22. Suzuki is No.1!

 2月。まだ寒いながらも、少しだけ春の陽気が見え始めた頃。


 夢葉の元に一本のグループメッセージが怜から届く。


茂木もてぎでレースをしよう」


 それを見た夢葉は、驚愕した。


「えっ。レース?」


「どういうことですか?」


 聞いてみると、どうやら怜の元に、以前、奥多摩周遊道路で勝負を挑んだ武隈翔から連絡があり、サーキットで「勝負がしたい」とのこと。


「でも、前に勝った時、『もう勝負は挑まないこと』って約束してましたよね?」


 そう思い出しながら答えを返した夢葉に、怜は。


「ああ。だから、今度は奴は翠をご指名だ」


「はあ? 私かいな?」


 翠の驚いたようなメッセージが速攻で返される。


「ああ。どうも奴は、自分のスズキ GSX1300R 隼とお前のカワサキ ニンジャZX-10Rで勝負をしたいらしい」


 指名された翠は、しばらく考え込んでいるようだった。返信がない。夢葉も怜も固唾を飲んで見守っていると。


「しゃーないな。まあ、ええで。私のZX-10Rの実力を見せる、ええ機会やん」


 ということで、あっさりと決まってしまった。

 尚、翠と翔は、元々、怜と翔が付き合っていた頃から、一応面識があるらしい。



 土曜日。

 翔に指定された、栃木県茂木町もてぎまちにある、有名なレーシングサーキットに3人はそれぞれのバイクで向かった。


 そのサーキットの受付を済ませ、翔に言われた通り、スポーツ走行の受付からサーキットに入ると。


 真っ白なツナギを着た、武隈翔がオージーケーカブトの黒いフルフェイスヘルメットを持って立っていた。


 そんな彼と目が合った怜が、苦々しそうな表情を浮かべている。


「よう、怜に那古に、あとちっこい嬢ちゃん。久しぶりだな」


 と、気軽に挨拶してくる翔に。夢葉っは「ちっこい嬢ちゃん」と言われて、やはり不愉快に思っていた。


「なんや、武隈。私と勝負したいらしいやん」


 指名された翠が挑発的にも見える、鋭い目つきを向ける。


「ああ。やっぱせっかく隼を持ってる以上、ZX-10Rとは勝負したくてな。まあ、このスピード走行は1時間しか時間が取れなかった。さっさと勝負するぞ」


「それはいいですけど、また勝ったら付き合え、とか言うつもりじゃないでしょうね?」


 夢葉は、以前のレースの時のことを思い出して、翔に鋭い視線を向けて、詰問するように口に出したが。


「ああ、それはない。つーか、俺は別に那古のことは好きでもなんでもない。今回はただ純粋に勝負したいだけだ」


 その答えに対し、翠もまた、


「ほんならよかったわ。私もお前のことは嫌いやし」


 温厚な性格の彼女には珍しく、相手の目を見て、はっきりと答えていた。

 翔と翠のやり取りを見て、怜は苦笑いを浮かべているのが、気になった夢葉だった。


 早速、二人は準備に入る。

 一応、「スピード走行」という名がついているが、二人だけでレースをするわけではなく、これは二輪の自由予約参加なので、今回も他に多数のライダーが参戦している。


 ただし、サーキットでの走行になるので、そこはやはり安全性に配慮して、いずれもツナギを着て、フルフェイスヘルメットを着用しての参加となった。


 今回、特に気合が入っていたのが、武隈翔だった。

 スズキ GSX1300R 隼。

 世界最速のバイクと言われる、メガスポーツクラスのバイクで、スズキではスーパースポーツを超える究極のマシンという意味を込めて、「アルティメットスポーツ」と称している。


