2-6 素面ですか

 翌日の昼頃、あたしとカナは春木野駅の中にあるファミレスに連れだって向かっていた。


 結局あたしも、話し合いの頭数に入れられていたらしい。ごく当たり前のように、カナから「よし、優衣ちゃん行こう」と言われてしまった。バイトの時間まで余裕はあるから別に構わないが、上手いこと巻き込まれてしまった感は否めない。

 強いて断るのも面倒だ。駅中のファミレスはバイト先とも近い。諦めてついていくことにした。


「それにしても、広哉先生が優衣ちゃんの幼馴染だったなんて、びっくりだったなあ。優衣ちゃんは、赤月さんが広哉先生だって全く知らなかったの?」

 歩きながら、カナが顔を覗き込んでくる。あたしはかぶりを振った。


「全く知らなかった。ずっと一緒にいたわけじゃなかったし。一方的に話しかけられることは多かったけど。……あー、でも、絵は昔から上手かったな」

「そうなんだ!」


 その他、ドラマCDとはどんなものなのか話しているうちに、ファミレスについた。ちなみに、ドラマCDとは絵のないアニメ、らしい。特装版にはこれが付いていることが多いが、オリジナルアニメDVDや小冊子が付いてくることもあるのだとか。


「あ、二人とも、こっちこっち」

 店内に入るなり、手前のボックス席からひょいひょいと招く手が見えた。祐也だ。その隣には、あたしたちよりもいくらか年上の女性の姿。彼女が例の先輩だろう。明るい茶髪のロングヘアを巻いており、派手な美人という印象を受ける。いわゆるギャルというやつか。彼女の横に置かれたオレンジのリュックサックには、U字の金属でできたキーホルダーのようなものが付いている。馬の蹄鉄のように見えたが、実際はどうか知らない。


 店員に事情を説明し、とりあえずドリンクバーだけ頼む。あたしがコーヒー、カナが白葡萄のジュースをそれぞれ注いで、祐也たちの向かいに座ると、祐也による司会のもと早速自己紹介が始まった。


「じゃあ、愛理先輩から」

「ウチ? えー、仁藤愛理にとうあいり、荒神大学大学院一年生でーす。赤月とはサークルの先輩後輩」

「橋本優衣です。長花ちょうか大です。今日はよろしくお願いします」

「あ、えと、たっ、高倉奏子、です。同じく長花大学の二年生、です。あの、今日はその、お店の特定のお手伝いをしに、参りましたっ!」


 「参りました」て。

 仁藤さんは「参りましたって、面白いね、高倉さん」ときゃらきゃら笑っていた。


 ひとしきり笑った後、仁藤さんは納得したように言った。

「話し合いは春木野駅のファミレスでやろうっていうのは、この二人に合わせるためだったんだ。長花大、春木野の北にあるもんね」

「そっすね」

 祐也が手元のコーラが入ったコップに手を伸ばしながら、適当にうなずく。その動作一つで、仁藤さんと祐也の関係性が窺える。


 その様子を見ながら、仁藤さんが確認するような口調で言った。

「最初、春木野って聞いた時、赤月がオタクになったんかと思ったわ。そんなわけないよね」

「……そっすね」


 この会話から察するに、祐也は漫画を描いていることをまわりには言っていないらしい。それもそうか。そもそも言う必要がない。


 自己紹介が一段落したところで、ようやく本題に入る。

「で、愛理先輩。まず、状況の説明からよろしくお願いします」

「……あれは、四月の三十日のことだった」

 仁藤さんはジンジャーエールを口に含むと、唐突にアンニュイな口調で語り始めた。さきほどまでのギャルの面影はすっかり消え去っている。何が始まった。


「その日は、誠司せいじの住むアパートで一緒に飲んでた」

「『誠司』っていうのは、愛理先輩の彼氏の名前。佐々木ささき誠司さん。ちなみに現在二十六歳の社会人。出会いは、愛理先輩のバイト先の居酒屋に佐々木さんが来たことだってよ」

 すっかり自分の世界に入り込んでしまった仁藤さんの代わりに、祐也が適宜補足を入れていく。


「飲み始めて一時間ぐらいしたタイミングで、誠司に電話がかかってきた。誠司は『ちょっとごめん』って言って、席を外した。話してた相手は多分大学時代の友達だと思う。

 最初は普通に電話してるなーと思ってた。けど、あんまり長いから様子を見に行ったの。そしたら、会話の内容がちょーっとだけ聞こえちゃったのよ。でも、その内容が!」

 仁藤さんがテーブルにばんっと手をつく。カナがびくっと肩を揺らす。


「なんか結婚してる相手のことについて話してる感じだったの‼ 表面上は人当たり良くて、でも実は冷めてて、きついところがあるのが最高だ、みたいな話をしてたの‼ そりゃあアルコールが入ってたから、記憶は曖昧だし、詳しくは覚えてないけど……。でも、絶対記憶違いなんかじゃない‼ ありえない……ありえない……」


