41. 本当のキャノンボール

 年が明けた。


 その年の冬は、「厳冬」だった。

 東京周辺にも何回か雪がちらつくほどの気候になっていた。

 その影響は夢葉が住む埼玉県にも及び、2月のある日のこと。


 2月末の週末の金曜日。

 学校から家に帰った夢葉は、リビングで母と談笑する「彼女」の姿を久しぶりに見つけた。


 松島涼だった。そう、あの「男の」の涼だった。

 夢葉は、しばらくの間、彼女とは距離を取っていた。


 嫌いなわけではなかったが、やはり対処の仕方がわからないというか、男性としても女性としても気軽に接することに抵抗があったからだった。


 そのため、いつか彼女に誘われたツーリングも、自分から誘うことがなくなっていた。


「涼ちゃん」


 リビングに入ってきた夢葉に対し、涼は口を尖らせて、心なしか寂しげな表情を浮かべて答えた。


「夢葉ちゃん。全然誘ってくれないから、遊びに来ちゃいました」


「あははは。ごめんねー」


 母と同じような笑い方で、照れ笑いを浮かべる夢葉に対し、母の絵美と涼が、


「まあまあ、涼ちゃん。今日は泊まっていくんでしょ」


「はい」


 と答えたので、逆に夢葉は焦っていた。


(えっ。泊まるってマジ? いくら男の娘とはいえ、同じ部屋で寝るのはさすがに抵抗があるなあ。仕方がない。呼ぶか)


「ごめん。ちょっと待っててねー」


 そのまま廊下に出て、携帯電話で怜と翠を順番に呼び出していた。


「お願いします。今日だけは家に来て下さい!」


 いつになく必死に懇願する夢葉に対し、二人は。


「まあ、別にいいけどな。明日、休みだし、どうせ天気悪いだろ」


「ええで。みんなで女子会や」


 天気が悪くて、ツーリングに行けないことを悔しがっていた怜、そしてノリが良くて明るい翠は、あっさりと応じてくれ、それぞれ準備をしたら、バイクで家に来るということになった。


 天気予報では、その日は曇りのち雪。翌日は曇りのち晴れだった。しかも、今夜から雪が降り続き、積もるとも言っていた。


 リビングに戻り、どこかそわそわしている夢葉を不思議そうに眺めながら、涼は絵美から出された紅茶を美味しそうに、そしていかにも女の子っぽい、可愛らしい仕草で飲んでいた。


