28. 雨と九州
続いて向かったのは、長者原で教えてもらった場所だったが。
草千里ヶ浜からは、元来た道を戻るような形になり、再びやまなみハイウェイを抜けて、2時間近くかかり、夕方の16時頃。
国道210号から少し外れた、県道216号沿いにある、その建物に三人は到着した。
岩下コレクション。
大分県由布市湯布院町にある、私立博物館だった。
ここには、合わせて約200台のヴィンテージ・バイクが所狭しと展示されており、他にも「昭和レトロ館」という、昭和の街並みを再現し、大衆文化財が5万点も展示されている。
そして、彼女たちが、長者原で出会った、女性から紹介された実物が、三人の目の前に現れる。
ドゥカティ・アポロ。
世界に一台しかない、貴重な高級バイクで、時価総額が2億円。
展示案内の表示には、本当に、
「時価2億円 イタリアのドゥカティ社が製造した世界に1台の名車」
と書かれてあった。
網の中に収められた、その神々しいほどの眩しいバイクを前に。
「ほう。これが時価総額2億円のドゥカティか。わざわざ九州まで来た甲斐があった」
珍しく、怜が興奮気味に、そのドゥカティを前に写真を撮ったり、食い入るように眺めていた。
「へえ。2億円って、普通の家より高いじゃないですか」
夢葉も初めて見る、この巨大なバイクに感じ入る。
「ホンマやな。せやけど、私はあっちのブラフ・シューペリアもええと思うで」
翠は、先程見てきた、バイクのことに言及していた。
ブラフ・シューペリア。
それは「オートバイのロールスロイス」とも呼ばれた、イギリスのヴィンテージ・バイクで、1940年には生産中止になっているが、知る人ぞ知る、高級ヴィンテージ・バイクだった。
最後に、博物館の店員から声をかけられ、SNSにアップするため、バイクの写真を撮らせて欲しいと頼まれ、快諾する三人。
夕方、わずかだが小雨が降って来る。
そんな中、その日の宿のある別府市を目指す三人。
途中の県道は、ゴールデンウィークということもあり、別府へ向かう車列で渋滞していた。
しかも片側1車線の狭い道で、なかなかすり抜けもできない。
うんざりしながらも、ようやく別府温泉にたどり着き、その日の宿に入って、宿の人から安い公共温泉の場所を聞いた三人は、早速歩いて温泉に向かった。
別府市にある公共温泉は、入浴料が安かった。
石鹸とシャンプーは持ち込みしなければならなかったが、それでも三人は寒い中を走ってきたので、勇んで湯船に入る。
思いの他、熱い温度の温泉だったが。
「しかし、九州って、めちゃくちゃ暑いイメージがあったんだが、山は意外と寒いな」
怜が目を細めて、ぼんやりと言う。
「そうですね。つーか、私は九州って、とんこつラーメンの匂いがすると思ってました」
夢葉の一言に、隣で湯船に肩まで浸かっていた翠が大笑いした。
「あははは。夢葉ちゃん、それ九州をバカにしすぎやろ。怒られるで」
「そうですねー。すいません」
こうして、九州ツーリング開始から3日間も無事に過ぎ去った。
翌日、4日目。
朝から雨だった。
それも天気予報では、九州の南側はほぼ一日中雨とのことだった。
ところが、その日、計画では彼女たちは、大分県から南に向かい、あわよくば最南端の佐多岬に行くつもりだった。
「この雨やし、今日はやめておく方がええな」
「そうだな。佐多岬は明日にしよう」
「じゃあ、今日はどうしますか?」
出発前に三人は、そう話し合っていた。
「とりあえず南に向かうぞ。大分から宮崎だ。夢葉、確か宿は宮崎に取ってたな」
「はい。
怜の一言で、行き先は宮崎県に決まった。
ところが。
その日は、前線が停滞していたためか、とにかく一日中、ずっと雨だった。
幸い、初日のような強烈な雨はなかったが、嫌がらせのように細かい雨がずっと降り続く。
バイク乗りにとって、こういう延々と続く雨もまた強敵になる。
大分県から宮崎県に向かう途中には、
即ち、その日はほぼ移動になった。
