51. 近くて遠い港町
1月の、合コンから数週間が経った。
2月上旬。いつものように、グループメッセンジャーを通して、怜が不意に発言した。
「冬らしいツーリングに行こう」
と。
怜によれば、真冬の今は、山方面に行くのは「路面凍結」があって危険だ、と。それは夢葉も認識していたが、怜が挙げた候補地は意外なものだった。
「冬らしいってどこですか?」
「
「横須賀? めっちゃ近いやん」
翠も、そのことに反応していたが。
怜によると、冬は日が落ちるのが早く、日没後は一気に寒くなるから、単距離で帰ってこれるツーリングの方がいいということだった。
そもそも彼女たちが住んでいる埼玉県西部から神奈川県の横須賀市まで、直線距離で100キロもないのである。
いつも、ツーリングに行く時は、往復で300キロ以上は走っている彼女たちにとっては、プチツーリングに入るくらい近い距離だった。
「横須賀って、何かあるんですか?」
そう尋ねる夢葉に、怜の回答は、いかにも彼女らしいものだった。
「あるぞ。自衛隊の軍艦に、記念艦三笠、それにどぶ板通りのスカジャン、ネイビーバーガーに横須賀海軍カレーとかな」
「それって、全部、『男の子』が好むものじゃないですか?」
「お前らしいわ、怜」
二人が呆れる中、怜は、
「馬鹿野郎。ロマンがわからん奴らだな。それに、
と言ったため、今度は夢葉が反応する番だった。
もっとも、「城ヶ島」は、横須賀市の隣の三浦市に位置するのだが。
「えっ、猫! 行きたいです!」
彼女は、猫が好きだった。
その自由奔放で、気まぐれなところ、犬のように媚びて見えないところ。そして何よりも可愛らしい容姿が彼女は大好きだったのだ。
4月以降の予定すらも決まっていない夢葉は、「夢の先」すらも未定のまま、このツーリングに参加することになった。
当日は、関東地方の冬らしい、乾燥した冬晴れの日曜日だった。今回は、涼は参加せず、いつもの三人での出発となった。
朝、待ち合わせ場所となった、翠のマンション前に集まることになった三人。他の二人とは違い、一人暮らしの翠の家は、集まりやすい場所だったからだ。
近場で、平地中心とはいえ、それでも真冬の2月である。しっかりとした、真冬の防寒装備で、厚着と防寒用グローブ、ネックウォーマーを装備して夢葉は現れた。
他の二人も、彼女が思った以上の防寒対策をして臨んだ。
「寒いです!」
一番の寒がりの夢葉が、泣き言のように声を上げる。
真冬並みの寒気が入ってきたその日。朝の最低気温は5度近く、関東とはいえ、やはり寒い朝だった。
一方、元々寒さには不思議と強い怜や、暑がりの翠は割と平然と顔をしているように彼女には見えたのだが。
「怜。首都高使うんか?」
と尋ねる翠に、今回先導する怜は、
「いや、16号と
と、いつものように右手にタバコを持ち、左手に携帯灰皿を持ちながら彼女は応えた。
主なルートは、彼女の説明によれば、一般道から国道16号に入り、そのまま
なお、国道16号は神奈川県横浜市を起点に、
日曜日が選ばれたのは、もちろん三人の都合に合わせるためだが、怜によると、平日の16号は、通勤ラッシュの渋滞がひどいので、逆に走りたくないため、だという。
早速、午前7時には出発する三人。
順調に行けば、2時間あまりで到着するようだった。
ちなみに、前に涼と一緒に房総半島のツーリングに行った時、夢葉は横須賀市久里浜からフェリーに乗ったが、この時は時間短縮のため、首都高経由で行っているので、初めて通るコースだった。
まずは、埼玉県の県道や、東京都の都道を経由し、国道16号を目指した。
だが、軽い渋滞や信号機の多さに悩まされながら、到着したそこは、巨大な都市圏人口を抱える首都圏らしい光景が広がっていた。
まず、ロードサイド店舗が異常に多い。コンビニ、郊外型のショッピングモール、車用品店、レストラン、チェーンの喫茶店など。この辺りは、首都圏の郊外・ベッドタウンを結ぶ膨大な沿道人口を抱えている。
それに伴い、首都圏と地方を結ぶ物流の一大配送ルートにもなっているので、トラックの数が異常に多い。
怜が言うように、平日の朝晩は常に大渋滞が発生する区間であり、しかもほとんどが片側2車線であり、流れが悪い。
いつもなら、単距離で休憩など挟まない怜が、珍しく町田市辺りの、沿道にあるコンビニでバイクを停めた。
