6. ようこそこっち側へ
市振怜は、夢葉が卒検中に、実は携帯でバイクの写真を見ながら考えていた。
―このバイクのド素人に似合うバイクは何か―
と。
(とりあえず、壊れにくいホンダがいいか)
なんだかんだで、彼女は新しく「こっち側」に来る、夢葉を歓迎していたが、根が正直ではない性格なので、素直に言えなかった。
夢葉の卒検終了後、後ろに彼女を乗せて、バイク屋に向かいながら、彼女はなんとなく思っていた。
(CBR250RRか、VTR250あたりが無難か)
CBR250RR。元は1989年に発売されたCBR250R MC19型のモデルチェンジのMC22型と、2015年に東京モーターショーに出品されたLight Weight Super Sport Conceptを原型とした新世代のRRシリーズに分かれる。
長年、ホンダの250ccをリードした車種の現代版だ。
VTR250。元は1982年発売のVT250Fを起源とするロードスポーツタイプのネイキッドのバイクで、名前はV-Twin Roadsportsの略である。V型ツインエンジンを搭載し、トラスフレームと呼ばれる剛性フレーム、そして何と言っても、軽くて取り回しが楽で、壊れにくいため、よくバイク便などで使われる。
すごいのになると、10万キロ、20万キロ走っても壊れないし、エンジンもホンダの信頼性が高いエンジンなので、丈夫だ。初心者や女性には一番最適とも言えるバイクの一つだ。
ちなみに、怜が乗る、ヤマハTZR250 3MA。TZR250は初代から3代目まであり、特にこの2代目3MAが特徴的だった。
「後方排気」とも呼ばれ、通常のバイクとは逆に、エンジン前方にキャブレターが、エンジン後方に排気管が配置されているのが特徴だった。
ハンドリングに重みがあり、発売当時のライバル車だった、ホンダ NSR250Rやスズキ RGV250
(
彼女は、とある顔馴染みの知り合いがいるバイク屋に向かっていた。
埼玉県所沢市にある、そのバイク屋にたどり着いた怜は、夢葉を降ろす。
看板には「アウトインアウト」と書かれている。
彼女は、初めて見るであろう、バイク屋に嬉々として入って行き、
「うわぁ、すごい数のバイクですね。でも、どれも同じに見えますね」
などと、のんきな声を上げていた。
「同じじゃねえよ。バイクってのは、個性があるから、一つ一つ全部違うんだ」
怜はそんな無知な後輩を、少しでもバイクに向かせようとしていた。
二人が店内に入ると、40歳くらいの女性が奥から出てきた。
髪の毛にパーマがかかった、セミロングの髪の、身長165センチくらいのその女は、年齢よりも若々しく見える。
彼女は、怜の姿を見つけると、軽く右手を上げて、笑顔を見せた。
「あら、怜ちゃんじゃない。久しぶり」
「晴さん。お久しぶりです」
今日も、彼女は、いつものように整備用の青いツナギを着ていた。
不良のような外見の怜が「怜ちゃん」と呼ばれ、しかも呼ばれた彼女が、礼儀正しく敬語で挨拶をしている。
そんなことに、夢葉は珍しい物でも見るように、眼を向けていた。
「今日はどうしたの?」
「実は、後輩が二輪免許を取りまして。こいつに
そう言われて、少し照れ臭そうな笑みを浮かべる夢葉に、晴が言った言葉が、夢葉には印象的だった。
「あら、そうなんだ。『ようこそ、こっち側へ』」
笑顔を浮かべ、夢葉に近づく晴。
「あの、『こっち側』って何ですか?」
「『バイクの世界』のことよ。あなたは、賢くない選択をしたの。もう戻れないわね」
などと、言って、口元に不敵な笑みを浮かべている晴。
「賢くない選択なんですか?」
「ええ。バイクってのは、『バカが乗るもの』だから」
「ええっ! 私、バカなんですか?」
「そういうこと。だって、自転車はエコだし、車は安全でしょ。でも、バイクにはそれが一切ない。生身で100キロ超えるスピードを出せるし、壊れやすいし、倒れたら面倒だし、事故ったらタダじゃ済まない。だから『バカ』しか乗らないの」
そんな二人の会話を聞いて、怜は、
「晴さん。バイク屋の整備士がなんてこと言うんですか」
と、明らかに
「だって、事実じゃない」
「そりゃ、そうですけど……」
そして、やっとバイクの選択に入る夢葉。
「お前みたいな、ド素人はVTR250辺りが一番いいな。もしくは、私のようなカウルがついているバイクに乗りたかったら、CBR250RRだな」
当初、考えていたように、怜はそう提案していた。
「カウルって、何ですか?」
「ああ。私のバイクみたいに、車体の外装を覆っているカバーみたいのをカウルって言うんだ」
「ふーん」
が、当の本人。これから「こっち側」に来る夢葉は、その2種類のバイクを紹介され、晴に説明を受けながら、何だか浮かない顔をしていた。
それが、怜には印象に残った。
「うーん。確かにカッコいいんですけど、なんか違うんですよね」
「じゃあ、何がいいのかな? バイクなんて、感性と直感で決めていいものだからね」
