12. 寒さの先にあるもの
年の瀬が迫る12月末。
メッセンジャーを交換していた翠から夢葉と怜にメッセージが届く。
「初日の出を見に行かへん?」
やりとりをして、わかったのは、二つ。
「いいけど、どこに行くんだ? 初詣って言っても、都心はどうせ混むし、初日の出も
怜がメッセージを返す。犬吠埼とは、千葉県の銚子市にある、有名な岬のことで、関東では一番東にある岬だ。それだけに、初日の出スポットとしても有名で、大晦日から元旦にかけて、初日の出のための大渋滞が発生することでも知られている。
「せやから
「川越氷川神社って?」
夢葉が知らない名前だったので、彼女が聞き返す。
「川越市にある神社や。縁結びの神様や」
「縁結び? 行きます!」
年頃の女子らしく、「縁結び」に露骨に反応する夢葉。怜も、
「しゃあないな。まあ、いいだろう」
あまり乗り気ではないようだったが、了承の返事を返していた。
ということで、急きょ、初詣に埼玉県の川越氷川神社、そして初日の出に茨城県の大洗に行くことになった3人。
大晦日の夜。
夢葉は完全防寒装備で家を出た。
ヒートテックを上下に着て、その上から父が使っているmont-bell製の登山用ジャケットを羽織り、カイロをいくつも着け、さらにネックウォーマーも装着。コミネ製の冬用バイクグローブを着け、ENDURANCE製のグリップヒーターまで使う。
だが、これだけの装備を持ってしても、やはり「寒かった」。
大晦日の夜は、雪が降りそうなほど気温が低下。放射冷却効果で明日の朝は、さらに気温が下がると言うニュースキャスターの話を聞いて、夢葉は憂鬱になりそうだった。
川越氷川神社までは、自宅から30分ほどで行けるし、下道だったから、そんなにスピードを出さなくてもよくて、何とか無事に午後11時頃に到着。
2人は既に来ていた。
怜はいつもの革ジャンでは寒すぎるためか、elfのライダースジャケットを着込み、ジーンズを履いていたし、翠もいつものライダースーツではなく、分厚いダウンジャケットを着込んでいた。
ちなみに、翠のバイクにはグリップヒーターがついており、さらにインナーに電熱ウェアまで着ているという。対して、怜はバイクにそんな装備もないし、軽装だった。
(怜さん。寒くないのかな)
と、少し不思議にすら思う夢葉だった。
川越氷川神社は、埼玉県川越市にある、小さな神社で、初詣で賑わう、首都圏では有名な明治神宮や神田明神、川崎大師のように、人でごった返す場所ではなかったが、それでも大晦日ということでかなりの人出だった。
この神社は、関東の戦国武将、
やがて、除夜の鐘が鳴り、年が明ける。
「あけましておめでとう!」
翠の元気な声が境内に響く。
「おめでとう」
控えめに、そう呟く怜。
「あけましておめでとうございます!」
夢葉も、寒さに負けないような大きな声を上げていた。
そして、参拝。多少並んだが、思ったよりは列が流れていく。
翠がやたらと熱心にお祈りしているのが、夢葉には気になった。
(翠さん。彼氏いないのかな。可愛いし、モテそうなのに)
夢葉がそんなことを思っている反面、怜は、申し訳程度にさっさとお祈りを済ませて、喫煙所を探し回っているようだった。
(この人は相変わらずだな)
夢葉は呆れる。
おみくじを引いた結果、夢葉は小吉、怜は吉、そして翠は大吉だった。
「やったで! 大吉やに!」
大げさに喜ぶ緑が、何だかとても可愛らしく見える夢葉。
そう、ここまでは順調なスタートだった。
参拝が終わり、まだ日の出までは時間があるので、近くの24時間営業のファミレスで暖まりつつ、時間を潰す。
「とりあえず大洗って言っても、どこで初日の出見るんだ?」
「適当に大洗海岸でええんちゃう?」
などと、怜と翠が暖かいホットコーヒーを飲みながら話すのを夢葉はぼんやりと聞いていたが。
午前3時。
「ほんなら、そろそろ行こか」
翠の一言で、出発となった。
川越からは、圏央道、
順調に行けば、午前5時頃には着くはずだ。
初日の出の予測時刻は、大体6時30分頃。十分に間に合うはずだ。
まずは、近くの圏央道の川島インターを目指して走り出す3人。
今回は、特に順番を決めていなかったので、排気量が一番多く、しかも真冬装備も充実しており、カウルもウィンドシールドもついている、翠のライムグリーンのバイク、ZX-10Rが先行していた。
そして、カウルもウィンドシールドもついているが、そもそも運転手自体に真冬の装備がそんなにないと思われる、TZRの怜がそれに続く。
最後に、カウルもウィンドシールドもついていない、レブルの夢葉が続く。
そして、夢葉にとっては、初めての「真冬の高速」走行が始まったのだ。
最初は順調だった。
圏央道は、そもそも片側1車線の区間が多く、ここの最高速度は70キロだった。たまに2車線区間に入り、そこの最高速度が100キロ。
ただ、長時間走行風に
(長時間、走行風に当たると、グリップヒーターがあっても、手に当たる風が冷たい!)
そう思いながらも、漠然と走行を続けていたが。
ちょうど、圏央道から常磐道に入った辺りから、グリップヒーターの温度が下がってきたように感じていた。
(あれ。おかしいな。温度を上げちゃえ!)
グリップヒーターの温度をさらに上げる夢葉。
だが、今度は逆に冷えていくような感覚だった。
(うわっ。これ、壊れちゃったんじゃ!)
