体は、夢葉の乗るレブル250と重量がそんなに変わらないように思えたし、二人の力だったから、あっさりと持ち上がり、男はバイクを左脇に停め直すと、丁寧に頭を下げた。


「助かったよ。君、若いのに偉いね。最近の若者は冷たいから、助けてくれる人も少なくて」

 そう言われた夢葉は、照れ笑いを浮かべながらも、その目はしっかりと男の目を見ていた。


「いえ、そんな。私もバイク乗りですし、立ちゴケのツラさはわかりますから」

 そう言った後、男のバイクに注目していた。


「それにしても、おじさん、カッコいいバイクに乗ってますね。なんていうバイクですか?」


「おじさんなんて年齢じゃないよ。僕はもう70歳を越えているからね」

 そのことに何よりも驚いた彼女だった。そんな年齢でもバイクは運転できるのか、と不思議な気分だった。


「これはヤマハ SR400。オートバイの原型とも言われるこのスタイルが、僕は好きなんだ」


「へえ。確かにキレイですね。なんというか、すごく『バイクらしい』スタイルです」

 自分の語彙力のなさに、夢葉は我ながら情けなく思うのだが、目の前にあったバイクは確かに美しかった。


 最近、流行りのいわゆる「カクカクした」ように見える尖がった形のバイクにはない、オールドルックのスタイルが、まるで古い映画にでも出てきそうにも見えた。


「それじゃ、本当にありがとう」

 車体に大きな傷がないことを確認した男は、夢葉が驚くべきことに、キックしてエンジンをかけていた。


 それは、怜が乗る古い2ストバイクと同じく、今風のイグニッションスイッチではなく、キックしてエンジンをかけるスタイルだった。ある意味、これこそが未だにSR400が人気がある理由の一つでもあった。


 古い物が新しい物に取って変わることが多い中、何十年もそのスタイルを変えない。


 そして、時として「年寄り」とはそういう物が好きなことが多い。


 走り去る男のバイクを眺めながら、

(あの年でもバイクって乗れるんだ)

 改めて、すごいと思っていた彼女。


 年を取ったため、恐らく力は若い頃には及ばないのだろう。事実、女性である夢葉に引き起こしを手伝ってもらうくらいだ。だが、男の背中は曲がっておらず、矍鑠かくしゃくとしていたし、何よりもその表情が明るかったから、年齢よりも若く感じるほどだった。


 こうして、男は去り、彼女は古い宿場町の跡が残る赤沢宿を歩いて見て回って、写真を撮り、再度、県道37号に戻り、最奥を目指した。


 行けども行けども、周りは山ばかりで、早川に沿ってひたすら続く緩やかな道。交通量も少なく、信号機もほとんどないそこは、知る人ぞ知る「秘境の温泉」へと続く道だった。


 そして、道の奥、トンネルを越えた先には「奈良田湖」と呼ばれる、小さなダム湖があり、その先の公民館の近くにある、無料駐車場にバイクを停めた夢葉。


 その日は土曜日だったにも関わらず、この穴場的な場所には、あまり車の姿がなかった。だが、そこに先程の老人が乗るSR400を見つけてしまう彼女。


 バイクで旅をしていると、こういうことはよくある。

 たまたま知り合ったバイク乗りと、結局は行き先が同じだったりするし、お互いがソロツーリング同士だと結局は考えが似通ったりもする。


 ひとまず、安心しながらもその美しい車体を改めて眺めてから、夢葉は日帰り温泉と書かれた標識を頼りに、坂道を登って行った。


 坂を登りきると、右手には奈良田の古い街並みとその先にある小さな奈良田湖の青い光。左手には木立に囲まれるようにして建つ、古い瓦屋根の民家のような施設があった。


 そこが目指す日帰り温泉だった。


 そこに一人で入り、ゆっくりとお湯に浸かることになった夢葉。その奈良田温泉には先客が一人しかいなかった。先程の老人と同じような老婆が一人だけ。


 お湯は、ぬるぬる、とろとろした不思議な感覚のする泉質で、ぬるま湯に近い温度だったが、肌がつるつるになるようにも感じるほど、夢葉には非常に気持ちのいい温泉に思えた。


 入浴料も安く、ひっそりとした穴場的な温泉であり、土日によく見られるような、家族連れや集団が放つ、うるさいような、落ち着かない観光地感がまるでなかった。


(ああ、ここはいいなぁ。いいお湯だ)

