4-12 尾行開始!
〈今、優衣が家出ました。尾行、よろしく〉
〈分かりました!〉
簡潔なメッセージに、手短に返事をし、ついでに「ありがとう」のスタンプも押してみる。
ついに土曜日がやって来た。私は今、赤月さんの住むアパートの敷地の外にある上込みの横で身を潜めている。
いつものショルダーバッグにスマホをしまうと、私は代わりに中から一冊の漫画を取り出した。高校三年生の夏に初めて買った「アレブル」の一巻だ。上手くいくか不安で、お守り代わりに持ってきたのだ。この作品には、いろんな側面で支えてもらった。
アーレちゃんはゆえあって、とある組織から重要な”道具”として、その身を狙われていた。組織からアーレちゃんを守るため、時に戦い、時に逃げ回る姿をとても格好良いと思ったものだ。
何度も読んですり切れた紙製のブックカバーを撫で、ショルダーバッグに戻す。アパートの敷地から人影が出てくるのが見えた。優衣ちゃんだ。
さあ、尾行開始だ!
以前スパイ漫画で見た「尾行の時は対象の足元を見ながら歩くべし」を実践しながらひたすら尾行していると、優衣ちゃんは途中でコンビニに入った。店内まで入ると確実にバレるので、コンビニの影から出入り口をうかがっていると。
「あれ、高倉さんじゃないですか」
「ふぁっ⁉」
完全にノーガードだった背中に掛けられた声に、肩がびくっと跳ね上がった。ばくばく鳴っている胸を押さえながら振り返ると、黒い半袖シャツを着た雪野さんが立っていた。
「あっ、雪野さん」
「奇遇ですね。こんなところで、何してるんですか? 俺はバイト先に忘れ物を取りに来たんですけど」
「あー、えと、なんというか……」
何と言えばいいのだろう。うーむ、と考え込んでいると、雪野さんはガラス張りの壁から店内を覗き込んだ。優衣ちゃんの姿を視界に捕らえたのか、
「橋本さんと何かあったんですか?」
と訊かれた。
別にこれといって隠し立てすることでもないかもしれない。それに私は嘘が下手なので、下手に隠そうとすると余計怪しまれることにしかならない気がする。
事情をかいつまんで話す。もちろん、赤月さんという男の人も来てくれることや簡易スタンガンのことなど、危険性は極力下げていることも伝えた。
雪野さんは顎に左の握りこぶしを当てて、難しげな顔をして言う。
「うーん、危なくないと言えば危なくはないかもしれないですけど……あ、そうだ。俺も行っちゃ駄目ですか?」
「え⁉」
「そりゃあ、危なくはないかもしれないですけど、人手は多い方が安心でしょう。もし不審者を取り逃がした時、挟み撃ちができますから」
「いやいや、雪野さんの手を煩わせるわけに……!」
もちろん小二並みの運動神経の私は戦力にならないので、もう一人いた方が安心ではある。けれど、もし何かあって、雪野さんの白磁のような肌に傷をつけてしまったら、と思っていると、
「俺、高倉さんと橋本さんには感謝してるんです。遼介との件、本当に助かりました。わざわざ走ってウインドブレーカーを取りに行ってくれたり、遼介との話を親身になって聞いてくれたり、最終的に仲を取り持ってくれたり。恩返し、というか、お二人が素敵な人だから自然と手伝いたいと思うんです」
雪野さんは柔らかく顔をほころばせた。「それに」と付け足す。
「俺、ひょろく見えるかもしれないですけど、最近は遼介のバスケの練習を手伝ったりしてて、見た目ほど体力無いわけじゃないですよ。必ず役立ってみせます!」
「むー……」
ぐっと胸の前で両の拳を握る雪野さん。本当に頼んでしまっていいものだろうか、と唸っていると、雪野さんが言った。
「というかいろんな意味で心配なので」
「え? いろんな意味で?」
運動神経以外の不安要素はないと自負していたのだが、まだに何かあっただろうか。首をかしげると、雪野さんは何かを取り繕うように、にこり、と微笑んだ。
「いいえ、何でもありませんよ」
「そ、そうですか」
「それで、どうですか? お邪魔でなければ是非お供させてください」
「うー……じゃあ、一緒に行ってくれますか?」
もう一度悩んでから頭を下げると、雪野さんは得意げに微笑んだ。
「もちろんです」
*****
コンビニから出てきた優衣ちゃんを並んで尾行する。黙って歩き続けていると、雪野さんが前を向いたままあっけらかんと言った。
「そうだ、恋人の振りでもしときます?」
「えぇぇぇっ‼」
唐突になんてことを。
わたわたと返事に困っていると、雪野さんはやはり前を向いたまま、ははは、と軽く笑った。
「恋人の振りというと言い過ぎでしたかね。単に喋りつつ歩くだけです。二人で並んでるのに、無言っていうのも逆に怪しいでしょう」
……これは、からかわれたのだろうか。
とは言え、事実黙って横並び、というのも若干不自然だ。私は、「……それもそうですね」と答えると、早速話を始めた。
「そう言えば、雪野さんは『2ハナ‼』って読んだことありますか?」
「名前だけは聞いたことありますね。高倉さんは読んだことある感じですか?」
「はい。すっごく面白いんですよ‼ というか、なんなら今度貸すので読んでください‼ ドラマCDも是非! 主人公役が松本秋斗さんで、ヒロイン役が梅木一音さんなんですけど」
「俺、声優さんはあんまり詳しくないんですけど、松本さんって『ティドールン戦記』でリンの役を
「そうです! 梅木さんは、『空気が読めない俺達は。』で
「そうなんですね。『空俺』良いですよね。
じゃあ、俺もおすすめを貸しますね。こないだTwitterで言った『紫夜綺譚』とかどうですか?」
「あ、あの銀髪紫目のヒロインが出てくるっていう……!」
「そうですそうです! 初めて読んだ時から、『高倉さん、絶対
「あー! めっちゃ好きです!」
雪野さんとしゃべりながら、今まで優衣ちゃんはこんなふうに好きなものを誰かと共有できずに、ずっと一人だったのだ、と思った。そして、いつも私の話を面倒くさそうにしながらも最後まで聞いてくれていたのは、ずっと自分がしてほしかったことを私にしていたのだろうかと思った。今度は、私が優衣ちゃんの話を聞く番だ。
漫画の話が一段落した後、雪野さんと遼介くんの事件のその後についても話をした。
遼介くんを始め家族の方には、コスプレのことはバレていないらしい。今も楽しく続けられているとのことだ。
「ご家族にはコスプレの話、しないんですね」
「なんか恥ずかしくて。コスプレ自体が恥ずかしいわけじゃないんですけど、なんというか、こう、親と恋話する気分になるんですよね」
「こ、恋話?」
思いがけないワードに、声がひっくり返る。雪野さんは私と違って、落ち着いた様子で続けた。
「何かを好きになるのって、一種の成長の証だと思うんです、俺」
「成長?」
「小さい頃は親とか周りの大人が見せてくれる世界が全てだったけど、保育園とか幼稚園とかに入って、少しずつ自分の目で世界を見るようになって。いろんな人とか事とか物に出逢って、経験して。それが積み重なって、『これが好き』『これは嫌い』っていうのが出てくる。そうして、親の知らない自分が出てくるわけじゃないですか。恋だって、親の知らないところでするわけだし。だから、親に自分の好きなものについて話すのって、なんか気恥ずかしいんですよね」
うちの家は、家族全員オタクで、私がオタクになったきっかけも両親の存在だったので、雪野さんの考え方には、そんな考え方があるのか、と少々驚いた。好きなものや“好き”という感情についての考え方は、人によって本当にさまざまなのだな、と実感した。
その後、赤月さんと無事合流できた。優衣ちゃんが通りがかった公園のトイレに入った間に、赤月さんと雪野さんは簡単な自己紹介を済ませ、私は赤月さんからスタンガンを受け取る。また、大まかな流れについての確認をした。基本は赤月さんと雪野さんがメインで動き、私はスタンガンを持っているので、いざという時の切り札役を担うことに決まる。
トイレから出てきた優衣ちゃんは、ピンクのウィッグを身に付け、「BURN UP」のTシャツに、缶バッジを付けたリュックという出で立ちになっていた。やはり、私の推測は当たってしまったようだ。バレないように尾行を続ける。
優衣ちゃんは、住宅街の間を縫う人気のない道に入っていった。そのタイミングで、私たちは一度ばらける。おのおの隠れつつ尾行を続けていると、優衣ちゃんはふいに足を止めた。それぞれが手近な場所に身を潜め、様子を伺う。
それからどのくらい経ったろう。その時はやってきた。
道路の境目に立ったポールにもたれかかり、スマホをいじる優衣ちゃん。無防備に晒された背中をじっと見ていると、視界の端に青色が引っ掛かった。
青いパーカーの男だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます