1-3 正体は

 およそ五秒ほどして、

「ちょっ、優衣ちゃん、何てこと言うの⁉︎」

 カナに勢いよく肩を掴まれた。そのまま前後にがくがくと揺さぶられる。それを無視して、あたしは続けた。


「今までのことを総合するとそうかなって。

 カナに見せてもらった画像のキャラクターは首に何も巻いてなかったはずなのに、yukiNoさん? の首には襟巻が巻かれてる。コスプレイヤーがあえてそんなことする?」

「それは……そうかもだけど」

 唐突に話を振られ、戸惑った様子でカナが答える。yukiNoさんとやらは気まずげに顔を逸らすだけだが、あたしはさらに言葉を重ねた。


「わざわざ再現度を無視してまで、首に襟巻を巻いて、外したがらないってことは、首元を隠そうとしてるんじゃないかと思って」

「首元……あっ、喉仏?」

「そう。それにカナとぶつかった時も、今も、声を出そうとしてない。声が低いのを隠そうしてるって考えても違和感はない。

 冬付近しかコスプレをしないっていうのも、露出度の高い衣装を着る夏は、性別がバレる可能性が高いからじゃないかと思って。

 身長も女性にしては高めだし、腕も思ったよりがっしりしてたし。本当は男性なんじゃないんですか?」


 スリかどうかの話に、性別は関係ないかもしれない。が、今この場においてはかなり重要だ。

 yukiNoさんが口を噤む理由が性別を隠すことにあるのだとしたら、今そのことの確認をしておかないと、yukiNoさんはいつまでも口を噤むことになり、スリかどうかの話し合いがそもそも成り立たないからだ。


 カナがばっとyukiNoさんを振り返る。あたしも同様に、yukiNoさんの顔をじっと見た。


「……はい、そうです」

 少しの逡巡の後、yukiNoさんの口から漏れた弱々しい声は、案の定低かった。



 *****



「……あー、これは夢だ、夢なんだ。絶対夢だ。あ、ははは。え、だって、あんなズィマー様完全再現してるんだよ? ねえ?」

 衝撃を受けすぎたカナの思考回路は壊れたらしい。焦点の合わない目をして、何かぶつぶつ呟やき始めてしまった。


 yukiNoさんがあたしたちの方を見て、窺うようにおどおどと言う。

「その、別に隠してたわけじゃないんです。この事実、知ってる人も多いですし。ただ、夢を壊してしまうかと思って。襟巻も、再現度が落ちるので本当は巻きたくなかったんですが、喉仏が着物の襟で上手く隠れなくて……写真撮る時とかは外して、ポーズ付けて隠してます」

「そうなんですか」

「はい。あと、夏付近にコスプレしない理由は違います。コスプレは季節感無視した服装の人多いですし、わざわざ夏に、夏の装いする必要はないんですよ」

「じゃあ、何で」

「あんな服、夏に着たくないからです」


 あんな服? はてと首を傾げると、

「あ、俺がやってるキャラ——ズィマーって言うんですけど——普段はロシア人が着てるみたいな毛皮の服なんです。だから、夏に着ようとすると暑くて」

「はあ……」


 よく分からないままにうなずくと、思考停止していたはずのカナがくわっと声を上げた。

「優衣ちゃん、ズィマー様知らないの⁉︎ いや、それ以前に『銀雪』シリーズ知らないの⁉︎」

「え」

「『銀雪』シリーズっていうのは、光間縹みつまはなださんによる『銀雪のヴァストーク』から始まるダークファンタジーシリーズでね……」


 それからカナは懇切丁寧に『銀雪』シリーズ、およびズィマーについて説明してくれた。が、長すぎるので割愛。こちらでざっくりまとめると。


 舞台は雪に埋もれた極寒の異世界・イワン。そこに住む孤児の少年・ヴァストークは、鉱山で働きながら生きるか死ぬかの日々を送っていた。

 そんなある日、ヴァストークは鉱山の奥で美しく輝く青い宝石を見つけるのだが、その宝石には記憶を失った不老不死の女神・ズィマーが封印されていた。意図せず封印を解いてしまったヴァストークは、ズィマーの記憶探しの旅に半ば強引に付き合わされることになる。旅をしていく中で、ヴァストークも自身の出生の真実に近づいていき……というストーリーらしい。


