24. お伊勢参り(前編)

 3月。

 それは別れの季節。


 夢葉にとって、バイクを通して、仲が良くなった二人の先輩、怜と翠が大学を卒業した。

 もっとも、大学の卒業式は、中学や高校のような大がかりなものではなく、夢葉の通う私立大学の卒業式は、実にあっさりとしたものだった。


 卒業証書をもらい、各々が親しい先輩、後輩たちとの別れを惜しむ中、夢葉は卒業生となった怜と翠に、いつものように大学構内のカフェテリアに呼ばれていた。


「卒業おめでとうございます。何だか寂しいですね」


 そう呟く夢葉だが、特に涙など浮かべていなかったし、特別、ものすごく寂しいというような感情は持っていなかった。やはり中学や高校のように、毎日会うわけではないからだろう。


 それに、夢葉は怜、翠とバイクを通じて知り合い、仲良くなっていたから、バイクに乗ればいつでも会えるという気持ちがあった。


「まあ、卒業したところで、バイクライフは全然変わらないけどな」

 怜は卒業証書を胸に抱きながらも、あっさりとした視線を宙空に漂わせている。


「せやな。それより、せっかくやし、卒業記念ツーリングに行かへん?」

 一方、翠は卒業証書をすでにリュックの中に入れており、目を輝かせながら、身を乗り出ように、口を開いた。


「卒業記念? どこに行くんだ?」


「お伊勢いせ参りなんてどうや? 案内するやで」


 卒業生の二人が盛り上がる中、夢葉は、


「お伊勢参りですか? いいですね。私、伊勢神宮って行ったことないんですよ」


 と興味深そうに翠に視線を送るが。


「お伊勢参りって、要はお前、実家に帰りたいだけだろ?」


「バレてもうたか。ついでやからな。久々に帰ろうと思ってな。ウチに泊めたるで。宿泊代も浮くやん?」


「翠さんの実家ってどこですか?」


 その質問に対する、翠の回答が、夢葉には意外なものだった。


松阪まっつぁかや」


「まっつぁか?」


「松阪市だろ?」


 キョトンとした顔で、反復する夢葉に、怜が助け舟を出す。


「三重じゃ、誰も『まつさか』なんて呼ぶ奴はおらんだけや」


「へえ。面白いですね」


 と、いうことで、あっという間に卒業記念ツーリングの行き先が決まっていた。変に悩まず、フットワークが軽く、決断力が早いのもある意味、バイク乗りの特徴とも言えるが。


 あれよあれよという間に、卒業記念ツーリングの日程が決まっていく。


 1日目。埼玉県から三重県まで高速道路で移動。伊勢神宮参り、翠の実家泊。

 2日目。伊勢南のパールロードから志摩方面に向かう。ついでに青山高原に行って再度、翠の実家泊。

 3日目。帰り。


 2泊3日のツーリングになる予定だ。


 出発は、3月末。ちょうど祝日があり、3連休になる日があるので、その時に行くことになった。



 あっという間に3月末のツーリングに行く日。

 3人は、今回、翠が住んでいるマンションの前に集まり、そこから行くことにしたのだが。


 問題は、高速道路に乗ってから待っていた。


 それは渋滞だった。


 3連休初日。天気も悪くなく、春めいていたから、東京から郊外に向かう車で、朝から東名高速道路が大渋滞を引き起こしていた。ある意味、これは首都圏名物だったが。


 3人は、何とか高速道路ですり抜けをして、進むが、行けども行けども終わらない数十キロの大渋滞から、さすがに疲れてくる。


 やがて、足柄あしがらサービスエリアで3人はバイクを降りた。


「何でこないにつんどるんや。ホンマに面倒臭いやに」


 降りて、ヘルメットを脱いだ途端、翠が三重弁で毒づく。「つむ」とは三重弁で渋滞していることを意味する。


「仕方ないさ。3連休なんだから」


「首都圏って人が多すぎなんですよね。しかもみんな一斉に移動しますし。でも、すり抜けって結構神経使うから、私も嫌いです」


 やっと渋滞を抜けた3人は、ここでようやく一息ついて、飲み物を飲んで休んだ後、出発する。


 御殿場ごてんばジャンクションからは、新東名高速道路に入る。


 実は、夢葉はこの高速道路を走るのは初めてだった。この新東名高速道路は、東名高速道路が混むため、それに並行して造られた、言わば「第二東名高速」だが、ここの売りは、なんと言ってもその制限速度だった。


