37. 憧れの南の島(前編)

 初めてのキャンプツーリングを終えた夢葉たち。季節は「秋」真っ盛りだった。


 そんな10月中旬。


 夢葉から興奮気味のグループメッセージが二人に届く。


「お二人とも、沖縄に行きましょう、沖縄!」


 やたらとテンションが高いそのメッセージに苦笑する怜と翠。


「なんや、いきなり?」

「そうだ。大体、休み取れるかわからないぞ」


 戸惑い気味の二人に対し、夢葉は畳みかけるようにメッセージを送る。


「11月最初の週の金曜日、4日。ここを休みにすれば一気に4連休です。しかも、飛行機代がなんと、往復1万円で沖縄に行けるLCCを見つけたんです。これはもう行くしかないでしょ。お二人とも、有給取って下さい。あと、絶対休日出勤なんてしないで下さいね」


 いつもはどちらかというと控えめで、先輩たちのプランに従う夢葉が、いつになく興奮していた。

 カレンダーを見ると、この年の11月3日、文化の日が木曜日、5日と6日が土日になるので、4日を休みにすれば確かに4連休になる。


「珍しく押すな」

「まあ、確かに前に九州で、次は沖縄に行くか、って言ったのは私だけどな」


 尚も、二の足を踏んでいる二人に対し、夢葉の強引とも言えるメッセージが届く。


「何、言ってるんですか。こんなチャンス滅多にないんですよ! しかもその頃の沖縄はオフシーズンで、夏ほど観光客がいないし、しかも暖かい! 絶対行きますよ」


「わかったわかった。まあ、少し落ち着け」

「せやな。とりあえず何とか休み取れるようにしとくわ」


 怜と翠は渋々ながらも了承していた。


「やった! じゃあ、後は私に任せて下さい。宿もツーリングコースも、レンタルバイクも全部手配しておきますから」


 半ば一方的にそう切り出して、メッセージ送信を終える夢葉。


 メッセージ画面を閉じると、早速彼女は、携帯で「沖縄」について調べていた。同時に、すぐに本屋に行って、沖縄のガイドブックを買ってくる。


 そう。夢葉は人一倍「寒がり」だからこそ、この沖縄ツアーを楽しみにしているのだった。


 調べてみると、11月の沖縄の平均気温は大体22度くらい。最高気温が24度から25度、最低気温が19度か20度くらい。

 本州の多くの地域では、紅葉の時期になり、早いところでは初雪の便りも聞こえてくるこの時期に、沖縄はまだまだ汗ばむような陽気なのだった。


 さすがに、海に入るには少し肌寒い気温ではあるが、観光するには十分だった。そして、彼女の予想通り、沖縄の観光ピークシーズンの夏に比べて、飛行機代もホテル代も安い。


 たまたまネットで、「沖縄往復1万円」という破格のLCC便を見つけた夢葉は、もうすっかり沖縄に行く気になっていた。


 今回、彼女が計画したのは、3泊4日だが。

 安いLCCのため、沖縄到着は初日の夜になる予定だった。

 そのため、本格的な沖縄ツーリングは2日目から4日目までの3日間。


 早速、彼女は計画する。

 まずは、沖縄の中心部、那覇で一泊し、翌日からレンタルバイクで沖縄本島を一周しようと計画するのだった。


 沖縄本島を那覇から左回り、時計周りで一周する。そうすれば、常に左に海を見ながら回れるからだ。

 主な観光予定地は、那覇の首里しゅり城跡、残波ざんぱ岬、万座毛まんざもう瀬底せそこビーチ、今帰仁なきじん城、嵐山あらしやま展望台、辺戸へど岬、海中道路、伊計いけい島、勝連かつれん城、平和祈念公園、そしてひめゆりの塔。

 あとは、臨機応変に追加する予定だった。

 宿は、2日目が瀬底ビーチのある瀬底島、3日目は沖縄市に決めた。


 レンタルバイクは、前に怜が言ったように、沖縄では本土よりも安く、3日間借りても一人当たり、格安店なら250ccでも8500円ほど、400ccでも1万円くらいだった。


(安っ! さすが沖縄。これはテンション上がってきたぞ!)