 夕方、ようやく怜と翠のバイクがほぼ同時に到着する。

 その両者が乗るバイクの爆音で、すぐに気づき、夢葉の表情は明るくなった。



 早速、二人を涼に紹介する。


「お二人のことは、夢葉ちゃんから聞いてました。よろしくお願いします」

 女の子らしい仕草で、小さく頭を下げる涼。


「お前が涼か。私も夢葉から聞いている。とりあえずよろしく」

 相変わらず、ぶっきらぼうな怜は、いきなり呼び捨てでそう言って、鋭い視線を向けていたから、涼は若干怖がっていたが。


「私も聞いとるで。色々とな。ま、よろしゅう」

 翠は、いつも通りの明るくて、屈託のない笑顔を浮かべていたが、その言い方にどこか含みがあるようで、夢葉には少し不気味に思えたのだった。


 運が悪いことに、その週末、父の亮一郎は仕事で、大阪に出張に行っていた。

 つまり、この家には「女」しかいない。約1名、男はいるが、ほとんど女みたいな物だった。


 珍しく、ツーリングではないのに、女ばかりが集まった黒羽家。「女が3人集まればかしましい」と言われるのに、5人もいるから、余計にうるさいことになった。


 夕食は、女の子ばかりで嬉しくなったのか、母の絵美がいつも以上に張り切って、手料理の特製カレーを振る舞ってくれ、食後、翠はもう持ってきた日本酒を飲んでいた。


 リビングに集まって、ソファーで談笑する4人。やがて、夕食の後片付けを終えた絵美がリビングに戻ってきて、


「みんな、お風呂に入る?」

 と聞いてきたが。


「それより、お母さん。せっかくこれだけライダーが集まってるし、外は雪だから、私、あのことを聞きたいなあ」

 夢葉の目がいたずらっぽく光る。

 事実、夕方以降、どんどん雪が降ってきており、このままだと確実に積もる方向に行き、彼女たちはどのみち、雪が溶けるまで身動きができない。


「あのこと?」

 キョトンとする母に、夢葉はかつて母自身が発言していたことを思い出しながら、こう告げた。


「キャノンボールだよ。昔、お母さんもやったんでしょ。詳しく聞かせて欲しいなあ」


「えっ」

 絵美の表情が曇るが、残りの三人は、それぞれ。


「私も聞きたいです、おばさま。確かお母さんも参加してたって聞きましたし」


「私も。確かオヤジも参加していたはずだし、『峠の女王クイーン』の実力を知りたいです」


「私もや! そないなおもろそうな話、聞くに決まっとるんやん!」


 涼も怜も興味津々のようで、既に酒が入っている翠も嬉々とした表情で、熱い眼差しを、すでに55歳を越える絵美に向けるのだった。


 絵美は、少し考え込むように、腕を組んでいたが、元来、乗せられやすい性質たちで、ノリもいいこの女性は、やがて、


「しょうがないわね。わかったわ。あなたたちヒヨッコに、『本当のキャノンボール』って奴を教えてあげるわ」

 吹っ切れたように、目を輝かせてソファーに腰をかけた。


 夢葉の母・絵美の口から語られる、「本当のキャノンボール」。それは、現代社会を生きる若者には衝撃的な内容だった。


 話は、またも遡る。30年以上前の「あの時」へ。



 1987年7月7日、七夕。


 未だ「昭和」の名を冠していたその時代、世は空前の「バイクブーム」だった。まだ携帯電話もなく、コンピューターゲームもファミコンが全盛期の頃だ。


 若者はこぞってバイクに乗った。同時に、日本では「バブル」が全盛期だった。


 『キャノンボール』。それは1981年のアメリカ映画で、アメリカ大陸横断の非合法レースを題材にした作品だ。

 その影響を受けた、「バイクブーム」当時の日本の若者たちは、本当にこれを真似た。


 東京の皇居から、北海道の屈斜路湖くっしゃろこまでを目指す、非合法レースを実際に毎年のようにやったという。


 誰が言い始めたのか、今となってはわからない。今のようにインターネットがあるわけではないし、自然発生的に生まれたのかもしれない。


 そして、映画の公開からすでに5年以上が経ち、毎年のように「キャノンボール」を行う若者たちを、国家権力が警戒していた。


 その非合法性を、「警察の威信」にかけて、止めようとしたのだ。


 キャノンボールは、通常、7月7日の七夕に開催された。


 そして、この日。


 皇居の北、平川門に無数のバイクが集まって、レースが始まる……はずだった。


 ところが、誰が聞きつけたのか、見たのかはわからないが、平川門付近に多数のパトカーが集まっているのを知った、参加者の一人が、当時流行していたポケベルを使って、わざわざ他の参加者に通達。


 出発直前に集合場所が変更された。


 皇居周辺には、いくつか警察施設がある。桜田門さくらだもんには警視庁、三宅坂みやけざかには麹町こうじまち警察署、皇居外苑には皇宮こうぐう警察本部や、警察の出張所など。


 だからこそ、彼らは手薄な平川門を選んだが、それも察知された。ところが、彼らにもキャノンボール参加者としてのプライドがあったから、皇居をスタート地点とするという点では譲れなかった。


 結果、皇居外苑前にほど近い、馬場先ばばさき門の交差点が出発地に選ばれた。


 7月6日、深夜23時50分。彼らは密かに集合した。


 その中に、旧姓の深川絵美もいた。当時、21歳。ちょうど、今の夢葉と同い年だった。


 周辺はバイクのエンジンが放つ、異様なエキゾーストノートに包まれていた。

 いわば、これは「バイクの祭典」みたいなものだった。


 日本中から「バカ」をやらかそうという連中が、自慢のバイクを持ち込んでいた。実際に、参加者のバイクのナンバーは、東京はもちろん、東は仙台や新潟、西は大阪、広島、さらには遠く四国や九州から来た強者つわものもいた。


 絵美は、その日に合わせて「最強」のバイクを調達していた。スズキ RG500Γガンマ、それも輸出仕様のフルパワー版で、当時、国産とは比較にならない、最高出力95PSも誇った、文字通りの「2スト最強」マシンだった。

 なお、国産仕様は、64PSと言われている。


 生産は1985年から1987年と短かったが、最高速度は時速246キロとも言われていた。


 しかも、当時はまだ「大型二輪免許」が取りにくい時代だった。1975年に400cc以上のバイクを乗るには「限定解除審査」という、いわゆる教習所ではなく、試験場での「一発試験」でのみ、取得可能で、その合格率は1%とも言われていたのだ。


