32. ナイトツーリングに行こう!

「暑い~」

 寒さに弱く、暑さに強いはずの夢葉がヘバっていた。


 それくらい近年の地球温暖化による影響は大きかった。ましてや彼女が乗るバイクは、レブル250の「黒」だった。

 車体全体が黒い色ゆえに、太陽からの直射日光や輻射熱の影響をもろに受けてしまい、とても走る気にはなれなかったのだった。


 梅雨が明けた7月下旬。

 その殺人的とも言える、猛烈な暑さが彼女たちを襲った。


 気温は常に30~35度。特に埼玉県は盆地で内陸ゆえに暑さが容赦なく、時には気温が38度くらいまで上がることもあった。


 梅雨明けからすっかりバイクに乗る気にもなれなかった夢葉。


 そんな彼女の元に、珍しく翠から直接電話がかかってきた。それは、猛烈な暑さを記録していたカンカン照りの土曜日の昼下がりだった。


「あ、翠さん。電話なんて珍しいですね」


 夢葉は、自宅でクーラーを浴びて薄着で過ごしていたからまだマシだったが、電話口の翠の声は、疲れたように聞こえるのだった。


「夢葉ちゃん。ツーリングに行かへん?」


 そんな声音で彼女はそんなことを言い出したから、夢葉は思わず、


「ツーリングですか? いや、この暑さじゃ無理ですね。死んじゃいますよ」


 と返していたが、次に翠の口から発せられた言葉は、彼女の予想を上回るものだった。


「せやから、夜に行くんや」


「夜ですか? でも、夜なんてどこも店やってないですし、行くところないですよ」


「大丈夫や。東京は都会やさかい、いくらでも見るところも、食べるところもあるんや。都心ナイトツーリングや」


 どうやら翠は外にいるようだった。猛烈な暑さの下にいるからこそ、暑がりの彼女の声に元気がなかった。


 結局、その後、翠は怜を誘ったが、彼女は珍しく土曜日に用事があるとのことで、今回は夢葉と翠の二人で行くことになった。


 そして、実は夢葉と翠の二人でツーリングに行くことは初めてのことだった。


 極端な寒がりの夢葉と、極端な暑がりの翠のデコボココンビの、初のナイトツーリングは、翌週の土曜日の深夜に行われることになった。


「事前に、昼間寝とくんやで。ねぶたくなるやに」


 三重弁でそう言って、注意してきた翠。


 その言葉に従って、翌週の土曜日、真昼間からクーラーをつけて、寝ていたら、さすがに「だらしない」と母に文句を言われた夢葉だったが、何とか仮眠を取ってからナイトツーリングに行くことになった。


 面倒くさいため、父にバレないように、夜の9時頃。彼女はわざわざ自宅からバイクを押して、しばらく行ったところで、エンジンをかけて出発した。


 言い訳としては、「友達の家に泊まりに行く」というもっともらしい言い訳をしていた。


 翠との待ち合わせは、夜の10時。場所は首都高速4号新宿線の永福パーキングエリアだった。


 自宅から、府中市を経て、中央自動車道の調布インターチェンジから高速道路に乗る夢葉。


(ちょっと蒸し暑いけど、太陽の光がないだけで、だいぶマシだなあ)


 そう思いながら、夜の高速道路を走っていた。

 この時期、直射日光を浴びないだけでも、かなり快適さは異なる。


 夜間走行はもちろんしたことがあった彼女だが、都心の夜を走るのは初めてだった。


 彼女が思っていた以上に、都心の夜は様々な光に溢れていた。所狭しと建ち並ぶビルから漏れる明かり、無数の信号機の明かり、そして無数に連なる高速道路の街灯。


 路面も明かりのお陰で思っていたよりも、見やすいと感じていた。


 やがて、高井戸インターチェンジを越えた辺りから、首都高速4号新宿線に入る。ここからは別料金になる。


 初めて走る首都高は、彼女の予想よりもはるかに道幅が狭く、高速道路にすら見えなかったが。おまけに制限速度が通常の高速道路よりもかなり低い。


 9時50分頃に到着した、永福パーキングエリアは、さらに彼女を驚かせた。


(何、ここ狭い!)