 早くも、夢葉は飛行機、ホテル、レンタルバイクを次々に予約していく。



 11月3日、木曜日。文化の日。

 羽田空港国内線ターミナル。

 午後5時の飛行機出発に合わせて、三人はそれぞれ荷物を持って、午後3時30分には集合。


 いつもとは違い、バイクに乗る格好をする必要はなかったが、それでも沖縄でバイクに乗ることを考慮した格好で三人は現れた。


 夢葉は薄手の夏用ジャケットにジーンズ、おまけに何故か麦わら帽子をかぶってサングラスをかけていた。怜は薄いメッシュのツーリングジャケットに、レザーパンツ。翠は夏用ジャケットにチノパンという格好だった。


「お前。何で麦わら帽子なんてかぶってるんだ? というかサングラスなんてかけるのか?」


「いやー、沖縄って言ったらこれでしょ。ヤバい。テンション上がってきた!」


「元気やなあ、夢葉ちゃん。そないに沖縄、楽しみかいな」


 先輩二人に対し、夢葉はいつになく元気な声を張り上げる。


「そりゃ、楽しみですよ。なんたって沖縄ですよ、沖縄! 私、寒いのが苦手だから、一度は行ってみたかったんです。常夏の国、青い空に白い砂浜。眩しい太陽。素晴らしいです、沖縄!」


「まあ、気持ちはわかるが、落ち着け」


「せやな。思った以上に暑いかもしれへんしな」


 二人になだめられながらも、興奮気味の夢葉は、空港内で早く飛行機に乗りたくて仕方がないようで、そわそわして、子供のように落ち着きがなかった。


 チェックインをして、なんだかんだで、時間を潰し、搭乗手続きをして、午後4時45分頃には飛行機に乗り込む三人。


 LCCの安い飛行機ゆえに、機内は狭く、居心地としてはあまりよくはなかったが、それでも一般的な飛行機としては十分だった。


 午後5時。羽田空港を離陸。


 沖縄、那覇空港までは約2時間45分のフライトで、現地到着時間は午後7時45分。現地の天候は晴れ、気温は23度と機内アナウンスが入る。


「23度! マジですか? さすが沖縄、すごい!」

 早くもテンションを抑えられない夢葉に、二人は苦笑しながらも談笑し、夢葉の沖縄ツーリング計画を聞きながら、時間を過ごした。



 午後7時45分。定刻通りに沖縄本島の那覇空港に到着。

 ここ那覇空港は沖縄本島南西部に位置し、年間利用客数は2000万人を越え、国内線の着陸回数は国内2位。

 国内屈指の基幹空港の一つで、沖縄の観光の玄関口となっている。


 それだけに降りた後も、夢葉を興奮させるには十分な景色が広がっていた。

 空港内の至るところに南国特有の花が飾られており、見た目から南国感を醸し出している。

 特に赤や青の、色鮮やかなハイビスカスの花が目につく。


「うわ、これってもしかしてハイビスカス? めっちゃキレイですねー」


「テンション高いな、夢葉ちゃん」


「そうだな。余程楽しみだったんだな」


 先頭を踊るように歩きながら、写真を撮りまくっている夢葉を、先輩の二人は冷静に見守る。


 空港を出て、ゆいレールという沖縄唯一の鉄道、モノレールに乗り換える間も、思った以上に高い気温に夢葉は喜びを隠せなかった。


「暖かい! 東京なんてもう10度台なのに、この気温。さすが沖縄!」

 この時期、東京の最高気温は大体19度くらい、最低気温は12度くらいと言われているので、確かに沖縄は東京より4度以上高いことになる。


 ゆいレールに乗り込み、那覇の中心部に向かう。


 県庁前駅で降りて、真っすぐ行くと、那覇随一の繁華街、国際通りが広がる。すでに夜の8時を回っていたが、通りは賑やかで、ネオンサインが輝き、多数の飲食店、土産物屋から明かりが見えてくる。


「おお、これが国際通り! まずはどこかでご飯食べて、お酒買ってから宿に向かいましょう」


「それはいいけど、宿は近いのか?」


「はい。この国際通りのすぐ近くの小さな宿です」


 終始、テンションが高い夢葉に連れられる形で、二人は後に続き、沖縄料理店に入る。


 そこは国際通りからは少し離れていたが、地元では有名な料理店で、いつも賑わっているという。


 早速、店内に入り、メニューを開く三人。


「私、これ! ゴーヤーチャンプルー定食。やっぱ沖縄と言ったらこれでしょ」


 最もテンションが高い夢葉がさっさと注文を決める中、二人は迷っていた。


「うーん。私はあまり腹減ってないから、ソーキそばでいいや」

 と怜が。


「私は、このとうふチャンプルーってのと、泡盛あわもりで」

 と翠が。


「もうお酒飲むんですか、翠さん。ホント、のんべえですねー」

 笑いながらも、夢葉がまとめて店員に頼んでいた。


 やがて夢葉の前に運ばれてきたのは、かなりボリュームがあるゴーヤーチャンプルーとご飯、味噌汁のセットだった。


 それを美味い、美味いと言って猛烈な勢いで食べる夢葉。ふと、傍らに一緒に置いてある黄色いお茶に気づいた。


「これって、さんぴん茶ですよね」

 少し得意げにそう言ってみせる夢葉。もちろん、彼女は事前に調べていた。

 さんぴん茶とは、沖縄ではよく見られるお茶の一種で、元は中国から入った、いわゆる「ジャスミン茶」のことだ。

 沖縄の飲食店では、水やお茶代わりによく出される。


「さんぴん茶?」


「知らないんですか、翠さん。さんぴん茶ってのはですね……」

 いつになく得意げに夢葉は語りだす。


 沖縄の旅行の始まりから、彼女のテンションは上がりっ放しだった。


 食後、今度は翠が「飲み足りない」と言い出し、宿に向かう前にスーパーで泡盛とつまみを買ってから宿へ向かった。


 宿は小ぢんまりとした宿で、少し家庭的な民宿のような宿だった。

 宿の従業員は親切で、色々と沖縄のことを教えてくれ、自由に過ごしていいと言ってくれるのだった。


 そこで、三人は買ってきた泡盛で乾杯をする。

 泡盛は、度数が40度を超える高い物から12度程度の水割りに適した物まで売っているが、酒に強い翠が選んだのは、40度もする泡盛だった。


 さすがに度数が高すぎて、夢葉は買ってきたシークヮーサーで割り、怜は水で割って飲んだ。


「ほう。これはまたさっき飲んだのとはちごて、濃厚で芳醇な香りがして、甘くてええ酒やな」

 翠が満足げにそのきつい酒を平気な顔で煽る。


「確かに甘いですけど、きついですね、これ」


「ホントだな。美味いっちゃ美味いけど、焼酎よりきついぞ」


 それぞれ泡盛の感想を言い合い、つまみを食し、談笑しているうちに夜は更けていった。



 2日目。天気は曇り時々雨だった。

 そして、この「雨」がまた天敵になる。


 朝、宿を出て、夢葉が予約していたレンタルバイク屋に向かうことになった。

 場所は、ゆいレールで空港側に少し行ったところにある、奥武山おうのやま公園駅を降りてすぐのところにあった。


 「格安レンタルバイク」と、銘打ってあるだけのことはあり、確かにバイクとしては安かった。


 三人は、夢葉が選んだ250ccのバイクにそれぞれ乗ることになった。夢葉はホンダ CBR250RR、怜はヤマハ マジェスティ250、翠はカワサキ エストレヤ。

 それぞれ、いつも自分たちが乗っているバイクのメーカーの方がいいだろう、と夢葉が気を利かせていた。

 なお、怜は事前に「面倒だから楽なスクーターでいい」と夢葉に伝えていた。


 ヘルメットは、元々貸与という形で貸してもらえる。


 最後に店員は、沖縄が初めてという彼女たちに、注意するようにこう言った。


「雨が降ったら、沖縄の道路は滑るから、十分気をつけて下さい」


 夢葉は、一応、わかりました、とは言っていたが、正直上の空だった。


 それより、気になった問題はその錆だった。

 沖縄に限らず、海沿いの土地のバイクや車というのは、潮風を浴びるため、錆びやすい。


 そのため、実際に乗ってみると、車体の至るところが錆びており、妙な異音までしているのだった。


(大丈夫かな)

 少し不安な気持ちになる夢葉。


 だが、借りた以上はもうどうしようもなかった。


「じゃあ、行きましょう! 沖縄は全部、私に任せて下さい!」

 不安な気持ちを押し隠し、夢葉は先頭に立って走り出す。


 こうして、奇しくも彼女たちは初の「レンタルバイクによる離島ツーリング」をスタートする。もっとも「離島」と言っても、沖縄本島はかなり大きいが。


 最初に向かったのは、首里城だった。

 レンタルバイク屋からは、大体20分ほどで着く距離だが、早くも沖縄名物の「渋滞」に引っ掛かり、結局25分かかって、首里城に到着。


 ところが。


 バイクを降りて、とことこと歩き、かつて2000円札にも描かれた、有名な守礼門しゅれいもんをくぐった後、いくつかの門をくぐった先には、本来あるはずのものがなかった。


