25. お伊勢参り(後編)

 お伊勢参りとはついているものの、ここから先は、「お伊勢参り」ではなくなる。


 翠の実家に着いた三人。


「ただいまー」


 と大きな声を上げて家に入る翠。


 リビングに入ると、彼女の見知った顔が迎えてくれるのだった。


「あらー、翠。元気やったかいな?」


 明るい表情で、笑顔を作る、中年の女性。年は50歳は過ぎているだろうが、とにかく穏やかで明るい表情、そして丸顔に愛嬌のある笑顔が、翠にそっくりのように夢葉には思えた。その愛嬌のある笑顔のお陰で、年齢より若く見えるほどだ。


「元気元気! おかやん。これ、伊勢でうてきた赤福」


「おおきにー」


 早速土産を渡している翠。その表情が、いつも以上に明るく見える。


「翠から聞いとるで。今日はウチを我が家と思うて、遠慮のう使うてくれて構へんで」


 一方、彼女の父と思われる男は、大柄な体格の短髪の男だったが、こちらも屈託のない明るい表情に、年相応の皺が目立つが、好印象を抱かせるには十分な男性だった。年齢的には、やはり50歳を越えたくらいか。


「お、お世話になります」


「よろしくお願いします」


 それでもいつも以上にかしこまって、挨拶をする夢葉と怜。


「メシは食うたか? まだなら飲み屋にでも連れてったるで」


「おとやん。いきなり酒かいな。飲みすぎは体に毒やで」


 父を注意する翠。

 だが、そんな親子の間を見て、夢葉は微笑ましい気がした。


(なんだかんだで、似てるなあ)