 そう、都心部の入口に当たるこの永福パーキングエリア。

 特徴は狭いことだった。


 通常の高速道路のパーキングエリアやサービスエリアのイメージからは程遠いほど、駐車スペースが狭い上に、バイクを停める「二輪車」と地面に白く書かれたスペースは、赤と白のポールに挟まれた、さらに狭苦しい空間だった。

 おまけに、パーキングエリア自体の幅が狭く、すぐ近くに高速道路の路線があって、何だか落ち着かない、と彼女は感じる。


 その二輪車スペースには、既に翠のZX-10Rが停まっており、夢葉はバイクを降りると、その小さな入口からパーキングエリアの建物に入った。


 翠は自販機の前で缶コーヒーを飲みながら、モニターに映し出されている首都高の路線図を眺めていた。


「翠さん。待ちました? すいません」


 軽く挨拶をすると、翠はいつものように、にこやかに笑みを返してきた。


「いや、大丈夫やで。しかし、ホンマに暑いな。こないな時に昼間なんて、走ってられへんやに」


 夢葉も薄手の夏用ジャケットを着てきていたが、翠もまた長袖ではあるが、薄いメッシュのジャケットを着ていた。


「本当ですね。それで、今日はどこに行くんですか?」


 プランを聞く夢葉に、翠は楽しそうに、


「ええところや。全部バラしたら、楽しさ減るやろ。私に任せとき」


 と、お茶目にも見える笑窪を作って微笑んだ。その姿が可愛らしいと思う夢葉。怜とは違う、女性らしさと優しさ、そして愛嬌を持つ翠のことを夢葉は、人間として好きだったし、信頼していた。


 そのため、この一見、「ミステリーツアー」にも思えるナイトツーリングにも同意した。


 翠の先導で、首都高を走る夢葉。


 唯一、心配だったのは、排気量が1000ccもあるZX-10Rについて行けるかどうかだったが、心根が優しい翠は、その辺は考えていたらしく、夢葉のスピードに合わせて、速度を落としていた。


 翠は4号線からC1と呼ばれる首都高都心環状線に入り、そのままくねくねとカーブばかりが続く首都高を走って行く。


 後ろにいた夢葉は、初めて体験する、夜の首都高に感動していた。


(明かりがキレイ! さすが首都、東京の夜だなあ)


