43. 限界を超えた先
「男の娘」の涼と、非常に「女の子らしい」とも言える
ついに大学4年生に進級したが、その4月。
今度は、非常に「男らしい」一時を、過ごすことになってしまう。
それは、不意に発した怜の一言から始まった。その日、珍しく土曜日に仕事が休みだった翠に合わせて、三人が喫茶店に集まっていた。
「なんか、最近マンネリ化してるよな、ツーリング」
そう。それは、「バイク乗り」がいずれぶつかる壁。
最初こそ楽しいのだが、だんだん同じルートや同じような道をたどり、同じように飯を食べたり、風景を見たりしていれば、「飽き」が来る。
それは誰しもに訪れる必然なのだが。
「そら、しゃーないやろ。いつかは来る」
と平然と言って、翠は一人、キャラメルマキアートを飲んで、シフォンケーキを食べるという優雅にもお洒落にも見える様子だったが。
「マンネリってどうするんですか、怜さん。やっぱまた酷道ですか?」
夢葉は、カフェオレを飲みながら、ドーナツを食べていた。バイクに乗ってから、ブラックコーヒーばかり飲んでいた彼女には珍しいことだった。
だが、まるで二人の甘い飲食物を、卑下するかのように、一人黙々とブラックコーヒーを飲んでいた、怜が次の瞬間、おかしなことを言い出した。
「24時間ツーリングをやろう」
「はあ? お前、何言うとるん?」
「24時間ツーリング? えっ、ル・マン耐久レースですか?」
思わず、フランスの有名な四輪耐久レースを思い出していた夢葉だったが。
怜は、勝手に説明に入る。
「24時間ツーリング。それはある意味、ロマンだ。つまり、24時間かけてどこまでバイクで走れるか、それをやろうと思う」
「やるのはええけど、私はそないなアホな企画、参加せえへんで。もうお前、それ『バイク馬鹿』っちゅうより『バイク変態』やんか」
翠は、心底呆れているようで、そっぽを向いてケーキを食べていた。
「なんだ、つまらんな。お前はやるだろ、夢葉?」
「えっ。私ですか?」
名指しされた夢葉は考え込む。
(うーん。さすがにこれは無理じゃないかな。24時間も走れないし、死んじゃいそう)
ということで。
「私もパスです」
と言ったところで。
「そうか。やってくれるか。誰かが私の走りを見ていないといけないしな」
無視して、勝手に話を勧める怜であった。
「いや、だからやらないですって……」
「夢葉。『男にはやらないといけない時』というのがあるんだ。わかるな?」
「私、女です!」
「女でもだ。『女は度胸』と言うだろ」
「それを言うなら『男は度胸、女は愛嬌』です!」
「そうだったか? まあ、細かいことは気にするな」
もう怜の言う理屈が滅茶苦茶だと思う夢葉。それ以上は反論を諦めた。昔から妙に「熱い」人だと思っていたが、正直ここまでとは思っていなかった。
ただ、考えみれば、北海道にツーリングに行った時、最初に「キャノンボール」を提案したのは、怜だった。
彼女は、こういう「男らしい」ロマン溢れる物やイベントが大好きだったのである。
「ああ、もう。何なんですか、怜さん。私、そもそも24時間なんて走れませんよ」
と、さすがに少し向きになって反論する夢葉に、怜は、
「大丈夫だ。死にはしない。それに無理なら途中で諦めて、フェリーに乗って帰ればいいさ。私は一人でもやるけどな」
と、どこか誇らしげに語りだす。ついていけない、と思う夢葉だった。
「で、どこに行くつもりですか? というか、どこをゴールにするんですか?」
「そうだな。目標地点としては、北海道の宗谷岬か、九州の佐多岬だな」
「はいはい、北海道は寒いからパスですね。だってまだ4月ですよ。雪だってあるかもしれないのに……」
「なら、九州だな」
怜は、いかにも楽しそうに微笑みながら、勝手に計画を進めていくのだった。
翠は、
「お前ら、もう勝手にせえ。まあ、死ぬなよ」
とだけ言って、我関せずを決め込んでいた。
出発日は、次の週末の土曜日の深夜0時。そこから24時間後の日曜日の深夜まで、体力の限界が続くまで、走り続けるという、怜の無茶苦茶な企画が始まった。
夢葉は、内心行きたくはなかったのだが、仕方がなく付き合うことにした。一応、親には「友達の家に行ってくる」と、またいつぞや翠のナイトツーリングに付き合った時と同じように嘘をついていた。
(はあ。私、生きて帰れるのかなあ)
さすがに不安な気持ちに
そして、運命の日。
4月22日、土曜日、深夜0時。天気は曇り。
出発地点は、わかりやすく、道の駅八王子滝山に決まった。
23時半には集合し、しっかりと準備をしてきた翠に対し、仮眠したとはいえ寝ぼけ
「遅いぞ、夢葉!」
まるで鬼軍曹のように、腕を組んだまま、仁王立ちしている怜を見て、
(何でこの人、こんなにテンション上がってんの?)
