Case.2 蹄鉄とウサギ

2-1 トーストとツイート

 カーテンの隙間から差し込む、昼になりきらない白い光。目の前には、こんがりと狐色に焼けたトースト。香ばしい香りが立ちのぼる中、聞こえてくるのは微かな鳥の囀りと、


「絶対におかしい、何かあったんだよ‼︎」


 テーブルの向かいから届く、カナの喚き声。

 もはやため息しか出てこなかった。


 五月一日、日曜日。午前十時を回った頃。

 あたしは下宿先のリビングで、少し遅めの朝食を取ろうとしていた。


 あたしの下宿先は、春木野にほど近いカナの大叔父夫婦の家だ。といっても、大叔父夫婦は現在ここに住んでいないのだが。


 実を言うと、カナの家から大学までは、それなりの距離こそあるものの、下宿の必要性があるほど遠くはない。しかし、カナの大叔父夫婦の家がK大学の近くにあり、且つ今は大叔父夫婦が家を空けているので、大学四年間に限りカナを下宿させる約束をしていたのだとか。


 あたしはそこを頼み込んで、一緒に住まわせてもらっているというわけだ。


 ちなみに、カナの大叔父夫婦は現在、車で全国を旅しているらしい。

 詳しいことは聞いてもよく分からなかったが、数年前、車一台で全国を旅する人のニュースを見て感銘を受けたらしく、夫婦ともども全国を放浪しているらしい。


 あと、カナの大叔父夫婦は二人とも、今で言うところのオタクらしい。高倉家の血は濃い。


 少し話が逸れてしまった。

 ともかく、カナの大叔父夫婦の家で、あたしは朝食を取ろうとしているのだが。

「どう思う⁉︎ 優衣ちゃん‼︎」


 カナが何やらうるさい。起きてきたときから、ずっとこうだった。

 リビングの真ん中に置かれたローテーブルを挟んで、あたしの向かいに座り、スマホ片手に喚いている。


 呆れをため息に乗せて吐き出してから、しぶしぶ声をかける。

「何が?」

「これ!」


 顔面スレスレに突きつけられたのは、カナのスマホ。そこにはTwitterの画面が表示されていた。アカウント名は「広哉ひろなりあきら 6/25 8巻(初回限定特装版)発売」。


「広哉先生、昨日ツイートしてなかったの‼︎」

「だから?」

「『だから?』じゃないよ‼︎ 広哉先生、今まで一日も欠かさずに呟いてたのに、昨日だけ一言も呟かなかったの‼︎ もしかして、体調が良くないのかなあ。まさか、事故に遭ってたりして……」


 無駄にあたしのモノマネが似ているところが、無性に腹が立つ。というか、

「そもそも、誰これ?」

「え、優衣ちゃん、本気で言ってる……?」

 ありえないものを見る目を向けられてしまった。そこには、いっそ憐みすら感じられた。


 すぐさまカナはそのままリビングの隣の和室——カナの自室へと走って行く。かと思うと、何かを持って帰ってきた。


「これだよ‼︎」

 今度はその何かを顔に突きつけられた。


 焦点が合うまで少し時間がかかったが、どうやら漫画の単行本のようだ。表紙には、赤茶色の長髪の少女が二人、背中合わせで立っている。右側の少女は髪をポニーテールにし、険しい表情を浮かべているのに対し、左側の少女は髪を下ろしたまま不敵な笑みを浮かべていた。


 タイトルは「2ハナ‼︎」、作者は「広哉あきら」となっている。なるほど、漫画家だったか。カナがあんな目をするわけだ。


 それから、カナは懇切丁寧に「2ハナ‼︎」の説明をしてくれた。ただ、好きなシーンやらキャラの性格やらで脱線しまくったので、こちらでざっくり要約すると。


「2ハナ‼︎」は、ハーレム物ラブコメ漫画。

 舞台は現代の日本。学校で同級生を守るため、暴力事件を起こし、そのせいで転校することになってしまった男子高校生・しゅうが主人公。


 暴力事件の痛い経験から、転校先の高校では「何があっても無関心を貫く」と心に決めていた柊。それなのに、転校初日、校内で有名なドイツと日本のハーフで双子の美少女・ツェルトリヒとクライドゥングが入れ替わっていることを見抜いてしまう。