 最高速度は時速300キロを超え、初期型のモデルはスピードメーターが350キロまで刻まれている。

 量販市販車最速だったホンダ CBR1100XX ブラックバードの持つ最高速度300キロを超え、312キロの性能を発揮し、「20世紀最速の市販バイク」と呼ばれる。


 翔が持っていたのは、初期型ではなく、2008年モデルだったが、それでも最高出力が197PSもあるものだった。


 一方、翠が乗っているカワサキ ニンジャZX-10R。排気量では隼に劣る998ccだったが、最高出力は200PSを超える。


 そして、レースシーンでは、カワサキ・レーシング・チームがこのZX-10Rで量産バイクレース最高峰のスーパーバイク世界選手権において、連続優勝しており、その性能は折り紙付きだった。


 やはり、最高速度も300キロくらいまでは出せると言われている。



 二人は、簡単な説明を他の参加者と共に受けながら、レースの開始を待つ。


 その間、暇になった夢葉と怜は、サーキットがよく見える観客席の一番前に座っていた。


「でも、意外ですね。あの武隈さんが、なんの見返りも求めずに勝負するだなんて」


 思ったことをそのまま口にしていた夢葉に対し、怜は。


「いや、そうでもない。あいつは『筋金入りのバイクバカ』だからな。というか、『スズキバカ』だが。隼の実力を試したいんだろう」


 怜は、口元に苦笑いのような、薄い笑みを浮かべている。

 どうもこのレースを他人事として、楽しんでいる節がある。


 そう感じた夢葉だったが。

 根が優しい、のんびり屋の彼女は、別のことを考えていた。


(翠さん。勝負に熱中しすぎて、事故らなければいいけど)


 何よりも、翠のことが好きな夢葉は、彼女の身を一番に心配していた。



 そして、ついにレースが始まる。

 もてぎのコースは、直線と径の少ないコーナーで形成されたコースで、いかに直線で速度を出せるかがカギになっている。


 全長は約4.8キロ。1・2コーナー、3・4コーナーを越えた後、立体交差をくぐると、スピードが出る130Rが待ち構え、S字コーナーから続くV字コーナー、そしてヘアピンカーブを経て、一気に下り降りるダウンヒルストレートが続く。

 第二立体交差を越えて、ビクトリーコーナーを越えると、メインストレートに戻ってくるというコースだ。


 これを20周するレースで、1周あたり約2分から2分30秒で回ることになる。プロのコースレコードは1分45秒から2分弱といったところだった。


 スタート直前のエキゾーストノートが、見守る夢葉と怜の耳にもガンガン響いてくる。


――ドドドドッ!


 という低い重低音の隼のエンジン音。


――バルバルッ!


 という特徴的なZX-10Rのエンジン音。


 そして、ついにレースは始まった。


 スタートと同時にガンガン飛ばし、先頭に飛び出したのは翔。

 一方、翠は先頭集団から少し後方の中団にいた。


 1~4コーナーを越え、130Rでようやく中団を抜け出す翠。だが、続くS字やV字でも、どこかのんびりしているように見える翠。


 ダウンヒルストレートやビクトリーコーナーでもまだ実力を出し切っていないように夢葉と怜には見えた。


「翠さん。全然ですね……」


 心配気味に呟く夢葉。


「まあ、まだ探ってるんだろう。これからだ」


 怜は怜で、親友の翠のことをよくわかっているのか、どこか落ち着いた様子に見えた。


 そのまましばらく観戦が続くが、夢葉はだんだん暇になってきていた。

 ただ見てるだけというのもつまらない。しかし、元々、このレースにはエントリーすらしていないし、ツナギも持ってきていなかった。


「ちょっと、食べ物でも買ってきます」


 夢葉は、席を離れた。


 この茂木のコースには、食べるところもいっぱいある。カフェやレストランがあり、アイスクリームが売っている場所もあった。


 夢葉は買い食いをしたり、カフェでのんびりお茶を飲みながら、たまにモニター越しにレースを眺めた。


 しばらくして戻ってくると。


「夢葉。遅かったな。翠が追い上げているぞ」


 怜がコースに釘付けになっていた。


 見ると、翠のZX-10Rがいつの間にか、先頭の翔に迫っていた。残り周回は2、3周くらいになっていた。

 レースにおいて、「抜く」ポイントは大抵、直線ではなくコーナーになるが、そのコーナーを生かして、コーナーリングが好きという翠は的確な判断で、且つアウトインアウトのレース走行を忠実に再現し、どんどん相手を抜いて行き、先頭の翔に後少しというところまで迫っていた。