と夢葉は苦笑いするしかなかった。
定刻通り0時ぴったりに出発。
夢葉の予想通り、交通量の少ない一般道をがんがん飛ばし、怜はさっさとすぐ近くの八王子インターチェンジから中央高速道路に乗ってしまう。
その後を何とか食らいついていく夢葉だったが、アドレナリンが異常に分泌されているのか、元来の男らしさを発揮している怜は、あっという間に遠ざかっていく。
(まあ、いいか。どうせ怜さんがやりたかっただけだし)
半ば諦めつつも、深夜の交通量の少ない高速道路を、制限時速+10キロくらいで進んでいく夢葉であった。
彼女は、八王子ジャンクションから圏央道に乗り換え、海老名ジャンクションから東名高速道路に入り、だらだらと進み、やがて御殿場ジャンクションから新東名高速道路に入る。
駿河湾沼津サービスエリアに着いた時には、深夜2時を回っていた。
もう怜は、先に行っているだろう、と思っていた夢葉だったが。
バイク駐車場に指定されている場所に、ヤマハ TZRがあった。深夜だけにバイクはその1台だけだった。
怜の姿は見えなかったが、彼女の姿に気づいて戻ってきたのだろうか、足早に向かってくる人影が、よく見ると怜だった。
「遅いぞ、夢葉。さっさと大阪を抜けないと、渋滞が発生する」
と、まるで怒ったような口調で告げてくるのであった。
怜曰く。朝になると、通勤ラッシュや観光ラッシュが発生するから、その前に大阪都市圏を抜けたいとのこと。
「わかりました。ただ、私は安全運転で行きますから、怜さんは気にせず先に行って下さい」
「よし、わかった。先に佐多岬で待っているぞ。じゃあな」
颯爽とTZRにまたがり、さっさとエンジンを吹かして出て行ってしまう怜の後ろ姿を見て、
(この人、本当に『男くさい』な。つーか、『
苦笑しながら、ゆっくりとコーヒーを飲むことに決めていた。
休憩後、怜と夢葉は、深夜の新東名高速道路をひた走る。静岡県を横断するこの高速道路は、制限測度が110キロの区間があることでも有名で、その上深夜だったため、長距離輸送の大型トラック以外は、ほとんど車が見当たらなかった。
怜は、持ち前の度胸とスピード狂の性格からか、がんがん飛ばして、どんどん前の車を抜いて行き、夜が明ける5時30分頃には、名神高速道路の大津サービスエリアに到着していた。夢葉はそれより少し遅れて同じサービスエリアに到着したが、すでに怜の姿はなかった。
6時30分頃。ようやく中国自動車道の
(何とか、渋滞は避けられたかな。でも、おなか空いたなあ)
と、気が緩む夢葉に、怜がサービスエリアの喫煙所から姿を現し、
「夢葉。大阪の渋滞を避けられたか。だが、ここからが大変だぞ」
と、早朝にも関わらず、妙に元気のいい声を張り上げていた。
苦笑いしながら、「そうですね」とだけ答える夢葉。
怜は、朝食も食べずに、さっさと行ってしまい、夢葉は24時間営業のフードコートでのんびり朝食を取って、コーヒーを飲んでから出発。
「寒い!」
4月とはいえ、まだまだ早朝は寒い。寒さに弱い夢葉は、寒さに震えるような思いをしながら、ひたすら中国自動車道を駆けたが。
ここからが長かった。
何度も休憩を挟み、また途中で弱いながらも雨に遭いながら、14時。ようやく九州を見渡せる
(あはは。本当に来ちゃったよ、九州……)
もう内心では、笑うしかなくなっていた夢葉は、遅い昼食を取り、その影響で強烈な眠気に襲われ、そしていつの間にかベンチで眠っていた。
30分後。不意に意識を取り戻す夢葉。
(はっ。私、寝てたのか。まあ、仕方がないか。こんな無理すれば)
と思い直し、辺りを見回すが、当然のことながら、怜の姿はなかった。
人間、本当に眠い時、たとえ5分でも横になるだけでも違うと言う。丸きり寝ていなかった夢葉は、疲労の限界に近づいたため、少しの間、寝ていたが。
その頃、実は怜も寝ていた。
九州自動車道の
あとは、ひたすら九州自動車道をひた走り、福岡県、熊本県と抜けて、鹿児島県へ。
そこから先は、かつて彼女たちが、九州にツーリングに行った時にもたどったコースだった。
内陸から海沿いの国道269号に入り、県道68号を越えて、終点の佐多岬に着いた頃。
すでに陽は暮れて、辺り一面が暗黒の世界に包まれ、この最果ての地には、人影もほとんどいなかった。
時刻は夜の20時を回っていた。出発からおよそ20時間。
怜のTZRが駐車場にポツンと置かれてあった。
ぼんやりした頭で、バイクを停めて、ふらふらとした足取りで、夢葉は歩き出した。
すると、
「夢葉。やっと着いたか」
怜が缶コーヒーを飲みながら、タバコを吸っていた。
その接近にも気づかないくらい、夢葉は疲れ果てて、ぐったりしていた。
「怜さん。いつ着いたんですか?」
「40分くらい前かな」
「あははは。こんなのやる意味あるんですか?」