「さすがに、交通量多いな」
呟く翠に、
「ホントですよ。大体、首都圏って、信号機が多すぎなんです。ミッションバイクはそれだけで疲れますね」
夢葉も愚痴っていたが。
肝心の怜はというと。コンビニで買ったコーヒーを片手に、店舗の外にある灰皿の前でタバコを吸いながら、
「だが、この16号のうち、横須賀から横浜までは、歴史が古いんだ」
とおもむろに説明を始めた。
彼女によると、国道16号のうち、横須賀から横浜までの区間は、1887年、年号で言うと明治20年に、「国道45号」として指定された、非常に歴史のある区間だという。
そして、その理由こそが、「横須賀」という街を象徴しているという。
当時、横須賀には、「横須賀
当初は、東京から横須賀を結ぶ道路として規定され、後に横浜から横須賀を目指す国道16号とされた。
つまり、横須賀という街は「軍港」であるがゆえに、国家戦略上において、重要視されていたからだという。
「つまり、軍用道路ってことか?」
翠の一言に、怜は力強く頷いていた。
(相変わらず、こういう「男の子」みたいの好きだなあ、怜さんは)
夢葉は、内心少しだけ呆れていたが。彼女自身は、そういった物には興味を示さないからだ。
休憩後、今度はようやく片側3車線区間に入る。
保土ヶ谷バイパスと呼ばれる道で、この辺りになるとようやく走りやすくなる。保土ヶ谷バイパスは、いわゆる「地域高規格道路」に指定されており、最高速度が80キロだった。
しかも、信号機も少なくなる。
周りの風景は、ひたすらビルや住宅街のマンションなどが目立つ、都市部らしい無機質な風景が並んでいき、緑が見える区間は少ない。
そのままいつの間にか、横浜横須賀道路に入っており、そこからは自動車専用道路に入り、
あっという間に、横須賀市の標識を越えて、先頭を走る怜のバイクは、横須賀インターチェンジから市街地に入り、やがて左手に海を見ながら、市街中心部にある、公園脇の駐輪場でバイクを停めた。
時刻は9時を少し回ったところ。
「やっと着きましたね」
いつものツーリングと違い、市街地を抜ける、信号機の多い道で、少し疲れたように夢葉が声を上げる。
「まずはどこに行くんや?」
と、問う翠に怜は、
「記念艦三笠だ」
そう告げて、真っ先にそこからほど近い三笠公園へと向かった。
記念艦三笠。
日露戦争の、日本海海戦でロシアを破ったことで知られる、旧日本海軍の連合艦隊旗艦で、東郷平八郎が指揮していたことでも知られる。
元々、戦後に長らく放置され、荒廃していた三笠を、東郷平八郎を敬愛していた、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥がこれを知って激怒し、海兵隊を
そこから復元運動が始まり、色々な反対などがあったが、何とか復元にこぎつけている。
もっとも、すでに艦は海上に浮かんですらおらず、固定された状態の博物館艦として保存されている。
三笠公園に着き、東郷平八郎像の向こうにそびえる、異様を目の当たりにした、怜が、興奮気味に、
「おお、これが三笠か。素晴らしい!」
早くも、男の子のように目を輝かせていた。
だが、
「大きいですね。日本にまだこんな船が残ってるなんて」
「確かにな。敗戦国で、やたらと軍事には神経質な日本では珍しいやん」
夢葉も、翠も初めて見る、威風堂々とした三笠の異様には、驚きの声を上げていた。
写真を撮った後、中に入ると。
中は、博物館のようになっており、各船室に、明治時代から日露戦争に至るまでの説明がパネル表示や映像で紹介され、さらにはVR体験コーナーまであり、色々と勉強になるものだった。
また、艦のあちこちに大砲やマスト、操舵室などが復元されてあり、歴史を感じる遺構が再現されている。
一通り見るだけで、1時間半以上を要した。
しかも、やたらと興奮気味な怜がなかなか離れようとしないので、二人は苦笑いしながらも暖かく見守っていた。
ようやく艦を降りると、次に怜はバイクに乗って、そこから海岸線を戻る形になり、真っすぐに10分ほど走った。
すぐに着いた目的地は、意外にも喫茶店だった。
ヴェルニー公園に面した、海沿いにある店だが、アメリカ発の有名ないわゆるコーヒーチェーン店だった。
