エピローグ

好きなもの

 あれから数日が経った。

 時刻は夕方。二階でとある人物に電話を掛けていたあたしは、通話を終えてリビングへと顔を出した。


 リビング中央のローテーブルの前では、カナがクッションの上に座って、楽しそうにスマホを触っていた。最近、「BURN UP」をインストールしたらしく、ぎゃーぎゃー言いながらよくプレイしている。後で聞いたのだが、ヨーグルトオレから始まった一連の騒動の時、瑠香さん達と話し、「BURN UP」に興味を持ったらしい。


 ここ数日、カナは被害者と蓮君の話し合いの場を取り持つなど、蓮君の問題解決に奔走している。あたしも手伝ってはいるが、被害者でない以上そこまで関わることができないため、カナの疲労感はかなりのものだろう。上手く息抜きできているようで安心する。


 あたしはあたしで母と連絡を取ることが少し増えた。今は動画用に和服をリメイクしているのだそうだ。母がユーチューバーであるという話を聞いてから、母が出演している動画をいくつか観てみたのだが、母は時折自分の幼少期について話していた。その話を聞く限り、母は幼少期のあたしを凌ぐレベルのお転婆だったようだ。しかし、今の様子を見る限り、成長の過程で女の子らしくあるように矯正されたのだろう。母が父の教育方針に逆らわなかったのは、自分自身の経験ゆえに「女の子らしく育てるべき」と思いたかったからなのかもしれない。


 カナがこちらをくるりと振り返った。

「あ、優衣ちゃん、おかえり。随分長かったけど、誰と電話してたの? お母さん?」

「いいや。野球サークルの部長」


 カナがきょとんと首を傾げる。

「何で?」

「入ろうと思って」

「何に?」

「野球サークル」

「……へ?」


 カナが固まる。一拍置いて、

「ええええぇぇぇぇ⁉」

 部屋を大絶叫が埋め尽くした。慌てて耳を塞ぐ。


「うるさっ」

「何で何で何で⁉」

 カナの声は、耳を塞いだ手をやすやすと突破してきた。


 ぐっと詰め寄ってくるカナを、手でしっしっと追い払う。

「あーもう、うるさい。バイト、前みたいにぎちぎちに詰める必要なくなったから、サークル入ろうと思ったんだって。昔から野球、好き、だったし」

「……そっか」

 “好き”という言葉にはまだ慣れていなくて、語尾は随分尻すぼみになってしまったけれど、カナは嬉しそうに微笑んでくれた。


 その微笑みがあまりにも真っ直ぐで、気恥ずかしくなり、咳ばらいをして話を逸らす。

「だから、《ふれーず》には前ほど顔は出さないと思う。バイト自体は続けるけど」

「そうなんだね! でも、そっかあ。運動部ってことは、運動音痴の私とは別世界に行っちゃうんだよね。私のこと、忘れないでね……」

「あたしはニワトリか」

 よよよ……と、手を伸ばしてくるカナを、いつものように軽くあしらう。その最中、向かいの壁にかかっているカレンダーがふいに目に入った。


 思えば、この数か月の間に随分いろいろとあったものだ。

 この数ヶ月、あたしたちは随分と“好き”に振り回されたし、苦しめられた。“好き”という感情はポジティブに見えるけれど、それを押し通すのには随分としんどい思いをすることがある。それを痛感させられた。でも、カナが楽し気にオタク生活を送っている様子を見ると、悪いものだとも言い切れないと思った。


「優衣ちゃん、どうかした?」

 どうやら思考に気を取られて、あらぬ方向を見ていたらしい。慌てて視線をカナに向ける。


「何でもない。ゲーム、どう? 今どんな感じ?」

「うんとねー、ちょっとピンチかなあ」

「ふーん。あたしもゲーム始めよっかな、野球のやつ」

「え⁉ 優衣ちゃんゲームするの⁉ 私も同じのインストールし、あっ、撃たれた!」

「あはは」

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