 いつも以上に、長湯してしまい、ぬるいお湯だったこともあり、たっぷりと1時間近くもかけて彼女は温泉を味わっていた。


 風呂上り後、まだ少し濡れた髪のまま、彼女は外に出た。


 その日は、天気が良かったから、穏やかな陽光が木立の間から差し込んでおり、建物の前にあった、木のベンチに座って涼むのもいいと思ったからだ。


 自販機で、水を買った彼女はペットボトルの蓋を開けて、喉を潤しながらベンチに向かって歩き出した。


「お嬢さん、さっきはありがとう」

 不意に声をかけられて気づいた。


 ベンチに先程助けた、老人が座っていた。

 夢葉は笑顔で、


「どうも。また会いましたね」

 そう声をかけながら、男の横に何気なく腰をかけて、


「おじいさん。おひとりで来られているんですか?」

 そのまま自然と会話に入っていた。


「そうだよ。妻は先頃、亡くなってね」

「あ、ごめんなさい」


 思わず謝って、頭を下げる彼女に、老人は、「全然構わないよ」と笑顔で言ってから、不思議なことを口にした。


「それにしても、バイクはいいねえ。年を忘れさせてくれる」


「そうなんですか?」

 夢葉にはまだわからない、その感覚を男は、遠い目をしながら語りだした。


「ああ。お嬢さんはまだ若いからわからないだろうけど、いくつになってもバイクには乗りたくなるものさ。そして、バイクに乗ると、気持ちが若返った気がするんだ」


「あの……。失礼ですが、おじいさんはおいくつですか?」

 その一言に、男は嫌な顔一つせずに、皺だらけの顔に笑みを浮かべて、


「71歳だよ」

 と答えたので、今度は驚いた夢葉が、のけぞっていた。


「ええっ。見えないですね。お若いです」


「ははは。ありがとう」

 老人は、くしゃくしゃの笑顔のまま、そう口にすると、またも夢葉が驚くべきことを語りだす。


「僕は65歳で定年退職してからも、再雇用でしばらくは働いていたんだ。でも、去年70歳になったことを機に、仕事は辞めた。だから後は自由。妻もいないし、息子たちはとっくに独立して結婚してるし、何にも縛られない。スーパーカブで日本一周も考えたけど、僕はこのSR400が何よりも気に入ってるんだ。だからこうして、気ままな旅を続けているのさ」


 そんな経歴とこれから先のことを嬉しそうに語ってくれる老人は、夢葉の目から見たら、まるで「少年」のようにも見えるのだった。キラキラとした瞳が「青春」を思わせる。「青春」に歳は関係ない、とも思った。


 年を重ねることで、得られる物もあり、そして長年、働いた「ご褒美」として、男は自由を満喫している。


 そんな風に思えた夢葉には、この老人は眩しく見えたし、羨ましくも思えたのだった。


「でも、色々と大変じゃないですか。バイクっていくつまで乗れるんですか?」

 男から見れば、孫娘くらいの年の夢葉にそう言われた男は、


「そりゃ、大変さ。体力は落ちてくるし、動体視力も若い頃みたいにはいかない。でも、『七十しちじゅうにしてのりをこえず』ということわざもある。要は『乗れなくなるまで乗る』のさ」

 そう言って、少年のようにも見える、純朴そうな笑顔を向けた。


「あ、そのことわざは知らなかったです……」

 申し訳なさそうに下を向く彼女に対し、男はまるで教師が生徒に教えるように丁寧に説明してくれるのだった。


「中国の古い書物、『論語ろんご』に乗っていることわざでね。『70歳になって、欲望のままに行動しても人の道にはずれることがない』って意味さ。結局のところ、年なんていうのは人によって違うから、気持ちが大事なのさ」


 その言葉には、若い夢葉も共感できるのだった。結局、人間にはいくつになっても気持ちが若い人というのは確かにいるし、逆に若いのに、もう年寄りに見えるくらいに老けた人間もいるものだ。


 そう思うと、目の前の老人の生き様が、格好よく見えるのだった。


(私もこんな老後を送れるのかなあ)

 ぼんやりとそんなことを考えていた。


 実際、こういうことは「男」の方が多いケースだが、定年退職までひたすら「仕事一筋」で、まるで「仕事が趣味」みたいな男は、定年退職した後に、急に老け込んだりする。


 要は、日本では「仕事が一番大事」という風潮があるから、それ以外の物事に対して、一種の「罪悪感」すら感じている人種が一番厄介だ。


 特に仕事一筋で、ある程度の地位にまで上り詰めたような人間は、仕事がなくなった途端、何を目標にして、日々生きていけばいいのかわからなくなる。


 逆に、仕事以外にきちんとした「趣味」を持っている人は、バイク乗りに限らず、年を重ねても明るい笑顔が出来るし、長生きもしたりする。


「じゃあね、お嬢さん。お互い、気をつけて帰ろう」

 老人はやがて、おもむろに立ち上がり、左手を上げて挨拶をして、去って行った。


「はい。お気をつけて」

 その、老人とは思えないような、真っすぐな背中を見送りながら、夢葉は、


(素敵な年の取り方だな。私もいつかあんな風に年を取りたい)

 そう思うのだった。


 そして、彼女はふと、このことがきっかけで一つの決心することになる。

 年寄りとはいかないまでも、「古いバイク乗り」が自分のすぐ近くにいることを思い出していた。

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