何だか普通すぎて、拍子抜けしていた夢葉と翠だったが。
入って、コーヒーを注文し、窓際の席を確保した怜は。
「ここからは、軍艦が見えるんだ」
と、早くも目を輝かせていた。
ちなみに、この店は店内も店外も喫煙はできない。喫煙者の怜が本来なら嫌がる店だが、それを我慢しても彼女がここを選ぶほどの価値があった。
しばらく眺めていると。窓の外に広がる港から、様々な船が見えてくるのだった。
それは、自衛隊の船だったり、アメリカ海軍の軍艦だったり。
そんな光景を見ながら、やたらと目を輝かせ、幸せそうな笑顔を浮かべている怜に、二人は。
「ホンマ、お前は男の子みたいやんな」
「そうですね。宝塚にでも入ればいいのに。怜さんなら人気出ますよ」
からかうのだった。
「お前ら、このロマンがわからないのか」
怜は、不服そうにしていたが。
夢葉が周りをよく見ると、外国人の姿が目立つ。そこは、米軍横須賀基地にほど近いため、アメリカの海軍の兵士や家族も頻繁に訪れる地だった。
その後、ちょうど昼時ということもあり、再びバイクを市内に停めて、どぶ板通りに繰り出した三人。
どぶ板通りとは、横須賀市中心部にある全長約300メートルほどの通り、商店街で、スカジャン発祥の地としても有名である。
太平洋戦争前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、人や車の通行の邪魔になるため、海軍
怜は、昼食がオススメという店に入ったのだが。
そこは、いわゆるジャンクフードの店だった。
しかも、メニューの写真を見ると、やたらとでかいアメリカンサイズのハンバーガーが並んでいて、夢葉は辟易していた。
「何ですか、これ。でかすぎでしょ」
「知らないのか? 横須賀ネイビーバーガーだよ」
「ご当地バーガーか?」
怜の説明によると、横須賀ネイビーバーガーとは、2009年頃から販売された、横須賀独自のご当地バーガーで、横須賀で有名な「横須賀海軍カレー」と並ぶ、この地域特有のグルメだという。
元々は、アメリカ海軍の基地内で食べられていたハンバーガーのレシピを、同基地と横須賀市の友好の象徴として提供してもらい、それを基に横須賀独自に開発されたという。
良くも悪くも、横須賀がアメリカと密接な関係があるという証拠でもあった。
実際に出てきたハンバーガーは、直径が20センチを越えるサイズで、巨大なパテに分厚いビーフ、玉ねぎ、キャベツ、トマトなどが挟まれている。
「でかすぎでしょ。食べきれないですよー」
その小さくて可愛らしい口のサイズには、明らかに似つかわしくないハンバーガーを苦戦しながら食べる夢葉を、二人は微笑ましく見守っていた。
一方で、怜は豪快に男の子のように、大きな口を開けて食べており、翠はそもそも諦めたようで、ハンバーガーを切って、小分けにして食べていた。
「で、感想は?」
食後、そう尋ねる怜に。
「まあ、サイズはめっちゃでかかったですけど、味は美味しかったですよ」
「私もや。アメリカンサイズすぎて、笑えるやん」
二人は、なんだかんだで満足気に頷いていた。
食後は、どぶ板通りをウィンドウショッピングとなったが。
怜は、ここでも彼女らしさを発揮し、スカジャンの店をいくつか回った挙句に、結局、スカジャンを購入しているのだった。
午後、横須賀中心部からバイクを走らせ、
「よこすか海岸通り」と名づけられた国道16号から県道209号へ至る道は、左手に東京湾を見ながら走れる、都市部にしては快適なルートだった。
その日は、冬晴れのいい天気だったから、東京湾が青く輝き、冬の陽光を照らしていた。
やがて、観音崎公園にたどり着くと、怜は駐車場にバイクを停めた。
そこからは歩きになった。
怜に従って、園内を歩く。駐車場からすぐのところには、海水浴場にもなっている砂浜の海岸線があり、太陽に照らされる海が、キラキラと光り輝く様子は、夢葉の目にも美しく、癒される光景に映っていた。
海岸線の遊歩道を歩いて行くと、高台に白い灯台が見えてくる。
怜は灯台に着いた途端に、説明を始める。
「この観音崎灯台は、日本最古と言われている灯台だ」
「日本最古? すごいですね」
こういうことに敏感、というか感動しやすい夢葉が驚きの声を上げる。翠は無言で灯台を興味深げな表情で見上げていた。