「ねえ。この人、素面だよね?」

 祐也にこそっと確認すると、

「多分」

 という随分心もとない答えが返ってくる。この後が心配になってきた。


「本当に油断してた……きっとウチと出会う前から既婚者で、ウチのことは完全な遊びだったんだ‼ はー、ありえない!」

 仕上げとばかりに、もう一度テーブルに手を付く仁藤さん。遅れてビリビリ震えるコップ達。それを見ながら、祐也が付け足した。


「で、このテンションのまま佐々木さんのアパートから出てきた愛理先輩は、夜中にもかかわらず、俺に電話を掛けてきて、二時までこの感じで語り続けた」

「ご愁傷様……」

 祐也は遠い目をしていた。


 「というわけで」と仁藤さんが言う。幾分かの理性は戻ってきたようだが、まだ息は荒い。

「なにかしら復讐をしないと気が済まない! というわけでこれよ」


 仁藤さんは濃いオレンジ色のケースに入ったスマホをずいと差し出してくる。あたしとカナは身を乗り出して、のぞき込んだ。


 そこには、一枚の写真が写っていた。上部に「5月」の字があることや、一つずつ数字が振られた正方形のマス目が順番に並んでいるところを見るに、おそらくスケジュール帳の一ページだ。


 話の流れから、誰のものかはなんとなく分かるが、一応訊いておく。

「誰のですか、これ?」

「これはね、誠司のスケジュール帳の写真!」

 そんなしたり顔をされても困る。


 あたしとカナの二人ともがきょとんとした顔をしていたらしい。仁藤さんは「何で通じないんだか」といった顔で、スケジュール帳の下部にあるメモ用のフリースペースの箇所を拡大して見せた。


「復讐するには、ちゃんとした証拠が必要でしょ? だから、スケジュール帳に何かあるかもと思って、誠司のアパートを出る前に写真撮ってきたの! で、ここに、『予約 →5月8日 2037』ってあるでしょ? これ、誠司と結婚相手が五月八日に食事する予定のことを書いてると思うの。2037はよく分かんないけど、食事の値段とか、電車の時間とかじゃないんかな。

 誠司はまめだし、電子機器が苦手だから、スケジュール帳にめちゃくちゃ丁寧にメモするの。実際、このメモ書き以外はめちゃくちゃ丁寧に書き込んである」


 仁藤さんが先ほど拡大した写真を元のサイズに戻す。それを見てみると、確かにこの「予約 →5月8日 2037」以外のほとんどのメモは、細かく几帳面に書き込んであった。日付のマスを埋める仕事や飲み会の予定らしきメモのほとんどに、電話番号や時刻、店の名前などが書いてある。


 「なのに」と、仁藤さんがぐわっと身を乗り出した。

「このメモだけやたら抽象的でしょ? 何のことかさっぱり分かんない。だから、ウチに隠したいこと=結婚相手との食事の予定だと見た!」


 ようやく基本情報が出揃った。しかし、この情報だけでは分からないことが多すぎるし、気になる部分も多い。

 「カナはどう思う?」と訊いてみると、カナは「あの」と控えめに、しかしはっきりと口を開いた。


「いくつか質問したいことがあるんですが、いいですか?」

「いいよ、何?」

「まず一つ目なんですけど。何でメモが抽象的だと、仁藤さんから隠したいことになるんですか?」

 これはあたしも気になっていた。いまいち繋がりが見えない。


 この質問には、祐也が答えた。

「あー、それはね。愛理先輩に前科があるからだよ」

「前科?」

「この人、不安になって、前に一回誠司さんのスマホを勝手に覗いてんの。今年の一月でしたっけ?」

「だって、二年も付き合ってたら、不安になるじゃん。

 後ろからそれとなーくロック解除するとこ見てたから、パスワードは分かってたし、指紋認証もめんどいからって設定してなかったし、見るのは簡単だったよ」


「でも、運悪く佐々木さんがその場に遭遇」

「誠司、思ったよりお風呂あがって来るの早かったんだよ。しかも、誠司ってば電子機器苦手だからさー、そもそもあんまりスマホを使ってなかったみたいなんだよねー。メインはさっき見せたスケジュール帳だったみたい」


「で、それ以降、佐々木さんは『もしかしたら愛理先輩にスケジュール帳も覗かれるかも』って危機感持ってる可能性が高いってこと。だから、プライベートのスケジュール帳でも、バレたくないことはできる限りぼかして書く可能性もあるよなーって話。実際、愛理先輩に覗かれてるわけだし」

「なるほどです」


 交互に繰り出される息のあった答えに、カナは大きく頷いた。

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