 しばしば利己的な理由で周りを欺いていた二人は、柊を危険人物と見なし、監視するため、それぞれが所属する生徒会と剣道部に無理やり柊を入部させ……といったストーリーらしい。

 基本はラブコメだが、キャラクターそれぞれが抱える葛藤や、その葛藤からの解放と成長が細かく描かれており、良質な青春ものでもあるらしい。


 最近は、柊が転校する原因になった同級生・みやびも登場し、ラブコメが加速しているところなのだそうな。


「お姉ちゃんのツェルちゃんは、生徒会長で、表向きは人当たりが良い優等生なんだけど、実は凄く冷めてて、ふいに見せる視線の鋭さがめちゃくちゃ良い! 妹のクライちゃんは剣道部主将なんだけど、ツェルちゃんとは真逆で、ぶっきらぼうで不器用で、でも誰よりも優しくて、一人でいろいろ抱え込んじゃうの。それがもう良い‼︎ 二人とも可愛いのはもちろんなんだけど、個人的にはクライちゃんが好きなんだよねー、私の嫁‼︎」

 カナは一息に言い切った。そこまで息を止められるのなら、潜水にでも挑戦してみたらどうだろう。


 ちなみに「嫁」というのは、特別好きなキャラクターや推し(性別は問わない)を指す単語らしい。初めて聞いた時は意味が分からなかったが、カナから詳細を教えてもらった。


「それでね。六巻に出てくる文化祭のシーンが凄いんだよ!」

 カナが鼻息を荒くして、ぐっと身を乗り出す。

「舞台の上で、柊とクライちゃんの二人で殺陣を披露するんだよ! そのシーンの迫力とか表情とかがもうやばくて‼︎」

「……はあ」


「それで、絵も凄いんだけど、この殺陣を披露してる最中にクライちゃんは柊への好意を自覚するんだ! で、既に柊への好意を自覚してたツェルちゃんは舞台袖から二人の姿を見ながら言うんだよ、『クライ、おめでとう』って‼︎ しかもね、クライちゃんもツェルちゃんも幼少期の経験から恋をすることにためらいがあったのに、柊のおかげで二人とも恋ができるようになったんだよ! もうめちゃくちゃ良かった……‼︎」

「……はあ」


「それにね、その殺陣の衣装もめちゃくちゃかっこよくてね! 袴みたいな動きやすそうな和服で、柊とクライちゃんで色は違うんだけどデザインは一緒なの! あ、色は柊が緑で、クライちゃんがピンク色ね。それでね、裾から上にかけて柳と桜の模様がこう、ぶわぁっ! ってなっててね‼︎ 最近はコスプレでも人気なんだよ‼︎‼︎」

「……はあ」

「作者の広哉先生は、三年前に『アップルパイ・アバンチュール』っていう短編漫画でデビューした方なんだけどね、この作品もいいんだよ~。心理描写がすっごく繊細なんだけど、何よりそれを支える画力がすごい! 最近の漫画家さんの中でも一番絵が上手いんじゃないかって言われてるんだよ! きっとたくさん練習したんだろうなあ。もちろん、『2ハナ‼』も高い画力と細やかな心理描写を存分に楽しめるよ!」

「はあ」

 かろうじてそう言うと、

「あ、そうだ! 優衣ちゃんも読んでみる? はいっ」

 と、半ば強引に一冊押し付けられてしまった。


 別に断る理由もないので、黙って受け取る。そのまページをぺらぺらとめくり……って、あれ?

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