40. バイク便というもの

 沖縄から帰ってきた夢葉が、真っ先にやったこと。

 それは「バイト探し」だった。


(キャンプに、沖縄旅行。結構、お金、使っちゃったからなあ)

 大学3年生の冬で、就職活動が大事な時期にも関わらず、元来、のんびり屋の彼女は、将来の就職計画よりも、むしろ目先の金銭を欲していた。


 同時に、真夏のナイトツーリングで翠に言われたように、「社会勉強」のためにもバイトを始めるべきだと考えた。


 そこでどんなバイトをするべきか、だったが。これまでの彼女の人生の中で、バイト経験は高校時代にファミレスのバイトを1年ほどやっただけだった。


 その時はまだ彼女はバイクに乗っていなかった。言わば、平凡な学生だった。だが、今はバイクに乗っている。同時に「バイクに乗る」楽しみも知ってしまった。


 そこで彼女が考えたのが。


(大好きなバイクを使う仕事がしたい)


 だった。

 求人情報誌や、ネットで情報を集めると、その条件に合致する仕事は色々とあった。

 ピザの配達、郵便配達、新聞配達、そしてバイク便。


 中でも、彼女が最も興味を惹かれたのが「バイク便」だった。

(仕事とはいえ、バイクに乗って、色々なところに行ける)

 そんな些細なことが、彼女の中では選択基準の重要な要素になっていた。


 12月10日。夢葉は21歳の誕生日を迎えた。

 その誕生日の日に、彼女はバイク便の面接を受けた。何か新しいことを始めるには、縁起のいい日だと思ったからだ。


 バイク便の面接は、彼女の予想に反して、簡単な物だった。簡単な履歴書だけを提出し、バイク便会社に行って、面接官に応対する。


 一般的な質問をされただけだったが、面接官の中年の男は、最後に、


「周りのバイトの人、男ばかりだけど、大丈夫?」


 そう少し不安そうな表情で聞いてきた。

 曰く。バイク便の仕事は、力仕事ではないが、様々なところに走りに行くし、自分のバイクを持ち込んで仕事が出来るが、いざという時、自分でメンテナンスもしないといけない。


 つまり、この男は、「女のくせにバイク便なんて出来るのか」と暗に言っているように、夢葉は思った。

 だから、逆に自信満々に言い返していた。


「大丈夫です! 私、バイクに乗り慣れてますし、オイル交換も簡単なメンテナンスもできます」

 実際には、オイル交換は出来ても、チェーン調整はほとんど出来なかったが、彼女は見栄を張った。


 中年の男は、それ以上は何も言わず、結果、彼女は採用された。バイクはももちろん、自分のレブルを持ち込んで行うことになった。



 そして、ついに初仕事の日。12月12日。

 大学の単位を既に7割方は取得していた彼女は、多少ではあるが、時間が余っていた。その日は1日バイトに充てた。


 最初の配達は「ルート」と呼ばれる仕事だった。バイク便には、大きく分けて3種類の仕事内容がある。

 一般的な企業や病院などを回る短距離の「ルート」。より長距離で単価が高い「ロング」。そしてさらに遠くてスポット的な役割のある「ハンド」。これはロングよりも長距離で、最寄りの公共交通機関までバイクで行き、後は電車や飛行機を使って、現地まで行くというものだった。


 まずは「ルート」の中でも「信書便」というものをやらされた。

 「信書」とは、手紙などの書状から、納品書や契約書などの書類、許可証や証明書、ダイレクトメールなども扱う。

 インターネットが発達し、何でもメールでやり取りができる時代になったが、それでも急ぎで物を届けて欲しいという事情などがある。


 例えば、その書類を期限ギリギリまで提出を忘れていた場合などが該当する。そういう時に、機動性のあるバイクを使って、何時間以内に客先に届けて欲しい、などという時によく使われるものだ。


