4-7 深夜の相談
春木野駅から電車に十五分ほど揺られ、そこからさらに十五分ほど歩いたところに祐也の下宿先のアパートはあった。白を基調にした外壁に、ところどころブラウンの差し色が入った、なかなか小洒落た外観だ。ただ、見た目の割に築年数は結構いっているらしい。確かに、外壁の下側には枯れた蔦が這っていた黒い痕跡があった。
「……えと、じゃあ、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
玄関扉をくぐり、少々緊張した面持ちの祐也に迎え入れられる。別にそんなに緊張しなくても、人様の住居を偉そうに評価したりしないのに。
祐也の部屋はアパートの外観同様、小洒落ていた。家具は基本的に薄いブラウンで揃えられ、曲線を使用したデザインが多く見られる。部屋中央にはローテーブルと黄緑色のソファ、アイボリーの座椅子が、部屋の突き当りの大きな窓の下には勉強机が置かれていた。その上にはパソコンやらタブレットやらよく分からない長方形の台のようなものが所狭しと置いてある。あれは漫画を描くためのものだろうか。他にも背が高めな観葉植物もいくつか置かれており、以前見た雪野さんの部屋とは趣がかなり異なっている。
「そんな物珍しいものでも置いてある……?」
つい不躾に部屋を眺めてしまっていたらしい。祐也がおどおどと窺うような視線を向けてくる。あたしは手を顔の前で振りつつ、否定した。
「そういうんじゃないよ。なんか、同じ男子大学生でも部屋って全然違うんだなー、と思っ……」
「は⁉ 男子大学生⁉」
急にばっと振り返られた。
「え、何」
「いや、今男子大学生って言った、から……」
「言ったけど」
「部屋上がったってこと?」
「上がった。上がるつもりはなかったんだけど、どうぞって言われたから」
すると、祐也は子供を相手にするように膝をかがめて、あたしに目線を合わせると、
「優衣、あんまり人にほいほいついていくなよ。意思を尊重してくれない人だっているからな。自分のこと軽んじるような相手と一緒に居たかないだろ」
「? はあ」
とりあえず、見張りのバイトの前に、先払いで夕食のハヤシライスをごちそうになった。このクオリティで手作りだというのだから驚きだ。横並びで食器の片づけを行っている最中に聞いたのだが、料理は趣味の一つなのだという。あたしは料理が不得手かつあまり好きではないので少々驚きはしたが、料理について話す祐也は非常に楽しそうだった。
「じゃあ、今から原稿やるから適当に見張っといて」
全ての片づけを終わらせたのが、十一時前。祐也はぐーっと伸びをしながらそう言うと、窓際の机に向かう。あたしは黄緑色のソファの真ん中に座り、その後ろ姿を姿勢を正して眺め始めた。
サボらないよう見張ってくれと言っていたが、その言葉に反して腕はせわしく動いている。真後ろに座っているから、何を書いているかは分からないが、筆が乗っているのなら良いことだろう。
規則正しい時計の針の音と衣擦れの音が鳴り続ける中、コーヒーでも淹れた方がいいだろうかと思い始めた頃、祐也は振り返らず、手も止めず、「なあ」と声をかけてきた。
「何?」
「今日、何で家帰ろうとしなかったんだよ」
「いや、何もないって」
「高倉さんと喧嘩でもした?」
「別に喧嘩したわけじゃ」
喧嘩だったらどれほど良かっただろう。夕方のことを思い出し、視線が下がる。けれど、あまりにも自分自身がみっともなくて情けない上に、口に出してしまうと、あたしがしたことの罪が軽くなってしまう気がして、どうしても言う気は起らなかった。
祐也は依然手を動かしながら、声だけにテンションを乗せて、
「あ、分かった。高倉さんが何か意地の悪いことでも言ったんだろ。高倉さん、おとなしそうに見えるから油断しちまうけど、ああいうタイプほど裏で何考えてるか分かんないしな」
その瞬間、体中の血が沸騰したかのように自然と体が前のめりになり、ソファから腰が浮いた。深夜にも関わらず、声を張ってしまう。
「違う、カナは何も悪くない! あたしが」
全部悪い、と続けようとして、祐也がこちらを振り返り、にやあと笑っているのが目に入った。
「あたしが、何?」
ここでようやくはめられたのだと気づいた。意図的にカナの悪口を言って、あたしにボロを出させたのだ。
一度深く息を吸い、一旦ソファに腰を落ち着ける。呼吸を整え、悪あがきで白を切ってみる。
「大したことじゃないよ。言うほどのことじゃない」
祐也は椅子の背もたれに肘をつくと、いやらしい顔で笑った。
「へー、そう。じゃ俺は、高倉さんが実は性根最悪の腹黒人間説を信じとくことにするわ。優衣が話してくんないせいで真実が分かんないから、高倉さんが腹黒な可能性は十分あるよな? あー、高倉さんって性悪だったんだなー」
「……」
「ああいう人ほど裏の顔があるって言うしなー」
「……」
「ヤバい人とは関わりたくないから、今後の付き合い方考えちゃうなー」
「……分かった! 分かったから」
いくら演技とは言え、カナへの悪口を聞き続けるのは気持ちのいいものではなかった。
あたしの回答を聞くと、祐也は満足そうに頬杖を外した。椅子をぎしっと鳴らして、机に向き直りつつ、
「で、結局が何があったんだよ。もうほとんど言っちゃってるも同然だし、今更隠しても大して意味ないぞー」
口調には、もうからかうような色はない。あたしはぽつりと呟いた。
「あたしが、人が悪口を言われてるのに、それを取り下げさせなかったどころか、同意までしただけ。カナは何もしてない」
こうして改めて言葉にすると、自分がしたことの酷さが身に沁みる。奥歯をぐっと噛み締めると、「え?」という言葉と共に振り返られた。
「それ普通じゃない?」
「へ?」
「だって、その場の空気が悪くなるじゃん。もしそこで反論して、悪口言った人が気を害したら、悪口言われてた本人に直接嫌味とか言いかねないし。俺だったら、絶対言わないわ」
「……ほんとに? 普通なの? 情けなくないの?」
「え?」
「あ、いや。なんでもない」
ぽろっと零れてしまった子供じみた質問を急いで取り下げる。祐也はあたしの言葉を聞き取り損ねたようで、訝しげな顔をしていたが、「というか」と言いながら、椅子の背もたれに両肘をついた。両の手のひらで顎を支えながら、
「人の感覚なんてそれぞれなんだから、どうしても考え方で相容れないものは出てくるだろうし、反論とか説得とかそもそもやる必要ないと思うんだよなあ。無理やり考え方を変えさせる必要なんてない。それに、どんだけ頑張っても、結局あんまり状況変わんないことなんてざらだし。悪口が本人の耳に届いてないなら、俺は充分だと思うけど。本人には悪口届いてないんだよな?」
「……うん」
躊躇いがちにうなずく。祐也はあくまで当たり前のことを述べるように、さらりと言った。
「なら、俺は充分だと思うな」
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