途中、道の駅日向に立ち寄った。
この辺りには、南国らしいヤシの木が生えており、海岸線も近い。晴れていれば、日南海岸が綺麗に見えるらしい。
「全然見えへんやないか」
翠がヤシの木の向こうに見えるはずの海岸を眺めて毒づく。
「まあ、この雨じゃ無理だな」
いつものように、タバコ ―ラッキーストライク― を吸いながら、怜も視線だけを海に向けている。
「もう。どうして雨ばっかり」
うんざりするような表情で、暖かいブラックコーヒーを飲む夢葉。
「今日はずっと雨だな。どうせなら室内で観光できるところにでも行ってみるか?」
不意に怜が呟く。
「室内で観光? どこや?」
「
怜が調べたのがそこだったが、鹿屋市は鹿児島県になる。
つまり、鹿児島県の鹿屋市まで行って、宮崎県の日南市の宿に戻ることになってしまう。
距離的には伸びてしまうが。
「まあ、どうせこないな天気で暇やしな。私はええで」
「うーん。鹿児島県まで行って、また戻るのは気が進みませんが、宿に行っても寝るだけなので、仕方がないですね」
二人が了承したことで、先頭の怜は一気に鹿児島県を目指すことになった。
ところが。
延々と降り続く雨の中、ひたすら一般道を駆け抜けるが、それは体力を奪うに十分なものだった。
この時期の九州の雨は、まるで真冬のように冷たい北海道や東北の雨とは違って、思いの他、暖かいものだったが。
それでも、絶え間なく降り続く雨で、次第に体温は奪われ、カッパの隙間から入ってきたり、ブーツの裾から入ってくる水で、次第に不快感が増してくる。
途中、立ち寄ったガソリンスタンドの従業員が、心配そうに彼女たちに視線を向けることもあった。
しかもこれだけの雨となると、当然、進む速度は低下する。
何度も休憩を挟み、食事を取った結果、朝にホテルを出発したのに、14時頃になって、ようやく鹿屋にたどり着いた。
鹿屋航空基地史料館。
元々は、戦前に海軍航空隊基地があった場所であり、現在は海上自衛隊のヘリコプターや航空機なども展示されている。
ここで彼女たちの、というよりも最も行きたがっていた、怜の心を捕らえたのが、零戦だった。
「零式艦上戦闘機52型丙」と呼ばれる、いわゆる後期型の零戦を復元したものが室内に展示されており、コックピットや、さらに実物大のエンジンを見ることができる。
中でも、ゴツゴツした巨大な零戦のエンジンが彼女の目を引いた。
「これが零戦のエンジンか。すげえな。こんなにデカいものを積んでたのか」
食い入るように見つめる怜。
一方、夢葉と翠には、この辺りはわからないのだった。
「すごい食いつきですね、怜さん。ホント、男の子みたい」
夢葉は、先日会った、元・男の子で女の子になった、涼を思い出し、彼女よりも怜の方が余程男らしいと改めて思うのだった。
「せやな。あいつは昔からああだったで。生まれる性別、間違えたんちゃう?」
と、翠も少し呆れ気味に、しかしからかうような視線を怜に向けていた。
結局、雨をしのぐことはできたが、それでもせいぜい1、2時間ほどしか時間を潰せなかった彼女たち。
最後にもう一度、通ってきた宮崎県の日南市に戻って、ホテルに入った。
「ああ。濡れちゃった。私、洗濯してきます」
ホテルの一室に着いて、全身濡れ鼠になっていた夢葉は、すぐに着替えて、濡れた服を、1階にある、ホテル併設のコインランドリーに持っていく。
もちろん、残りの二人も同じようについて行く。
せっかくホテルに着いたのに、懸命にコインランドリーで洗濯をしなければならない彼女たちだった。
そして、夜は更けていく。
翌日。5日目。
天気は曇り空だった。
何とか上がった雨。
「よし、今日こそ佐多岬を目指して走りましょう!」
雨が上がったことで、朝から妙にテンションの高い、夢葉がその日は先頭を走った。
昨日も通った、鹿屋市を抜けて、国道269号に沿って、ひたすら南下する。