怜によると、観音崎灯台は1869年、明治2年に建てられた、日本最古の洋式灯台だという。
「日本の灯台50選」にも選ばれており、大正時代の関東大震災で倒壊したため、現在の灯台は3代目のコンクリート造りだという話だった。
もっとも、今は遠隔監視に切り替えられ、ここは無人の灯台になっている。
一通り、観音崎公園を回った後、夢葉がうずうずしたように、声を上げる。
「怜さん。そろそろ行きましょうよ、猫を見に!」
怜と翠は苦笑しながらも、
「わかったわかった」
「慌てへんでも、猫は逃げないで」
となだめていたが。
ところが、そこから城ヶ島までは20キロ強しかない距離にも関わらず、渋滞が発生し、なかなか進まないのであった。
うんざりしながらも、夢葉は怜に告げて、途中でコンビニに寄ってもらうことにした。
目的は「猫缶」だった。
「せっかく行くんですから、猫にエサを上げたいです」
というのが、彼女の主張だった。
いつの間にか、横須賀市から三浦市に入り、午後3時近くになって、ようやく城ヶ島大橋を越えて、城ヶ島に入る三人。
数年前まで、ここは有料だったのだが、今は無料で橋を通行できる。
城ヶ島公園。
城ヶ島は、三浦半島最南端に位置する、面積が0.99平方キロメートル、海岸線の長さが4キロしかない小さな島。
しかし、風光明媚な三浦半島の情景を象徴する景観で知られており、その歴史は古く鎌倉時代以来の景勝地であるという。
古くから漁業、軍事、交通、文学に深く関わってきているが、ぶっちゃけた話をすると、現在では景勝地としては、同じ神奈川県の江の島の方が人気があり、観光地としては寂れている。
その城ヶ島公園第一駐車場に着いてみると。
バイクを降りて、広い駐車場の敷地を、猫缶を持って、足早に歩く夢葉。早くもあざとく、猫の姿を見つけていた。
しかも防災用の倉庫の下に、彼らはいた。
猫は、狭いところを好む。城ヶ島は、全体が「猫島」ではないが、西端の釣り場付近と、東端のこの城ヶ島公園付近には多数の猫が生活しており、ボランティアでエサを与えている人もいるという。
「いたー! にゃんこ!」
そんな中、夢葉はしゃがみ込んで、猫にあえて目線を合わせないようにして、下から手を出す。
猫は、目線が合うと「敵」だと認識するという。また、上から触られることを嫌うとも言われている。
すでに、そのことを勉強して知っていた夢葉。
一匹の猫が彼女に近づいてきた。
茶虎の小さな猫だった。
なでられるかどうかで心配していた彼女だったが、茶虎の小振りな猫は、彼女の近くまで寄ってきて、様子を伺っているようだった。
「ほら、にゃんこ。食事だよー」
そう言って、猫缶を開ける夢葉。
たちまち、その茶虎以外にも、周りにいた猫たちが次々に寄ってきた。
その様子を眺めながらも、猫を触っていく夢葉。
彼女のピンク色の頬が幸せいっぱいに紅潮したように見え、自然と頬が緩んでいた。
「わぁ、もふもふだー」
幸せそうに呟いていると、彼女は写真を撮られていた。
見ると、翠が携帯を向けていた。
「翠さん。何、撮ってるんですか?」
と聞くと。
「猫と
そんなことを、臆面もなく言い放つから、夢葉は照れ臭くなって、
「もう、やめて下さいよー、恥ずかしい」
とかぶりを振っていたが。
怜はというと。
不思議と彼女の周りには、猫がすり寄っていた。
困惑気味に見える表情で、どうしたらいいのかわからず、恐る恐る猫に手を差し伸べている彼女。
夢葉はそれを見て、
「怜さん。猫はこうやって触るんですよ」
と仕草で触り方を教えながらも、内心では、
(怜さんって、ちょっと猫っぽいからな。ツンデレな部分とか。似た者同士だな)
と思い、微笑ましい気がするのだった。
陽が暮れるまで、散々猫を触り、戯れる夢葉。
翠も加わり、猫との幸せな
結局、なんだかんだで猫たちに気に入られているのは怜で、夢葉としては、嫉妬すら抱くほど彼女は猫に気に入られていた。
こうして、真冬の横須賀、三浦半島ツーリングは終わったが。
黒羽夢葉にとって、いよいよ「その時」は迫っていた。
大学を卒業する日だ。本来は社会へと旅立つ日。しかしながら、彼女はまだ進路すら決まっていなかった。
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