29. 九州は熱い!

 6日目の朝。

 ようやく天気は回復したが、まだ雨が降りそうな曇り空だった。


 三人は、その日、熊本県との境に近い、鹿児島県出水市の宿を出発。

 一路、北を目指して走った。


 途中、2回ほどの休憩を挟み、3時間ほどで熊本市に到着。

 熊本市は、彼女たちが思っていたより大きな街だった。


 早速、熊本のシンボル、熊本城に向かった三人。


 ところが。


「せっかくの熊本城なのに、地震で崩れてますね」

 数年前に発生した熊本地震の爪痕は大きく、未だに崩れたままの姿の石垣、そして、大きなクレーンと足場が痛々しい、熊本城天守閣を眺めて、夢葉は嘆息していた。


「せやな。何とももったいないで」

 翠もまた、残念に思っているようだった。


「それより人、多すぎだろ。さっさと見て、次に向かうぞ」

 人混みが苦手な怜は、ゴールデンウィークに浮かれて、大勢集まって、敷地内を埋め尽くしている人出に文句を言っていた。


 熊本からは、天草地方を目指すことになった。

 その日の宿は、天草市にあった。


 熊本城から、海を右手に見ながら国道を経由し、大きな橋を越えると、大矢野島という島に入り、そこからが天草地方と呼ばれている。


 上天草市に入り、国道266号を進むが、この辺りから今度は別の問題が彼女たちを襲う。


(暑い!)


 雲が晴れ、太陽が出てきていた。

 昨日までは何度も雨に当たり、九州にも関わらず寒い思いをしてきた彼女たちだったが、今度は逆に「暑さ」が敵になった。


 5月とは思えないような、強い陽射しが容赦なく照り付けてくる。

 ましてや、黒い車体のバイクに乗っている夢葉には、太陽の陽射しが応えるのだった。


 1時間半ほどで、たどり着いた場所は。


 雲仙天草国立公園 松島展望台。


 と呼ばれる、穴場の展望台だった。

 ここからは、天草地方の様々な島々が見渡せる。

 それも「天草五橋」と呼ばれる、この辺りをつなぐ大きな橋も見える。


「いい眺めです。やっと晴れてくれましたね」

 嬉しそうに携帯電話のカメラを傾け、シャッターを切る夢葉。


「せやけど、暑いやん。5月とは思えへんな」

 翠は、中に着ていたセーターを脱ぎたくて仕方がないようだった。


「雨が降っても、晴れても文句を言う。ワガママな奴だ」

 いつも冷静な、怜は二人を見て、逆に嘆息していた。


 そこからは、天草下島に渡り、そのまま国道266号から国道389号を通り、ほぼ一周することになったが。


 その途中、珍しく翠が寄りたいと言った場所が二か所あったため、そこに立ち寄ることにした三人。


 崎津さきつ教会。


 先頃、世界遺産に登録されたこともあり、ゴールデンウィーク真っ只中のこの日、やはり多くの観光客が詰めかけていた。


 この辺り、天草地方には元々、キリシタン、つまりキリスト教徒が多く、幕府によって禁教された江戸時代には、多数の「隠れキリシタン」が住み着いたと言われている。


 そのため、こうしたキリスト教の教会も数多く残っている。


 翠は、元々オシャレ好きで、アパレル関係に就職したこともあってか、この教会に心を惹かれたようだった。


「ほう。これはすごいな。思っとった以上に、シャレた建物や。まるでヨーロッパの教会みたいやんな」

 その翠は、ゴシック様式のこの古い教会の姿を見て、相当心に感じるものがあるらしい様子だった。


 だが、夢葉もまた、

「確かに、これは絵になる建物ですね」

 と感心している様子だったが、怜は、


「こういうのは、ホントは彼氏と来るところじゃないのか?」

 と愚痴のように呟いていた。


 続いて、そこから程近い大江天主堂という、これまた絵になる教会に向かったのだが。


 有名な崎津教会とは違い、こちらは内部は入れなくなっており、外側からの見学のみになったが、同じように、翠は感嘆の声を上げて、写真を撮っていた。


 その日は、そのまま天草市のホテルに向かった三人。



 翌日の7日目の朝。

 天草市の鬼池港から対岸の島原半島にある、口之津へフェリーで渡り、そのまま島原半島を縦断した。ここからは長崎県に入る。


 だが。


「暑い! つーか、熱い!」

 わざわざ漢字で説明しながら、翠は休憩する度に、冷たい飲み物を買っていた。


 寒がりな夢葉とは逆に、翠は暑がりだった。


 何度か休憩を挟みながら、彼女たちが目指した場所にたどり着く。


 諫早いさはや湾干拓堤防道路。


 またの名を「雲仙多良たらシーライン」とも呼ぶ。ここは、1989年から行われている国営干拓事業の外縁部に造られた、干拓堤防道路で、文字通り、「海の中」を突っ切る形で、諫早湾に造られた道路だった。


