1-5 白雪姫の弟

「えっ……」

「え……」

 どう反応したものか、迷った。それはカナも同じようで、小さく口を開けたけれど、その先は出てこない。


「今日バレたっていうと、ちょっと違うんですけど。前々からバレてはいたんだと思います。確定したのが今日っていうか」

 ちょっと今のところ状況が掴めない。

 カナが縋るように身を乗り出す。

「あの、もう少し詳しく聞いても良いですか?」

 雪野さんは小さく息を吸うと、話し始めた。


「俺、五つ下の弟がいるんです。遼介りょうすけっていうんですけど」

 テーブルの下に付いた引き出しを「あったかな」と呟きながら探り、一枚の写真をテーブルに出す。


 そこには一人の少年が写っていた。

 年は十二、三ぐらい。男子にしては小柄な方で、くりくりとした目はチワワのようで非常に愛嬌がある。白とミントグリーンのジャージを着て、家の中の階段らしき場所で嬉しそうにはにかんでいた。ジャージの胸には「翠啓すいけい籠球部」の文字。


「弟さん、翠啓のバスケ部なんですね」

 思わず訊くと、カナがこてんと首を傾げた。

「『翠啓』?」

「バスケで有名な学校」

 あくまで雪野さんの方を見ながら、なおざりに答える。

 私立翠啓学園は、バスケットボールの強豪校として有名な中高一貫の男子校だ。五つ下ということだから、中等部に在籍しているのだろう。


「そうです。この写真は翠啓のバスケ部に入部してジャージを支給された日に撮った写真なんです。翠啓にはスカウトされて進学して。身長は低いけどバスケが凄く上手くて、俺と違って凄いやつなんです。

 俺は遼介が中二に上がる時に下宿し始めたんで、一年しか一緒にいられなかったんですけど、平日も休日も毎日毎日夜遅くまで練習してて。なんなら通常の練習に加えて、自主練にも行ってて。家にいるのは、盆と正月ぐらい。本当に自慢の弟です」

 雪野さんはそう言って、どこか傷ついた様子で愛おしそうに写真の角に触れる。その手からふっと力が抜けた時、淀んだ目で続きを話し始めた。


「事の始まりは二年前です。

 高三の十一月ぐらいから急に遼介の態度が素っ気なくなったんです。話しかけても、二言三言しか返してくれなくなって。LINEの文面も素っ気なくなって」

「……もとからそうだったわけじゃないんですよね?」

「はい。うち、共働きだったし、歳も離れてたのでよく面倒見てたんです。だから一般的な兄弟よりは仲が良かったと思います。よく『兄ちゃん、兄ちゃん』って甘えてきて、俺にべったりで。自分で言うのもなんですけど、正直めちゃくちゃ懐いてくれてました。それが、急に」


 そこまで言って、雪野さんは一度息を吐く。そして、言った。

「恐らく遼介は俺のクローゼットにしまってたコスプレの衣装を見たんです」


「あ……」

「コスプレしてること、家族には黙ってたんです。でも、衣装を置いておける場所が家しかなくて、仕方なしにクローゼットに入れてたんです。

 遼介は服を借りようと思ってクローゼットを開けた時に衣装を見つけたんだと思います」


 少し気になったので、訊いてみる。

「……お母様にはコスプレしてること、バレなかったんですか? あと、弟さん、雪野さんと違って小柄なようですけど……服を借りるっていうのは?」


 雪野さんの家庭事情は知らないが、洗濯物を片付けるのを母親が引き受けている家庭は多いと思う。そして、その場合クローゼットの中の衣装に気づく可能性は高い。しかし、雪野さんの言い方では弟以外にはバレていないような言い方だった。

 それと、体型の違いも気になる。長身の雪野さんに対して、弟は小柄だった。服を借りるにしてはサイズが合わない気がする。


 雪野さんはああ、と呟き、事情を話してくれた。なんでも、洗濯して干すところまでは他のと一緒にやってもらっているが、畳んでクローゼットにしまうのは自分でやっているとのことだ。コスプレで使った衣装を洗濯する時も、手洗いするか、コインランドリーを使うそうだ。だからクローゼットは覗かれておらず、コスプレに気づかれてもいないと思う、と。


 体形の件も、雪野さんが昔着ていた服を借りに来たのだろう、とのことだ。今でこそ身長が高い雪野さんだが、高校に上がるまでは小さい方だったらしい。今までも『兄ちゃん借りるよ』と借りに来たことはあったという。

 ちなみに、高校に上がるまでに着ていた服はケースに入れて、そのケースごとクローゼットの中に入れていたとのことだ。もともとはそのまま部屋に置いてたそうだが、邪魔だったため、高三の十月くらいにクローゼットの中に入れたらしい。