 同時に、時間が遅いこともあり、道路上にも車が少ないことが、快適さを助長していた。


 翠は、やがて6号向島むこうじま線から、7号小松川こまつがわ線に入る。道路標識には、真っすぐ行くと「千葉」の標識が見えてくる。


 だが、正直、夢葉には土地勘がなかった、というか方向感覚がよくわからなかった。


 何しろ、複雑で分岐点も多い首都高。走っていると、次々に道路標識が出てきて、すぐに分岐点に当たる。


 ある意味、一瞬でも気が抜けない。気を抜くと、すぐに道を間違えそう、と思っていた。


 そして、どこに行くのか、予想もついていなかった夢葉の目に、巨大なイルミネーションが見えてきた。


 それは、天に伸びる一本の青白い光だった。都会の無数の中で一際目立っているそれは、東京スカイツリーだった。


 翠は、錦糸町きんしちょうの出口で一般道に降りた後、真っすぐそのタワーを目指していたから、途中で夢葉は気づいてしまった。


 その予想通り、東京スカイツリーの真下にある、ソラマチ西駐車場に翠は入って行った。


 そこはバイクも駐車スペースがきちんとある、整備された駐車場だった。


 バイクを降りた後、翠に従う夢葉。


「スカイツリーに行くんじゃないんですか?」


 いきなりタワーから遠ざかっていく翠の背に夢葉が声をかけると。


「今から行ってもそもそもやってへんやろ。それより、ええところがあるで」


 時刻はすでに夜の10時30分を回っていた。そもそも東京スカイツリーの営業時間は朝の9時から夜の9時までだった。


 駐車場から川を渡って、10分ほど歩くと、橋の上で足を止めた翠。そこは十間橋じゅっけんばしという小さな橋だった。翠は振り返り、


「どうや? ここからの眺めはええやろ?」


 と笑顔を見せた。


「うわぁ」


 振り向いた夢葉の目に映ったのは、きらびやかに青白く輝く東京スカイツリーの雄姿だった。しかも、その橋の上からはその壮大なタワーが真正面に見える。


 高さ634メートルのこの電波塔は2012年に完成。東京タワーに変わる新たな、東京のシンボルマーク的な存在になっており、日々多くの観光客を呼び込んでいる。


 その東京スカイツリーは、実は毎日24時までライトアップされているのであった。


 昼間とは違う、その神々しくも見える姿に、初めて見る夢葉は言葉を失った。


「昼間は来たことありますけど、夜は初めてです。キレイですね。絵になる風景です」

 そう言って、携帯カメラで写真を撮る夢葉。


「まあ、私も三重県から上京してすぐにここに来たさかい。ある意味、お上りさんの憧れみたいなもんやんな」


 翠もまたそう言って、写真を撮っていた。



 なんだかんだで時刻は夜の11時を回り、もうすぐその日が終わるというのに、彼女たちは、東京スカイツリーから再びバイクを飛ばす。


 今度は、駒形インターチェンジから首都高6号向島線に再び乗り、C1都心環状線を経て、都心を一気に縦断し、1号羽田線から11号台場線に入った。


 やがて、目に飛び込んできたのは、黄色と薄い青色に輝く二本の巨大な柱と、そこから釣り下がるように続く巨大な橋だった。


(レインボーブリッジだ! すごい!)


 これもまた、昼間にしか見たことがなかった夢葉の目を奪うのに十分だった。なお、右手後方には赤く輝く東京タワーもわずかに見えている。


 これらの建物がライトアップされるのが24時までであり、言わば今がギリギリの時間だった。


 翠は、レインボーブリッジを渡ると、再度高速道路を降り、巨大なショッピングモールが建ち並ぶお台場を走る。


 そして、そのうちの一つの、大きなショッピングモールの駐車場に入って行った。


 バイクを降りて、すぐ近くにある「お台場海浜公園」に向かう二人。


 そこからは、ビルの灯りが水面に映る幻想的な風景を眺めることができる。土曜日の夜ということもあってか、ロマンチックな夜景を目当てに、多数のカップルや家族連れが集まっていた。


 地方ではなかなか見られない景色に、翠は、


「ええもんやろ、ここ。昼間はえらい混むさかい、私は夜しか来ないんや」


 などと言っていたが、反面、夢葉は、


「でも、ここってカップルで来るところじゃないですか? 女二人で来る私たちって、なんか虚しくないですか。っていうか、翠さん、彼氏いないんですか?」


 と前から気になっていたことを直接、本人に聞いていたが。


「ええやん、そないなことは」


 と、どこか照れ臭そうな表情をしながら顔を背けてしまったのだった。


(この反応。もしかして、翠さん。気になる男性でもいるのかな)


 と、少し勘ぐっていた夢葉。もっともそれは彼女のただの推測に過ぎなかったが。


 ここでしばらく公園を歩きながら、レインボーブリッジを眺め、写真を撮り、休憩していると、時刻は0時を回り、日曜日になっていた。


 二人は、コンビニでアイスを買って食べたり、ぶらぶらしているうちに、0時30分を過ぎており、翠の先導で再度、出発。


「翠さん。これで終わりですか?」


「いや、まだ横浜があるやに!」


 深夜にも関わらず、いやむしろ深夜だからこそ、暑がりな翠は元気よく声を上げていた。



 次に向かった先は、横浜市。


 その前に、二人が走った道路は、首都高湾岸線だった。


「おお! これは気持ちいい!」


 走りながら夢葉が思わず声を上げるくらい、この道は爽快だった。


 首都高湾岸線は、ほぼ全区間が6車線で構成されている。つまり片側3車線であり、首都高の多くが制限速度が50キロや60キロであるのに対し、ここは制限速度が80キロだった。