 南側の雲仙市と、北側の諫早市を結んでいる観光道路のようなものだった。

 全長は約8キロ。そしてその中間地点にある休憩所の駐車場で、三人は停まった。


 そこからは、歩道橋に上ることができ、この道路が本当に海の上に堤防を作って、切り開いた道であることがわかるようになっている。


「すごいですね! 海の中を突っ切る真っすぐな道!」

 夢葉は、感動屋の彼女らしく、いちいち感動しながらこの風景を目に焼き付けるように眺めていたが。


 しかしその隣では、

「まあ、すごいっちゃすごいけど、暑いで、ホンマ」

 翠が暑さでヘバっていた。


「このくらいの暑さでヘバってどうする? 最近は東京の方が暑いぞ」

 と、怜は親友の翠のだらしなさを注意していた。


 休憩後、いよいよその日のホテルがある、長崎市へ向かう三人。


 夕方頃、長崎市に着く。


 長崎市は、坂と港に囲まれた、古い港町。そして、やはり教会が多い街としても知られている。


 まずはホテルにチェックインした後、夕食を食べに出かけた三人。

 早くもホテルの近くには、洋風建築の教会が建っており、坂道の下に路面電車が走っていた。


 その風景を見ながら、歩いて店に向かっていた夢葉が思い出したように呟いた。


「この街、どこかに似てると思ったら、函館に似てますね」


「函館? 北海道のか。確かに似てるかもな。坂と港と教会、そして観光地という共通点がある」

 怜は、冷静に分析して、そう言っていたが、翠は、


「まあ、風景は似とるかもしれへんが、私は夏でも涼しい函館の方が好きやで」

 と早くも、長崎の暑さに文句をつけていた。


 三人は、この日、本場で「長崎ちゃんぽん」を食べてから眠りについた。



 8日目。旅の終わりが見えてきた頃。


 三人が向かった先は。

 長崎市から北におよそ100キロ弱。


 本土最西端の地、神崎鼻だった。


 その日も朝から快晴で、5月とは思えないくらいの、眩しい太陽が顔を出していた。

 出発からおよそ1時間。

 

 長崎市から北へ約50キロ。西海さいかい橋のたもとにある駐車場に入った。

 そこで、翠は。


「あかん。太陽がまぶしすぎて、携帯が熱を持って、落ちてもうた」

 そう言って、熱くなった自分の携帯電話を触っていた。あまりにも熱を浴びすぎたため、ナビに使っていた携帯電話が熱暴走を起こしたようだった。


「ああ、お前の携帯、古いからな」

 怜が反応する。付き合いの長い彼女はそのことを知っていたようだ。


「それじゃ、ちょっと冷ましましょうか。ついでにアイスでも食べましょう」

 夢葉の一言で、三人は休憩に入り、アイスクリームを買って食べることになった。


 休憩後、佐世保の中心街を越えて、西海橋から1時間ほどで目的地に到着した彼女たち。


 神崎鼻公園。


 そこには、確かに海に面した高台にモニュメントがあり、


「日本本土最西端の地」


 と書いてあった。


 そこで写真を撮り、証拠を残した後、三人は公園内にある、日陰になるベンチに座った。


「これで、東西南北すべて制しましたね。なんか達成したからか、一気にやる気なくなってきました」

 と、少しだらけたように話す夢葉。


「って言っても、あくまでも『本土』というだけだからな。実際に日本の東西南北を制したわけじゃない」

 怜は、いつものように冷静な態度だった。


「まあ、なんでもええやん。どっちにしろ、北から南まで大体行ったわけやし」

 翠は、いかにも暑そうに、持ってきた団扇で自分を煽いでいた。


「で、これからどうします?」


「そうだな。もうここまで来たら、ほぼ九州一周になってしまったし、最後はやっぱ予定通り、博多に行くか」


「博多か。ほんなら、最後に本場の博多ラーメンを食わしてもらおうやないか」


 三人の意見は一致し、博多に向かうことになった。最も、夢葉が予約していたホテルは元々、博多、つまり福岡市にあるのだが。


 神崎鼻を出発してから2時間半後くらい経った頃。


 不意に、先頭を走っていた夢葉が、合図をしてコンビニ駐車場に入った。

 残りの二人はトイレか、と思っていたのだが。


 バイクを降りた三人を、待っていたかのように声をかけてきた人影を見て、夢葉以外の二人は驚愕していた。


「あ、長者原でうた姉さんやんか」

 翠が声を上げる。


「こんにちは。またうたね」

 彼女の格好は、長者原で会った時と同じような恰好だったが、すぐ後ろに899 パニガーレの巨体があり、あの時とは違和感があった。


「実は、メッセージ交換してて、今日案内を頼んでたんです」

 夢葉がからくりを説明する。


 つまり、怜や翠の知らないところで、いつの間にか夢葉は彼女と連絡先を交換していて、あらかじめ、この日、ここで会って案内するように頼んでいたというのだった。


 翠は、夢葉の恐るべきコミュ力に改めて敬意を払い、怜はむしろそのコミュ力を羨ましいと思ったのだった。


 聞くと、この女性の名前は、山中愛美まなみ。熊本県の北部の出身で、26歳のOL。家のすぐ近くに福岡県との県境があるので、福岡市にもしょっちゅう来ているということだった。