 翠の両親と、翠が色々な意味でそっくりだと思っていた。彼女の屈託のない明るさは間違いなく、この両親譲りだろう、と。


 とりあえず、三人は晩飯を途中で食べた為、まずはその日に寝る寝床に案内された。


 実は、翠の家は農家だったが、その事業はすでに兄が継いでおり、その兄はすでに結婚して、家を出ていた。

 つまり、この家は両親が農業を続けてはいるが、今、独立している兄にいずれは完全に引き継がれるらしい。


 そのためか、兄の部屋が空いているとのことだった。


 その6畳の畳の部屋に夢葉と怜は寝ることになった。


 夜。翠の両親に親切にも一番風呂を頂いた夢葉は風呂に浸かって、疲れを癒し、次いで怜、翠と入り、二人が上がってくるのを待ってから、リビングで酒をご馳走になった。


 翠の父は、相当な酒好きで、日本酒を常に常備しているらしかった。

 三重県の地酒として有名な「而今じこん」を、夢葉と怜の杯に注ぎながら、彼女の父は上機嫌だった。

 而今は、日本酒ファンなら聞いたことがある酒で、フルーティーな飲み口と甘み、爽やかな酸味が口に広がる、奥行きのある味わいが特徴的とされている銘酒だ。


「いやあ、こないなキレイなお嬢さんたちと酒が飲めるっちゅうのは幸せやなー」


 すでに出来上がって、顔を赤らめながらも、楽しそうに飲んでいた。


「おとやん。調子ええなー」


 そんな父を見て、翠はいつも以上に、訛りのある三重弁で突っ込んでいるが、それでも幸せそうな家庭に、夢葉の目には見えた。


「しかし、ケッタマシーンしか乗れんかった翠が、こないな大型バイクに乗るとはな」


?」


 聞いたことがない言葉に、夢葉は首を傾げる。


「ああ。チャリンコのことや。この辺りではよう使う表現や」


「へえ。面白い言い方ですね」


「それより、おとやん。いつの話しとるんや。ケッタマシーンしか乗れんって、私が中学生の頃の話やん」


「すまんすまん」


 こうして、楽しい夜は更けていくが。


「それにしても、三重県って、独特ですよね? 東海なんですか? それとも近畿、つまり関西なんですか?」


 静かに酒を口に運んでいた怜が、不意に呟く。


「あー、それなー。よう言われるで。せやけど、私は東海地方やと思うとる。なんせ、名古屋が近いしな。ここら辺の学生なんか、遊びに行く時は、よう名古屋に行くんや」


 と、翠が自信満々に発言するが。


「何言うとるんや、翠。関西やろ。しゃべり方やって、名古屋より関西に近いしな」


 と、今度は彼女の父が反論するが。


「いや、伊賀いが名張なばりならまあわかるんやけど、松阪まっつぁかつぅは明らかに東海やろ」


 ちなみに、「松阪」のことを「まっつぁか」、「津」のことを「つぅ」と言うのは、三重県では普通のことだった。


「いや、関西や」


 二人はどうでもいいことで、議論になっていた。ちなみに、伊賀、名張共に三重県でも西の山の方にあり、すぐ近くがもう奈良県、滋賀県という立地だ。


 質問を始めた怜は、申し訳なさそうに、


「わかりましたから。二人とも、そんなことで喧嘩しないで下さい」


 と、珍しく狼狽したような表情を浮かべ、二人を制していた。


 ちなみに、三重県の公式サイトを見ると、「三重県は中部(東海)地方? 近畿(関西)地方?」という質問に対して。


「結論から言えば、三重県は中部地方にも近畿地方にも属していると考えています」


 と書かれている。

 つまり、どちらでもいいのだ。

 これは三重県永遠のテーマとも言える。


 だが、実際には、翠が言ったように、内陸の伊賀や名張は関西の意識が強く、沿岸の津や松阪は東海の意識が強いらしい。


「それにしても、三重弁ってなんだかかわいいですよね。今日、駐車場のおじさんが三重弁話してて、なんかかわいいって思いました」


 酔って、ほんのり頬を赤らめた夢葉が口にする。


「せやろ? 三重弁がかわええっちゅう認識がもっと全国に広がって欲しいで」


 と、褒められた翠も、また上機嫌に顔を赤らめながら、日本酒「而今」を傾ける。


 こうして、楽しい一夜は過ぎ去った。



 翌日。風呂と酒ですっかり疲れが取れた三人は、翠の先導で南に向かう。


 彼女曰く。


「三重県は、伊勢神宮だけやあらへん」


 とのことで。


 向かった先は、昨日、行った伊勢神宮よりさらに先にある国道42号を走り、鳥羽港を抜けて、県道750号に入る。


 この辺りから交通量は減り、徐々に林の中を抜ける快走路に入る。

 「パールロード」と呼ばれる無料の道で、林の間から時折、海が見える、景色のいい、走りやすい道だった。


 「パール」、つまり真珠のことだが、この辺りの志摩地方が、真珠の養殖で有名なことから来ている名前だ。


 そのうち、たどり着いた場所は。


 伊勢志摩国立公園 鳥羽展望台。


 この辺りからは、晴れていれば雄大な太平洋を見下ろすことができる。そして、運よくその日は、快晴に近い晴れだった。


「うわぁ、キレイ。素敵なところですね!」


 夢葉が感動のあまり、バイクを降りてすぐに声を上げて、目の前に広がる海の景色を写真に撮っていた。


「せやろ。私的には、伊勢神宮よりこっちの方がオススメやで。あと、ここに来たら、これを食わなあかんで」


 と言って、翠が指さした先には。