 また、カーブが多い首都高の中で、直線区間が長く、近未来的な風景が広がり、人気のあるコースだ。


 しかも、この湾岸線のうち、川崎市の浮島うきしま料金所から西行き、つまり横浜市の大黒だいこくふ頭方面は、オービスすらないため、違法暴走車が未だに多い。

 特に週末の深夜になると、高級外車やスポーツカー、高性能バイクでかっ飛ばす連中が多いため、実は定期的に警察の高速隊やパトカーが巡回している。


 この日も、御多分に漏れず、夢葉や翠の横を、とんでもないスピードで駆け抜けて行く車が多かった。


 彼女たちは、一応は速度を落としていたが、それでも流れが速いこの区間、そして深夜の交通量の少なさから、平均速度は上がり、常時90~100キロは出していた。


 夢葉は、初めて走る湾岸線を堪能していた。


 道の両脇にはもちろん、都心ならではの多くのビルが立ち並ぶが、途中から右手に巨大なターミナルビルが見えてくる。


 それは、羽田空港だった。


 元は、国内専用の東京の玄関口だった羽田空港だが、国際線が開港したことで、さらに拡張し、今や巨大なターミナル空港になっている。

 しかも、国際線ターミナルは24時間稼働状態である。


 深夜でも明るい羽田空港の国際線ターミナルビルや滑走路を眺めながら、さらに走る二人。


 浮島ジャンクションを越え、トンネルをくぐったあと、今度は巨大な工業地帯が広がる景色になる。


 東扇島、扇島と呼ばれる地帯で、社会科の授業では「京浜工業地帯」と習う場所だ。この辺りには、数多くの工場や物流センターとなる拠点があり、日本有数の工業地帯であり、ある意味では、日本経済を支えている場所でもある。


 20分近く走った後、「大黒パーキングエリア」の標識が見えてくるが、夢葉には不思議に思ったが、翠はそこには入らなかった。


(あれ、入らないのかな?)


 と思う夢葉の目の前に再び巨大な橋脚が姿を現し、彼女の目を奪う。


 深夜0時を過ぎていたため、ライトアップこそされていなかったが、周囲に輝く無数の黄色い街灯に照らされて、白く浮かび上がるそれは、「横浜ベイブリッジ」だった。


(おお! これが横浜ベイブリッジか)


 感動屋の夢葉は、いちいち感動の声を心の中で上げていた。


 翠のZX-10Rは、橋を渡り終えると右折し、新山下料金所を通って、横浜市街に降りた。


 夢葉が、どこに行くのだろう、と思っていたら、彼女は坂を登り、とある公園前の入口の石畳のような場所でバイクを停めた。


 すぐ近くに、


 港の見える丘公園。


 と書かれてあった。


「へえ。ここが『港の見える丘公園』ですか。なんかドラマとかで見たことありますね」


「せやろ。まあ、有名やからな」


「ところで、翠さん。どうして大黒パーキングエリアには寄らなかったんですか?」


 公園内にある展望台に向かう途中、夢葉は歩きながらそう尋ねていたが。

 翠は、渋い表情を浮かべて、


「いや、あそこはな。なんちゅうか、ガラが悪いんや。特に週末になると、ヤンキーまがいの族車ぞくしゃやら暴走族やらが集まってな」


 と呟いた。


 夢葉は、思い出し笑いをするように、


「それって、丸っきり怜さんみたいですね」


 とクスクスと笑いながら返したが。翠の反応は夢葉には意外なものだった。


「そう言えばそうやな。せやけどな、夢葉ちゃん。怜はホンマにヤンキーやないんやで」


「えっ、マジですか? どこからどう見てもヤンキーじゃないですか?」

 出会ってすぐの頃。本人は、確かに否定していたが、夢葉はずっと怜をヤンキーだと思っていたから、その一言は彼女には衝撃的だった。


「あいつは家庭の事情が複雑やさかい。まあ、確かに昔はヤンキーまがいの連中とつるんどったらしいんやけどな。根は真面目な奴なんや」


 夢葉には意外に思えるほど、翠は怜のことをまるでかばうかのように、そう言っていたのが夢葉には印象的だった。


 だが、振り返ってみれば、確かに怜は不愛想だが、その反面、どこか不器用でバカ正直で、言ってみれば、誤解されやすそうな損な性格をしているように見える。その実、将来のこともちゃんと考えていて、真面目と言われればそうかもしれない、と夢葉は思い直すのだった。