 首里城。


 創建年代は14世紀頃と言われているが、実は正確な創建年代は不明である。沖縄を代表する史跡で、かつての琉球王朝の王家の居城と言われている。

 太平洋戦争の沖縄戦の戦火で焼失、後に再建し、2000年には世界遺産に登録されている。


 色鮮やかな朱色の外壁や内装が見事な城だが、2019年に火災で焼失。この頃にはまだ再建されていなかったから、彼女たちの前には城はなかった。

 ちなみに、首里城自体は、1453年、1660年、1709年、1945年、そして2019年と歴史上5回も焼失している。


「そういえば、火事でなくなってるんだったー。忘れてました」

 うずくまり、残念そうに城跡を眺める夢葉。


「忘れてたんかいな」

「そんな大事なこと忘れるなよ」


 たちまち二人に突っ込まれるが、夢葉は開き直って、風景を眺める。


「でも、ここからの眺めはいいですね」

 城壁の向こうに見える、那覇の街並み、そしてその上にかかる白い雲と青い空が、いかにも南国という感覚を想起させる。


「確かにな。それだけに火事は残念だ」

「まあ、しゃーないわな」


 その後、夢葉は、二人に振り向いて、


「それじゃ、ついでにもう少し歩きましょう。この近くにいいところがあります」


 と言って、先導する。


 そのまま彼女が向かったのは、首里城から南側の住宅街を抜けた先だった。

 やがて見えてきたのは、古ぼけた石畳と、それを囲むように建つ、石の壁と赤い瓦屋根を持った古い沖縄民家の姿だった。家の軒先には赤茶けた獣像が置いてある。シーサーと呼ばれる沖縄特有の守り神で、伝説の獣像と言われる。

 建物の門や屋根、高台などに置かれ、村に災厄をもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持っている。


「おお。シーサー。ここにもたくさんある」

 嬉しそうに声を上げる夢葉。すでに沖縄に降り立ってから、何度も見ているが、一般の民家にあるものは初めて見たのだった。


「で、ここは?」

 その怜の問いに、答える代わりに夢葉は、ガイドブックを見せた。

 そこには。


 金城町石畳道きんじょうちょういしだたみみち


 と書かれてあった。

 

 首里城公園の南側の斜面に位置し、14世紀から19世紀にかけて栄えた琉球王朝時代の城下町である金城町にあり、元々は総延長が10キロもあった。

 太平洋戦争で破壊され、現在は1983年に再建された238メートルが残されている。


 琉球石灰岩の平石が敷き詰められ、沿道には近世以前の石垣が多く現存している。


 そして、ここからはこの特徴的な古い石畳の道が、坂の上から下までずっと続いており、その向こうに那覇の街並みが見渡せる絶景ポイントでもあった。


「確かに、ここはええ雰囲気やな」

「ああ。ちょっと独特の雰囲気だな」


 怜と翠の二人も、この独特の風景に感じ入るものがあるようで、写真を撮ったり、SNSにアップするのであった。



 次に夢葉が向かう予定の場所は、残波岬という岬で、1時間ほどで到着するはずだったが。


「つんどる!」

 翠が思わず三重弁で叫んだように、沖縄名物とも言える渋滞が三人の行く手を阻んだ。


 国道58号。「沖縄の大動脈」とも呼ばれる主要国道で、沖縄の若者の間では「ゴーパチ」などとも呼ばれている。

 九州・沖縄を通じて交通量が最も多い国道であった。

 元は米軍が整備したHighway No.1がその起源とされ、軍道としての歴史を持っており、沖縄県内では長らく「1号線」とも呼ばれた。


 車幅は広いが、たびたび渋滞する道だった。


 たまらなくなった夢葉は、途中のコンビニで一度休憩する。すると、怜が。


「どうせ時間がかかるんだ。なら、ちょっと寄り道しないか?」

 とタバコを吹かしながら提案した。


「寄り道ってどこにですか?」


「ああ。沖縄らしいところさ」


 ということで、急きょ、怜が先頭に立ち、向かった先は。


 道の駅かでな。


 県道74号沿いに位置する道の駅だった。

 ここには三階建ての建物があり、その屋上に登ることができる。

 

