3-2 胡麻はすれない
「えっ……」
あたしはその少女を知っていた。三年五組の高倉奏子という名前の生徒だ。今まで一切の関わりはなかったはずだが、どうしてここに。
武下先生が落ち着いた、しかし確かに窘める調子が含まれた声で言う。
「高倉。今大事な話をしてる途中なんだ。何か用があるなら、後でにしてくれ」
しかし、高倉さんは武下先生を歯牙にもかけず、生徒指導室内にずかずか足を踏み入れる。そうして、叫んだ。
「その写真に写ってるのは、橋本さんじゃありません‼」
「え?」
「は?」
木内先生と武下先生が揃って、訝しげに声を上げる。あたしも何が何やら、さっぱりだった。
この写真に写っているのは、間違いなくあたしだ。そして、あたしと高倉さんの間には何の接点もない。どうやら庇ってくれているようだが、その真意は一切つかめなかった。
「高倉、寝言は寝て言え。どうみても、この写真に写ってるのは橋本だろう。それとも、何だ? ドッペルゲンガーだとでも言うのか?」
武下先生が、明らかに苛立った様子で写真をつまみ上げる。
「いいえ、違います! その写真は偽造されたものだってことです!」
「偽造?」
困惑した様子を見せるあたしたちに構わず、高倉さんは大股で部屋の中央までやってくると、あたしの隣に腰かける。それから、肩に掛けたショルダーバッグを漁ったかと思うと、やがてミントグリーンのノートパソコンを取り出した。
そのパソコンを机にしっかり据えてから、高倉さんは開いて操作を始める。
「なっ、それ……」
「校則で校内での使用を禁じられているのは、携帯電話とスマートフォンだけです。パソコンに関する校則はありません」
武下先生の怒りの声に、高倉さんは淀みなく理知的に答える。答えながらも、操作の手は止まっていない。
「それは、そうだが……」
「これ見てください」
不服そうな武下先生の声を遮って、高倉さんがパソコンの画面を教師二人に向けた。
こちらからは画面が見えない。しかし、教師二人の顔が愕然と固まったのは分かった。
「これ、は……」
呼び出された身でこんなことをしていいか分からなかったが、あたしも少しだけ身を乗り出して、画面をのぞき込む。
パソコンの液晶には、右と左に分かれて二枚の写真が写っていた。左側に写っているのは、グラウンドで青いバトンを持って疾走する武下先生。おそらく去年の体育祭の時に撮られたものだろう。去年は教師陣もリレーに参加して、会場が盛り上がっていた覚えがある。そして、その隣、画面右側の写真を見て、あたしは目を剥いた。
「え……」
一瞬、全く同じ写真が写っているのかと思った。しかし、顔が違う。顔の部分だけが、木内先生に変わっている。しかも、かなり自然に。他は何も変わっていない。背景も、体型も一切。
ただただ唖然とするあたしたちに向かって、高倉さんは凛とした調子で言い切った。
「写真の偽造なんて、この短時間でこんなに簡単にできるんです。だから、この写真も、橋本さんを陥れるために偽造された可能性はあります!」
これが、高倉奏子という人間との出会いだった。
*****
「ごめんなさい!」
その後、いったん保留ということで生徒指導室から釈放されたあたしは、なぜか高倉さんに頭を下げられていた。
「え、何で謝るの? 助けてくれたのに。あと、ここまだ生徒指導室の前だから、声のボリューム、ちょっと」
「あっ……!」
高倉さんは口を両手で押さえる。手の勢いが凄すぎてとんでもない音が鳴ったが、大丈夫だろうか。
今度は充分に声を潜めてから、高倉さんが口を開く。
「ほんとにごめんなさい。話の内容、盗み聞きしちゃった上に、乱入しちゃって」
「いやいや、むしろ乱入してくれて助かったよ、ありがとう。あ、そうだ。お昼ってもう食べた?」
「いや、こ、これからです。いつも視聴覚室で食べてるので……。視聴覚室に行く途中にここを通りかかって、話の内容が聞こえてきて、堪らず乱入を……」
「じゃあ、お昼まだなんだ。あたしも、一緒しちゃだめかな?」
正直なところ、この高倉奏子という少女に一ミリも興味はない。だから、いつものあたしなら昼を共にしようなどとは考えなかっただろう。しかし、今は状況が違う。
この少女が何を思って、あたしに助け舟を出したのか、まったく理解が及ばないのだ。何かの見返りを求めての行動なのか、それとも善意の行動なのか。
そもそも彼女は、あたしが《ふれーず》でアルバイトしている事実を知っているのだろうか。知らずに単なる善意で助けてくれたのなら問題はない。しかし、知っていたとしら、見返りを求めてくる可能性が高い。
余所行きの微笑を投げかけると、高倉さんは随分どもった様子で、しかし嬉しそうに答えた。
「え、も、もちろん大丈夫です! でも、いいんですか……?」
「何が?」
「だって、私なんかと一緒にお昼食べたら、その……橋本さんが変な目で見られませんか?」
ああ、と思った。おそらく漫研廃部事件の話をしているのだろう。高倉さんが一年生の時に起こした事件。あたしが高倉さんのことを知っていたのも、これのおかげだ。起こったのは二年前だが、高倉さんに向けられる視線は今もほとんど変わらない。
とりあえず、あたしは胡麻をすることにした。印象を良くしておくに、越したことはない。
にこにこと笑顔を張り付けて言う。
「高倉さんと一緒にいて、変に見られることなんてあるわけないって。大丈夫だよ」
すると、高倉さんははっと顔を上げる。
「そうですよね! そもそも私の存在なんて誰も覚えてないから、大丈夫ですよね! 私、影薄いですから!」
「あの、そういう意味じゃ……」
「よーし、行きましょう、視聴覚室!」
あたしの胡麻すりは無効に終わった。
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