 仕事の多くは「都内」だった。

 日本で一番多くの人口を抱え、一番多くの会社が集中している都内は、それだけで需要も多い。


 しかも、その多くが「都心」だった。

 都心をバイクで走る上での、最大の懸念事項であり、問題。


 それは「渋滞」と「信号機」だった。


 実際、都心の交通量も信号機の量も異常なくらい多い。

 しょっちゅう、道が混み合い、数百メートルに一回は信号機で停められる。


 そして、この時に、夢葉がかつて思いもしなかった、ある事が役に立つことになった。


 それは「一本橋」での経験だった。

 かつて、あれだけ嫌がっていて、「こんなの役に立たない」と思っていた彼女。


 だが、渋滞をすり抜ける時に、この技能が実は役に立つことに気づいてしまった。


 つまり、すり抜けというのは、低速で車と車の間を抜ける行為を差すが、この時、当然ながらアクセルとクラッチの操作を多用する。


 おまけに車によって塞がれて、狭くなった道路上を低速で走る。


 夢葉は、教習所で習ったことを今さらながら思い出していた。

(一本橋の極意は確か、アクセルを上手く使うことだったな。まさかこんな時に生きるとは)


 アクセルを使う、というのは低速走行では実は重要で、クラッチを多用するのはもちろん、アクセルをある程度、制御しながら回し、その上でクラッチを使うことで、バイクの車体は低速でも安定しやすいという特性がある。


 そうして、すり抜けをやりながら、都心の道を色々と走った彼女だったが。

 すり抜け以外に思うことはもう一つあった。


(信号機、多すぎ! 全然、予定通りに進まない!)

 そう。それはミッションバイクにとっては、「都会の地獄」とも言える、無数の信号機だった。


 それも、数百メートル、ひどい時には百メートルに一回くらいの割合で、次々に信号機が現れ、たまになかなか変わらない信号機もある。その度にミッションバイクはいちいちクラッチ操作を強いられる。


(ミッションバイクじゃなくて、スクーターの方が絶対楽だ)

 そう思いながらも、何とかこなす彼女だった。



 バイク便を始めてから2週間あまりが経過した頃。

 彼女は、印象に残る仕事に遭遇した。


 その日は、12月25日だった。クリスマスだ。

 とある、若いサラリーマンからの依頼だった。その日は、彼女にとって初めての「ロング便」だった。


 行き先は、静岡県だった。

 依頼主の男は、その荷物を静岡県の富士市に届けて欲しいとのことだった。


 彼女は、都心にある依頼主の会社に行き、荷物を受け取って、早速高速道路で静岡県に向かった。


 真冬の、身を切るような冷たい風を全身に浴びながら、高速道路を駆け抜ける。

(やっぱり真冬の高速はツラいなぁ。寒くてたまらない! けど、早く届けなきゃ)


 依頼主からは、できればその日の夜までに届けて欲しいと言われていた。東京を出発したのが14時頃。

 この時期の日没が大体、16時30分くらい。その間、2時間半。


 都心から高速道路で富士市まで約2時間。そう考えるとギリギリの時間だった。少し休憩すれば日没をオーバーしてしまう。


 仕方ないから彼女は、ほとんど休まずに、真冬の高速道路を突っ切った。

 走りながら、気になったのが積荷だった。


 バイク便は、リアボックスを取り付けて、それを使って配達するが、その中に入っていた荷物は、リボンのついたプレゼントのような荷物だった。

 大きさは、幅1メートルもないし、重さもそんなにない。

 プレゼントにしては、中身が軽いそれが気になっていた。


 しかも、現地に着いてみると、そこは一般の住宅街の中にある一軒家だった。

 今まで会社ばかりに配達に行っていた彼女は、初めて一般の家に伺うことになり、緊張した面持ちで家へと向かった。


 時刻は16時15分。日没までには間に合ったが、西の空が赤く染まっており、すでに辺りは暗くなってきていた。


 小さな庭があり、真新しい白い壁が目立つ、なかなか立派な家に見えるその玄関口で、インターホンを押すと。


 ややあってから、彼女には意外な出来事が起こった。


 遠慮がちに玄関のドアを開けて、出てきたのは、小さな男の子だった。年の頃は5、6歳くらい。

 短い髪と、クリクリした丸い目が特徴的な小さな男の子を思わず、愛らしく思った夢葉は、驚きながも、持ち前のコミュニケーション力を発揮し、男の子に目線を合わせるようにしゃがみ、優しく微笑んだ。


「ぼく。お母さんはいる?」

 夢葉は、荷物の受取人は、大人、つまりこの場合は依頼主の妻だと勝手に思い込んでいた。


「いないよー。お母さん、お仕事」

 無邪気な目を向ける男の子。


(可愛い!)

