Case.4 あなたの好きなものは何ですか

4-1 雨とヨーグルトオレ

 事件が起こったのは、六月も末に近い水曜日の昼だった。朝から雨が降ったり止んだりする、七月前とは思えない寒さの日だったからよく覚えている。


 水曜は午前が空きコマなのでなので、十一時半ごろから身支度を始め、もろもろ終わらせたタイミングで玄関のドアが開く音がした。午後から空きコマのカナが帰宅したのだ。


 あたしもそろそろ家を出なければならない。玄関に繋がるドアを開けると、そこにはカナが俯いて立っていた。普段はにこにこと「優衣ちゃん、ただいま!」と言ってくるのに。しかも、なぜか、家を出る時は着ていた紺色のパーカーを腕に抱えている。雨のせいで、今日はかなり肌寒い。外はなおさらだろう。現に、半袖のワンピースから覗くカナの白い二の腕は血色がかなり悪く、その上を雨粒らしき雫が無情にも滑り落ちている。


 どうも様子がおかしい。カナの顔を覗き込みつつ、問い掛ける。


「なに、どうかした?」


 その時、カナからふわりと甘酸っぱいさわやかな匂いが漂ってきたことに気づいた。


「何この匂い……ヨーグルト?」

「あ、いや、何でもないよ? えーと、その、あっ、そう! 食堂でヨーグルト食べて来たんだ! ついさっき!」


 カナがばっと顔を上げ、なぜか焦った様子で手をぶんぶん振る。ますます怪しい。何かを隠しているのは間違いない。


 ずい、と詰め寄ると、カナが一歩退く。また漂うヨーグルトの匂い。これは……パーカーから?


 カナが目をそらした隙に抱えられたパーカーに手を伸ばすと、慌てた様子でカナはぎゅっと守るようにパーカーを強く抱えなおし、へらっとした笑みを浮かべた。


「いや、何?」

「え、何もないよ? ゆ、ゆ、優衣ちゃんこそおかしくない?」

「そんな動揺した言い方でよく言うわ。じゃあ、何でパーカーを隠そうとすんの?」


「そ、れは……何もない、から。そう、何もないからだよ! パーカー渡してもこれと言って面白いことがないから渡さないんだよ」

「何もないなら、渡して見せてくれてもいいでしょ」


「いや、うん、そうなんだけど……」

「知られたら何か都合が悪いことでもあるの?」


「い、いやー、ないよ?」

「あっ、北條冬佳!」

「えっ、どこ⁉」


 古典的な騙し方に見事に引っ掛かったカナの手元がノーガードになる。その隙をついて、カナの手元からパーカーを奪い取った。


「あ! パーカー!」


 やはりヨーグルトの匂いの元はパーカーだったようだ。パーカーの向きを変えつつ確認していくと、一か所白く染まった部分が見つかった。しっとりと濡れたその箇所からは一際強くヨーグルトの匂いがする。


「これどうしたの?」


 もう誤魔化すのは無理だと悟ったのか、カナはがっくりと肩を落とすと、事の顛末を話した。曰く、「帰り道、誰かに急に背中にヨーグルトオレを掛けられた」と。


「寒いからほんとは脱ぎたくなかったんだけど、目立つ染みだったからしょうがなく……」

「何で言わないの」

「だって、優衣ちゃん、心配してくれるでしょ? でも、怪我したとかじゃないし、服だって紺に白いヨーグルトだから目立つ染みにはなっちゃったけど、洗濯すれば普通に落ちるし」

「……そう」


 まあ、怪我はしていなくて、本人も大丈夫と言っているのならいいのかもしれない。目立つ染みにはなってしまっているが、紺色のパーカーを着ていたのも功を奏したようだ。


 六月に入ってからそれなりに暑い日が続いていたので、つい二日前にカナは大学に着ていくパステルカラーのおしゃれな春用上着の類をすべて洗濯にかけてしまっていた。が、そのすぐ後、天気予報を裏切って雨が降り始め、上着は乾かず、気温も下がる、という最悪な状況に陥った。そのため、今日に限り本来は大学に着ていくためのものではない普段の紺色パーカーを着ていく羽目になった、と家を出る前に言っていたが、パーカーが少々厚手だったため、中に着ていたワンピースは汚れずに済んだようだ。カナが洗濯してしまっていた上着はカーディガンなどの薄手のものが多かっので、もしそれらを着ていたら、ワンピースにまでヨーグルトオレが染みてしまっていただろう。


 とは言え、カナが嫌がらせ行為を受けたことに変わりはない。一応訊いてみる。


「犯人が誰かは分からないの? 手がかりとか」

「うーん、逃げていく後ろ姿しか見てないから誰かは分からなかったかなあ。青いパーカー着てて、フードかぶってたのは分かったんだけど。背はそんなに高くなかったけど、男の人っぽかったな。あと、ヨーグルトオレの五○○mlのペットボトルが地面に落ちてたくらい。カラフルな柄の牛が描いてあるラベルが付いてるやつだったけど……これじゃ分かんないね」