「とばーがー」


 と書かれた幟が立っていた。


「鳥羽だから、とばーがーって、オヤジギャグですか?」


 クスクスと笑い出す夢葉。だが、怜は珍しく真剣な表情で、


「面白そうだな。ちょっと食べてみたいな」


 と目を輝かせていた。


 展望台の休憩所のようになっている場所にある売店で、三人でとばーがーのポテトとコーヒーのセットを注文する。


 出てきたのは、一般的なハンバーガーに使われるパテに、豚肉や牡蠣、トマト、レタスなどが挟まったハンバーガーだった。


 だが、翠に言わせると。


「食材はちゃんと地元のものなんや」


 らしい。


 つまり、「とばーがー」にも基準があり、一般的にはパテは鳥羽市産、豚肉や牡蠣は志摩市産、トマトやレタスも鳥羽市産を使うのが正解らしい。


 きちんと、それらを味わった後、再度パールロードへ。


 次に翠が向かった場所は。


 的矢まとや湾大橋。


 と呼ばれる大きな橋だった。


 ここは、パールロードの途中にあり、複雑な地形の的矢湾を南北に横切る形で架かる大きなアーチ型の橋だが、特徴的なのがその深紅の欄干だった。


 というよりも、橋の全身が赤い。鮮やかな赤色が周囲の緑色の森の景色と相まって、非常に写真映えのするような景色だった。


「キレイな橋ですね。これはSNSに上げないと!」


 と、夢葉は、その的矢湾大橋が見える展望台から、盛んに携帯で写真を撮り、早速SNSにアップしていた。


「確かに、カッコいい橋だな」


 普段、走ることに専念するため、あまりこういう建造物に興味を示さない怜もまた、彼女には珍しく写真を撮っていた。


 そんな二人を見て、満足げに翠は、


「ほんなら、次はあそこに行こか。ちょっと時間かかるけど、面白いところやで」


 と言って、再びバイクで先導する。


 そこからは約2時間ほどもかかったが、三重県は人口が少ないこともあり、下道とはいえ、首都圏のような大渋滞は滅多に起こらない。


 途中、コンビニ休憩を挟んで、翠の実家を過ぎた後、国道165号に入る。そこからはだんだん山道に入っていく。


 翠はどんどん山道に入って行き、やがて幹線道路からも外れた。一体どこへ行くのか、少し不安に思っていた夢葉だったが。


 たどり着いた場所は、そんな彼女の不安を払拭するに十分すぎた。


 目の前には、風力発電の巨大な風車がいくつも広がっており、高原の中に突如現れる、巨大な風車群がその高原を覆い尽くすように並ぶ様は圧巻だった。


 しかも、周りは景色のいい標高700~800メートルの大地。まだ3月ということで山の上は肌寒いが、雪もなく、周囲360度が青々とした山々に包まれている。


 青山高原。


 布引ぬのびき山地に属している高原で、起伏が緩やかで、ハイキングやドライブ、ツーリングにも向いている。


 そして、なんと言ってもこの圧巻の風車群。

 複数の風力発電所の風車が建ち並び、合計最大出力は15万5000キロワットにもなり、風力発電施設としては、日本最大規模と言われている。


「おお! これはすごいですね! 北海道の稚内の近くのアレを思い出します」


 駐車場から、さらに少し丘のようになっている部分を上って、周囲に広がる風車群をその目に捕らえた夢葉が感嘆の声を上げる。


「アレって、お前な。オトンルイ風力発電所のことだろ?」


 適当なことを言う、夢葉に、怜は真面目に突っ込んでいた。


 オトンルイ風力発電所。昨年、夢葉たちが行った、北海道ツーリングで見かけた、稚内の近くにある、風車群のことだった。


「そうそう、それです!」


 意外と、こういうところが真面目な怜に、翠はつい笑いそうになっていた。


「ええとこやろ、ここ。三重県でもちょっとした穴場的スポットやで」


 そんな翠もまた、久しぶりに訪れた地元の景勝地に、感じ入るものがあるようで、写真を撮りながらも呟いていた。


「まだ時間あるやに。ほんなら、最後は、走りやすいツーリングコースを紹介したるで」


 しばらくこの雄大な景色を堪能した後、翠が最後に向かった場所は。


 青山高原から少し伊賀側に入っていき、国道をそれた先だった。


 伊賀コリドールロード。


 そう書かれた広域農道みたいな道だった。


 だが、実際走ってみて。


(これはすごい! 気持ちいいし、走りやすい!)


 夢葉は単純ながらも、その圧倒的な交通量の少なさ、そして、道幅の広さ、信号機の少なさに感動していた。


(いい道だ。こういう道こそがバイクで走るにはいいんだ)


 怜もまた、普段の交通量の多い、地元の埼玉県のうんざりするような道と比べて、そう感じていた。


 伊賀コリドールロードは、名張市から伊賀市にまたがる、全長が約42キロほどの周回するように伸びる、広域農道なのだが、この辺りは交通量も信号機も少なく、標高もそれほど高いわけではないので、バイクで走るには、非常に走りやすい道として知られている。


 もっとも、少し穴場的な道なので、ほとんど地元の人か、ツーリングマニアくらいにしか知られていない側面もあったが。


 また、非常にわかりづらい経路であるため、地元民の翠の案内や先導は、二人にはありがたいことだったし、翠の地元民らしい、迷いのない走りは二人には心強く感じるのだった。


