2-7 哀しい
「で、スマホの中身はどうだったんですか? その時は女性の影とか、既婚者だって証拠は見つからなかったんですか?」
あたし自身はこの件に一切興味がないが、何となく訊いてみる。仁藤さんは頬杖を突きながら答えた。
「うーん、そん時はなんも見つからなかったんだけど、なんとも言えないかなー。一応名前が女っぽい人とのLINEのトーク履歴は見てみて、みんな仕事相手っていうのは確認したんだけど、急いでたから、それ以外の履歴の確認はできなかったし、見落としあるかもだし。それに、男っぽい名前の女もいるじゃん?」
そう言いながら、仁藤さんはテーブルの中央に置かれたままの自分のスマホを持ち上げると、軽く操作してから、再度テーブルの中央に置く。
画面には、一台のスマホが写った写真。落としてしまったのか、黒い手帳型ケースに入ったそのスマホの画面はバキバキに割れているが、かろうじてLINEの友達一覧が五十音順で表示されていることは分かった。
「えっと、これは」
「誠司のスマホ覗いた時に撮った写真。誠司のLINEの友達一覧を、ウチのスマホで撮ったの。で、ほら見て。こん中に、『秋山有希』とか『あゆむ』とか『奏多』って名前のアカウントあるでしょ? あん時は男の名前だと思って、スルーしちゃったけど、今思えば女でも行ける名前じゃん? この中に奥さんが紛れ込んでたのかも」
言われて一覧を上から順に見てみると、確かに男性か女性かの判別がつきづらい名前がいくつかある。アイコンも、デフォルトのままだったり、何の変哲もない風景だったりで、性別を判断するための参考になりそうにない。これらのアカウントを全て見逃したのなら、奥さんを見逃している可能性も充分にある。
「それに、LINEのアカウント名って好きなように変えて登録できるし、ウチの策、いろいろ穴だらけだったんだよねえ」
ため息を吐く仁藤さん。
と、今までタイピングをしていたカナが手を止め、仁藤さんのスマホをのぞき込んだ。かと思うと、小さく手を挙げて、
「あの。一つ、いいですか?」
「ん?」
「この一覧の一番上にある『あいり』って名前のアカウントは、仁藤さんのものですか?」
「え? あーそうそう。それ、ウチのやつ」
その会話を聞いて、友達一覧の一番上、仁藤さんのアカウントに目を遣ってみた。アイコンは、リュックに付いていたストラップ。やはり蹄鉄のように見える。あまり見ないモチーフだが、随分気に入っているようだ。
「それがどうかした?」
「あっ、いえ、ちょっと訊いてみただけです」
カナは手をぶんぶん振る。その様子を横目で見ながら、今度は祐也が口を開いた。
「そういや、佐々木さんのスマホ、アプリもほとんど入ってなかったんですよね? 今時珍しいっすよね」
「うん。LINEとかは入ってたけど、他は全っ然。昔から、ネットに繋がる電子機器が苦手で、スマホとかパソコン嫌いなんだって。嫌いってか怖いって言ってた」
「あ、でも」と仁藤さんが声を上げた。
「見逃し配信サービスのアプリは何個か入ってた。三つぐらい」
「見逃し配信サービス?」
「そそ。ほら、よくテレビで言ってるじゃん? 『この番組を見逃した場合は、○○で一週間無料視聴可能!』みたいな。あーいうのが三個入ってた」
そんなものあるのか。普段テレビはあまり見ないので、知らなかった。
世間の進歩は早いなあ、と思っていると、コーラを飲みながら祐也がしみじみと呟いた。
「それにしても、佐々木さんが浮気かあ。そんな人には思えなかったけど」
「祐也は佐々木さんに会ったことあるの?」
「会ったことはない。でも、写真は見たことある。あと、こういうこと言ってくれた、とか、こういうデートした、とか、愛理先輩から惚気を何回も何回も何回も聞かされてるから、ある程度の人となりも知ってる」
「何回も何回も何回も」の部分に押し殺した苦労が垣間見えた。ご愁傷様です。
「まあ、すっげえ真面目な人で、誠実な人なんだなー、って印象持ってたから、なんかショックだわ。佐々木さんは俺の存在すら知らないだろうけど」
そこまで言ってから、祐也は「あれ?」と首を傾げた。
「そういや、佐々木さんって電子機器は嫌いなのに、テレビ
「あー、それね。テレビはネット繋がなくてもいいから、怖くないんだって。誠司の家のテレビ、めっちゃ高性能なやつだったし、いろんなチャンネルも観れるようになってたし。しかも、めっちゃ録画できるようにしてあった。ウチのテレビ、録画容量めっちゃ少ないから、よく代わりに録画してもらってたんだよね。休みの日とか、誠司ん家に入り浸って、二人でずーっとだらだらテレビ観たりとかしてたなあ……。今となっては、もう昔の話だけど!」
けっ、と仁藤さんが悪態をつく。女の恨みは買うものではないな。
その時、長らくずっと黙って話を聞いていたカナが、「あの」と再度手を挙げた。
「二人でテレビを観るって話でしたけど、主にどんな番組を観てたんですか?」
「それ訊いて、どうするの?」
「あ、えっと、その」
あからさまに訝し気な顔をする仁藤さんに、怯えた様子のカナ。かわいそうだが、あたしも仁藤さんに全面同意だった。人様のデートの様子を詳しく聞いて、何になるというのか。
祐也も同じように戸惑った表情をしていたが、二人の間を取りなすように割って入る。
「まあまあ、いいじゃないですか。二人で何観てたんすか?」
「別にいいけどさあ。
……割といろいろ観てたよ。ドラマにバラエティーに、ニュース、スポーツ、ドキュメンタリーとか。映画とかワイドショーとかも観る。休日は夜更かしして、二人でいろいろチャンネル変えながら、ずっと観てるって感じだった」
本当にいろいろ観ていたようだ。ほとんどのジャンルの名前が挙がったのではないだろうか。でも、このラインナップだとカナは退屈だろう。なんせアニメがない。
そんなことを考えていると、ふいに仁藤さんがため息を吐いた。
「……楽しかったのになあ……」
「……」
その一言で、仁藤さんは本当は怒りよりも哀しさを抱えていたのかもしれないと気づいた。傷ついて沈み切りそうな心を、怒りで無理やりごまかしていたのかしれない。
あたし達の顔を見た仁藤さんが、慌てて取り繕うように言い募る。
「あっ、いやっ、腹が立ってる気持ちの方が強いけどね⁉ もう、一発殴ってやらないと気が済まないってくらいには! ……でも、やっと知らない世界を見せてくれる人に出会えたって思ってたのに」
「知らない、世界?」
「ほら、ウチって見た目が派手じゃん? だから、ウチに声かけてくるようなのって、みんな同じような派手なタイプばっかだったんだよね。普通の人は怖がったり、別世界の人だからって関わろうとしなかったり。真面目そうな子たちに目の敵にされたこともあったなあ。
声かけてくるやつらも、見た目とか上っ面ばっかに興味ありそうで。もしかしたら、と思って付き合ってみるけど、結局見た目で近づいてきてるから、本気で付き合う気なくて。ウチのことを『見た目の割に重い』って言って、すぐ浮気して」
ああ、と思った。たかが浮気に対してやたら怒っているなとは思っていたが、今までの経験故なのか。これなら、男女関係について潔癖になっても仕方がない。
「正直もう飽き飽きしてたっていうか。ウチの人生、これ以上になることない、ってずっと思ってた」
そこで言葉を切った仁藤さんは、「でも」と顔を上げる。
「誠司は違った。初めて会った時も、怖がらずに笑いかけてくれたんだ。ウチのことも『重い』なんて言わなかった……って、本筋から大きく逸れちゃった。ごめんごめん、戻そ」
「いえ、聞かせてください。聞きたいです。誠司さんとの話」
笑ってごまかそうとした仁藤さんの目をじっと見て、カナが毅然と言った。
「え、でも。つまんないし」
「私は、仁藤さんがどう思ってるのか、を知りたいです」
カナが何を考えてこう言ったのかは分からない。けれど、カナは人の話を、思いをしっかりと聞く。今回も、仁藤さんの思いを受け止めようとしているのかもしれない。
仁藤さんは揺れる目で「つまんないとか言わないでよ」と前置きしてから、
「出会ったのは、二年前だったかな。ウチがバイトしてる居酒屋に、誠司が客として来てたの。サラリーマン同士の飲み会的なやつだったのかな。
で、その時のウチ、ちょっと気が抜けてて。お手洗いからテーブルに戻るところだった誠司とがっつりぶつかっちゃったんだよね。『ごめんなさい!』って謝ったら、しりもちついてる誠司の横に画面が割れたのスマホが落ちててさ。こん時は本当に焦った。お客さんに不注意でぶつかったうえに、持ち物まで壊しちゃったのかと思ったもん」
仁藤さんはくすぐったそうに笑う。
「でも、『大丈夫ですよ。これ、もとからこうなんで』って、誠司が笑ってくれて。誠司みたいな真面目そうな人って、ウチのこと嫌がるから。顔に出してなくても、大体分かるのに、誠司はフラットに接してくれた。そん時、この人なら、ウチに知らない世界を見せてくれるかもしれないって思ったんだ。今思えば、一目惚れってやつだったんだろうね。で、それ以降も居酒屋にちょこちょこ来てた誠司に、思い切って連絡先渡して、ちょっとの間やり取りしてから、ウチから告白した。
それからの日々は楽しかったなあ。価値観が全然違う人と一緒にいるのって、ありきたりな表現だけど、視界が開けた気分だった。誠司が優しくしてくれる分、ウチも優しくなれた気がした」
仁藤さんはそこで言葉を切ると、俯いた。
「だから、裏切られて哀しい」
その言葉はひどく短く、簡単な言葉だった。でも、そこに全てが詰められていた。
すっと沈黙が下りる。その時、どこからかスマホの着信音が流れ出した。
「……あ、バイト先からだ。ごめん、ウチ、ちょっと出てくるね」
いまだテーブルの中央に取り残されていたスマホを取り上げ、仁藤さんは席を立った。
*****
電話に出るためにファミレスを出て行く仁藤さんの背中を見送りながら、祐也が口を開きかける。が、すぐに閉じてしまった。気持ちは分からないでもない。あのいかにもなギャルの仁藤さんが、あれほどまでの気持ちを抱えていたのだ。その一途な思いを聞いた後は、どんな言葉も薄っぺらくなる。
それにしても、知らない世界、か。
口に含んだコーヒーと共にその言葉を舌の上で転がしていると、祐也がぱんっと音を立てて手を合わせた。テーブルの上に溜まっていた憂いが少しだけ消し飛ぶ。
「まー、とにかく! 愛理先輩が帰って来るまで、俺らはちょっとでも推理しようぜ! 今日はそのために来たんだし」
「……それもそうだね」
今のあたし達にすべきことは、仁藤さんについて下手に感想を述べることではない。
「えっと、考えないといけないのは、『佐々木さんが五月八日に奥さんと食事をする店を探すこと』だよな。俺が思うに、2037がヒントになってんじゃねえかなあ。値段か、電車とかバスの時間か……値段は選択肢が多過ぎるし、とりあえず、二〇時三七分発の電車とかバスがないか調べてみるか」
祐也がジーンズのポケットから、朱色のラバーケースに入ったスマホを取り出す。あたしも自分のリュックからスマホを取り出した。検索エンジンを開こうとしたその時、
「多分、その必要はないと思います」
唐突にカナの涼しい声が割って入った。ずっと黙りこくっていたから、祐也の意見に賛成していたのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。黙って、何か考えていたようだ。その結果、祐也とは異なる意見に着地したのだろう。
「その必要はないって、どういうこと?」
祐也が純粋に不思議がる様子で問いかける。
カナははっきりと答えた。
「佐々木さんは五月八日に奥さんと食事をする予定なんてないからです。だって、佐々木さんは既婚者どころか、浮気すらしていないと思われるので」
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