 怜の家庭の事情がどの程度、彼女の人格形成に影響を与えたかはわからなかったが、少なくとも夢葉には、怜がどうしようもないほどの、不良娘には見えなかったのも事実だったからだ。


 そして、二人は展望台にたどり着く。


「ロマンチックですねー。それこそ彼氏と来るところですよー」


 夢葉は、目の前に広がる、黄色や水色に淡く輝く港町、横浜。そしてその向こうに見える横浜ベイブリッジや真っ黒な海に溜め息混じりの声を上げていた。


「せやな。ほんなら、ちょっと座ろか」


 丁度、いくつかの柱が建ち並び、その上に曲線のひさしがある部分が展望台にあり、柱の下にベンチがあったので、二人は腰かけた。


 周りには、深夜にも関わらず、人がまばらにいる。そのうちの何人かは若いカップルだった。


 丁度、隣り合うように座る形になり、距離が近くなる二人。

 改めて、翠は身長が高く、カッコいい割に、愛嬌のある笑顔が可愛いと思う夢葉だったが。


「そないなこと言うて、夢葉ちゃんこそ彼氏おらんのかいな」


 いつの間にか、恋バナ談義に花を咲かせている女子二人がそこにいた。


「ええー。いませんよ。ちょっといいかもーって思う子がいたと思ったら……」


「思ったらなんや?」


「その子、実は男の子じゃなくて、女の子になってましたー」


 松島涼のことを思い出しながら、苦笑いを浮かべる夢葉。翠は、


「なんや、それ。どこのギャグ漫画や」


 と、拍子抜けしたように口に出したが。


 夢葉が、涼の事情を丁寧に説明すると。

 さすがに翠は、申し訳なさそうな、気の毒な人を見るような目で、


「そら、また何ちゅうか、すごい話やな」


 と溜め息をついていた。


「でしょ? ありえないですよね。今度、紹介しましょうか、その子」


「何アホなこと言うとるん? 私はノーマルや」


 珍しく翠が、感情を露わにして、怒ったように言ったが、その目元は笑っていた。


「翠さん。そんなに可愛いんですから、すぐに彼氏なんて出来ますよ」


「それを言うなら、夢葉ちゃんもやろ」


 お互いにお互いを「可愛い」と言ってしまったためか、何だか微妙な、というか気恥ずかしい雰囲気になってしまう二人。


「ほんなら、いつか合コンでもやるか? 大学生なら合コンやろ」


 翠は、大学生女子=合コンをする。という安直とも言えるような考えを平然と口にしていたが。


「えっ、やるんですか、合コン! じゃあ、行きますよ」


 何気なく口にした翠には意外なくらい、夢葉は乗り気なようだった。


「ふわああ」


 さすがに深夜1時を過ぎ、眠くなってきていた夢葉が大きなあくびをする。


「ねぶたくなってきたか。ほんならそろそろ行こか」


「行くって、どこにですか? さすがにこんな時間に営業してる店なんてないですよね?」


 ところが、夢葉の予想に反し、翠は相好を崩して、いたずらっぽく笑って答えた。


「それがあるんやな。やっぱ東京は都会やんな。24時間営業の店に連れてったる」


 そう言って、バイクを停めた場所に戻る翠を追う夢葉。


 その前に眠気覚ましのコーヒーを飲み、なんだかんだで、この公園を出発したのは、深夜2時を過ぎていた。


 そこから翠は、国道16号を使った。


 深夜2時を過ぎ、交通量がだいぶ減っているため、日中のような渋滞もないことも考え、また距離的にも下道で十分と判断したためだった。


 昼間とは打って変わって静まり返った横浜の中心街を抜け、やがて、人がほとんどいない深夜の街を1時間あまり走った後、脇道にそれて、今度は国道129号に入る。


 ここは片側2車線から3車線はある大きな国道だが、深夜でもトラックが多く走っている。


 ある意味、首都圏の物流を支えている主要国道でもあり、そういう意味では国道16号と同じく、「眠らない国道」とも言える。


 翠は、道路の左側に見えてきた、大きな赤い看板のある店の駐車場に入って行った。


 バイクを降りる二人。


 目の前にあったのは、24時間営業のラーメン屋だった。


