3. 乗りたいけど……

 翌日、夢葉は、あっさり自転車部をやめた。


 さすがに、部員たちは、彼女を必死に引き留めたが、もう夢葉の心は決まっていて、決意は揺るがなかった。


 さらにその日のうちに、大学の学食の冊子コーナーに置いてある、無料パンフレットから「自動車教習所」と書いてあるパンフレットを見つけ、持って帰り、自宅で「普通二輪免許」についてネットで調べた。


 すると、バイク免許には大きく3種類あることがわかった。

 「原付免許」、「普通二輪免許」、「大型二輪免許」だった。

 そのうち、原付免許は50ccまでしか乗れないし、速度制限や二段階右折があるから、そもそも取る意味なんてあるのか、と思っていた。

 おまけに、大型二輪免許は18歳以上という制限がある。彼女は18歳以上ではあったが、さすがにいきなり大型は怖いように思えた。


 とりあえず、怜に言われたように「普通二輪免許」というものを取ればバイクに乗れるようだったが、免許取得にかかる費用は総額で約16万円もすることがわかった。


 幸い、大した趣味もなく、また高校時代からバイトなどで貯めてきたお金が18万円ほどあったから、これについては問題なかった。


 が、バイクに乗る前に、夢葉には大きな問題があった。


 夜、帰宅した父・亮一郎に、話してみた時だ。


「あのー。お父さん。私、バイクの免許を取りに行きたいんだけど」


 と、恐る恐る口に出した夢葉に、亮一郎は、

「はあ? バイクだ? 何、バカなこと言ってんだ。危ないだろ? 女の子がそんなもの乗ってケガしたらどうする?」

 当たり前のように反対してきた。


(やっぱりか)

 夢葉は思っていた。


 彼女は一人娘だった。昨今の少子化、晩婚化の影響で、両親は結婚するのが遅く、夢葉が生まれたのは、父が38歳、母が35歳の時だった。


 当然、一人娘として大事にされてきた。特に父は、少し過保護なくらい夢葉を可愛がっていた部分がある。


(どうしようかな)

