46. 東海道を駆けろ!
「ここが、東海道の起点か」
目の前に、「日本国道路
辺りには人気がない。
8月11日。その日は祝日で3連休の初日だった。
早朝4時30分。夢葉は、東京都中央区の日本橋にいた。
早朝、というよりも深夜の3時過ぎに自宅をバイクで出発した彼女が最初に向かった先が、ここ「日本橋」であり、その理由が「国1ツーリング」のための起点になっているからだった。
道路元標とは、道路の起点と終点を示す標識のことを指す。
西伊豆で、旅行家の大垣寛一と不思議な遭遇を果たした彼女は、すっかり感化されてしまい、3連休のこの日を狙って、一気に国1ツーリングをやろうと思って、準備をしてきたのだった。
「大阪市 五五〇粁? なんて読むの? 東京市?」
その石碑に書いてある謎の漢字の読み方も、意味も、そして何故「東京市」なのかも彼女にはわからなかったが。
これは、そもそも大正時代頃まで遡り、当時は「東京府東京市」だったことに由来する。
また、粁とは「キロメートル」のことを指す。また、日本橋を日本国の道路の元標、起点と定めたのは江戸時代にまで遡るという。
一通り、写真を撮り、最後に近くにあった、大きな謎の生物の彫刻と、少し洒落た雰囲気のする街灯があるモニュメントを写真に収める。
「なんだろ、これ?」
彼女が見たのは、想像上の生き物とされる「
ともかく、数日前にこの旅を決めた彼女。
「チャレンジャーだな」
「ようやるな。まあ、気ぃつけや」
二人のバイク乗りの先輩は、そう言って後押ししてくれたが、二人とも仕事が忙しいのが理由なのか、それとも単に付き合いきれないと思ったのか、夢葉には理由はわからなかったが、この企画には参加しなかった。
両親にも呆れられたが、それでもなお、彼女は、己の意見を押し通し、半ば強引にこの旅に出発した。
目標では、1日で大阪にある道路元標まで行くつもりだったが、時間にしておよそ13~14時間はかかると見越していたし、都心は早朝でないと混雑することを見込んで、早朝での出発を企図したのだった。
また、長距離を走るため、出来るだけ疲れない軽装で臨み、その日は大阪市の中心部にホテルを予約していた。
ここから大阪市までの約550キロを、下道だけでバイクで駆け抜けることになった彼女。ただ、普通に走るだけではつまらないので、国道1号の起点から終点を目指し、その上で、途中の観光スポットとは言えない、「昔の東海道」の跡を見ながら行くことに決めていた。
国道1号。古くは古代からあったらしいが、整備されたのは10世紀以降。特に江戸時代、徳川家康が「五街道」として整備し、京都の三条大橋まで53の宿場町で繋いだ。これが「東海道五十三
以来、日本の東西を結ぶ大動脈として、今日まで多くの旅人を運び、今なお物流を担っている道である。
まずは、皇居の横を通り、東京タワーを横目に見ながら都心を南下する。東海道五十三次で言えば、品川宿、川崎宿、神奈川宿と通って行くが、現代のバイクのスピードではあっという間に品川は通過してしまう。
そこからは、信号機の多さが彼女を苦しめる。
「相変わらず、信号機多い!」
走りながら、つい文句を言っている彼女。数百メートルごとに現れる信号機で停められる度に、イライラしていた。
ようやく多摩川を横切る「多摩川大橋」を越えて、神奈川県に入る。
日本橋からおよそ34キロ。五十三次では、神奈川宿の次に当たる
そこは、保土ヶ谷宿本陣跡と言われる場所で、道路脇に確かに「本陣跡」と書かれた案内版と、古い家屋の跡があったが。
建物の周りは、柵に覆われており、建物自体も整備されているとは言い難い状態に彼女には見えたし、何よりも雰囲気が悪い。
早々にそこを立ち去っていた。
そのまま国道1号を真っすぐに進む。丁度、箱根駅伝のように、小田原方面から箱根峠を目指すことになる。
藤沢市、
そのいずれもが、ただの石碑の跡ばかりで、彼女は少々味気ないと感じてしまったのだが、押切一里塚には、石碑の横に「江戸より十八里」と書かれてある文字が見えて、少しだけ歴史を感じることができるのだった。
また、大磯町付近には、道の両脇に松並木が広がる道がある。そこは、江戸時代に植えられたと言われる、古い松並木で、つまり今から400年ほど前に整備されたと言われている。