晴の言葉に、夢葉は頷き、さらにバイク屋の中をうろついていく。
そして、ついに夢葉は一台のバイクの前で足を止めた。
「私、これがいいです!」
バイクのことを何も知らない、夢葉が初めて心を動かされたバイク。
その名は。
ホンダ
これは、「反逆」を意味し、おしきせを排して、自由に行動することをテーマにしたバイクで、中型のアメリカンタイプのバイクだ。
そして、その独創的な形が人気で、最近の250ccバイクではかなり売れている部類に入るのだった。
その250cc版のレブルの前で、嬉々とした表情を見せる夢葉。
怜には少し意外な選択だった。
ところが、当の本人は。怜が理由を聞いてみたら。
「だって、バイクってみんな頭にCとかVとかZとか、変なアルファベットばかりついてて、なんか覚えにくいじゃないですか。でも、『レブル』って、すごく覚えやすいですし、なんかカッコいいですよね、この形」
それが理由という。バイク乗りとしては、非常に珍しい部類の理由だったことに、怜も晴も驚いた表情を作ったが。
普通は、「形がカッコいい」とか「速そう」とか「憧れの人が乗ってるから」とかそういう理由が多いはずだ。
一応、「カッコいい」とは言っていたが、怜にはそれがついでに言ったように聞こえていた。
名前が覚えやすいから選んだ、などという理由でバイクを選ぶ奴なんて、怜は初めて見たのだった。
晴は、車体の説明をして、最後に。
「『レブル』ってのは、『反逆』っていう意味なのよ」
と言った。すると、夢葉は、眼を輝かせていた。
「反逆! カッコいいですね。それに私にピッタリかも」
「なんでだよ?」
ぶっきらぼうに尋ねる、怜に夢葉は意外な言葉を吐き出した。
「だって、私、家族に反逆してるから」
「認められてないのかよ?」
「お母さんには認められました。でも、お父さんは未だに私がバイクに乗ることに反対してるんです。ほとんど強引に、無断で免許を取ったようなものです。だから『反逆』なんてピッタリだなって」
そんなことを口にする夢葉に、二人は苦笑いを浮かべていた。
「まあ、バイクなんて、そもそも他人に認められて、乗るものじゃないしな」
怜は、彼女には珍しいくらい、優しげな声と表情で、そう言っていた。
そして、晴もまた、
「そうね。バイクそのものが『世間に対する一般常識への反逆』と言えるかもしれないしね」
と、微笑んでいた。
こうして、夢葉のバイクは、奇妙な理由であっさりと決まっていた。
色は黒。元々、レブルは1985年に、北米仕様と日本国内仕様に発売されていたのだが、国内仕様は、バイクによくある「自動車排出ガス規制」という理由で、1999年に販売を終了していた。
北米仕様は引き続き、生産されていたが、これも2016年にはレブル300にモデルチェンジして生産終了になっている。
夢葉が選んだレブルは、2017年にフルモデルチェンジした型で、北米仕様は300cと500cc、日本国内仕様は250ccと500ccが発売されていた。
そして、彼女が選んだのは、このレブル250の単気筒エンジンを搭載した、新古車だった。
走行距離が、わずかに1200キロほど。ほぼ、新車に近い、状態のいい新古車だった。
値段は、諸費用込みの総額で約60万円。
それをボーナス支払いなしの48回ローンで組んだ夢葉。
ほぼ、大学の4年間を、このバイクの支払いに充てることになったが、彼女は少しも後悔してはいなかった。
ひとまず、その日は、購入の手続きとして、諸費用の説明、支払い、つまりローン会社への電話、必要書類の引き渡し、手続きに必要な物の提出の説明などを聞いて、解散となった。
家に帰った夢葉が、最初に報告したのは、同じくバイク乗りだったという母・絵美だった。
「レブル? いいんじゃない。カッコいいし、そんなに荒々しいスピード出ないし。初心者のあなたにはいいと思うわ」
と、妙なことを言い出す母に、夢葉は、
「荒々しいスピードって、お母さん、昔どんなバイクに乗ってたの?」
と、怪訝な表情を浮かべていた。
絵美は、昔の写真を思い出したのか、照れたような表情で、
「……NSR250Rよ」
と言っていた。
「それって、めっちゃ速いって言われてたバイクじゃない。やっぱ、不良だったんだね、お母さん」
怜に教えてもらった、知識を母に話すと。
「いやいや、違うのよ。別に峠でレースしたり、中央高速で最高速チャレンジしたり、そんなことしてないわよ」
と、妙に気まずい表情を浮かべ、視線をそらす母。
「絶対してたね」
「ふふふ。どうかしらね? でも、あなたは間違いなく私の娘だわ。バイクに興味を持つあたりがね」
そう言って、微笑む母の姿が、夢葉には印象的だった。
そして、そこから1週間が経ち、やっと納車の日を迎えた。
バイクの「バ」の字も知らないような夢葉が、ついにバイクデビューする日だったが、本当の意味での、バイクの「恐ろしさ」を彼女はまだ知らないのだった。
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