「おお。さすがは翠さん。やりますね!」


 買ってきたアイスクリームを口に運びながら、夢葉は興奮気味にレースに注目する。


「ああ。でも、やっぱ速いな、翔は。つーか、隼が速いな」


 怜は難しそうな顔で、レースの行方を見守っていた。


 そして、あっという間に最終ラップが来る。


 最終ラップ。


(武隈翔。その生意気な鼻っ面をへし折ったるわ)


 1コーナーで追いついて、そのまま2コーナー入口から、一気に仕掛けた翠は、GPさながらに、膝を擦りながらイン側に切り込み、一気に抜いていた。


――カァァァァーーン!


 という、ZX-10Rから発せられる甲高いエンジン音が響く。


 ついに翔を抜いてトップに立った。


「やった! ついにトップですよ!」


 大げさに喜ぶ夢葉に対し、怜はやはり気の進まないような表情だった。


 そのままレースは推移し、3・4コーナー、立体交差、130R、S字コーナー、V字コーナー、そしてヘアピンカーブを経て、一気に下り降りるダウンヒルストレート。


 ここまではわずかながら翠のZX-10Rが勝っていた。


 だが。


 第二立体交差を越えて、ビクトリーコーナー手前にある90度コーナー。


「甘い!」


 翔が猛烈な勢いで、アウト側から隼を滑り込ませるようにイン側に切り込み、わずかな隙間から強引に翠を抜いていた。


――ダァァァァーーン!


 隼の低いエンジン音を響かせながら、翔は勝ち誇ったように、再度先頭に立つ。


(なんやっ!)


 死角に入り込むようにして抜いてきた翔にさすがに驚く翠だが、もう残された時間はわずかで、残るはビクトリーコーナーとメインストレートだけだった。


 そのまま、メインストレートを駆け抜ける翔。


 ZX-10Rの加速力を持ってしても、この短い距離では追いつけなかった。


 勝負は翔の勝ちだった。


「ああ~。負けちゃった」


 夢葉は、他人事と思えないような、心底悔しそうな声を上げていたが、怜は。


「隼と翔の実力があれば、仕方ないかもな」


「なんで、あんな奴の肩持つんですか? やっぱ元カレだからですか?」


「いや、別にそんなんじゃねえよ。まあ、勝負の世界なんてわからないもんさ」


 そう言う怜だったが、夢葉は納得がいかないような気がしていた。



 戻ってきた二人の表情は対照的だった。


 翔は、大げさなくらい喜色を満面に浮かべて、

「やっぱスズキがナンバー1だな!」


 と、やたらと上機嫌にスズキのことを褒め称えていたが。


「まさか私が負けるとはな。二人とも、すまん」


 翠は、すっかり意気消沈して、沈んだような暗い表情になっていた。


「翠さん。そんな。勝負なんて、時の運です。こんな男に負けたからってヘコむことないですよ」


 夢葉の一言に、翔があざとく反応する。


「こんな男って何だ、嬢ちゃん。だったら、今度はお前が俺と勝負するか?」


「ええ、いいですよ! 私が翠さんのかたきを討ちます!」


 もう「売り言葉に買い言葉」状態になっていた。二人で勝手にヒートアップしていた。


「おいおい、勝手に決めるなよ、夢葉」


「でも、なんか悔しくて」


「おおきにな、夢葉ちゃん」


 三者三葉のセリフだったが、翔が一人勝ち誇ったような笑顔を浮かべているのが、夢葉には悔しくて仕方がなかった。


 そして、この事が後に二人の勝負を呼び込むことになる。

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