 おまけに、オートバイ製造企業の自主規制が行われ、大排気量のバイクは750ccまでだった時代だ。


 絵美は、その超難関の試験を、持ち前の運動神経、抜群のバイク操作のセンスで一発合格していた。男でも難しい試験を彼女はすでにパスして、堂々と500ccのバイクに乗ってきていた。


 周りを見渡すと、そこはまさに当時のバイクのオンパレードだった。


 ホンダ NSR250R、最高出力は45PS。

 ホンダ VT250 スパーダ、最高出力は40PS。これには絵美の親友で、涼の母、旧姓の岩沼京子が乗っていた。

 ヤマハ FZR750、最高出力は77PS。

 ヤマハ TZR250(1KT)、最高出力は45PS。このバイクには怜の父の市振誠が乗って、参戦していた。

 カワサキ エリミネーター750、最高出力は77PS。

 カワサキ 500SSマッハ、最高出力は60PS。

 スズキ GSX-R750、最高出力は107PS。

 スズキ RG400Γガンマ、最高出力は59PS。

 スズキ GSX750 カタナ、最高出力は77PS。

 それ以外にも多数のバイクが集まり、総勢で30台以上は集まっていた。


 まだ、市振誠とは面識すらなかった絵美は、まずライバルとなりそうなバイクを品定めしていた。


(あいつだな)

 彼女が真っ先に目をつけたバイクは、スズキ GSX-R750。出力だけなら107PSもあるから、絵美のバイクは負けている。


 だが、絵美が乗っていたRG500Γは、「レースに勝つために生まれた、2スト最速マシン」だった。乾燥重量179キロのGSX-R750に対して、スズキ RG500Γは、156キロしかなかった。

 20キロ以上も軽い。

 その上、GSX-R750よりも速く、パワーバンドに入ると爆発的な加速力を持っていた。


 周りは、絵美と京子以外は、全員男だった。それも屈強な体を持つ者たちばかり。特に当時は、バイク乗り=不良のイメージが強く、実際に筋骨隆々の力自慢が乗っていることが多かった。特にGSX-R750の男は、見るからにゴツい、筋肉自慢の男に見えた。服の上からでもわかる、筋骨隆々の肉体がそれを証明していた。


 そのGSX-R750の男が、絵美の視線に気づき、おもむろに近づいてきた。


「おいおい、姉ちゃん。こんなのに参加して本当に大丈夫か? 途中で泣くなよ」


 その無遠慮な視線と、侮蔑的とも取れる言動に、絵美は腹立たしげに言い返していた。


「あら、男だけがバイクに乗れるわけじゃないわ。私が一番だって事、見せてあげる」


 ふん、と鼻を鳴らし、男はバイクに戻る。



 出発は、急いで行われた。

 何しろ、警察がいつ察知して追ってくるかわからない状況だ。


 7月7日、午前0時きっかり。

 無数のバイクから放たれる、エキゾーストノートが天に轟き、大地を揺らすかのように咆哮する。


 ついに「非合法」のキャノンボールはスタートした。


 彼らは真っすぐに首都高の神田橋かんだばし料金所に向かう。もちろん、高速道路を使うためだ。

 キャノンボールは、陸・海・空、基本的にどんな手段でも最速を目指すものだが、もちろん、普通のライダーなら真っ先に高速道路を選んだ。


 スタートと同時にいきなり強烈な加速で他者を圧倒し、絵美は一番乗りで料金所に到達。


 今のようにETCがない時代、このいちいち止まらないといけない料金所は、時間のロスになるので、貴重なアドバンテージになる。


 一番で高速道路に進入した絵美。


 いきなりスロットルを回し始めた。

 パワーバンドに入り、恐ろしいほどの勢いで加速するRG500Γ。あっという間に時速は150キロを越えていた。


 だが、当時のバイクは今と違って、性能は決して良くない。このバイクもまた例外ではなく、ブレーキはききにくいし、曲がりにくいし、スピードを出せば出すほど、「恐怖感」が半端なく襲ってくる。


(怖え! でも、私の前は誰にも走らせないぞ!)

