4-13 真実

 祐也の下宿先を出て、時折寄り道をしつつ、目的地に向かう。途中通りかかった公衆トイレで、変装も済ませた。


 住宅街の道を縫うように進み、足を止める。繁華街に近い方の道に背を向けるようにして、道路の境目にあるポールに身を預け、スマホをいじる。


 けれど、視線はスマホの画面を捕らえてはいなかった。聴覚を研ぎ澄ませ、周囲の音に集中する。


 それからどのくらい経ったろう。後ろから地面を蹴る音が届いた。

 今だ。


 少し身構えて後ろを振り返り、あたしは固まった。

「えっ」

 振り返った先では、予想外の光景が広がっていた。


 青いパーカーの男がいたことは予想通りだ。が、その後ろに祐也、雪野さん、二人から少々離れたところにカナの姿があった。


 呆然としている間に、祐也が男の左腕を掴んで、勢いよく後ろに引く。それを振り払おうと無理やり方向転換を試みる男の右腕を、今度は雪野さんが掴んで捻った。缶の口からコーヒーが跳ね、男は痛みに身を捩る。そうして雪野さんは、力が抜けた男の右手に握られた缶コーヒーを取り上げてしまった。その隙に祐也が男の右手も掴んで、後ろ手に捻り上げると、ぎゅっと押さえつけるようにしゃがませる。それを見た雪野さんが、仕上げとばかりに、男の横に取り上げた缶コーヒーを置いた。


「やった! 成功だ!」

 胸の前で謎の小さな機械を握っていたカナが、ぴょんぴょんと跳ねながら喜び始める。それを見て、祐也がサムズアップをしてみせた。雪野さんも控えめに首をかたむける。きっと微笑んでいるのだろう。


 それにしても、どうしてこの場にこの三人がいるのか。

 呆然としすぎて長らく動くことを忘れていた足を、どうにか動かして三人のもとに駆け寄る。


「な、何でここにいるの」

 他にもいろいろ言うことはあっただろうが、純粋な疑問がいの一番に飛び出してしまった。


 カナが胸を張って、答える。

「優衣ちゃんが危ないことを企てている気がしたので、助太刀に来ました!」

「いや、どういうこと? あたし、何にも言ってなかったのに」


 確かにあたしは不審者をおびき出そうとした。しかし、このことは誰にも言っていない。それどころか、そもそも最近カナとは顔も合わせていない。


 困惑しきっていると、カナはショルダーバッグに謎の機械をしまいつつ、ふふんと笑い、したり顔で説明を始める。

「それはね……」


 しかし、その言葉は途中で遮られることになった。とんとん拍子で捕獲作戦を成功させ、気が抜けていたあたし達の隙を突き、男が祐也の手を振りほどいて立ち上がったのだ。横に置かれた缶コーヒーを乱暴に掴み、カナの方に向かって足を踏み出す。


 まさか、最後の抵抗として、カナにコーヒーを掛けようというのか。


「ふぇっ?」

 完全に気を抜いていたカナが事態の急転に目を丸くする。あまりにも唐突な展開に、カナは後ろに下がろうとするが、慌てていたためか靴のかかとを地面に引っ掛け、どさっと後ろにしりもちを付いてしまう。


「高倉さん!」

「高倉さん!」

「カナ!」


 あたしはカナの方に向かって走り出した。カナが自力で逃げるのがもちろん一番いいが、この状況では無理だ。完全に腰が抜けてしまっている。


 幸い、男は無理やり立ち上がったため、走り出しの時にぐらついており、今もまだ体が大きくかしいだまま足を動かしている。


 そして。

「……!」

 ばしゃっ、という派手な音と缶が地面に落ちる硬質な音。それと同時に腹部に不快な湿り気が広がった。


「あー……」

 濃いコーヒー色に染まったTシャツを眺め、乾いた笑いを零す。最初からそのつもりだったから覚悟はできていたけれど、こうもしっかり掛かってしまうとはむしろ面白い。


 男は二度も企てに失敗し、魂が抜けたように後ろに数歩下がると、しゃがみこんだ。わざわざ拘束しなくてももう何もしないだろうが、念のためといった様子で祐也が男の手を掴む。雪野さんも、見張るように男の前に立った。


「優衣ちゃん!」

 もう安心だろう、と息を吐くと、カナが身を起こし、あたしの前に回り込んだ。勢い良く捲くし立てる。


「優衣ちゃん、大丈夫⁉ 怪我してない⁉」

「大丈夫、汚れただけ。熱くもなかったし」

「ごめん、私のせいで……」

「カナのせいじゃないでしょ。というか、カナはどうなの」

「大丈夫っ!」

「ショルダーバッグは?」

「え?」


 正直、後ろに転んだだけならそこまで大きなけがはしていないだろうと踏んでいた。個人的に一番心配していたのはカナのショルダーバッグだ。


 カナはショルダーバッグによく漫画やグッズなどを入れている。それこそ、ヨーグルトオレを掛けられた日も色紙を入れていた。もし、紙製の何かを入れていたら、コーヒーなど掛けられてしまうとひとたまりもない。


 男の腕を掴むなりして、その足を止めるのが一番手っ取り早いが、不用意に引くと、雪野さんがやった時のようにコーヒーが暴発する可能性があった。だから、前に出て、自分が被る形を取ったわけだが、色紙の時と同様にショルダーバッグのポケットの隙間から飛沫が入り込む可能性もある。


 カナがはっとした様子でショルダーバッグを漁る。中から一冊の本が出てきた。カバーが付いているので分からないが、おそらく漫画だ。カナはそれの向きを変えつつ確認し、ほっと胸をなでおろした。


「大丈夫だった!」

「そう。良かった」

「優衣ちゃん、ありがとう」


 漫画を胸に抱いて、深々と頭を下げられる。そして、顔を上げると、本当に嬉しそうにに笑った。


 その笑顔を見た後、あたしは地面にしゃがみこんだままの男の方へ向かった。雪野さんが道を開けるように、男の前から退く。


 しゃがみこみ、目線の高さを合わせてみる。男は目深にフードをかぶり、マスクも付けているので、顔は見えない。けれど、右目の下、見慣れた涙ぼくろが見えた。


「やっぱり正体は君だったんだね――蓮君」

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