あまりにも疲れすぎて、笑いしか込み上げてこなかった夢葉は、眠気のためか、ふらふらと頼りない足取りをしていた。
携帯灰皿にタバコを入れた怜が、そんなふらふらの夢葉の体を、そっと抱きしめていた。
「怜さん……。眠いです。寝かせて下さい……」
「お疲れ。それと……ありがとう」
そのまま、夢葉は近くのベンチで横になっていた。
そしてそれが、夢葉が意識を失う前に最後に聞いた言葉だった。それが夢だったのか、幻だったのか、現実だったのかさえ彼女にはわからないほど疲れていた。
1時間ほど経った頃。ようやく起き上がった夢葉。彼女の体はベンチの上に横たわっていたが。
意識が戻ると、頭の方に何か暖かい物を感じる。
寝ぼけ
怜が膝枕をしてくれていた。その意外なほど女らしい暖かくて柔らかい感触、そして上の方から漂ってくる、ほのかなシャンプーの香りに驚きながらも、何よりもあの怜がそんなことをしてくれたことに一番驚き、飛び起きるように、慌てて体を離してベンチから離れ、
「ご、ごめんなさい、怜さん!」
そんな夢葉を見て、怜は少しがっかりしたように、溜め息を突いて、
「そんなに怖がるなよ。私がお前を付き合わせたんだ。さすがに悪いと思ってさ……」
と、呟いて、恥ずかしそうに横を向いていた。
「ああ、いえ。こちらこそありがとうございます。それで、今何時ですか?」
誤魔化すように笑いながらも夢葉は照れ臭かったが、そう尋ねると、
「もう9時だな」
すっかり眠ってしまっていた彼女。
そこで、この先のことを考えていたら。
「とりあえず宿に向かうか」
怜がそう言ってきたが、夢葉は思い出していた。
この九州の地で、かつて知り合った「バイク乗り」のことを。
それは、以前、九州にツーリングに行った時に知り合った、熊本県出身の山中愛美だった。
彼女の連絡先を知っていた夢葉は、思いきって電話をかけることにした。内心、覚えているだろうか、と心配していた彼女だったが。
「はい、山中です」
と電話口に出た彼女の声は、意外なほど明るかった。
「あ、あの。前に九州に行った時に、お世話になった黒羽夢葉ですけど、覚えてます?」
「あー、あのかわいい子たい。覚えとーよ」
かなり久しぶりに聞く、熊本弁だった。
そこで、事情を話し、今から行くので、一泊泊めて欲しいと、無理とも思えるお願いをしたところ。
「よかよか。何時になってもよかけん、近くに来たら、また連絡しんしゃい」
明るい声でそう言ってくれるのだった。
(地獄に仏とはこのことか)
と感動する夢葉だったが。
怜は、携帯電話のナビアプリで調べながら、
「でも、ここから山中さんの住んでるところまで、高速でも5時間はかかるぞ」
と衝撃の事実をぶちまけて、嘆息していた。
結局、本当に高速道路で5時間以上もかかり、日付が過ぎた日曜日の深夜2時頃。ようやく熊本県北部にある、山中愛美の家に到着し、泊めてもらうことになったが。
二人は、もはや疲労困憊の極みで、死んだように、愛美が用意してくれた布団で眠ってしまうのだった。
結果的に、佐多岬までの20時間と、そこから愛美の家がある熊本県北部までの5時間を足して、24時間以上は走ることになってしまった。
朝。清々しいほどの青空になっていた。
そんな中、愛美が作ってくれた、トーストとハムエッグの簡単な朝食をご馳走になり、事情を話すと。
「ほんなこつ? 東京から九州まで24時間で。あたたちゃ、がまだしたんは認めるけん、とんだいひゅうもんたい」
(うーん。何言ってるか、わからないな)
と夢葉が思っていると、
「つまり、がんばったのは認めるけど、変り者ってことですか?」
何故かそれを訳していた怜が答えていた。
「そうたい。そぎゃんこつやるバイク乗り、初めて見たばい」
彼女に、心底呆れられていた。
結局、その日、山中愛美の家で休むことを提案され、夜まで付き合って、さらにもう一泊して、月曜日にゆっくりと帰った二人。
怜は当然、欠勤になるので、有給を使って休みの連絡を会社に入れていた。もちろん、夢葉は授業をサボった。
こうして、24時間耐久ツーリングは幕を閉じたが。
(ああ、もう二度とやらない)
と、夢葉は心に誓うのであった。同時に、
(でも、あんなに優しい怜さん、初めて見たな。何だかお姉さんみたいだった……)
兄弟や姉妹のいない夢葉は、少しだけそう思い、怜に対する認識を改めるのだった。同時に、女性とはいえ、男っぽいところがある怜にあんなことをされて、何だか無性にドキドキして、照れ臭い思いがしたのだった。
事実として、怜は夢葉の影響を確実に受けていた。
あれだけ、刺々しかった性格や、過去の辛い出来事を乗り越えて、彼女は少しだけ、他人に優しくなれるようになっていた。
この事実が、後に怜の周りの人間を救うことになるとは、彼女自身思っていなかったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます