3-3 暴走
視聴覚室はしんと静かで、少し寒かった。
高倉さんは手慣れた様子で、蛍光灯のスイッチを押すと、教室後方の長机の前に行き、パイプ椅子に座った。あたしもそれについて行き、一つ前の机からパイプ椅子を一つ拝借し、高倉さんの向かいに座る。
「えーっと、橋本さん、お弁当は?」
高倉さんは、さきほどパソコンを取り出したショルダーバッグから弁当箱を取り出しながら、首を傾げた。
「実は教室にあることはあるんだけど、食欲なくて。さっき、あんなことがあったばっかりだし」
口から出まかせだ。胃はずっと空腹を訴えているが、今弁当を取りに戻ったら、時間のロスになる。一刻も早く、高倉奏子に探りを入れたかった。
さて、どうやって探りを入れるか。
直球は避けねばならない。手始めに写真の偽装技術の話から始めるか。
あたしは穏やかな表情を作り、口を開いた。
「さっきは本当にありがとう。高倉さん、写真の加工できるなんて凄いね」
「あんなのじゃ、まだまだです。でも、あれで橋本さんを助けられたのなら嬉しいです」
高倉さんは真っ赤なウインナーを摘みながら、嬉しそうに笑う。
……やはり、バイトの事実は知らずに、単なる善意で助けてくれただけなのだろうか。目の前で純真無垢にはにかむ少女が、何か見返りを求めているようには思えなかった。
「あっ、そうだ!」
ふいに、高倉さんが箸を持ったまま、ぱんと手を打ち鳴らす。
「私、橋本さんといつか話せたら、訊きたいことがあったんです!」
「訊きたいこと?」
「橋本さんって、いつから《ふれーず》でバイトしてるんですか?」
「……え?」
今なんと言った?
頭の中で先ほどの言葉が渦を巻く。——いつから《ふれーず》でバイトしてるんですか?
知っていたのか。バイトの事実を知りながら、助けたというのか。……なら。
「見返りは?」
「え……?」
自分の口から漏れた言葉が、思った以上に温度を伴っていなくて、少し驚いた。作り上げた外面が一枚一枚剥がれ落ちていくのが分かる。
高倉さんは笑顔を強張らせて、ぎこちなく首を傾げた。
「見返りは何って言ってるの。何かして欲しいことがあるの?」
バイトの事実を知った上で助けてくれたというのなら、どうせ下心に違いない。早いうちに「優しくて良い人」の仮面を脱いで、対等に交渉した方がダメージは少ないはずだ。
もし仮に、高倉奏子が「橋本優衣は腹黒い裏面を持っている」と触れ回ったとしても、どうせ誰も信じまい。それだけ完璧に外面を演じてきた自負がある。
「え……あ、じゃあ」
高倉さんが躊躇いがちに口を開いた。やはり見返りを求めての行動だったか。
思わず眉間にしわを寄せる。すると、次の瞬間、高倉さんがガタンとパイプ椅子を跳ねのけて、立ち上がった。がばっと頭を下げてくる。
「《ふれーず》でのバイトを辞めないでください! お願いします!」
「は……?」
「あれですよね、橋本さん、高一の頃から《ふれーず》でバイトしてますよね? 私、春木野にはよく来るから知ってたんです! その、この際だから言いますけど、一年生の頃から、橋本さんのこと大好きなんです!」
「え」
「あ、恋愛感情ではないです。ひたすらにビジュアルが好みなんです! もちろん、中身は良くないって言ってるわけじゃないですよ。
華やかな美少女でありながら、勉強も運動もできる器用さ! 初めて見た時、二次元から飛び出てきたのかと思いました……!」
前髪の隙間から夢を見るような瞳を覗かせながら、ぐっと拳を握りしめる高倉さん。
何だ、この展開。あまりのことに目眩がしてきた。今、何が起こっている? この子は何を言っている……?
「だから、ずっと《ふれーず》で橋本さんに接客してもらいたかったんです! でも、父親にメイドカフェは大学生になってからって言われてて」
「大学生になってから?」
「はい! 『カナの性格的に、定期的に行きたくなるだろうから、もうちょっと貯金してから行きなさい』って言われてて」
高倉さんがぐっと身を乗り出してくる。反対に、あたしは後ろにのけぞった。高倉さんの握る箸がみしみしと音を立てる。
「だから、まだ《ふれーず》に一回も行けてないんです。さっきあんなことがあったばかりだから、辞めたいかもですけど、《ふれーず》辞めないでください! もちろん押し付けるつもりはないです。でも、できれば来年まで。私が大学生になるまで!」
「え、ああ……」
戸惑いすぎて、ろくな返事が出てこない。それをどうやら要求の否定と取ったらしい、高倉さんが心配そうに問いかけてくる。
「やっぱり辞めたいですか……?」
「いや、その……」
「あっ、もしかして、また密告されるかもって思って、不安なんですか⁉︎ えぇと、あ! じゃあ、さっきの写真を置いた犯人を私が探します! そうしたら、バイトを密告されなくなって、安心して働けませんか⁉︎」
「……え、う、うん」
「よし、じゃあ、絶対に犯人見つ出して、橋本さんを脅さないように約束を取り付けてきます!」
高倉さんはぐっと両手で拳を作って、天井に向かい吠える。どうやらこの高倉奏子という少女には、暴走癖があるらしい。
こうして、高倉さんによる密告犯探しが始まった。
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