「すっごく面白いんだよ! もともと小説投稿サイトで連載されてて、途中で書籍化した作品でね。ライトノベル的なテンポのいい文が展開されながらも、ストーリーは骨太な本格ファンタジー‼︎ いい意味でライトノベルっぽくなくて、キャラクターも魅力的で‼︎」

「はあ」

「でね! ズィマー様が特に好きでね! すらっとした高身長で怜悧な雰囲気の美女なのに、時々ぽんこつでね。でも、女神としての力を発揮する時は美しくて、かっこよくてね‼︎」

「へー……ん?」

 そこで、あたしは一つの違和感に当たった。


「あのさ、主人公のヴァ、ヴァスー……」

「ヴァストークね」

「ヴァストークは極寒の世界に住んでるんでしょ。何でズィマーは白無垢着てるの?」

 雪野さんの話とカナの話から考えると、ズィマーが普段着ているのは、イワンの寒さから身を守るための毛皮の服だ。しかし、今回は白無垢。防寒になっていないどころの話ではない


 カナは「それはね!」と、目をきらきら輝かせながら身を乗り出した。それに押されて、あたしはのけぞる。

「二人は旅を続けるうちに、東洋の島国・トウにたどり着くんだけどね。長旅をするうちにお互い恋が芽生えていた二人は、トウ伝統の方法で一生添い遂げる契約を交わすの! 要するに結婚だね! でも、不老不死のズィマー様に対して、ヴァストークはただの人間でしかない。『叶うはずのない契約だ』って密かに落ち込むヴァストークに、『心配しなくてもずっと一緒だ』って優しく笑いかけるズィマー様がもう……!」


 カナはまだ語り続けているが、『銀雪』のことはこの際どうでもいい。あたしはyukiNoさんの顔を再度覗き込みながら言った。


「で、何で逃げたんですか?」

 なんやかんやあって脱線してしまったが、一番の問題は何故yukiNoさんが逃げたのか、本当にスリなのか、である。今はもうきちんと話し合いができる状況になっているので、本題に入らせてもらう。


 yukiNoさんは下を見ながら、ぼそぼそと、

「それが、そのー……いろいろあって、サブカルデーの会場から一刻も早く離れなくてはいけなくなりまして……とにかく、すぐに人気ひとけのない場所に行きたかったというか……。だから、ぶつかった時も、ろくに謝りもできずに逃げ出したというか……」

「はあ……?」

 よく分からない理由だ。苦手な人でも来たのだろうか。


「じゃあ、今からどうするんですか? サブカルデーの会場、戻れるんですか?」

 yukiNoさんはぎこちなく口角を吊り上げる。

「どうしましょうかね……戻れない気しかしてないです……一緒に来たやつがいるんで、連絡はしたいんですけど……」

「スマホは」

「……会場に置いてきました」

「電話番号は」

「……すみません。覚えてないです」

「……」

 割とどうにもならない状況だった。


「家に帰れたらいいんですけど……」

「家、近いんですか?」

 白無垢で長い時間帰るとなると、かなり目立つ。それはyukiNoさんとしても望むところではないだろう。

「そこそこ、ですかね。ここから大体十五分ぐらいです」

 微妙なラインだ。誰にも会わないという確証はない。あたしたちでサイドを守るというのもほぼ不可能だ。yukiNoさんはあたしたちより十五cmほど身長が高く、とてもガードできるとは思えない。


「んー……」

 顎に手を当てて考える。何か方法は……。

「yukiNoさん」

「あ、はいっ」

 呼びかけに、yukiNoさんは弾かれたように顔を上げる。

「ちょっとだけ、待っててもらえませんか?」

「え?」

 あたしはそれだけ言うと、公園の出口に向けて走り始めた。



 *****



 およそ十五分後。あたしはウインドブレーカーの上下を持って帰ってきた。

 カナから熱い「銀雪」トークをぶつけられて、少しおろおろしているyukiNoさんが顔を上げ、驚いた様子を見せる。

「え、それ、どうしたんですか?」

「バイト先からちょっと」

 うちのバイト先には、被服が趣味の店長によって、年齢性別を問わない様々な服の入った衣装ケースがいくつも置かれている。以前、その中にウインドブレーカーが入っていたのを見ていたのだ。


「借りてきてくださったんですか」

「まあ。フードも付いてますから、顔も隠れます。ちょっとサイズ小さいかもしれないですけど」

「いえいえ。本当にありがとうございます」

 yukiNoさんは深々と頭を下げた。

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