「ここや」


 胸を張るように、指を差す翠に対し、夢葉はどちらかというと不満のあるような、渋い表情を浮かべていた。


「ええー。深夜にラーメンですか? 全然、女子っぽくないですよ。ってか絶対太りますよ」


 だが、翠はけらけらと明るい声で、


「大丈夫やって。そないに心配せんでも。毎日来とったら、そら太るかもしれへんけど」


 と笑いながら、渋る夢葉の背中を軽く押した。


 渋々、従う夢葉。


 ラーメン屋でメニューを眺める夢葉の表情はやはり重苦しかった。


(うっわ。これ、めっちゃ濃いラーメンじゃん)


 見るからに、味付けが濃いように見え、いかにも体に悪そうに見えた。というよりも、むしろ「男の人」が好んで食べる味に見えたのだった。


 ところが、翠は嬉々として、そのメニューの中で一番濃いと思われるラーメンを頼んでいた。


 仕方なく、諦めた夢葉は、できるだけ濃くなさそうなラーメンを選んで頼んだ。それは塩ラーメンだった。


 券売機で注文を選んで席に着くと、店員がやってきて、麺の硬さ、味の濃さ、脂の濃さを聞いてくる。


 翠は、


「麺は普通、味は濃い目、脂も濃い目」


 と夢葉が驚くくらい、挑戦的に頼んでいた。


「わ、私は、麺は普通、味も脂も普通でいいです」


 恐る恐る、しかし翠がいる手前、完全に薄めにするのも何だか気が引けた、夢葉が注文する。


 やがて、運ばれてきたラーメンは、太い縮れ麺に、脂がスープ上にはっきりと浮いている、いかにも体に悪そうな濃いラーメンだった。


(普通って言ったじゃん!)


 後悔する気持ちと、予想外の脂の量に夢葉は、たじろぐ。


 そんな中、嬉々として箸を進める翠。


 ふと、夢葉が周りを見ると。


 土曜日の深夜のためか、意外なほど客は入っていたが、それでもほぼ9割が男だった。それもいわゆるガテン系の、体格のいい男ばかり。


(うわぁ、私たち、場違いだなあ)


 そう思いつつ、食べるしかない彼女。


 少し癖がある、塩とんこつに近いラーメンだったが、夢葉の予想に反して、味自体はしっかりしていて、美味しいものだった。


「はあー。食った食った」


 食後に、おっさんのように、自分の腹をポンポン叩いている翠を見て、


「太りますよ、翠さん。ってか、もう完全に女子捨ててませんか?」


 苦笑いを浮かべていた。


「ええんや。こないな深夜に、誰も見てへんし。私も仕事のストレス発散したかったさかいな」


「そうですか。やっぱ、お仕事大変なんですね」


 少し遠い目をして見せる夢葉。まだ彼女には、仕事をすることがどれだけ大変か、わかっていなかった。


「そうやで。いずれ夢葉ちゃんにもわかる。っていうか、バイトでもしたらどうや?」


「バイトかあ。そういえばしばらくやってないですね」


 そう言われて、夢葉は高校時代に、ファミレスでバイトをして以来、ずっとバイトをしていないことに改めて気づいた。


 それはもちろん、大学生とはいえ、実家暮らしの彼女には、そもそもバイトをする必要性がなかったからだ。


 だが、翠の言うように、社会人としての勉強という意味では、たとえバイトと言えど、役に立つのかもしれない。


 そう薄っすらと考えるのだった。


 結局、二人でラーメンを食べ、ラーメン屋を出たのは深夜3時30分を回っていた。


 そこから、それぞれの自宅まで約1時間。


 家に着く頃には、真夏の気が早い朝日がもう顔を出していて、またもや強烈な太陽光を送りつけてきていた。


 夢葉は、帰宅途中にある翠の家で昼まで寝ていけばいい、と翠から言われたが、親に嘘をついている後ろめたさがあった彼女は、それを丁重に断り、早朝に家に帰宅。


 出てきた時と同じように、手前でエンジンを切り、バイクをこっそり押して、自宅の敷地内に入れてから、忍び足で家に入り、自室に向かうのだった。


 彼女たちの夏はまだ続く。

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