2-4 かしましい

『じゃあ、明日、昼の十二時に春木野駅の中にあるファミレス集合で。高倉さんにも伝えといてくれ』

「分かった」

 あたしは短く返事をして、電話を切った。


 五月二日、月曜日。ゴールデンウィークの中にぽつんとある平日の夕方。

 あたしは《ふれーず》の休憩室で、祐也と電話をしていた。


 昨日、カナが勢い込んで「私もお店を特定します‼」と宣言したため、カナ、祐也、件の先輩というメンバーで話し合いをすることになったらしく、その伝言のために電話がかかってきたのだ。カナと祐也はまだ連絡先を交換していないし、必然的な流れだった。


 しかし、一つ気になることがある。さきほどの祐也の言い方だと、あたしもその話し合いに参加することが決定事項のように聞こえたのだが、気のせいだろうか。明日なら、バイトに行く前に時間を取れるが、どうも巻きまれてしまった感じが否めない。


 だらだらロッカーの整理をしていると、休憩室のドアが開く音がした。

「お疲れ様でーす。って、優衣さんだけですか?」


 姿を現したのは、さらっとした茶髪のボブカットに、ぱっちりした丸い瞳が特徴的な制服姿の女子高生。

 彼女は内田鈴、《ふれーず》のホール担当アルバイターだ。現在高校一年生。つい先月バイトを始めたばかりだが、持ち前の愛嬌と容量の良さで、なかなか上手くやっている。


「うん、他の人はみんなお店の方に出てるから。でも、そろそろ休憩入る人がいると思う」

「へー、そうなんですか」


 鈴ちゃんはさして興味がなさそうに返事すると、部屋中央にあるテーブルの前に座って、スマホをいじり始める。シフトまでの時間や休憩時、鈴ちゃんはスマホをいじって時間を潰すのが常だった。いつもは割と楽しそうに触っているが、今日は彼女の興味を惹くコンテンツはなかったらしい。スマホに向けられた視線は、画面を上滑りしている。


 ロッカーの整理を続けていると、鈴ちゃんが「あっ、そういえばぁ!」とわざとらしく手を叩いた。

「メイドカフェって、日本文化の辞書には『十代の少女が接客する』って書いてあるんですよー。優衣さんって、今ハタチですよねえ。あれえ、もう十代じゃないですよねえ?」

 またか。


 鈴ちゃんはどうやらあたしをライバル視しているらしく、たびたびこういった発言をして、喧嘩を売ってくる。可愛らしい見た目に反して、その小さな体には煮えたぎる野心を抱いているようだ。

 鈴ちゃんの若干失礼な発言にはもう慣れっこなので、特に腹は立たない。それに、あたしが何か言い返さなくても、そのうちが下る。


 案の定、休憩室のドアが開き、そこからぬっと影が現れた。

「何だと、小娘」

「ひいっ」

 瞬きする間もなく、その影から伸びたこぶしが鈴ちゃんのこめかみにぐりぐりと押し付けられる。


「いたいたいたいたっ!ごめんなさいもう言いませんっ‼︎」

「分かったならよし!」

「うぅぅ、痛かった……」

 粛清が終わったようなので、声をかける。


「瑠香さん、お疲れ様です」

「お疲れー、小娘はちゃんと粛清しといたよ」

 ぐっと返されるサムズアップ。


 あたしの代わりに制裁を下してくれたのは、黒岩瑠香、あたしたちと同じくホール担当アルバイターだ。赤縁眼鏡を掛けた、黒髪ポニーテールの大学三年生。《ふれーず》には大学進学後にやってきたので、バイト歴は三年ぐらい。


 鈴ちゃんの失礼な発言は、大抵瑠香さんの粛清とそれによる謝罪までがワンセットだ。鈴ちゃんの発言に腹が立たないのには、こういう理由もある。ちゃんと謝ってくれるあたり、根は良い子だということも窺える。

 それにしても、瑠香さんはどうやって鈴ちゃんの失礼な発言を察知しているのだろう。謎だ。


 瑠香さんは鈴ちゃんの隣の椅子に腰かけると、同じようにスマホをいじり始めた。こうして並んで同じ行動をしていると、見た目は全然似ていないのに、姉妹のように見えるから不思議なものである。


 ふいに瑠香さんから声を掛けられた。

「そーいや、カナちゃん元気?」

「カナって、誰ですか?」

 鈴ちゃんのきょとんとした表情に、瑠香さんが軽く驚いた様子を見せる。


「あ、内田って、まだカナちゃんの名前知らないんだっけ? ほら、あれよ。《ふれーず》にちょくちょく来る紺色のパーカー着てる子。橋本の高校の同級生で、今一緒に住んでるんだっけ?」

「そうです。でも鈴ちゃん、よく覚えてたね、カナのこと」


 鈴ちゃんがカナのことを覚えていたのは少し意外だった。瑠香さんにはカナとの間柄を話したことがあるけれど、鈴ちゃんには話していなかったのに。


 鈴ちゃんは少し呆れた様子で言った。

「いや、覚えてますよ、流石に。バイト中、優衣さんの鉄壁の接客スマイルが唯一崩れる相手ですし。それに、いっつも紺色のパーカー着てるから覚えやすいし。にしても、あの紺色のパーカー、めちゃくちゃダサくないですか?」

「いや、大学に行く時は、ちゃんとお洒落してるよ。それ以外の時は、確かにあれしか着てないけど」


 本人曰く「必要最低限の武装」とのことだ。よく分からない。


 ふーん、と興味なさげに相槌を打つ鈴ちゃんに、瑠香さんが「あれ?」と声を上げた。

「そういや内田さ、今日は放課後の補習ないの?」


 言われてみれば、と鈴ちゃんを見やる。鈴ちゃんが通っている市立山吹台高校は勉強にかなり力を入れているらしく、希望する生徒には放課後に補習を行っているそうだ。鈴ちゃんは毎回それに参加してからバイトに来るので、もう少し遅い時間にやって来る。それなのに、今日はかなり早い。


 鈴ちゃんがスマホから目を離し、つまらなさそうに頬杖を突いた。

「なんか、不審者? が出たとかで、今日は帰れって言われたんです。大袈裟ですよねえ」

「不審者?」

「そです。なんか、うちの生徒が怪しい人に飲み物を掛けられるとこを見た人がいるんですって。青いフードをかぶった人に、背中にバニラシェイク掛けられてたって」

「へえ、それで補習受けられないって大変そうだなあ」

 瑠香さんがしみじみと言うと、「そうでもないですよ」と鈴ちゃんが返した。その顔には、なぜか自慢げな笑みが浮かんでいる。


「私、先生たちからの評価上げるためだけに補習受けてるだけなんで、もともと頭良いんですよ。だから、補習受けなくても大丈夫なんです。新入生テストなんて、三〇〇人中十三位だったんですよ」

 これは……また喧嘩を売られているのだろうか。その不屈の闘志に、内心敬意すら覚えていると、瑠香さんが口を開く。


「あー、橋本相手に勉強で喧嘩売るの辞めときな。頭良いから」

「なっ」

「あと、運動神経も良いから」


 鈴ちゃんは悔しそうに「うう……」と唸ったかと思うと、あたしに向けて人差し指を突きつけてきた。

「覚えててください! きっといつか優衣さんを超えてやりますから‼︎」

 そのまま控室を飛び出していく。行先は更衣室だろうか。

「小娘はへこたれないねえー。もうお姉さんはついていけんわ」

 瑠香さんは若干疲れた目をしていた。

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