1-7 困りました
「帰れ」
「来てそうそうひどくない⁉︎」
「ひどくない」
土曜日、午後一時。
カナはまたしても《ふれーず》に来ていた。来た理由は何となく察しがつく。雪野さんの件だ。
雪野さんが弟から呼び出しを受けたという話は水曜日の夜に聞いた。カナはやたら雪野さんのことを心配していたし、約束の時間まで二時間を切った今、とにかく気が気でないのだろう。だから、カナは馴染みのこの場所に来て、少しでも気を落ち着けたいのだと思う。
まあ、こうして人の気持ちになって一緒に悩んだり、緊張したりできるのはカナの美徳でもある。今日ばかりは、優しくしといてやろう。
「で、ご注文は?」
一つ息を吐いて言うと、カナがぱあっと顔を輝かせる。
「えっとねー」
しかし、慈悲をかけてやろうというあたしの考えは甘かったようだ。
およそ三十分後。
「お嬢様ー、メイドの仕事を妨害されては困りますー」
「でもでもでもっ! もう、一時間半切っちゃったんだよ⁉︎ 優衣ちゃん‼︎」
「いや、あたしに言われても困るんですけど」
注文されたオムライスを運んだ際、カナに縋り付かれてしまい、仕事の続行が不可能になった。ええい、面倒くさい。
腰に巻きついた手を剥がしながら言う。
「カナがうじうじしたところで、意味ないでしょ?」
「いや、でも、でもでもでも。何か、ほら」
当事者より取り乱してどうする。これは、バイトが終わる二時まで何もできなさそうだ。
はあ、と溜息を吐く。その時だった。
カナのスマホが鳴った。着信のようだ。
ここで電話に出てもいいか、カナに視線で問われ、店内の騒がしさを考慮し、許可を出す。カナは応答ボタンを押した。
「も、もしもし。あ、雪野さん! どうしたんですか⁉︎ 何かありましたか⁉︎」
初っ端から取り乱しすぎだ。雪野さんが電話越しにさえたじろいでいるのが容易に想像できる。
かと思うと、今度はこてんと首を傾げた。
「え、駅方面に? 私はないですけど……あ、優衣ちゃんいるので、優衣ちゃんにも訊いてみますね。……優衣ちゃん、今日の三時頃に駅方面に行く用事ない?」
「何で?」
「『何で』? あ、理由聞くの忘れてた」
あたしは木に向かって一直線に走る猪を想像してしまった。
スマホをスピーカーに切り替えたカナが、雪野さんに尋ねる。
「雪野さん、どうしてこんなこと訊くんですか? っていうか三時頃に駅方面って、約束の時間と場所じゃないですか! ほんとに何があったんですか⁉︎」
あーもう、うるさいうるさい。
少しの間が空いて、酷く遠慮がちな声が響いてくる。
『そのー……待ち合わせの時間に間に合いそうになくて。誰か、遼介に遅れるってことを伝えてくれる人がいないかと』
「え?」
『あっ、でも、待ち合わせ場所に行ってくれって言ってるじゃないんです。何かのついでがあれば、で良いんです』
いや、待て。雪野さんが待ち合わせに遅れることに関しては、人には事情ってものがあるわけだが、しかし。
「弟さん、スマホとか持ってないんですか? LINEやってるって言ってましたし、持ってるはずですよね」
すると、電話越しに苦い笑いが聞こえてきた。
『あいつ、家にスマホ忘れてきたっぽいんですよね……』
なぜ兄弟揃って、同じミスをやらかす。連絡手段はちゃんと持ち歩いてほしい。
雪野さんが申し訳なさそうに言う。
『お二人は駅に行く予定はないんですよね。本当、失礼しました』
「ちなみに雪野さん、どのくらい遅れるんですか?」
気になって訊いてみると、
『最長で一時間ぐらいですかね……』
おっと。思ったより長いぞ。これは、遅れる連絡がつかない場合、兄弟仲が余計こじれるのは目に見えている。さあ、どうする。
その時、唐突にカナがスマホを持ち上げて握りしめた。
「雪野さん!」
『あ、はい! どうしました、高倉さん?』
「私が行きます‼︎」
お? これは大丈夫か?
雪野さんが確かめるように訊く。
『え、お任せしちゃって……良いんですか?』
「はい、もちろんです。どーんとお任せください! 今日特にやることもないですし!」
『……助かります。本当に助けられてばかりで……ありがとうございます』
カナは満足げに電話を切った。その様子を見ながら問う。
「でも、本当に良かったの?」
「何が?」
「相手、初対面の人でしょ?」
カナの動きが完全に止まった。そして、どんどん青ざめていく。今ここで初めて、この事実に気づいたらしい。
カナはそれで生きていけるのかというほど重度の人見知りだ。初対面の人と会うことと、食事を丸一日抜くことを天秤にかけた場合、迷いなく後者を選ぶような。それなのに熱くなると周りが見えなくなって大暴走を引き起こす。今までもちょくちょくあったことだが、今回はその最たる例と言っても過言ではなかった。
カナがこれから死ぬのかというくらい震えた声を出す。
「優衣ちゃん……どうしよう」
「知らない。自分で引き受けたんでしょ? それに、あたしこの後、家帰るし」
「いや、でも、そうだけ、ど。どうしよう!」
カナがまたしても縋り付いてくる。ええい、鬱陶しい!
攻防は二十分に及び、あたしは残り時間、一切の仕事をし損ねた。
*****
ほぼ何もできなかったバイトが終わり、休憩室へと向かう。振り向くと、五番テーブルではまだカナが頭を抱えていた。
本当に面倒くさい。
その時、隣の更衣室の方からがたがたと音が聞こえてきた。
あたしは腕時計に目をやる。ああ、そうか、もうそんな時間か。
……良いことを思いついた。
あたしはカナの方へと戻り、次いで声をかける。
「カナ、もしかしてその格好で行くの?」
カナは今、無難な色合いの膝丈ワンピースの上にお気に入りの紺色のパーカーを羽織っている。別にどんな服を着ようが個人の自由だが、そう言ってしまうと話が進まない。あたしは続ける。
「初対面の人に会うのに、普段着ってどうなのかなーって」
「えっ……そうなの? じゃあ、もうちょっとかっちりした服の方がいい?」
カナが不安そうに見上げてくる。よし、引っかかった。
「そうだ。ここの更衣室、衣装ケースにいろいろ服入ってるから、見繕ってきたら?」
「えっ、でも……」
「ほらほら」
若干棒読みになった感は否めないが、とにかく有無を言わさずカナの背中をどんどん押していく。
更衣室にカナを押し込むと、あたしは次にスマホを取り出した。友達一覧の中から「店長」の文字を見つけ出すと、急いで文字を打つ。
〈ちょっと知り合いに服見繕ってあげてもらえませんか。〉
五秒と経たずに既読がついた。そして、聞こえるカナの悲鳴。してやったり。
うちのバイト先には、「お人形遊び」が大っ好きな店長がいるのだ。
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