4-5 遭遇
「おー、これおいしいよ、優衣ちゃん! はい」
「ありがと」
カナがあたしのパスタ皿の端に小さな海老を乗せる。せっかくなので、ありがたく頂くことにした。
昼時を少々過ぎたイタリア料理店の店内はあまたの客でひしめき合っている。あたしたちは窓際の席で昼食を取っていた。
昨日、唐突に決まった外出の予定。特に行きたいところも食べたいものもなかったので、カナのスマホのクーポンアプリで、一番割引してくれる店に行くことにした。
大きなガラス張りの窓からは、本格的な夏を前にした白い陽が差し込んでくる。数日前まで雨が降っていたとは思えないほど、眩しく晴れた日だった。
カナは美味しそうに料理を食べながらも、時折何か言いたげにこちらに目を遣っては俯く。やっぱり何か別に目的があるんじゃないか。
とは言え、本人が躊躇っているのを、無理やり言わせるというのも酷な話だ。あたしにできるのは、待ち続けることしかない。
結局、食べ終わるまでにカナが何か話を切り出すことはなく、店を出た。その後は、あたしのバイトの時間までぶらぶら商店街を見て回る。その間も、カナは何か言いたそうな顔をすることはあったが、何も言わなかった。そうこうしている内に時刻はどんどん進み、時刻は四時を回った。
「まだちょっと早いけど、そろそろバイト行った方がいいかな」
「あ、そっ、そうだよね。うん」
待ち続けたが、カナが話を切り出すことはなかったか。
と思ったが。
「あの、優衣ちゃん!」
背を向けようとしたあたしに、カナが声を張り上げた。
「一つ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「うん、いいけど」
「えー、そのー、優衣ちゃんの、その、おと、おとう」
「音?」
その時だった。
「優衣か?」
「え?」
後ろから投げかけられた声に条件反射で振り返り、あたしは目を見開いた。
「……お父さん」
「え、『お父さん』?」
振り返った先、そこにはあたしの父親が立っていた。
「おお、やっぱり優衣だったか」
父はゆったりと歩きつつ、近寄って来た。普段仕事の時に着ている物とは異なる、少し遊びのあるスーツを着ており、どこかに出かけていたのだということが分かる。
「どこか出かけてたのか」
「ああ、うん。そうだよ。ちょっと遊びに。お父さんは?」
「知り合いがクラシックコンサートのチケットが余ってるって言うから、お供させてもらってたんだ。さっき別れてきたきたところだよ」
「そうなんだ。クラシックかあ」
「フルートもいたぞ。優衣と同じ楽器だな」
父は落ち着いた口調で言う。そして、
「そうだ、いつ頃家に帰って来られそうなんだ? 大学に入ってから、一度も帰ってきていないだろう」
「あー、ごめん、最近ちょっと忙しくて」
「できるだけ早めに顔出してくれよ。女の子だし、まだ若いから、心配なんだよ」
「うん、分かってる。早い内に帰れるように、頑張るね」
淀みなく会話をしていたが、あたしは内心かなり動揺していた。もしこの世界に本当に神がいるのだとしたら、現状に甘えて問題の解決を先延ばしにしていることを、神に見透かされ、「お前の目的を思い出せ」と平手打ちされた気分だった。
「優衣、ちゃん……」
横から、控えめに呼びかけられる。動揺していたため、カナの存在を忘れてしまっていた。カナの言葉に、父もカナに目を向ける。
「君が、優衣と一緒に住んでるっていう子かな。会うのは初めてだよね」
「あっ、え、えと、は、はい。たっ、高倉奏子です! えと、優衣さんにはいつも仲良くしていつぁ、あっ、いただいてます!」
カナがいつものようにつまずきつつ自己紹介をし、仕上げにがばっと頭を下げる。
父は「ははは」とおおらかに笑いながら、
「こちらこそいつも娘がお世話になってるね。優衣はいつもどんな感じかな」
「ちょ、お父さん」
「優衣ちゃんは、いっつも完璧です! 頭もいいし、しっかりしてるし、私とは大違いで……」
「たくさん褒めてくれて嬉しいねえ」
そうして会話に一区切りついた時、
「優衣、ちょっといいか」
父に軽く手招きされた。
「え」
「高倉さん、ちょっとだけ待ってもらっていいかな」
「あ、は、はい」
手招きされるまま、父の近くに寄る。父はカナに背を向けると、声を潜めて、こんなことを言い出した。
「優衣、あの子といて大丈夫なのか?」
「……どういう意味?」
「高倉さんだよ。あまりちゃんとした子には見えない……言い方が悪くなってしまうが、優衣に良い影響を与えるようには見えない。あまり深く付き合うのは」
一旦、思考が止まった。何を言われているのか分からなかった。けれど、すぐに回り出した頭が言葉を理解する。
父は言葉を選んでいたが、要するにカナがあたしに悪影響を与えるような人間だと言っているのだ。先ほどの自己紹介のつまずき方や、もしかするとカナの長い前髪を見て、そう判断したのかもしれない。
でも、カナはそんな人間ではない。カナには一見しただけでは分からない人間性や芯の強さ、聡明さがある。まだ会ったばかりの父に、カナの本当の姿なんてすぐに分かるはずがない。
心の中では一気に言葉が溢れてきていた。それなのに、
「えっと……」
喉が詰まったように言葉が出ない。
もし「そんなことない」と言って、さらにカナを否定する言葉を並べられたら? 「あんな子と関わり続けるなんて」と言われたら?
結局あたしは、
「あー、うん。そうかもしれないね。気を付ける」
また自分自身に負けてしまった。
父はあたしの答えを聞くと満足げに頷いた。カナの方を向き、紳士的に軽く手を振る。
「じゃあ、私はそろそろ帰らせてもらうよ」
「あっ、はい!」
「二人も、暗くなる前に帰るように。危ないから」
そして、父は背を向け、帰っていった。
「えっと、優衣ちゃん……?」
カナがとことこと寄って来て、心配そうに声を掛けてくる。
カナの顔を見た瞬間に思い浮かんだのは、「合わせる顔がない」ということだった。
あたしはカナへの偏見と蔑みの言葉に何一つ言い返さなかった。そんなあたしが、どんな顔をしてカナに返事をすればいいというのか。
「何かあったの?」
長い前髪の下からちらちら見え隠れする心配そうな黒い瞳が、あたしに真っ直ぐに向けられる。動悸が次第に早くなっていく。
「優衣ちゃん?」
「……いや、その……あー、あたし、そろそろバイトあるから行かないと」
「えっ、優衣ちゃん!」
あたしはカナの制止も聞かず、その場から逃げ出した。
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