 雪野さんは溜息を吐き、うつむいた。

「あの頃、志望校を変えることになったせいで下宿の問題が持ち上がって、ずっとバタバタしてたんです。だから、すっかり気を抜いてました。ケースをクローゼットの中に入れたら、遼介にコスプレの衣装を見られるかもしれない、なんて、ちょっと考えれば分かったのに」

「えっとー……」

「あと、もう一つ事件があって」

 とりあえず何でもいいから言葉を紡ごうとすると、うつむいた雪野さんが弱々しく右の人差し指を立てた。


「去年の八月の話です。

 母親と遼介が一緒に下宿先ここに来たんです。その時、近所のショッピングモールに行ったんですけど、スマホに入れてたコスプレの確認用に撮った写真を見られてしまったみたいで」

「……それはまたどうして」


「途中から、各自分かれて店を回ることになったんですけど。でも、俺は特にやることもなかったし、休憩用のソファあるじゃないですか。そのソファで、次のイベントで着る衣装の写真を確認してたんです。もし、装飾を増やすなら買って帰ろうかと思って」

「その写真って、もしかして冬のサブカルデーで着てた毛皮のドレスのやつですか?」


 そこまで黙っていたカナが口を開く。雪野さんは軽くうなずた。

「そうです。家にある鏡は全身映らないやつだったので、家に友達が来てた時に撮ってもらいました。友達っていうのは、今日サブカルデーに一緒来てたやつです」

 それで、何故コスプレ写真を見られることになったのか。


 その頭の中の問いに答えるように、雪野さんが続ける。

「母親から『もう帰るから、出入り口に来て』って連絡が来てたんですけど、写真を見てたせいで、俺気づかなくて。だから、多分母親が遼介に俺を呼んでこいって頼んだんだと思うんですけど、遼介、後ろから声かけてきたんですよ。多分その時に」

「ああ……」

「その日以来、口も聞いてくれなくなって。

 だから、クローゼットの件で疑いを持って、写真を見たことで女装コスの事実が遼介の中で確定したんだと思います」

 返す言葉が見つからない。温度が消えていくコーヒーカップから手を離して、膝の上に置く。


 そこでふと、今日雪野さんが何かから逃げ回っていたことを思い出した。

「もしかして、ですけど。今日逃げ回ってたのって、弟さんからだったりします?」

「……はい」

 雪野さんは沈鬱な面持ちでうなずいた。


「何故か会場にいて……目が合ったんです。そしたら、険しい顔つきでこっちに向かってきたので、逃げるしかなくて」

 そして、うつむいた。

「……今まで直接何も言ってはこなかったから、心のどこかで遼介なら、受け入れられなくても否定はしてこないと思ってました。

 でも……違ったみたいです。遼介からしたら、直接何かを言わないと気が済まないほど、俺は気持ちの悪い存在だったのかもしれない」


 そう言うと、雪野さんはベッドの下の段ボール箱を一つ引きずり出した。詳細は分からないが、漫画やライトノベルの類が入っているのは分かった。

 雪野さんはその中から一冊のライトノベルを手に取る。


「中二でコスプレを始めた理由は、自分の体型へのコンプレックスからでした。

 背が低くて、華奢で、よく女の子みたいだって馬鹿にされてたんです。それを見てた友達が、一緒にコスプレしないかって。お前なら完成度高い女装コスができるって言ってきたんです。

 最初はほんの気まぐれで始めたんですけど、やってみたら別人になれたみたいで、楽しかった」


 表紙にゆっくりと触れる。そこにはすらりと背の高い紺色の髪の美女が一人。

「高校に入って身長は伸びたけど、体格は身長に見合わず華奢なままで、出来るキャラがなくなってきて。だからコスプレをやめようって思ってた時に、ズィマーに出会いました。もとから高身長設定のズィマーと出会えたことは本当に運命だと思いました。でも」

 その先を、雪野さんは言わなかった。


 本当に好きだって思うなら、誰に何を言われようと続ければいい。

 そう思ってしまっている自分に気づいて、膝の上の両手をぐっと握りしめる。そんなこと、あたしが思っていいはずがない。だって——。


 すると、遮るように雪野さんが不意に明るい声を出した。無理に出しているのが分かるような。

「あ、はは。すみません。こんな暗い話するつもりじゃなかったんです。お二人も忙しいですよね。引き止めちゃってすみません。もう、帰っていいですよ」

 それから、イヤリングをカナの手に握らせる。手を引かれたカナは、傷ついたような顔でびくりと肩を揺らした。


「さあ、お帰りください」

 促されるままに玄関に向かう。

 コーヒーからは、もう湯気は立っていなかった。

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