4-16 縁
翌日。
遅めの朝食を取りながら、カナと話をしていた。
「お父さんからはまだ返事ない?」
「うん」
「……大丈夫じゃなかったら言ってね」
「大丈夫だよ」
その時、玄関でチャイムが鳴った。「あ、は、はーい」と小さな声で返事をして、カナが玄関に向かう。カナはよくネットショッピングをするため、来客が来た場合は、まずカナが対応することになっていた。
卵サンドをかじっていると待っていると、カナが走って帰って来る。
「優衣ちゃん!」
「え、何?」
「玄関に着物の美女がいる……!」
「は?」
「優衣ちゃんはいるかって言われたんだけど、ど、どうしたらいい?」
「え?」
とりあえず玄関に向かう。後ろをカナがちょこちょことついてきた。玄関にいたのは、
「え、お母さん、何で……」
紛れもない母だった。
母は申し訳なさそうに笑い、「急に押しかけて、ごめんなさいね」と謝った。
何が何やら分からないが、立ち話をし続けるわけにはいかない。カナの勧めで、中で話をすることになった。
ローテーブルを挟んで座る。カナは気を利かせて自室へと入っていった。
「……それで、お母さんは、何をしに」
「昨日、優衣から留守電が来たって、お父さんに聞いて」
「あ」
「中身は聞いてないの。でも、お父さんから『これ、どういう意味だと思う?』って訊かれたから、何となくの中身は知ってるの」
「……!」
母は「勝手に中身について知っちゃって、ごめんなさいね」と謝りを入れると、「お父さんなんだけど」と切り出した。
「正直困惑してたわ。どうして今更こんなことを言いだしたのかって。内容にもあんまり納得いってなかったみたい」
「そう、なんだ」
やはり、フィクションのように、急に考えを改めたり、反対に怒り狂ったりすることはなかったか。
それもそうか、と拍子抜けする一方で、変わらない日々があることにどこか安堵もしていると、衝撃的な一言が飛んできた。
「だからね、ちょっと懲らしめてきたわ」
「……え?」
「娘がこんなに頑張ってメッセージを残したのに、その反応はなんだって」
……母はこんな人だったろうか。もっと、夫の後ろを三歩下がってついていく、というタイプだったように思うが。
頭の中をクエスチョンマークが飛び交う。そんなあたしを置いて、母は話し続けた。
「私ね、今まで女の子は女の子らしく品行方正に生きていくのが幸せなんだって思ってたのよ。でも、留守電の話を聞いて、私がそう思いたかっただけだったんだって気づいて、このままじゃいけないと思って、一発ガツンとね。
今まで苦しんでいるところを見殺しにしてごめんなさい」
母は深々と頭を下げた。
「お父さんはね、小さい頃から優秀ないとことずっと比べられてきて、何度も蔑まれてきたのよ。だから、誰にも隙を見せたくなくて、優衣にも後ろ指をさされるような人になってほしくなかったのだと思う」
初めて聞く話だった。父にも理由があったのか、と思っていると、
「でもね、そこに同情の余地はないのよ。だって、お父さんが蔑まれて悔しい思いをしたことと、優衣は関係ないんだもの。だから、もし今後お父さんのこういう話を誰かから聞かされても、同情なんてしなくていいのよ」
強く言い切られた。
「う、うん」
曖昧に頷く。何が起こっているのか未だによく分からないが、あの留守電で母は味方になってくれたということだろうか。
母はさらに言葉を重ねた。
「それでね、今まではお父さんに援助をしてもらってたでしょ? でも、これからは私も少しずつ援助をしていきたいと思ってるの。ずっとお父さんに援助を受けるの、借りを作り続けている気分にならない?」
「それ、は……」
しかし、母は専業主婦だ。父の強い要望だと聞いたことがあるし、先ほどの隙を見せたくない云々の話を聞く限り、娘が家を出た後であっても母を働かせたがるとは思えない。自由に出せるお金などあるのだろうか。
顔に疑問が出ていたらしい。フォローを入れるように母が言った。
「最近、少し自分で稼げるようになったの」
「え、仕事始めたの?」
「そう。よく行く手芸店の店員さんに誘われて、今はユーチューバーをしてるのよ」
ユーチューバー。ユーチューバー……。
「え⁉ ユーチューバー⁉」
自分でも驚くほど声が出た。あの古風な母がユーチューバーとはこれいかに。
母は笑った。
「そう。優衣がYouTubeは誰でもできるって言ってたでしょ? だから、誘いを引き受けたのよ。最近、人気も出てきたのよ。ちょっと前に、和服をリメイクして、コスプレ衣装を作る動画がバズってね」
「ん?」
「確か、yukiNoさんって人に作ったものだったんだけど、それを動画にしたら、すごく伸びてね」
「え?」
「最近は『2ハナ‼』って作品の、なんか文化祭? か何かの衣装を作ってくださいってコメントで言われて、それも結構話題になって、視聴者の数も安定し始めたの。だから、一時的とは言え、結構お金が入ってきて、へそくりを貯められたの」
「え⁉」
一旦待ってほしい。
和服をリメイクするユーチューバーで、コスプレ衣装を作る動画がバズった。ということは、母は店長の推しユーチューバーではないのか。そして、そのバズった要因は雪野さんが衣装を頼んだことで、その後、祐也の漫画がきっかけでチャンネル人気が安定し始めた。こういうことか。
めまいがしてきた。どういうことだ。
その時、隣の和室のふすまがすぱん、と音を立てて勢いよく開いた。
「優衣ちゃんのお母さんって、あの白無垢を作った方なんですか⁉」
母は少しだけ目を丸くして、にこりと微笑む。
「ええ」
「はああぁぁぁ……! あの、すっごくきれいな仕上がりでした! えっと、YouTubeも観てみます!」
「あら、ありがとう」
今この場でさらに視聴者が一人増えた。駄目だ、どんどん分からなくなってきた。
額を押さえていると、母が「あ」と声を上げた。
「今更おこがましいんだけれど、今なら私がお父さんに言い返すから、もし帰りたくなったら、いつでも帰ってきてね。というより、今後もここで生活していく?」
「え?」
考えたことがなかった。でも言われてみればそうだ。もうこの家に住まわせてもらう理由がない。もう息苦しい思いをしなくて済むのなら、家に帰ってもいいわけだ。
でも、と思う。少し寂しいと思っている自分がいる。
答えを言い淀んでいると、右腕に何かがぶつかって来た。見ると、カナが腕に抱き着いている。
「優衣ちゃん、行っちゃうの?」
「え?」
「もちろん優衣ちゃんがお家に帰りたかったら止められないけど、寂しいなあって」
うるうるした瞳で見上げられる。その目に押されて、あたしは意を決して口を開いた。
「あたしも、その……しい」
「え?」
「その、あたしも、さび、しいなー、と思って」
「……! 優衣ちゃん!」
「うわっ、ちょっと!」
カナが腕から手を離し、今度は首に抱き着いてくる。
母はふふっとほほ笑んだ。
「じゃあ、今の生活を続けるのね」
その後、母はカナに改めて挨拶をして、帰っていった。
その後ろ姿を見ながら、あたしは不思議な縁について考えていた。これは、各々が選択してたどり着いた先にある“好き”という感情が繋いだ縁だ。そう思った。
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