 「男には負けたくない」と、最初から闘魂を燃やしていた絵美は猛烈な勢いでスピードを出して首都高を駆け抜けて行き、一気に後続集団を引き離していた。


 やがて、東北自動車道に入る頃には、後ろには全くバイクの姿が見えなくなっていた。


 絵美は、最初から「大間おおま」を目指し、大間に朝一番でたどり着くことを目指していた。


 つまり、当時は、青森県から北海道に渡るのに、ルートが3つあった。

 現在もある、青森~函館のルート。便数が一番多いが、時間が4時間かかる。同じく下北しもきた半島の大間~函館のルート。便数が少ないが、1時間半で函館に着ける。

 そして、現在はなくなった、津軽半島の三厩みんまや~福島のルート。約2時間で到着するが、便数が10時20分と15時20分の2本しかなかった。


 一般に、東京から青森まで高速道路で走る場合、時速が100キロ程度と想定しても9~10時間はかかる。それも休憩を想定していない場合だ。休憩を含めれば一般的には10~11時間はかかる。


 ところが、絵美はこれを7時間弱で行こうとしていた。それも大間まで。朝一番に出る大間からのフェリーの出発時刻が、午前7時だったからだ。通常なら11時間はかかるルートだった。


(怖いけど、今のうちに、一気に引き離してやる!)

 高速度域の恐怖、マシン性能の限界に挑戦するように、ひたすらスロットルを回し続け、休憩も取らずに、深夜の東北自動車道をひたすら走る絵美。

 スピードメーターは見ていなかったが、ほぼ200キロ近い速度で走っていた。


 まだオービスがない時代。

 怖いのは、警察のパトカーだけだった。


 そして、その頃、後続集団では大変なことが起こっていた。



「Zだ! ポリの奴ら、Zを呼びやがった!」

 参加者の誰かが叫んでいた。


 そう。追ってきたのは、日産 フェアレディZ  Z31型。当時、実際に警察に配備されていたパトカーで、「交機こうき」と言われる、交通機動隊とは別の、高速道路交通警察隊が使用していた。


 フェアレディZの中でも3代目で、生産は1983年~1989年。初代以来のロングノーズ・ショートデッキのプロポーションを踏襲しつつも、当時としては異例の速さを持つ車だった。


 しかも、その追ってきたパトカーは、3LのVG30ETを搭載する「300ZX」という型の車種で、最高出力は230PS/5200rpm、最大トルクが34.0kgmを誇っていた。0~400メートルの加速がわずか14.42秒だったという。


 ターボパワーに物を言わせたこのモンスターマシンは、先代のフェアレディ―Zや、当時のライバル車たちの性能を凌駕りょうがし、最高速度は235キロは出たという。まさに当時の「国産車最強マシン」だった。


 そんなマシンが、「キャノンボール」参加者の後方から、赤色灯を回し、サイレンを鳴らしながら追ってきた。


 キャノンボールの出発は、平川門から変更されたが、無数のバイクの爆音で、すぐに察知した警察は、高速道路交通警察隊に連絡。


 そこから「警察の威信」をかけて、警視庁所属のこのZ31型が出されていた。他にもパトカーが追ってきていたが、当然、Zの性能にはかなわず、かなり後方からゆっくりと獲物を追っていた。


 当然、追われたライダーたちは、死に物狂いでパトカーから逃げるため、休憩も挟まず、ひたすら深夜の高速道路を北上することになった。



 一方、絵美は、そんなことが起こっているなど、思いもせずに深夜の東北自動車道を爆走。


 夏の早い夜が明けた、4時30分頃には、当時まだ全線開通していなかった、八戸はちのへ自動車道を一部通り、八戸市街に入っていた。


 驚異的な速さだった。


 さすがに後続集団から離れすぎている彼女は、ここで少しだけ休憩して、コーヒーを飲んだ後、すぐさま大間を目指して出発。


 午前6時前には大間フェリーターミナルに到着していた。

 もちろん周りには参加者たちの姿はない。


 早速、手続きをして、フェリーに乗り込み、真っ先に北海道に向かっていた。もっともGSX-R750の男をはじめ、何人かはこの大間の出航時間には間に合っていたが。



 その頃、後続集団はパニックに陥っていた。


 フェアレディZは、執拗に追いかけてきていた。深夜中、追い回し、夜が明けても追跡は続いた。


 ライダーたちは、ヘバリながらも、追跡をかわすため、東北自動車道から3つの集団に分かれた。


 即ち、大間、青森、そして三厩だった。


 そのうち、一番多かったのが、三厩ルートだった。

 時間的に7時という時間は、間に合わないため、大間は一番少なく、青森は便数は多いが、目立ちすぎるから、追跡の対象にされると警戒してのことだった。


 また、三厩の出航時間が、午前10時20分という、ちょうどいい時間ということも彼らを後押しした。


 だが、当然、警察もそれを予想していた。


 三厩のフェリーターミナルでは、多くのライダーがフェアレディZに捕まり、赤キップを切られる羽目になった。


 幸い、TZR250に乗っていた市振誠と、絵美の親友でVT250 スパーダに乗っていた岩沼京子は、共に青森を目指しており、かろうじて捕まらずに済んでいた。



 そして、舞台は北の大地、北海道へ。


 彼らキャノンボール参加者、キャノンボーラーたちは、夢葉たちのように、函館で一泊することなどなかった。


 津軽海峡を通過する、フェリーの船内でわずかに仮眠を取っただけで、ひたすら屈斜路湖を目指していた。


 最初から警察には姿すら見られていなかった、絵美。

 運よく青森ルートで捕まらなかった、市振誠や岩沼京子。そして、残りの同じく運よく捕まらなかったキャノンボーラーたちだけが、北海道を走るという栄誉にたどり着いていた。


(みんな、遅いんじゃない? 張り合いがないなあ)

 現在、大沼公園インターチェンジまで開通している道央自動車道は、この当時はまだ登別室蘭のぼりべつむろらんインターチェンジまでしかなかった。


 午前8時30分に函館に着いてから、絵美は、国道5号をひたすら北上し、昼前には登別室蘭インターチェンジから道央自動車道に入っていた。


 まだ、道東自動車道もなかった当時、千歳インターチェンジで降りた彼女は、ひたすら下道を真っすぐに、東に向けて動き出した。


 そこからは、下道だけとはいえ、北海道らしい広大な大地が広がっている。

 距離にして、約350キロ。通常なら6時間くらいはかかる。


 ところが。


 千歳からは、道道と国道274号を乗り継ぎ、山の中の道をひた走る。

 彼女は、追い越し禁止の標識も無視して、強引に車を抜いて、猛烈なスピードでバイクを走らせていた。

 実際、スピードメーターすら見ておらず、前だけを見て、ひたすら急いでいた。


 後方からは、キャノンボール参加者のバイクは全く見えなかったが、それでも1位を目指していた彼女に、油断はなかった。


 やがて、士幌しほろ町から国道241号に入ると、山間部を抜ける快走路に入る。


(さすが北海道! 真っすぐで道は広いし、走りやすい!)

 周りの風景を見ながらも、ひたすらかっ飛ばしていた。


 15時10分。

 通常の想定時間より2倍くらい速く、絵美は屈斜路湖畔にある、ゴールと決められている駐車場に到着。


 目の前には、巨大な水をたたえた屈斜路湖が雄大な姿を見せていた。日本最大のカルデラ湖で、全面結氷する淡水湖としても日本最大の規模を持つ。湖の真ん中に中島という島が見える。

 これは日本最大の湖中島だった。


 もちろん、周りにバイクの姿はない。ぶっちぎりで1位だった。


 しばらくのんびりと湖の周りを散策して時間を潰す絵美。


 30分後。彼女の予想通り、スズキ GSX-R750がその巨体を駐車場に現した。降りてきた筋肉質の大柄な男は、ヘルメットを脱いで、苦々しげに彼女を睨んだ。


「マジかよ。本当にお前が1位とはな。絶対、俺だと思ったのに」


「だから言ったでしょ。速いのに、男も女も関係ないのよ」


 それを聞いて、男はタバコに火を点けながら、微笑した。

「負けたよ。大したもんだ」


 そして、二人でたどってきた道のことや、警察のことを話しているうちに、徐々に生き残りのメンバーたちが追い付いてくる。


 友人の京子とも再会できた絵美。


 そして、夕刻、彼らが現れる。フェアレディZ  Z31型のパトカーだ。車体の横に「警視庁」と書いてあるのを見て、絵美は驚いて、声を上げていた。


「マジで。噂には聞いてたけど、あのZ、本当に東京から追ってきたの? 随分気合入った連中ね」


 警察官が二人、車から降りてくる。当然、スピード違反者の検挙に入る。


 バイク乗りたちが、いずれも苦々しげに、表情を曇らせる中、一人、絵美だけは悠然としていた。


 警察官は、事務的に一人一人、赤キップを渡していく。


 そして、ついに絵美の番だ。警察官が彼女の前に立つ。ところが、参加者たちはここで信じられない光景を目にすることになる。


「はい、君の番。免許証出して」

 と言って、事務的に処理をしようとする警察官に対して、彼女は、堂々とした態度でこう言った。


「なんで? 私、違反してないですよ」


「はあ? キャノンボール参加者だろ?」


「キャノンボール? ああ、聞いたことあります。東京から屈斜路湖まで走る非合法なレースですよね。でも、私みたいな女が、そんな危険なレースするわけないじゃないですかぁ」


 絵美は、持ち前の明るい笑顔で、わざとらしく、女性らしさを前面に出すように、あざとくも見える可愛らしい声を上げていた。

 警察官も、並み居る参加者たちも唖然とする中、彼女は胸を張って、言葉を継いだ。


「それに、そもそも、私。あなたたち警察官を見ていません。あなたたちは見ましたか、私のバイク?」

 そう言って、自分のバイクを指さした。


 一瞬、戸惑いの表情を見せる警察官だったが、そこはさすがにプロ。

「そんな言い訳が通用すると思ってるのか?」


「言い訳? 何のことかしら? 私はそもそもキャノンボールになんか、参加してないですし、札幌からツーリングに来たんですよ。警察は『証拠』がないのに捕まえるんですか?」


「ちょっと、絵美」

 さすがに親友の京子が心配そうに声をかける中、それを制して絵美と警察官のやり取りは続いた。


「札幌って、君のバイクのナンバーは練馬ねりまだけど?」

 絵美のバイクのナンバーを見て、もう一人の警察官が鋭く毒づく。当時、彼女は東京都練馬区に住んでいた。


「ああ、それ。最近、東京から引っ越してきたんですよ、札幌に。まだ引っ越しの手続きもしてなくてですね」


 よくもそんな嘘がペラペラと口を出るものだ、と参加者の誰もが唖然としていた。


 警察官の二人は、ひそひそと相談を始めた。警察の弱点は、「証拠がないと動けない」ことだ。絵美は、それを逆手に取っていた。現在のように、ビデオカメラやオービスが発達していないからこそ出来た「戦術」だったが。


 確かに、絵美の姿は一度も警察車両の目に入っていなかった。もちろん、絵美も見ていない。

 それくらい速かったためだ。


 やがて、大勢の人たちが固唾かたずを飲んで見守る中、判決が下る。


「確かに君のバイクは見ていないな……。まあ、いい。今回だけだぞ」


 心の中で、ガッツポーズを取る絵美。空いた口が塞がらない参加者たち。あまりにも堂々と嘘を言っていたためか、誰もこの件を突っ込まなかった。

 というよりも、キャノンボール参加者には、妙な「連携」が自然と生まれる。


 女でありながら、圧倒的スピードで優勝した彼女を称えたい、という気持ちも多かったからだ。


 こうして、大勢のライダーたちを熱狂と恐怖に巻き込んだ、この年の「キャノンボール」は幕を閉じた。



 絵美の長い回想が終わった後、一番最初に溜め息をついて、彼女を睨むような眼差しを向けたのは、実の娘だった。


「お母さん。サイテー」

 軽蔑の眼差しを娘から向けられ、ショックを受ける絵美だったが。


「東京から大間まで6時間で行ったんですか? 信じられません。私でさえ11時間かかったのに。一体、何キロ出してたんですか?」

 一方で、怜は興味津々といった、表情で目を輝かせていた。


「うーん。ほとんどメーター見てなかったからねえ。多分、200キロくらいかな」


「200キロ! マジか。すごすぎやで」

 翠も、酒を飲む手を休めて、聞き入っていた。


「さすがおばさま。すごいです!」

 この中で一番若い、涼も感嘆の声を上げる。


 若い女性たちに褒められ、柄にもなく照れ笑いを受かべる絵美は、


「でも、あなたたちは真似しちゃダメよ。死んじゃうからね」

 と、その年齢に似合わないくらい、可愛らしい笑みを浮かべていた。


「いや、真似できへんやろ」

「そうだな」

「無理です」


 翠、怜、涼が呆れたように答える中、夢葉は、


「私、お母さんみたいにはなりたくない」

 と答えていたので、母の絵美は、再びショックを受けて、うなだれるのだった。


 こうして、真冬の不思議な女子会は幕を閉じ、彼女たちは一泊して、翌日の昼に雪が溶けてから、それぞれのバイクで帰路についた。

 なお、涼だけは、一応は男ということで、父の亮一郎の部屋で寝ることになった。

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