1-2 襟巻きは何のため
「はあ〜、夢みたいだったなあ」
頰に手を当てて、恍惚と呟くカナを気にも留めず、あたしはハムパンを一口かじった。
時刻は二時半を少し回った頃。
あたしとカナは春木野第一公園のベンチに座っていた。
二十分ほど前、バイトからの帰路で、サブカルデーの人込みに疲れた様子のカナと偶然出会した。「休憩してから帰りたい」というカナと、忙しくて昼を食べ損ね、どこかで昼食を取りたいあたしの目的が一致し、ここに連れ立って来たというわけだ。
ちなみに春木野地区には二つの大きな公園がある。第一公園と第二公園だ。しかし、二つの様相は全く異なる。
第一は木が多く、グリーンベルトのようになっているのに対し、第二は広場のようになっているのだ。そのため、イベントの類が行われるのは専ら第二の方で、第一は不人気スポットと成り果てている。
ただ、今回に限っては都合が良かった。この
今も、公園内はしんと静まりかえり、濃緑の隙間からは何も見えない。地面には前日降った雨と土ですっかりみすぼらしくなった桜が点々と散っている。
「ほら、これ見て見て! 完全再現じゃない⁉ すごくない⁉」
一つ訂正。しんと静まりかえってはいなかった。
さっきからカナが何やらうるさい。例のコスプレイヤーの話を延々としているのだ。
当初こそ「死んだ」だの「無理」だの言っていて、会話もままならなかったが、会話できるまで回復したらしい。
突きつけられたスマホに目を遣る。
そこにはアニメーションタッチのキャラクター。裾に水色の雪があしらわれた白無垢を着ているので、さっきの女性はこのキャラクターのコスプレをしていたようだ。髪は紺色で、アニメキャラクター特有の長い前髪が、丸い綿帽子から覗いている。そして、何故か左耳にだけ大きな青い宝石のイヤリングをしていた。
女性の姿を思い出しつつ、口を動かしながらもごもご言う。
「まあ、そうだね」
「でしょでしょ! はあ〜、色も白くて完全再現だったなあ、綺麗だったなあ」
あたしの様子など気にせず、カナはすっかり陶酔してしまっていた。
ハムパンをかじって、スマホの画像をもう一度見やると、着物の襟から覗くほっそりとしたうなじが目に入る。確かに、色が白い。カナの影響で色んなアニメキャラを見ることが増えたが、その中でも群を抜いている。
ハムパンの残りを口に放り込んで、ベンチに置いたナイロン袋からレタスのサンドイッチを取り出す。それの包装を剥きながら、何とは無しに前に目をやって、あたしは固まった。
濃緑の隙間から、白い何かが近づいてくるのが見える。
……まさか。いや、まさかな……。
だんだんと姿があらわになる何か。
そして。
「あ」
「え?」
姿を現したのは、呆然と目を見開いた例の白無垢のコスプレイヤーの女性だった。
「な、なっ、何で、何、何で、ここここ、ここに」
「落ち着け」
とりあえず、驚きのあまりニワトリのようになるカナの肩を叩く。
それからもう一度、例の女性に目を向けると、彼女はなぜか顔にありありと「やってしまった」という表情を浮かべていた。かと思うと、くるりと方向転換し、逃げ出そうとする。
もしや、と一つの考えが頭をもたげた。あたしたちを見て、二度も逃げ出そうとした女性。そして、彼女はカナとぶつかっていた。この二つから導き出される推測は、一つ。
「あの人、スリかもしれない」
「え?」
「だって、おかしいでしょ。二回も逃げ出そうとして。ぶつかった振りして、財布とか鍵とか盗まれてるんじゃない?」
「え……え? いや、優衣ちゃん。そんなことあるわけないよ。だって、yukiNoさんだよ? そんなことは、そんな」
駄目だ。カナはすっかり困惑し切ってしまっている。その間にも、女性はこの場から逃げ去ろうとしている。このままでは、逃げ切られてしまう。
「あーもう! ちょっと、行ってくる!」
「えっ、優衣ちゃん、ちょっと待って!」
手に持ったサンドイッチをベンチに置くと、あたしは女性めがけて走り出した。
女性との距離はそれなりにあったものの、和服では動きづらかったのだろう、すぐ追いついた。逃げ出されないように、彼女の腕をぐっと掴む。想像していたよりもがっしりとした腕に一瞬戸惑っていると、ぜえぜえと息を切らせたカナがあたしたちの真横まで走って来た。
「はあっ、はっ、ふっ、ちょ、優衣ちゃん、ちょっと待ってよ! 何かの勘違いじゃない⁉︎」
「でも、さすがに不自然でしょ。……あなた、何かやましいことでもあるんじゃないですか」
弾んだ息を軽く整えつつ、女性にぐっと詰め寄ると、ぎこちなく顔を背けられた。これは、クロだな。
「え、yukiNoさん、そんな……そんなこと、ないですよね……? 違うなら、違うってはっきり言ってください!」
そこまで言って、カナははたと動きを止めた。さっきまでの勢いは消え失せ、おずおずと口を開く。
「……っていうか、あの。今言うことじゃないかもですけど……yukiNoさん大丈夫ですか? 汗すごいですよ」
見れば、確かに女性の白い頬には無数の汗の粒が浮いていた。追いかけられて走った上に、服装は重たい和服だ。暑くないわけがない。特に、成人式によく見かけるショールのような襟巻は、首に張り付いていて、見ているだけで暑そうだ。
ふいに先ほどカナに見せられた画像のキャラクターが頭をよぎった。ほっそりとした白いうなじ。そう言えば、さきほどの画像では、キャラクターはこんな襟巻を首に巻いていなかった気がする。どうしてこんなものを巻いているのだろうか。
ほんの些細な、しかし真相の見えない謎に対する思考に沈みそうになる横で、カナが「あっ」と声を上げる。
「その襟巻、外してみたらどうしょう? スリかどうか、の話し合いも大事ですけど、熱中症とかになっても大変ですし、汗が引くまで待った方がいいと思います。首は太い血管が集まるって言いますし、まず襟巻外しませんか?」
自分の財布や鍵よりも、他人の体調を優先するとは、お人好しのカナらしい。しかし、女性はカナの言葉に、気まずげに顔をそらしただけだった。
何なんだ、この人。さっきから、おかしな態度ばかりだ。汗だくなのに、襟巻を外そうとしないし、顔を背ける以外の行動を取らない。
その時、ふと先ほど掴んだ腕の感触を思い出した。……もしかして。
「あの、間違えてたら悪いんですけど……あなた、男性だったりします?」
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