こうした風景の多くが、時代の流れと共に消えていった中、今でも残る、風情ある松並木の道は、彼女の目を楽しませるに十分だった。
日本橋を出発してから、およそ3時間。
小田原から箱根に至る途中で、渋滞や遅い流れに遭って、予定より遅れながらも7時40分頃。芦ノ湖を一望に見渡せる、道の駅箱根峠にようやく到着した彼女は、さすがに疲れてしまい、缶コーヒーを飲みながら、眼下の芦ノ湖を見下ろしていた。
(やっと、箱根か。なんだか思った以上に時間かかるし、信号機多いし、車の流れが悪くて疲れるなあ)
想像以上に疲れ果て、クラッチレバーの握りすぎで左手が痛くなっていた。
だが、本当に大変なのは、この後だった。
箱根峠の下りに入り、静岡県に入ると、流れは良くなったが、道の駅富士に9時、そして、かつての東海道では渡ることさえ困難だった大井川を、バイパスの新大井川橋によって難なく越えて、
そこからは、海沿いのバイパスを通り、流れは速いが、浜松市を越えて浜名湖まで至ると、すでに昼近い時間になっており、いつの間にか愛知県に入っていた。
それは「渋滞」だった。
3連休であり、しかもそれにお盆前の帰省ラッシュも加わっていた。
国道1号には、絶え間ない車列が並び、大渋滞を起こしており、しかもすり抜けができない箇所もあり、内心イライラしながらも、その流れに沿って、ゆっくり進んでいくしかない彼女。
(ああ、もう! 渋滞ばかりじゃないか。何でこんなに流れが悪いの!)
イライラする心、クラッチレバーの握りすぎで疲れて、痺れてくる左手。そして空腹に悩まされながら、ようやく13時頃。
豊川市にある、旧東海道の赤坂宿に到着した彼女は。
江戸時代に築かれたと思われる、古い
そこで休んでいると。
「あれ、あんたのバイク? どこから来たの?」
人懐こい笑顔を浮かべた、地元のおじさんに声をかけられていた。
「東京です。これから大阪に向かいます」
と答えると。
「へえ。女の子一人で。すごいな。気をつけてな」
「ありがとうございます」
ニコニコした表情の、人懐こいおじさんから何故か飴をもらい、不思議な心地がすると同時に、少しだけ嬉しくなる心地がした夢葉。
ただでさえ、可愛らしい容姿をしていた彼女は、自然と人を引きつけていることに気づいていなかった。
休憩後、出発。
そこから1時間ほども走ると。
「
(これが、あの有名な桶狭間か!)
さすがに、その名は歴史の授業などで聞いたことがあった彼女。戦国時代、織田信長が今川義元の大軍を奇襲で打ち破って、天下にその名を轟かせた、歴史的史跡を歩くことになった。
そこは、ちょっとした公園になっており、石碑や今川義元の墓などがある。公園には深い
もっとも、「桶狭間」というのは、実際には正確な場所がわかっていないらしく、この近くに「桶狭間古戦場公園」というのもあるのだが。
休憩後、この辺りからは本格的に、名古屋市に入るが。
またも、渋滞が彼女を苦しめることになる。
国道1号は、名古屋市を東西に貫く大動脈であり、その先は三重県だが、常に交通量が多い。
その日も、地元の愛知県や三重県のナンバーが中心に、かなりの車列が道を覆い尽くしていた。自家用車、営業車と思われる車、トラック、バス、タクシー、バイクなど。
うんざりするような車列が道を覆い、すり抜けするだけでも疲れてしまう彼女。しかも深夜2時には起きて、4時半には日本橋を出発していた彼女は、この辺りから強烈な眠気に襲われる。
(眠い……。大体、渋滞しすぎなんだよね。スピード遅いと、余計に眠い)
そう。バイクはある程度の速度域でないと、眠気が襲ってくることが多々ある。しかも前日に睡眠時間もそんなに取れていなかった上に、相次ぐ渋滞で疲労が蓄積していた彼女は、さらに余計に眠くなってしまうのだった。
ようやく三重県の標識を越えた頃。さすがに眠気に耐え切れず、コンビニに入って、エナジードリンクを買って一気飲みする夢葉は、傍から見るとまるで男の子のように映っていたことだろう。
実際、恥も外聞もかなぐり捨てて、彼女はエナジードリンクを
ようやく少し落ち着いた彼女は、もう半ば
工業地帯として有名な
(これは、めっちゃ雰囲気ある!)
