1-6 書店にて(カナ視点)
それから何事もなく、日々は過ぎていくかと思われたけれど、事態は急展開を迎えることになった。水曜日の夕方の話だ。
その時、私はアルバイトに勤しんでいた。
バイト先は、駅から少し離れたところに位置する滝川書店。穏やかな老店主が守り続けてきた古き良き書店である。看板のゴシック体はひび割れ、店内も古い木の甘い匂いがするけれど、地域のご老人には愛されているし、大学の教科書をいくつか扱っていることもあり、時折大学生もやってくる。
「あっ、ぁりがとうございましたぁ……」
コミュ障を存分に発揮しながらも、レジカウンターの中でお客様をお見送りした私は、ふうと溜息を吐いてから、エプロンのポケット手を突っ込んだ。指先に当たるつるりとした塊。それを掴んで、取り出す。
雪野さんから貰った青いレジンのイヤリング。このイヤリングは、ズィマー様が封印されていた青い宝石を加工して作ったものだ。私はそれを手のひらに乗せて、人差し指でつつきながら、『銀雪』のワンシーンを思い出していた。ズィマー様の封印されていた青い宝石について、ヴァストークが語るシーン。
——この石はズィマーを守り続けていた。そのおかげで、俺はズィマーに会えた。だから、この石は俺たちにとっての希望だと思うんだ。今はそうじゃなくても、いずれそうなるはずだ。
その希望を手放した雪野さんはどうなってしまうのだろう。
思考の海に沈んでいると、ふいに聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「あ、高倉さん」
雪野さんの声だ、と思い顔を動かした私は、ぎょっと目を剥くことになる。
「えっ、どっ、どうしたんですか⁉︎」
そこにはげっそりと青ざめた雪野さんが立っていた。
雪野さんは少し逡巡した様子を見せたけれど、二冊の本をカウンターに置き、リュックのサイドポケットからスマホを取り出した。それを左の人差し指で軽く操作し、「こういうことがありまして」と、私に見せてくれる。
画面上部に「遼介」とあるので、どうやら遼介くんとのLINEのトーク画面のようだ。日付は昨日、火曜日。
少し目で追ってみて、思わず声を上げた。
「えっ……」
トーク画面。バスケットボールのアイコンから伸びる吹き出しには、
〈今週の土曜、昼から部活休みだから〉
〈そっちの駅中にあるファミレス三時集合で〉
〈言いたいことがある〉
とあったのだ。
「どうしてこんなことに⁉︎」
スマホを雪野さんの手ごと掴んで訊くと、首を勢いよく左右に振りながら、
「俺にも分かりません! ……でも、いい機会かもしれません。これを機にしっかり話し合ってこようって決めました。でも……」
雪野さんは、苦しそうに胃の辺りを手で押さえてしまった。
私に何かできないかと、必死で頭の中を引っ掻き回す。その結果、私は必死で雪野さんの空いた右手を掴んで叫んだ。
「雪野さんならきっと大丈夫です! 私も僭越ながら応援させていただきます! この間は何もできなかったし、これからも私なんかにできることはないかもしれないけど……えっと、応援ならできます‼︎」
ぎこちなくも必死に言葉を紡ぐ。「がんばれ」とは言いたくなくて、「応援」を二回も言ってしまったけれど、今は気にしていられない。
私は次にレジ横にあるメモを一枚取ると、エプロンの胸ポケットに挿したボールペンで自分の携帯番号を書く。
「あのっ、これ。電話番号なんですけど、えっと、何かあったり、しんどくなったりしたら、いつでも電話かけてください! 私で良ければ、相談に乗らせていただきます‼︎」
雪野さんは受け取ると、少し顔を左下に背けて言った。
「……ありがとうございます」
それから、私は商品をレジに通して、雪野さんに手渡した。
帰ってゆく背中を見ながら少し考える。最後、顔を背けたのが少し気になった。ネガティブな雰囲気は感じなかったから、大丈夫だとは思うけれど、少し心配だ。
そこでふと、レジカウンターに投げ出された自分の手が目に入った。あまりに必死で自分が何をしているのか、考えないまま行動していたけれど、途端にこの五分間で自分のしたことが頭の中をぐるぐると回り始め、一気に血の気が引く。
「わっ、私、人様の手を勝手ににぎっ、わあああああぁぁぁ‼︎」
奥で休憩していた老店主が驚いた目を向けるのも構わず、私は悲鳴を上げると、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
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