 土地勘がなく、ひたすら携帯ナビだけに頼っている彼女たちにとっては、愛美はありがたい存在だった。


 早速、福岡市に向かおうと思っていた夢葉だったが、その前に珍しく、怜が積極的に愛美に話しかけていた。


「ところで、佐賀県って、なんか観光地とかあるのか?」

 それは、ある意味、失礼な聞き方のようにも感じる言い方だったが、愛美は生来のあっけらかんとした性格のためか、声をかみ殺して笑うようにしながら答えた。


「うんにゃ。佐賀はなーんもなかけんね」


「そうなんですか?」


「うん。佐賀県って『一生行くことなさそうな県』1位やけんね」


 それを聞いて、三人は、何となく納得すると同時に、少しだけ佐賀県民を哀れに思うのだった。


 結局、彼女たちも佐賀県はほぼ通過しただけだったからだ。


 山中愛美というこの女性の案内で、三人は福岡市の中心部を目指して走った。

 後に続きながら、夢葉は、


(やっぱ頼んでおいてよかった。さすが地元の人。走りに全然迷いがない)


 普段、携帯ナビに頼ってばかりで、ましてや不慣れな九州の地。夢葉たちは携帯ナビに頼りっきりだったし、むしろ携帯ナビがなければどこにも行けなかった。


 もちろん、彼女たちも地元の埼玉県ならナビがなくてもある程度わかるのだが、そういう意味ではこういう時に、地元民の案内があると頼もしく感じるものだ。


 やがて、愛美は博多中心部にある、バイク駐車場に案内してくれて、そこでバイクを降りた。


「いや、福岡って都会ですね。ビックリしましたよ」


「まあ、九州じゃいっちゃん大きか街やけんね。私も遊びに来る時は、博多ばかりたい」


 明るく声を上げる夢葉と愛美。すっかり打ち解けていた。


 彼女が案内してくれたのは、博多の中洲にある屋台の中の一つのラーメン屋だった。


 そこで本場の博多ラーメンに出会った、翠は妙に感動したような、上ずった声で、

「ようやっと、博多ラーメンに会えたで。嬉しいわ」

 とラーメンをすすっていた。


 一方、怜は、一人黙々と食べており、夢葉は、

「すいませーん。替え玉、お願いします」

 早くも一杯目を食べ終えて、替え玉に挑戦していた。


「そういえば、博多ラーメンには、バリカタってのがありますけど、それより硬い『粉落とし』ってのがあるって本当ですか?」

 注文が来るまでの短い間、夢葉は質問していた。


 すると愛美は苦笑いしながらも、答えてくれるのだった。

「ほんなこつばい。粉落としっちゅうんは、バリカタより硬か、ハリガネより硬かけん。ばってん、普通は頼まんたい」


「へえ」


 結局、2回も替え玉をしていた夢葉と翠。怜は1回だったが、三人とも満足そうな笑顔を浮かべていた。


 愛美と別れ際、彼女は、最初に会った時に聞いた一言をまた発した。


「九州はどぎゃんやったと?」


 それに対して、夢葉は代表するように、口角を上げて、答えた。

「面白かったです」


 愛美は、満足げに頷いていた。

 最後に夢葉が、代表してお礼と挨拶を交わす。


「山中さん。色々ありがとうございました。関東に来たら、連絡して下さい。案内しますよ」


「おーけー」


 こうして、三人の、九州ロングツーリング、そして日本本土の南と西を制する旅は終わった。



 翌日、博多のホテルから一気に高速道路に乗って、関門橋を越えて、一路帰路に着く三人。


 しかも、帰る頃になると、憎たらしいくらい青空になって、風も穏やかで、雨が降る心配もなかった。


(なんで帰る頃になったら、天気よくなるの?)

 心の中で文句を言いながらも、夢葉は飛ばしていた。


 帰りは、晴天のおかげで順調に進み、丁度、三重県が中間地点にいいと判断した怜が、事前に翠に頼んで彼女の実家に連絡してもらっており、翠の実家に泊めてもらってから、さらに翌日帰路に着いた。


 終わってみると、埼玉県から九州を往復し、さらにほぼ一周したため、走行距離が、スタートしてから約4300キロを越えていた。


 かつて、東京から北海道に行った時は、片道だけが自走だったこともあり、走行距離は約3400キロだったが、それをはるかに上回っていた。


 その代わり、バイクのチェーンからは油切れの異音がするし、体中が疲れている夢葉だった。


(さすがに九州まで自走は無茶じゃないかな。もうやらない)


 と思っていたが、その決意は、やがて覆されることになる。

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