 通常、高速道路の最高速度制限は時速「100キロ」だが、ここは時速「110キロ」だった。


 元々高速走行が得意なZX-10RやTZRの二人に対し、ネイキッドで馬力も少ない夢葉のレブルはそんなに高速走行が得意ではなかった。


 最初、翠、夢葉、怜の順番で走っていたが、あっという間に怜に追い抜かれていた。


(くっそー。このレブルで110キロはキツい!)


 そう思いながらも、彼女は、右側に絶えず映っている、雪をかぶった富士山を見ながら、カーブの少ない快適な新東名高速を駆け抜ける。


 だが。


(長い! 静岡県って、ホント、横に長いなあ)


 行けども行けども、静岡県からは抜け出せない。

 横に長い形をしている静岡県は、昔は東から伊豆いず国、駿河するが国、遠江とおとうみ国と三つの国だったものが一つになったため、ひたすら長い。


 幸い、朝から出発し、すでに渋滞を抜けたため、足柄サービスエリアから約1時間30分ほどで浜松サービスエリアに到着。


 ここで早いが、昼食を取ることになった三人。


「浜松といえば、やっぱうなぎやん」


 翠が意気揚々とレストランで、うなぎを注文する。


 だが、怜は。


「うなぎもいいけど、最近は、『浜松餃子ぎょうざ』も有名だぞ」


 と餃子を注文。


「うーん。じゃ、私はせっかくだから、翠さんと同じうなぎで」


 夢葉は迷わずうなぎを注文。


 一息つく、三人。


「翠さん。伊勢神宮まであとどれくらいですか?」


 注文が届くまでの間、夢葉は翠に聞いていた。


「せやな。高速使つこて、あと2~3時間ってところやな。渥美あつみ半島の伊良湖いらご岬から伊勢の鳥羽とばまでフェリーを使うっちゅう手もあるんやけどな」


「へえ。フェリー、いいですね」


 目を輝かせる夢葉。彼女はすっかりフェリーでの旅が好きになっていた。元来、のんびり屋の彼女は、ただ走るより、フェリーでの移動の方が楽だし、旅情をかき立てると思っていたからだ。


「まあ、行きは直接、伊勢神宮に行きたいし、帰りに使わへん?」


「わかりましたー」


 そして、ようやく運ばれてくる、浜松のうなぎと、浜松餃子を堪能する三人。


 うなぎは、最初から切り身にされて出されてくる。早速蓋を開けると、なんとも香ばしい香りが夢葉の鼻腔をくすぐる。


「美味しい! 皮はパリっとしてるし、身はサクっとしてるし、いくらでも入りますね!」


 その単純な語彙力で、うなぎの美味さを表現し、口に運ぶ夢葉。


「この浜松餃子も美味いぞ。あっさりとした野菜の中に、豚肉のコクがある。食ってみるか?」


 怜は美味しそうに餃子を運びながらも、夢葉に一個譲っていた。

 礼を言って、それを口に運ぶ夢葉の表情が、一気に幸せそうな喜色に変わる。


「確かに美味しいです! うなぎも餃子も関東で食べるものとは一味違いますね」


 そんな二人を横目に、翠は黙々とうなぎを食べていた。彼女は彼女で単純に腹が減っていたようだった。



 食事休憩後、再び走り出す三人。

 今度も翠が先導し、怜、夢葉と続く。


 そこから先は、夢葉にとっては未知の領域だった。

 長い静岡県がようやく終わり、愛知県の標識が出てくる。次第に高速道路の両脇に、高いビルや多くの住宅街が目立つようになる。


 名古屋市だった。


 さすがに、東京、大阪に続く第三の都市圏人口を誇る大都市圏、名古屋。ビルや住宅街ばかりの街並みは東京と変わらないように夢葉には思えた。


 いつの間にか伊勢湾岸自動車道に入っているが、しばらくいくつかのジャンクションを越えると、やがて両脇に水が見え始める。


 そう。ここは名古屋港を横に突っ切る形で作られた、ちょっとしたベイサイドの高速道路。しかも、車線は片側3車線もある。海風を浴びながら走る、気持ちいい上に、走りやすい快走路だった。