 この伊賀コリドールロードを心ゆくまで堪能した三人は、夕方、再び翠の実家に戻ってくる。


 その日の夜は、翠の部屋で宴会になった。


 彼女の部屋は、夢葉には意外なほど質素で、物が少なかったが、実家から引っ越す時に整理したのかもしれない、と思った。


 ただ、GPレーサーの写真が飾られてあったり、バイク関係の雑誌があったりするのが、彼女らしく思えた。


「とりあえず、もう2日目が終わってまうな。明日は帰るだけやけど、せっかくやし、鳥羽からフェリーで伊良湖に向かわへん?」


 途中で買ってきた、チューハイを傾けながら、つまみを食べる翠が呟く。


「いいですね、フェリー! 乗りたいです」


 夢葉も同じく買ってきたカクテルを開けて、大げさに喜ぶ。


「それはいいけど、高速で行くのとどう違うんだ? どのくらい短縮になる?」


 怜は、翠に断って、窓を開けてタバコを吸いながら、ビールを傾けていた。


「まあ、船に乗っとる時間は1時間で、その後、高速まで下道やから、時間的には大して変わらへんと思うやに」


「フェリーは時間じゃないんですよ、怜さん! 旅情ですよ、旅情。バイクでフェリーに乗るっていう行為が、旅情をかき立てるんですよ!」


 やたらと旅情について、熱く語る夢葉に、怜は、


「わかったわかった」


 と、少し呆れ気味に呟き、紫煙を澄んだ青空に向けていた。



 翌日。

 お世話になった、翠の両親に礼を言った夢葉と怜。翠に連れられてきた場所は。


 昨日、パールロードに向かう途中に通った鳥羽港だった。

 ここから対岸の渥美半島の伊良湖岬までフェリーが出ている。


 ちょうど、高速道路では、連休最終日の渋滞が始まる日なので、三人は早めにここに着き、さっさと海を渡ってしまうという算段だった。


 手続きは簡単だった。

 彼女たちには、多少馴染みのある、東京湾フェリーのように、予約などいらなくて、いきなり乗る手続きをして、船が来て、空いていればすぐに乗れる。


 この伊勢湾フェリーは、鳥羽から乗る場合は、午後から夕方まで混む傾向にあるが、午前中だったこともあり、三人は幸いすんなり乗船できたのだった。


 伊勢湾を横切り、大体1時間、正確には55分で着く。


 夢葉は、一人、船の甲板に出て、潮風を浴びながら風景を眺めていた。二人は「寒い」と言って船内に入ってしまっていたが。


(やっぱり船、いいなあ。こう、なんというか、『旅をしてる』って実感できる)


 まだ冷たい3月末の潮風を浴びながらも、彼女はしみじみと、去り行く伊勢地方を眺めていた。


 渥美半島の伊良湖岬からは、下道で東名高速道路のインターチェンジを目指すが、下道だけなので、約1時間40分ほどかかる。


 それには耐えられた夢葉だったが、問題は東名高速道路に乗ってからだった。


 連休最終日。

 東京方面に向かう車列で、午後3時頃から、早くも渋滞が始まる。


 御殿場を抜け、神奈川県に入る頃。三人は早くも前方が見えないくらいの大渋滞にハマっていた。


 電光掲示板には、前方で渋滞が約20キロ発生しているという、絶望的な数字が躍っている。


 思わず鮎沢パーキングエリアに入った、夢葉は二人に愚痴っていた。


「ホンっと、渋滞ってイヤですよね。すり抜けって、接触しないか神経使うから嫌いなんです!」


「まあ、そう言うな、夢葉。ただ、路肩走行はするなよ。あれやったら、下手したら警察に捕まるからな」


「そうやで。そもそも夢葉ちゃんのも、怜のも車体が小さくて軽いだけマシなんや。私のなんか、大きいからホンマ、苦労するで」


 二人になだめられながらも、やはり渋滞は納得がいかない夢葉だった。


 結局、何とかすり抜けで渋滞を抜け出し、圏央道経由で帰宅した三人。


 これが三人にとっての「卒業記念ツーリング」になった。 

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