 と思いながらも、夢葉は困っていた。


(どうしよう? 受取人がいないなんて)

 しかし、そう思っていたら、男の子の目が、夢葉が持つプレゼントに向いた。


「お姉さん。それ、なあに? もしかしてお父さんから?」


 それを言われて、依頼主の意図に、彼女は気づいた。


「そうだよ。お父さんからのクリスマスプレゼントだよー」

 満面の笑みで、小さな箱を男の子に渡す夢葉。


 たとえ勘違いだったとしても構わない。親の留守を一人で過ごしている、この男の子の笑顔が見られるなら。

 そう思った。


「ホント! 嬉しいなぁ。開けていい?」


「いいよー」


 そんな許可を得てはいないけど、もうどうにでもなれ。と思う夢葉だったが。


 その小さな手で、一生懸命に箱を開けようとする男の子の目が、箱が開いた途端に輝きだした。中から出てきたのは、サッカーボールだった。

 小学生用の少し小振りなサッカーボール。


「うわぁ、サッカーボール! お父さん、覚えてたんだ!」

 眩しいくらいの、無邪気な笑顔を見せる少年の表情を見て夢葉は自然と頬が緩んでいた。


(何、この子、めっちゃ可愛い!)

 自然と母性をくすぐられていた。


 名残惜しいけど、仕事は終わった。伝票整理と報告のためにも帰らなければいけない。

 しかし、帰ろうとする彼女に対し、男の子は意外な行動に出ていた。


 夢葉の手を掴んで、

「お姉さん。ちょっと上がっていかないですか? 僕、お礼したいです」

 と、たどたどしい口調で迫ってきた。


(ええー。仕事なんだけどな。まあ、いいか、終わったし。この子、可愛いし。さすがにこんな小さな子に襲われることもないだろうし)

 一瞬の逡巡の後、答えを出していた。


「しょーがないなぁ。ちょっとだけだよ」


「やった!」

 露骨に喜びを全身で表現する少年だった。


 夢葉の予想通り、広い宅内には、男の子一人だけだった。兄弟はいないようで、東京にいる父親はもちろん、男の子が言ったように母親も不在だった。


 男の子は、夢葉にリビングのソファーに座るように勧めると、台所の冷蔵庫を開けて、牛乳を出して、コップに入れて、彼女に持ってきた。


「はい、牛乳」

「わー、ありがとう」


 子供らしいところに、露骨に嬉しくなってしまう夢葉だった。


 男の子は、夢葉の向かい側のソファーにちょこんと座る。


「ねえ、ぼく。お父さんもお母さんもいなくて寂しくない?」


 牛乳を飲んだ後、つい聞いていた夢葉に対し、男の子は。

「別に寂しくないよ」


 強がるように、その円らな瞳を向けてきたが、夢葉にはそうは思えなかった。


 詳しく聞いてみると、男の子の父親は、単身赴任で東京で働いており、毎年クリスマスには必ずプレゼントを送ってくれるんだそうだ。

 ところが、今年は全然届かないから、不安になっていたという。


(そっか。さては仕事忙しくて、忘れてたな)

 依頼主の男性の心中を察する夢葉。


 母親は、昼間はパートに出ているという。

 最近では、こういう家庭は珍しくない。両親が共働きで、少子化で家には子供が一人。

 ある意味では、この子も、可哀想だと思う夢葉だった。


 大体、30分くらい、男の子と話しているうちに、すっかり暗くなってくる。


 この子の母親が帰ってきても面倒だと思った夢葉は、辞することを男の子に告げる。


「えー、もう帰っちゃうの? お姉さん、キレイだからもっと一緒にいたかったのに」

 ませたことを言ってくる男の子に、夢葉は笑顔で、


「ありがとう。でも、お姉さんもこれからお仕事があるんだ」

 本当はなかったが、嘘をついてそう言ったのだった。


 帰り際、玄関のドアを開けたまま、男の子は無垢な笑顔で、

「バイバイ、お姉さん。ありがとう!」


 そう言って手を振って見送ってくれるのだった。


 帰り道で夢葉は。

(それにしても、可愛い子だったなぁ。あのくらいの年頃の男の子が一番可愛いかも)