中でも彼女が感動したのは、古い日本家屋の群れだった。
石薬師宿には、江戸時代に設置された「小澤本陣跡」があり、かつては大名が泊まったという本陣跡には、古い瓦屋根の、まるで時代劇に出てきそうな
そして、関宿。
夜には大阪に着きたいと思っていたため、ゆっくり回る時間的余裕はなかったが。ここは街自体が、江戸時代のような巨大な宿場町の跡だった。
道路こそコンクリートに覆われているが、それ以外の周りの風景は、まさに歴史を感じるような、瓦屋根と格子柄、提灯などが並んでいる。
それが道の両脇に数百メートルに渡って続いており、まるでタイムスリップしたような、あるいは時代物のアトラクションのようにも見える。
普段、埼玉県で生活していても、周囲にはそんなに歴史を感じるような物は残っていないため、彼女はより一層強い感動を覚え、この風景を写真に収め、また己の目に焼き付けるのだった。
日暮れが近いため、気持ちが焦ってきていた彼女は、京都を目指して、突き進む。
そこから先の鈴鹿峠は、流れが速く、一気に滋賀県に入るが、大変だったのが、大津市に入った辺りからだった。
(また渋滞か!)
大津からは、かつて関所があったり、歌が詠まれた
ようやく苦労の末に、京都の三条大橋に着いた頃には、すっかり日が暮れて19時近くになっていた。
(おなか空いたなぁ。これが三条大橋か。まあ、いいや、もうさっさと大阪に行こう)
まともな感想すら抱けず、ただ疲れ果てて、すぐに京都を離れていた。
そこからは、夜の京都の街を抜け、淀川に沿って進み、いつの間にか大阪府に入っていた彼女だったが。
すでに疲労困憊で国道1号からも若干ズレており、携帯の地図アプリのナビ通りに最短ルートの淀川沿いの細い土手道のような道をひたすら走り、大阪市中心部、梅田に着いた頃には20時30分を回っていた。
東京の日本橋を出発してから約14時間。自宅を出発してから約15時間半は経っていた。
しかも、肝心の「大阪市道路元標」がなかなか見つからずに、携帯のナビを睨みながら、梅田新道の交差点を行ったり来たりする彼女。
ようやく交差点の端に、四角い石のような形と、その上に逆円錐形が建つ、不思議なモニュメントを見つけた夢葉。
「大阪市道路元標」と書かれてあるのを見て、ホッとしながらも、写真に収めて、それを怜や翠に送っていた。
(やっと着きました!)
そのまま、バイクに戻って、真っ先にホテルへと向かった。
ホテルに着くと、近くのコンビニで晩飯を買い、部屋でそれを食べながら、返ってきた返信を眺める。
「ホンマか! 一日でようやるな」
翠がわかりやすいほど、露骨に驚いたようなメッセージと、ビックリしたような顔のアニメのスタンプを送ってくる。
「ホント、チャレンジャーだな。言っておくけど、国道1号より4号の方が楽だぞ。交通量少ないし」
怜は、いつものようにどこか素っ気ない感じに見えるメッセージを送ってきたが。
「そういうことは早く言って下さい!」
国道1号より、4号の方が楽と言われて、夢葉は少しだけ後悔していた。なお、国道4号は、東京から青森まで続いている道である。
(マジで、国道1号は渋滞多すぎだよ)
さすがに疲労が限界に達していた彼女は、疲れを取るため、ホテルの風呂にお湯を貯めて浸かりながら、考えるのだった。
(でも、せっかく大垣さんが提案してくれたことだしなあ。私も一度やってみたかった。これもいい思い出かなあ)
と、思うと同時に、彼女自身は内心では、
(二度とやりたくないかも)
と思うのであった。
左手は、クラッチレバーの握りすぎで痛いし、足はパンパンに張っており、肩も痛かった夢葉は、いくら若さが武器とはいえ、さすがに限界に近く、風呂上りに髪を乾かした後、死んだようにベッドに倒れ込んで眠っていた。
翌日、帰り道はさすがに疲れた彼女は、それでも行きとは違うルートで帰りたいと思い、岐阜県から中央自動車道を経由し、長野県、山梨県と走って、ようやく自宅にたどり着いた。
こうして、夢葉の「初」の国道1号ツーリングは、ほろ苦い思い出とともに終了した。
だが、このことが夢葉にとって、ある意味での「冒険」の第一歩にもなるのだった。
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