右手には、ずっと海が見えているのだが、曇り空で今にも雨が降りそうな気候だったため、あまり眺める気にもならないため、夢葉は走りに集中していた。
鹿屋から佐多岬までは、通常なら1時間半くらいで着く上に、この辺りは交通量も少ないのだが。
途中、
しかも、今度のは、まるで東南アジアのスコールのように強烈な雨だった。
「もう雨はイヤだ いい加減にして!」
内心、そう思って、思わずそのまま声を上げながら走っていた夢葉。
ところが、そんな強烈な雨に当たりながらも、冷静に辺りを見回すと。
バイクが多いことに気づいた。
夢葉たちが向かっている佐多岬に向かうバイクも多く、途中で何台か抜いたりしていたが、逆方向、つまり佐多岬から戻ってくるバイクも反対車線には多い。
それも、彼らのバイクのナンバーをよく見ると、九州以外が多く、それこそ日本全国に近いくらいのナンバーが見受けられた。
ゴールデンウィークという、大型連休ということもあり、全国各地の多くのライダーが、この本土最南端を目指して走っていたのだ。
しかも、そういうライダーたちは、雨にも関わらず、よく「ヤエー」をしてくれる。つまり、夢葉たちに挨拶代わりによく手を振ってくれるのだった。
何だかその気持ちが、雨の中で辛い心情の夢葉を癒してくれるように感じていた。
(みんな、ヤエーをしてくれる。私もがんばって、佐多岬を目指そう)
雨の中で、心と体を痛めつけられるような気持ちになりながらも、彼女は自分から積極的にヤエーをしつつ、佐多岬を目指した。
やがて、佐多郵便局の辺りから右折して、今度は林の中を走る県道68号に入る。
山道を抜け、
そこから先は、関東在住の彼女たちには不思議な景色が広がる。
ヤシの木か、ソテツかはわからなかったが、いかにも南国風の、まるで沖縄にでもありそうな亜熱帯植物が、道の両脇を覆い尽くすように生えている。
そして、ようやく彼女たちは目的地にたどり着く。
道路の左側にバイクを停めて写真を撮っているライダーたちが何人か見える。近づくと、
本土最南端 佐多岬。
と書かれた大きな台形のモニュメントが建っていた。
「やっと着いたんやな。いやー、ホンマ雨はしんどいわ」
翠がヘルメットを脱いで愚痴る。
「ここが最南端かぁ。でも、なんか殺風景ですね」
夢葉は、第一印象で思ったことをそのまま口に出していた。
「いや、ここはモニュメントがあるだけだ。展望台はあのトンネルの先にあるらしい」
怜が指さした先には、確かにトンネルがあった。
ひとまず、このモニュメントの前で、他のライダーと同じようにバイクの写真を撮ってから、三人はそこを離れた。
駐車場の先に、そのトンネルがあり、三人は駐車場にバイクを停めて、歩いて展望台へ向かったのだが。
「うわっ。遠いで。大体、このブーツは歩くにはしんどいんや」
翠が階段の途中で早くも愚痴っていた。彼女はライダースブーツを履いていた。
「あとちょっとですよ、翠さん」
そんな翠を、夢葉が元気づけるように言う。
怜は、無言のまま黙々と歩いていた。
展望台に向かう途中には、様々な亜熱帯植物が両脇に見える。
ソテツ、ガジュマル、ブーゲンビリアなど。それはまさに亜熱帯にしか見られない植生だった。
そして、ようやく佐多岬の展望台にたどり着く三人。
そこからは、断崖絶壁の岩場の向こうに、白い小さな灯台が見えた。
1871年に造られた、本土最南端の佐多岬灯台だった。
だが、この灯台は、佐多岬の沖にある大輪島の断崖の上に立つため、実際には歩いて行くことはできない。
「これで、北と東と南は制覇ですね! 残るは西だけです」
その頃、先程まで降り続いていた、強烈な雨が上がり、元気を取り戻したように、夢葉は明るい声を上げていた。
「せやな。ホンマは沖縄を仲間はずれにするのは、どうなん? って思うけどな」
翠は、この海のはるか沖合にあって、もちろん見えない、沖縄のことを思うようにそう口に出していた。
「なら、今度は沖縄に行くか?」
怜が呟く。