 やがて、左前方に大きな観覧車やジェットコースターなどが見えてきた辺りで、先頭の翠がパーキングエリアに入った。


 湾岸長島パーキングエリアだった。


「翠さん。あれ、何ですか?」


 ヘルメットを脱いで、興奮気味に、大きな建物を指さしながら、夢葉が子供のように尋ねるのを、翠は愛らしく思っていた。


「あれは、ナガシマスパーランドっちゅう、遊園地や」


「遊園地? デカいですね! 何だかディズニーランドみたいで、楽しそう!」


「いや、さすがにディズニーランドよりはデカくないだろ」


 突っ込む怜。


 そして、翠はというと。

 

「ようこそ三重県へ。もうここら辺は三重県やで」


 満面の笑みを浮かべていた。


「えっ。もう三重県なんですか?」


 驚く夢葉に、翠は、


「そうやで。大体、さっき渡った木曽川が境になっとるんやけどな」


 少し苦笑しながらもそう微笑んでいた。


 休憩後、三人は、伊勢湾岸自動車道から東名阪自動車道に入り、伊勢自動車道と一路南へ進む。


 途中から道路脇には、「伊勢神宮まであと何キロ」という鳥居のマークのついた、道路標識がやたらと目立つようになる。


(何だか、まるで伊勢神宮専用道路みたい)


 と、その頻繁に現れる鳥居マークの標識を見て、夢葉は思っていた。


 ところが、その肝心の伊勢神宮最寄りの伊勢インターチェンジは、なんと参拝客で混みすぎて、閉鎖になっていた。高速道路の電光掲示板に、伊勢神宮へ行く際は、手前で降りるようにと案内が出ている。