 そして、そこから一望できる景色こそが、真実の沖縄を映し出す鏡だった。


 道を隔てて、すぐ向こう側に広大な敷地があり、いくつもの戦闘機が見える。時折、その戦闘機が離発着すると共に轟音が聞こえてくる。

 広大な敷地を領する主は、アメリカ合衆国。そう、ここは米軍嘉手納かでな空軍基地の目の前にあった。


 嘉手納空軍基地。それは、極東最大の空軍基地で、在日米軍最大の基地でもあり、皮肉なことに羽田空港の2倍の敷地を持つ、日本最大の空港でもある。


 アメリカ空軍が居座り、地主数は約11450人。嘉手納町の面積の実に82%がこの基地になっている。


 まさに、現在の日米問題を如実に現す、在日米軍問題の縮図とも言える場所だ。


「ほう。こら、またすごいもんやな」


「ですね。それにしても、沖縄の人はホント、大変ですね。こんなのが横たわっているとは」


 二人の感想とは別に、怜は、その目に映る米軍基地を睨むように見ながら、呟いた。


「大変で済む問題じゃないけどな。沖縄の人は太平洋戦争で散々苦しんだ挙句、今度は米軍に居座られ、今も基地問題で悩まされている。同情するよ」

 どこか遠い目で、その光景を見つめる怜の横顔が、どこか寂しそうに見える夢葉だった。



 続いて、ようやく向かったのが残波岬だったが。

 途中から弱い雨が降ってきた。


 そして、ここで彼女たちは沖縄の「洗礼」を浴びる。


 雨で濡れた路面が思った以上に滑るのだ。

 たちまち足を取られ、タイヤはスリップし、転倒しそうになる夢葉。


(うわっ。怖っ!)

 そう思いながらも、必死で体勢を立て直し、何とか転倒はせずに済んでいた。


 レンタルバイクである以上、転倒して傷つければ、それだけ追加で金額を請求されかねない。そういう気持ちがあったから、なおさら踏ん張っていた。


 沖縄の道路は、強烈な直射日光でアスファルトが劣化していたり、海からの塩分の結晶が路面に付着していたり、また一般道のアスファルトにサンゴ礁の琉球石灰岩が使われているため、とにかく雨が降ると、想像以上に「滑る」。