彼女が言うと、いずれ本当にそうなりそう、と常々思っていた夢葉は。
「いいですね、沖縄! でもさすがにバイク持ち込みは大変そう」
と意見を言ったが、怜は不敵にも口角を上げて、
「別に自分たちのバイクを持ち込む必要はない。沖縄はレンタルバイク天国だからな。飛行機で行って、借りればいい」
と、二人には意外なことを口に出した。
佐多岬展望台から、駐車場に戻る道すがら、怜は興奮気味に語ってくれるのだった。
怜曰く。
沖縄は、レンタルバイクの料金が本州の観光地よりも安い。つまり、沖縄には飛行機で来る観光客が多く、また交通手段が発展しておらず、渋滞もよく発生する土地柄のためか、バイクの需要は高いそうだ。
まして、一年中暑い地域だから、バイクの方が快適なこともあるらしい。
話を聞いて、夢葉も翠も、沖縄に行ってみたくなってしまうのだった。そして、怜の言ったことが、今まで実現しなかったことは、不思議となかったのだった。
最後に「佐多岬到達証明書」を駐車場近くにある建物で手に入れた三人。
曇り空の中、次は桜島を目指した。
桜島からフェリーに乗って、対岸の鹿児島市に入り、その日の宿に向かう予定だった。
だが。
「また雨かーい!」
今度は翠がバイクにまたがりながら愚痴っていた。
佐多岬から戻り、国道269号から国道220号に入る頃、またもや空から細かい雨が降ってきた。
やがて、鹿児島県の
そこからは、晴れていれば目の前に桜島の雄大な景色や噴煙が見えるはずなのだが。
どんよりとした雨雲が、桜島の中腹を覆い尽くすように、かかっており、せっかくの姿も見えないのだった。
「桜島っていうのに、島じゃないんですね」
遠くに薄っすらと見える桜島に目をこらして、夢葉が呟く。
「ああ。何でも昔は島だったらしいぞ。100年くらい前に噴火でつながったとか」
こういうところに妙に博識というか、調べて来る怜が答える。
「晴れてれば、噴煙が見えたかもな。残念や」
翠は、降り続く雨を恨めしそうに眺めていた。
ここで昼食を取った後、三人はいよいよ桜島に向かうが。
この道の駅から、桜島港フェリーターミナルまでは、わずか24キロ、35分ほどで着くのだが。
天気が悪いせいで、全然桜島らしい雰囲気、つまり噴煙やら火山灰やらを味わうこともなく、あっさりとフェリーターミナルにたどり着いていた。
しかも、この雨にも関わらず、ゴールデンウィーク真っ最中のため、車列が出きており、かなり並んでいることがわかると、三人の表情は一気に暗くなる。
幸い、バイクは車ほど並んでいなかったので、雨の中、散々待たされることはなかったのだが。
夢葉は、手続きを終えて、船に乗り込むと、すぐに「そば・うどん」と書かれてある立ち食いの暖簾をくぐっていた。
あまりにも雨に当たりすぎて、体が冷えていたからだ。
結局、彼女に倣って、三人ともここで体を暖めるため、軽食を取る。
夢葉は月見そば、怜と翠は月見うどんだった。
桜島港フェリーターミナルから鹿児島港までは、わずか15分の船旅で、あっという間に到着する。
未だに雲に覆われている桜島を、最後にもう一度見つめてから、夢葉は下船した。
(次は晴れてる時に来たいな)
心の中で、そう再訪を誓いながら。
鹿児島市中心部に入るも、やはり雨は続いていた。
本来なら、半島南部の温泉街、
あまりにも雨が止まないため、それは中止にし、そのまま宿に向かうのだった。
その日の宿は、熊本県に近い、鹿児島県北部の小さな街、
これも、ゴールデンウィーク1週間前に急きょ、旅行を決めたことの弊害だった。
有名観光地の鹿児島市周辺の宿はことごとく埋まっていたからだった。
未だに振り続く、長雨の中、彼女たちはひたすらバイクを走らせて、ようやく宿に着くと、再度、コインランドリーで洗濯し、その後死んだように眠っていた。
彼女たちの九州ツーリングはまだ続く。
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