 ふーん、と返事をして、そこでふと引っ掛かりを覚える。青いフードに、飲み物を掛けられる嫌がらせ……あ。


「そう言えば、後輩とバイト先の子が似たようなこと言ってたな。不審者情報が出てたって」


 もちろん「後輩とバイト先の子」というのは、山岸幸ちゃんと内田鈴ちゃんだ。


 カナがきょとんと首をかしげる。

「そうなの?」

「うん。多分、犯人同じ人なんじゃない? まだ捕まってなかったんだ」


 ついでに、この間鈴ちゃんから聞いた追加情報も口にしておく。


「でも、最近その犯人が山吹台高校の生徒じゃないかって話になってるらしい。ズボンの下に山吹台の制服のズボンの裾が見えたのを目撃した人がいるんだって。制服の上から服を着て、変装してたみたい」

「あー、山吹台の制服のズボンって、名前の通り山吹色だもんね……。裾だけでもすぐ分かっちゃうよねえ」

「被害が出た最初は、不審者だー、警察かー、って騒ぎになったらしいけど、生徒が犯人の可能性が出てきたから、一旦は山吹台の中で犯人探しするってさ。大事おおごとにするかはその後決めるって」


 鈴ちゃん曰く、「うちの高校からは結局一人しか被害者出てないですし、正直生徒はあんまり興味ないですね。怪我させられたとかなら違ったかもしれませんけど、服が汚れただけですし。今は夏服だから、洗濯も簡単ですし」とのことだ。生徒の間では、今は中間考査の方が重要らしい。そう言えば、昨日から中間考査が始まったとも言っていた。これといった被害も出さない不審者よりは、テストの方が今後に関わるのだろう。


「そうなんだ。私も別にこれ以上はもういいかな。犯人にも何か理由があったのかもしれないし。とりあえず、パーカー、水に漬けてくるね」


 カナは一先ずショルダーバッグを肩から下ろし、コートハンガーに掛ける。カナらしいけれど、甘い対応だな、と思っていると。


「あー‼‼」

 とんでもない悲鳴が玄関を貫いた。

「何⁉」


 見ると、コートハンガーの前でカナが床にへたり込むところだった。その手には、十cm四方ほどの正方形の白い厚紙のようなものが乗っている。色紙のように見えるそれを上から覗き込むと、青い目に白いツインテールの少女の無表情な顔が大写しで描かれているのが見えた。また、一見分かりにくいが、その色紙の端の方にはクリーム色の染みが点々と浮いている。おそらくヨーグルトオレが背中に掛かる時に、一緒に掛かったのだろう。


 して、これは。

「あ、あ、あ、アーレちゃん、が……」

「あーれちゃん?」

「『アレブル』のヒロインのアーレちゃんだよ‼︎ 私の推し‼︎」

「『アレブル』?」

「あのね『アレブル』っていうのは、『アーレテーブルー』の略なんだけど、『2ハナ‼︎』と同じ少年漫画誌で掲載されてるファンタジーバトルものでね、それでね……」


 気が動転しているカナの説明はいつも以上にしっちゃかめっちゃかだったので、こちらで簡単にまとめると。

 舞台は中世ヨーロッパ風のとある大国。飛行船に乗って、空竜の討伐をする空士の少年アレテーは、初任務の日、飛行船の中で美しい少女に出会う。アーレテと名乗ったその少女は、名前以外の記憶を失っていた。本来飛行船に部外者を乗せてはならないが、故あってアーレテ(通称・アーレ)を飛行船から降ろせなくなったアレテーは、アーレと他の空士の仲間たちと、任務のため広大な空を駆け巡る……といったストーリーらしい。最近は、仲間の一人に裏切り者がいることが発覚し、さらに盛り上がりを見せているそうな。


「一昨年の夏にアニメ化されて、すっごい良かったんだよ。あと、二次創作でも人気のジャンルだね。特にBL好きな人からの人気が凄い印象かな」

「カナってBLも読むの? 美少女好きなんじゃ」

「あのね、優衣ちゃん。確かに私は美少女が好きだよ。でもね、BLでも百合でも、ハーレムでも逆ハーでも美味しければ何だって食べるよ。優衣ちゃんだって、美味しいものは何でも好きでしょう?」


 胸に手を当てて、悟ったように安らかな表情で言われた。そうですか。


「最近、二期が制作決定して、そのキャンペーンが今日からトキウマートで始まったんだ。木那製菓のチーズクッキーを三袋買ったら、書下ろしイラストのオリジナルミニ色紙を一枚プレゼント! ってやつ。帰り道でお迎えして、ショルダーバッグの外ポケットに入れてたんだ。家まですぐだし、雨もほとんど降ってなかったから、大丈夫だと思って油断してた……くっ!」


 これでもか、と悔しそうに唇を噛むカナ。そして、

「……せない」

「え?」

「許せない‼」

「新しいの買えばいいんじゃ……」

「私がもう一枚お迎えしちゃったら、他の人に行き渡らなくなるからダメ‼ というか、問題はそこじゃないよ。こんなにかわいくて高潔なアーレちゃんにヨーグルトオレを掛けるなんて‼ とっつかまえて、謝ってもらわなきゃ気が済まない‼」


 それからゆらりと顔を上げると、仄暗い微笑みを向けてきた。嫌な予感がする。


「優衣ちゃん、さっき『後輩とバイト先の子が似たようなこと言ってた』って言ったよね?」

「……まあ」

「その後輩の子かバイト先の子に、被害者の人を紹介してもらえないかなあ? 犯人探しの手がかりになる情報を持ってるかもしれないからさ。ね、お願い」

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