 思案に暮れて、立ち尽くしていた夢葉。


 ところが。

「お父さん。夢葉ももう大学生でしょ。いい加減、好きなことやらせたら?」

 母・絵美だった。


 台所からこの話を聞いていた、彼女の母が声を上げた。

「しかし、母さん」


「しかしも何もないわ。大体、私だって、昔乗ってたの、知ってるじゃない?」


「えっ?」


 むしろ一番驚いたのは、夢葉だった。

「お母さん。昔、バイクに乗ってたの?」

 そんな話は聞いたことがなかったからだ。


 すると、夢葉の母・絵美は、「しまった」とでも言うような表情を見せた後、

「あははは、ごめんね、夢葉。別に隠してたとかじゃないんだけど、ちょっとね。恥ずかしくて」

 お茶目なところがある、絵美は、照れ笑いを浮かべていた。


 亮一郎は、新聞に目を落としていた。そのままの姿勢で、

「けど、お前がバイクに乗ってたのはもう何十年も前だろ。しかも事故って、廃車にしたよな」

 と、台所にいる絵美に声をかけていた。


「まあね。私も若かったからね。でも、大丈夫よ。このは私より運動神経いいし、頭もいいから」

 なんだか母にそう言われると照れ臭い、と思い、視線をそらしてしまう夢葉。というより、自分が運動神経いいとか、頭がいいなんて思えないのだったが。


「夢葉」

 台所から顔を出した母が、夢葉を手招きしていた。


 近づくと。

「お父さんはお母さんが後で説得しておくから、さっさと教習所に行って、既成事実を作ってしまいなさい」


 ひそひそ声で、このお茶目な母は娘にそう提案していた。

「あなたのことだから、教習所に通うお金はあるんでしょ?」

 まるで見透かすように、そう聞いてくる母。


「あるよ。ただ、バイクを買うお金はないけど」


「そこは、ローン組んでもいいし、バイトでもすればいいわ。お母さんも若い頃、お金もないのに、無茶したからなあ」


 そう言って、少し遠い目をする母。

 夢葉の知らない若い頃の無茶をした、バイクに乗っていた母。

 それを想像して、夢葉は少しおかしく思えて、微笑んだ。


「おーい。何、ひそひそ話してるんだ?」

 蚊帳かやの外にされて、寂しいのか、父がそんな声を上げている。


 女性二人は。

「ああ、何でもないのよ、お父さん」


「うん。大丈夫大丈夫」

 と、必死に誤魔化していた。



 翌日、早速、自宅近くの教習所に申し込みに行った夢葉は、受付で説明を受けた。


 それによると、「普通二輪免許」は、「学科」と「実技」の勉強に分かれており、学科が26時限、実技が19時限もあるそうだった。

 料金は、税込みで16万円くらいはしたが、学割が効いて14万5000円くらいに落ち着いた。


(うわぁ、メンドくさそうだなあ)

 まず学科の試験を最初に受けて、早くもやる気が失せる気がする夢葉だった。


 いちいち、交通法規だの、信号機だの、標識だの、を覚えなくてはいけない。それがまた大変で、学校の授業みたいなものだった。



 そして、実技。

 1限目。


 軽く自己紹介した後、教官から最初に教えられたこと。

 それは。


―引き起こし―


 だった。

 要は倒れたバイクを起こすのだが。


 教官は教習用のバイク、ホンダのCB400スーパーフォアをゆっくりと倒して、まずは手本を見せた。


「こうやって、右足を踏み込んで、体全体を使って押し上げるんだ」

 そう言って、例を見せたが。


 その日、夢葉と共に初めて実技教習を受けた生徒は、他に2名。

 夢葉と同じくらいの年の男の子と、少し上の20代後半くらいの男だった。


 二人は、難なくバイクを引き起こしていた。


 そして、夢葉の番。

「ん~~~っ!」


 力いっぱい引き起こしをやるが。

 全然持ち上がらないバイクの車体。


 そして、限界が来て、力を抜いてしまう。

「はい、じゃあもう一回」


 教官に言われて、またもチャレンジする夢葉。

 だが、やはり全然持ち上がらない。


 孤独な戦いだった。

 こういう時、誰も助けてくれる人はいない。

 夢葉は、想像以上に重いバイクに力を入れながら、考えていた。


(うーん。きついよ~! こんなの自転車でヒルクライムする時よりツラいじゃん! 何キロあるんだ、こいつ!)


 と、同時に、


(私、なんでこんなツラい思いまでして、バイクに乗ろうとしてるんだっけ?)


 自問自答していた。


 ただでさえ、重たいバイクを、男性より非力な女性が引き起こす。これは想像以上に大変なことなのだった。

 ましてや、夢葉は、特別大きい体つきではないし、どちらかというと小柄な女性だからなおさらだった。


 結局、その教習1限目いっぱい使って、彼女だけ「引き起こし」をやっていた。

 そして、何回目かの挑戦の後、彼女は。


(何やってんだろ、私)


 そう思うと同時に、脳裏には颯爽さっそうと駆け巡る怜の姿が浮かんでいた。


(そうだ。ツラいけど、こんなことでバイクに乗れないなんて悔しい! 私はバイクに乗って、怜さんと一緒に走りたい!)


 ぷるぷると震える腕。本当ならとっくに限界を迎えるはずの彼女の腕に力が戻り、そして右足をバイク側に思いっきり踏み出した。

 そして、体をバイクに押し当てるようにして、思いっきり力を入れて、バイクを反対側に持っていくようなイメージで、勢いよく力を入れて押し上げた。


 やっと、なんとか引き起こしに成功した夢葉。


「おお、できたね、黒羽さん」

 教官がやっと出来た夢葉に近づいてきた。


 ようやくスタートラインに立てた夢葉。

 すでに汗だくになっていて、息も切れていた。


「はあ。なんとかできました」


 その時、チャイムが鳴って1限目が終わった。


 夢葉はその日、2時間教習を入れていたので、続きがあった。


「じゃあ、時間だね。次は実際に走ってもらうからね」

 そう言われた夢葉。


(やっと引き起こしできたよ。つーか、もう二度とやりたくない)

 そう内心、思っていたが、これはバイク乗りの誰もが通る、入口の試練に過ぎないことを彼女は、後でイヤというほど思い知ることになる。

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