 手前の伊勢西インターチェンジで高速道路を降りる翠に従う二人。


 そこから、目的地まではわずかな距離だった。翠の案内で、伊勢神宮の「外宮げくう」と書かれた場所へ入って行き、駐車場でバイクを停めた三人。


 夢葉は降りて、ヘルメットを脱いでから、気になったことを翠に尋ねていた。


「翠さん。なんかもう一個、伊勢神宮って書いてある場所がありましたけど」


 そう、伊勢神宮と書いてある道路標識には、もう一つ、「内宮ないくう」と書かれたものもあった。


「あー、それはなー。伊勢神宮っちゅうのは、『外宮げくう』と『内宮ないくう』に分かれててな。正式には外宮、内宮と回るのがええらしいっちゅう話や」


「へえ」


「伊勢神宮だけで、伊勢市の六分の一にもなる面積っちゅう話や」


「六分の一。デカいですね!」


 いちいち、大げさに反応する夢葉が、翠には何だか好ましく思えていた。


 早速、翠の案内で外宮を回る三人。

 しかし、ちょうど連休の昼頃、天気もいいことも手伝って、伊勢神宮はものすごい人出だった。


 手水舎ちょうずやで手を洗い、境内に入ると、ゴールデンウィークやお盆でもないのに、すごい人出だった。


 それも、年寄りが多いイメージを覆すように、若いカップル、家族連れ、女性同士、ライダーなどかなり多種多様な人が訪れていることがわかる。


 まるで初詣のように、参拝するのに行列に並ぶ三人。


 怜は、こういうのが苦手なのか、少しうんざりしたような表情を浮かべていた。


「人、多すぎだろ」


 と、溜め息混じりに呟く怜。


「まあ、ここは一種のパワースポットみたいなもんやからな。しゃーないんや」


 翠はそう言いながらも、笑顔だった。彼女は彼女で、故郷に戻ってきたのが、嬉しいように夢葉には思えた。


「でも、何だか面白いですね!」


 夢葉は、参拝を済ませ、境内を回り、巨大なご神木を見たり、不思議な石を見たり、小さな社を回ったりと、満ち足りた笑顔を浮かべていた。


 ようやく人混みから解放されて、外宮のお参りを済ませた三人。


「じゃあ、次は内宮に向かいましょう!」


 やたらとテンションが高く、楽しくなってきた夢葉は、自らが先頭に立ち、内宮を目指していた。


「ちょ、夢葉ちゃん。場所、わかっとるんかいな?」


「大丈夫ですよ。携帯ナビがありますから」


 翠の静止にも聞く耳を持たない、妙に明るい夢葉に、二人は苦笑いを浮かべながらも従う。


 内宮は外宮からちょうど高速を挟んで、南側にあり、深い森の中に鎮座している。

 その内宮まで着いたはいいが、バイクを停める駐車場がわからなかった夢葉は、車の駐車場入口付近に立っていた、おじさんに、


「あのー。バイクの駐車場ってどこですか?」


 と尋ねると。


「あんなー。バイクはあっちやんなー」


 という、翠よりさらに訛りの強いバリバリの三重弁が返ってくる。


「ありがとうございます」


 言いつつ、夢葉は内心、思っていた。


(改めて聞くと、三重弁ってかわいい!)


 いい歳したおじさんが、あんな柔らかいしゃべり方で、話しているだけでもそう感じていた。


 駐車場のおじさんが教えてくれたバイク駐車場はすぐに見つかった。しかも、車だと駐車場まで大渋滞を作っていて、いつ入れるかもわからない有様なのに、身軽なバイクはあっさりと駐車ができるのだった。


 こういう時に、身軽で機動性のあるバイクはメリットがある。


 伊勢神宮内宮は、駐車場から宇治橋という橋を渡って、境内に入るが、住宅街の中に森がある外宮とは違い、自然の森がどこまでも広がる内宮は、まさに大自然の中に鎮座している状態のようだった。


 広い境内を、これまた道幅の広い参道を通って、様々な社を周って行くが、やはりどこに行っても人が多い。


 何とか一通り、周り終えた頃には、すっかり日が傾いていた。


 このまま今晩の宿、つまり翠の実家に行くかと思っていたら、彼女は。


「ウチに行く前にちょっと寄り道したいんやけど」


 と言って駐車場には行かずに、歩いて向かった先には。


 おかげ横丁。


 と書かれた古い商店街のような場所だった。


「へえ。ここら辺、雰囲気あって、いいですね」


 周りには、昔ながらの古い日本家屋、つまり瓦屋根の、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、古い建物が道の両脇に続いている。

 そして、いくつもののぼりが建ち並び、店の宣伝や名物の表示を出していた。


 そんな賑やかな街が気に入った夢葉は嬉しそうに声を上げていたが、怜はやはり複雑そうな顔をしていた。というよりも、人混みが苦手な彼女は少し疲れたような表情だった。


「せっかくやし、おとやん、おかやんに赤福あかふくでもうて行くやに」


「おとやん? おかやん?」


「お父さん、お母さんっちゅうことや」


「なるほど」


 翠に従って、向かった先。


 そこは、三重名物で有名なお菓子、「赤福」が売っている店だった。

 そのピンク色の包装の特徴的なお菓子を二箱も買っていく翠。


 試しに、夢葉も買って、味見してみたが。

 それは真っ黒な和菓子で、餅を小豆でできた餡で包んだものだった。


「あっまーい! 美味しいけど、お茶が欲しくなりますね」


 頬張りながら、行儀悪くそう声を出す夢葉を、翠は、


「せやろな。まあ、この甘さがええ、っちゅうファンも全国におるんやで」


 と微笑みながら返していた。


 やがて、日が落ちてきたので、ようやく翠の実家のある松阪市に向かうことになった三人。


 伊勢神宮内宮からは、下道で約1時間ほどの距離だった。


 着いた先には、周りに田んぼが広がる、のどかな風景が広がっており、夜ということもあって、よく見えなかったが、古い瓦屋根の大きな家で、母屋と離れがあるようだった。


(もしかして、翠さんの家って、お金持ち?)


 そう思った夢葉だった。


「ただいまー」


 翠は、心なしか、普段よりも嬉しそうに見える笑顔で、玄関を開けた。

 お伊勢参り自体は、これで終わりなのだが、三人の旅はまだ続く。

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