そう思うも、走行中に点検などできやしない。
「寒いっ! 寒すぎるっ!」
声に出して叫んでいた夢葉。
寒すぎて、スピードを出すこともできず、どんどん2人に置いて行かれていた。
(まあ、大体行く場所は知ってるし、最悪メッセンジャーで確認すればいいや)
もう寒さには勝てなかった彼女は、一旦、常磐道の千代田PAに入った。
(やっぱ、グリップヒーターは壊れたっぽいな。こりゃ、ダメだ)
改めて確認しつつ、そう思った彼女。
もう諦めモードで、そのまま缶コーヒーを飲んで、暖まる。
(日の出まではまだ時間もあるし、大丈夫だよね)
足を組んで、携帯で日の出時刻を確認しながら、缶コーヒーを飲む彼女。
男物のダウンジャケットを着て、缶コーヒーを飲む姿は、傍から見れば丸きりおっさんのようだった。
もっとも、彼女はそんなこと気にもしていなかったが。
休憩後、再度出発。
ところが。
常磐道から
この日の埼玉県の最低気温はマイナス3度。だが、この辺りの、つまり茨城県の最低気温はさらに低かった。
都会は、ビルなどの建物のお陰で、気温が押し上げられる傾向にあるが、人家が少ない田舎に行くと、気温はさらに下がる。
おまけに、この日は風も強く、真冬の斬り裂くような猛烈な寒気が、風に乗って彼女の全身を襲った。
グリップヒーターも使えなかった彼女は、歯がガタガタと寒さで震え、目には涙が出てきて、鼻水も出てきて、指先もかじかんで、だんだん感覚がなくなっていった。
さらに自分の吐く息で、シールドが曇って、前すらよく見えない。
(もうなんで私、こんなことやってるんだろ)
バイクに乗って、ひたすら高速を走りながら彼女は自問自答していた。
(やっぱやめればよかったなあ)
後悔の念すら出てきていた。
だが、ここまで来た以上は、もうどうしようもなかった。
ようやく「水戸大洗」と書かれたインターチェンジの緑色の看板を目に止めた夢葉。
高速を降りた途端、脇でバイクを停めた。
(あー! もう、寒い! 寒いの嫌い!)
そう思って、自分のバイクのエンジン付近に手を近づけていた。
(エンジンの熱が暖かい)
しばらくそうしていた後、走り出したが、すぐにコンビニに入って、コーヒーを飲み、そして、すでに何度目かわからない、トイレに行く。
(もう二人とも、とっくに着いてるだろうな)
そう思ったが、この極寒の寒さで、夢葉は急いで行く元気もなくなっていた。
後悔の念を抱きながらも、なんとか午前6時頃、ようやく大洗に到着。
翠が事前に言っていた、大洗海岸を臨む県道173号沿いにある駐車場へ向かった。
駐車場には、すでに二人のバイクが停まっており、さらにあちこちから駆け付けたと思われる多数の車がひしめき合っていた。
ここは、初日の出で有名な千葉県の犬吠埼よりもマイナーで、ただの海岸を臨む駐車場に過ぎないが、それでも初日の出を拝もうと、他県ナンバーの車も多かった。
「ごめんなさい~。だいぶ遅れました」
寒さでヘロヘロになって、全身を氷のように冷やした夢葉が、海岸を臨む柵の前でコーヒーを飲んでいる怜と、翠に近づく。
「随分、遅かったな」
と、怜が不満げに言う。
「ま、大丈夫やで。日の出にはまだ時間あるやに」
いつもの三重弁で、笑顔を見せる翠。
ようやく一息ついた夢葉は柵にもたれるように座り込んでいた。
「いやー、疲れました。つーか、寒すぎです。ホンっと、バイクって大変ですね」
そんな死にそうな顔をしている後輩に、二人のバイク乗りの先輩たちは。
「ああ、そうだろうな。マジで大変だよ。同じ距離を移動するのに、車の何倍も苦労するしな」
怜は、飲み終えた缶コーヒーを灰皿代わりにして、またいつものようにラッキーストライクを吸い始めた。
「せやな。せやけど、バイクには、車とはちゃう、魅力がようけ(=たくさん)あるんや。えらいだけやないんやで」
翠も、そんな疲れ果てた顔の後輩を気遣うように、優しく声をかけていた。
「えらい?」
「三重弁で『疲れる』っちゅう意味や」
そうしているうちに、東の空が次第に明るくなり始めた。
それは海面をどんどん、グラデーションのように染め上げ、海と空の境界線の色を下から赤、オレンジ、黄色、白という順番に染め上げていく。
そして、6時30分頃。東の水平線にオレンジ色の太陽がゆっくりと顔を出し、少しずつ海をオレンジ色に染め上げて行く。
「おおっ!」
その光景を眺めた、夢葉が柵から身を乗り出すようにして、声を上げていた。その満面の笑み、疲れが吹き飛んだような笑顔に、二人の先輩たちは安心したような笑みを浮かべる。
「来てよかっただろ?」
いつものように、というか初日の出を拝みながらでも、タバコを口にくわえている、怜が呟く。
「せやろ? 苦労した先に感動があるんが、バイクっちゅうもんやで」
翠も後輩を慈しむような、優しい目を向けていた。
「そうですね! この感動は、苦労したからこそ味わえるのかもしれませんね」
夢葉は、目の前に広がる、自然の大スペクタル映像のような、風景を前に、二人のバイク乗りの先輩の方を振り返って、笑顔を見せていた。
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