 特に水分が少量の降雨時に余計に滑りやすい。


 まさにその時が、そういう状況だった。


 沖縄の天候は、台風以外では、雲が海風に流されるため、本州のように一日中ずっと雨のような天候は少ないという。


 ただ、その分、少量の雨が降って、逆に道路が滑りやすくなるという危険性が高い。


 そんな沖縄の洗礼を浴びた三人。何とか残波岬に着いた頃には、弱い雨は止んでいた。


 残波ざんぱ岬。


 沖縄県読谷村よみたんそんに位置する岬で、突端部に残波岬灯台という白い灯台が建っている。


 見た目は何の変哲もない岬だが、実際に行ってみると、高さ30メートルの崖が続き、岩がゴロゴロと転がっており、荒々しい印象を抱かせる。


「いや、それにしても焦りました。雨で滑るとは聞いてましたが、あそこまで滑るとは……」

 灯台を見ながら、夢葉が呟く。


「私も焦ったで。本州じゃ考えられへんな」

「私もだ」


 三人は、岬や灯台の感想よりも、むしろ沖縄の道路の滑りやすさに衝撃を受けていた。



 そこからさらに30分ほど県道と国道を経由し、次に向かったのは。


 万座毛まんざもう


 と呼ばれる場所だった。

 沖縄県恩納村おんなそんに位置する名勝地で、東シナ海に面した標高20メートルの琉球石灰岩からなる絶壁である。

 象の鼻に似た奇岩が有名で、修学旅行で立ち寄る有名観光スポットでもある。


 名前の由来は、1726年に琉球国王の尚敬しょうけい王が訪れ、村人が歓迎した際、この絶景を見て感動した王が、「万人を座らせるに足りる」と称賛したことから来ている。


 その名の通り、崖の上は、広大な芝生広場になっている。


「へえ。これが万座毛か。修学旅行で行くところですよね。私は高校の修学旅行は京都だったから、行ったことなかったですけど」

 夢葉が象の鼻を写真に収めながら発言する。


「そうだな。私も写真で見たことあるぞ」

「なんや、『象の鼻』言うより、『銭』に見えるやんな、あれ」


 そう言って、翠は親指と人差し指で円を作って見せる。


「あはは。確かに、『お金ちょーだい』って感じに見えなくもないですね」

「せやろ?」


「はあ。せっかくの景勝地の雰囲気が台無しだな」

 二人のやり取りに、真面目な怜は嘆息していた。



 宿に向かうには、まだ早かったが、その日の宿は、料理ができるコンドミニアムだった。

 そのため、三人は宿に向かう途中にあるスーパーに立ち寄り、そこで適当な魚やご飯、酒を購入。


 そのまま宿に向かうと思っていた二人に対し、先導する夢葉は、


「宿に向かう前に、まったりするところに行きますよ。ビーチです!」

 嬉しそうに破顔しながら、バイクを飛ばした。


 瀬底島は、沖縄北部の本部もとぶ半島の西に位置する、セイヨウナシのような形をした、面積2.99平方キロメートルの小さな島で、人口はわずか817人ほど。


 隆起したサンゴ礁の島で、主に琉球石灰岩で構成されている。


 本部半島から橋を渡った、その瀬底島の北西に、ビーチがある。


 着いてみると、夕陽にはまだ早い時間だったが、家族連れやカップルが、思い思いの時間を砂浜で過ごしているのが見えた。


 だが、関東の湘南海岸のように、人でごった返しているわけではなく、まばらに人がいるだけで、落ち着いた雰囲気だった。


 白い砂浜と青い空。

 まさに夢葉が見たかった風景がそこには広がっていた。


「来た来た、沖縄のビーチ!」

 今にも海に飛び込まんばかりの勢いで、砂浜を駆ける夢葉。


「夢葉ちゃん。海で泳ぐなよ! いくら暖かい言うても11月や! さすがに泳がん方がええで!」

 後ろから翠が制する声が聞こえてくる。


「大丈夫です、翠さん! 私、水着持ってきてないですし! でも、せっかくだから、ビーチサンダルで海に浸かります!」

 そう言って、夢葉は手を振り、砂浜で靴を脱いで、ビーチサンダルに履き替えると、ジーンズを膝までまくり上げ、そのまま勢いよく海に向かって走って行った。


「元気だな、あいつ」


「そないなこと言うて。お前も行きたいんちゃう? 行ってこればええんや」


「バカ。私は別に。そもそもビーチサンダルなんて持ってきてないしな」

 どこか照れ臭そうに否定する怜の様子が、おかしく見えて翠は微笑んでいた。


 そのまま、しばらくの間、ビーチで海と戯れる夢葉を見守りながら、砂浜に腰を下ろす二人。


「きゃはは。気持ちいー」

 夢葉は初めて来る沖縄に、未だにテンションが上がっており、一人にも関わらず、水と戯れていた。


「かわええな、夢葉ちゃん。純粋で、ええ子や。最近の大学生にはおらん子やわ」

 そんな様子を、頬杖を突いて眺める翠。


「何だ、翠。お前、そっちのでもあるのか?」


「んなわけあるかいな。私はノーマルや! ただ、なんかあの子、見てると放っておけなくなるんや」


 そっちの気と言われ、慌ててかぶりを振る翠だった。だが、怜もまたその言葉に頷いていた。


「ああ。そうかもな。私もなんだかんだで、あいつを気にかけるようになったし、あいつには不思議と人を引きつける魅力があるのかもしれない」


「その割には、彼氏できへんけどな」


 ところが、そんな翠の発言に、怜は意外な反応を返す。


「いや。できない方がいいのかもな。あいつが悪い男に騙されるのなんて、見たくない」

 その一言に、翠も頷いていた。


 しばらくそうしているうちに、やがて西の空が少しずつオレンジ色に染まってきた。


 夕焼けだった。

 ただ、残念なことに、この日は曇りがちな天気で、空には雲が多く、完全な夕陽を見ることは叶わなかった。


 それでも、遠い海へゆっくりと沈みゆく夕陽を眺めるという、のんびりした一時を迎えることができた三人だった。


 陽が沈んでから、三人は予約した、瀬底島にあるコンドミニアムに向かった。


 コンドミニアムとは、一般的なホテルとは違い、居住性の高い宿で、台所や食器などが備え付けられており、そこで長期間滞在することを想定している。


 ただ、彼女たちは翌日に別のホテルを予約していたため、結局は1日のみの滞在となったが。


 それでも、海に面したオーシャンビューの部屋。風呂もシャワーもあり、台所も食器も完備している、マンションの一室のようなこの空間は実に居心地のいい場所だった。


 三人は、買ってきた食材を調理し、酒を飲んで、気ままな沖縄滞在を楽しむのだった。

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