 などと思い、「子供が欲しい」とも思ってしまうのだった。

 同時に、この荒んだ世の中で、珍しく「心が温かくなる」ような体験をし、バイク便も悪くないと思うようになっていた。



 だが、バイク便というのは、こうしたほんわかした話ばかりではない。

 基本的に、バイク便を利用する依頼主は、みんな何らかの理由で急いでいる。


 12月30日。年末の忙しいその時期。

 いつものようにルートの仕事をしていた夢葉の元に、携帯が鳴った。


 電話先は、バイク便の雇用主だった。その声は相当切羽詰まっているように聞こえた。


「黒羽さん。ヘルプで急いで届けて欲しい物があるんだけど、いいかな?」


「いいですけど、ルートの仕事はどうしますか?」


「それは別の奴に行かせるから、そこで待ってて。すぐ行かせるから」


 そう言って、あっさり電話は切れた。


 待つこと10分。彼女の代わりにルートを引き継ぐ、若い男が現れた。夢葉と同い年か、少し上くらいの青年は、彼女に荷物を渡し、


「これから急いで、横浜まで行ってくれってさ」

 とぶっきらぼうな声で言った。ルートの仕事よりも、こういうヘルプの仕事の方が単価が高いから、そのやっかみもあるようだった。


「いいですけど、積荷は何ですか?」

 何だか、ごわごわするような感触のする、妙な包装をされた荷物を見て、夢葉は質問していた。


「演劇の衣装だってさ。稽古中に破けたとかで、急いで替えがいるらしい」


「へえ」

 珍しい仕事だった。


 聞くと、依頼主は、今日の夜に行われる舞台に合わせて、リハーサルをしていたが、つまずいた勢いで衣装が破れたんだとか。


 夜にはもう舞台の幕が上がる。それで焦っているようだった。慌てて衣装を発注し、届けてもらおうとしたが、宅急便では間に合わないという。


 夢葉は走り出した。

 真冬の首都高湾岸線を一気に駆け抜ける。つもりだったが、年末特有の渋滞に巻き込まれることになる。


(バイクならすり抜けできるから、問題ない!)

 自信満々に、ただし、細心の注意を払って、車と車の間をすり抜けて、一路横浜を目指した。


 首都高を降りて、横浜市内の桜木町にある、依頼主の会社にたどり着いた時には、すでに西日が差し込む時間になっていたが、それでも依頼主が想定していたよりもかなり速く着いていたようで。


「ありがとうございます! 本当に助かりました!」

 依頼主の若い男の人から、何度も頭を下げられて感謝され、逆に彼女は恐縮していた。


 仕事を終えて、ひとまず伝票整理と報告を兼ねて、会社に戻る夢葉は、走りながら思っていた。


(大変な仕事だけど、人に感謝されるってのは、気持ちいいものだね)


 同時に、心中、こうも思っていた。

(バイク便は楽しいけど、ガソリン代や高速代で、結構お金取られるから、割には合わないかなあ)


 実際、ガソリン代や高速代と収入を計算すると、個人の収入としては、決して高くはないし、仕事内容によっては、マイナスにすらなりえる。


 それに、いつか怜に言われたことがあったが、バイク便は経済的には意外と苦しい上に、そもそも一般の会社と違って、保障がないところが多い。おまけに、事故などで怪我をしたら、出来なくなるし、収入は固定給ではなく、歩合制だった。


 一生の仕事にしていくにはリスクが大きい仕事だと夢葉は思うのだった。


 こうして、大学3年生の冬、年末は過ぎ去っていくのだった。

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