3-6 あんぱんと牛乳

 放課後。あたしはバイトに行くため、高校最寄駅のホームで電車を待っていた。


 微妙な時間ゆえか、ホームに人の数はそれほど多くなかった。ホームの左端、人の列ができていない場所に立って、ひたすら電車を待つ。緩い春風が薄く吹いていた。


 なびく髪を押さえながら線路の先に目をやると、ホームの右端にあたしと同じ制服を着た前髪の長い女子が立っているのが目に入った。高倉さんだ。そのタイミングで、高倉さんもこちらに気が付いたらしい、「あっ」という顔をしたのが見えた。


 電車が来るまでの暇つぶしとして、高倉さんのもとに向かい、話しかける。

「高倉さん」

「あっ、橋本さん。こ、こんにちは」


 高倉さんが立っている場所にも、人の列はできていない。あたしはそのまま高倉さんの横に並んだ。


「春木野行くの?」

「はいっ。犯人が春木野に定期的に出入りしてるなら、張り込んでみようかなって思って。橋本さんはバイトですか?」

「うん」


 それにしても、張り込みか。


「ねえ」

「はい?」

「バイトまでまだ時間あるからさ、その張り込み、ついて行ってもいい?」

 なんとなく彼女の推理が辿り着く先を見てみたかった。それに、いくら彼女が引き受けたからと言って、解決を全て任せっきりにするというのも、なんだか気持ちが悪い。

 高倉さんは「もちろんです!」と嬉しそうにうなずいた。



 あたしたちが最初に向かったのは、春木野駅近くのコンビニ・トキウマートだった。高倉さん曰く、「張り込みと言えば、あんぱんと牛乳です!」。いつの刑事ドラマだ。


 パンが並ぶ棚の前で、高倉さんが真剣にパンを品定めをしている。

 あたしはただのおまけなので、あんぱんを買う必要はない。適当にパンを物色していると、高倉さんがクリームパンを手にした。


「あんぱん買うんじゃなかったの?」

「あ、これは明日のお昼用です。明日は、お母さんにゆっくり寝てほしくて」

「何かあるの?」

「今日の夜、お母さんの嫁の転機なんですよね。確か、羽が生えるって」

 ……?

「あっ、こっちのフレンチトーストもおいしそうだなあ」

「いや、待って待って待って。普通に話続けないで」

「え?」


 当の本人には、全くの自覚がなかったらしい。しかし、先ほどの言葉を聞いてスルーしろ、とはどだい無理な話だ。

「羽がどうとかって」

 高倉さんは「ああ!」と手を打った。

「すみません、説明ぶっ飛ばしちゃいましたね。アニメの話です。えーと、簡単に説明すると、お母さんの嫁――あ、好きなキャラクターのことです――にとって重要なシーンが描かれる回が今夜放送されるんです」


 なんでも高倉さんのお母さんが好きなキャラクターは天使候補の青年で、今日の放送回で羽が生えるらしい。ちょっとまだついていけていないが、なんとなく状況は把握できた。


「せっかくなので、リアルタイムで観てほしいじゃないですか。でも、深夜放送だからリアタイしたら、次の日に早起きするのしんどいと思うので、お弁当は作らずにゆっくり寝てねってことです。

 うちではよくあることなんです。家族三人みんなオタクなので、助け合いの精神でやってます」

「今日のお昼がパンだったのもそういう理由?」


 クリームパンを棚に戻し、代わりにミルクフランスに手を伸ばそうとしていた高倉さんに問いかけると、すぐに首を横に振られた。


「あ、それは違います。うち、喫茶店をやってるんですけど、それの準備で忙しそうだったので、お昼はパンにするって言ったんです」

「へえ、喫茶店」


 高倉さんは嬉しそうに笑って、うなずいた。

「そうです。両親二人とも料理が上手くて、お客さんも優しい人ばかりで、すごく自慢のお店です」

 高倉さんの家は仲がいいんだね、という言葉を言おうとしたのに、なぜか喉の奥に詰まって、出てこなかった。


 高倉さんは結局うぐいすあんパンと苺牛乳、翌日の昼食用のミルクフランスとクリームパンを手に取った。うぐいすあんパンと苺牛乳は、あんぱんと牛乳のカテゴリーに入るのか、若干疑問は残るが、本人がそれでいいと思うのなら、それでいいのだろう。


 レジに向かう高倉さんに適当について行っていると、その薄い背中が唐突に止まった。かと思うと、店の壁際に駆け寄り、張り付いた。

「え、何?」

「はっ、すみません。推してるアイドルのポスターが見えたので、つい……」

 高倉さんが恥ずかしそうに、こちらを振り返る。


 見ると、高倉さんがさきほど張り付いていた壁際には二枚ポスターが貼ってあった。

 高倉さんが張り付いていた方のポスターを見てみる。「salty×sword」と書かれたポスターにはレザーのベストやショートパンツを身に付けた五人の少女が写っている。


「高倉さんってアニメとか漫画が好きなんじゃないの?」

「基本的には二次元メインですけど、好みの美少女がいれば次元なんて関係ないんです」

 次元なんて関係ない。見てくれだけは名言だ。


 高倉さんは再度ポスターに張り付くと、うわ言のように呟いた。

「ああー、ふゆちゃん可愛いー……」

「ふゆちゃん?」


 問うと、高倉さんはこちらをばっと振り返って熱弁を振るった。

「ソルソーの不動のセンターです! この真ん中に写ってる北條冬佳ちゃん! 私が昔見てたアニメのヒロインの子そっくりで、もう一目惚れで! 現在十六歳です!」

 その熱弁に促されるように、あたしはポスター中央に写る少女に目をやった。少年のような焦茶色ショートカットと大きな瞳が印象的な少女で、カメラを鋭い視線で射貫いている。


「可愛いくないですか? 企画で男装とかもするんです、それがめちゃくちゃかわいくて! 顔立ちは中性的な美形なのに、体つきは華奢な感じで隙がありまくりな感じとか、笑った顔があどけない感じとか、可愛いんです!」

 長い前髪の隙間から見える高倉さんの瞳はこれでもかと言うほど、きらきらと輝いている。その目を見ていると、やはりあたしは落ち着かない気持ちになった。なぜかは分からない。それでも、落ち着かないのは事実だった。それでいて、妙に惹きつけられる感覚。嫌に心の据わりが悪いと言えばいいのか、とにかくあまりいい気持ちではなかった。


 だから、むりやり話題を変えた。

「隣のポスターのアイドルは知ってるの?」

 salty×swordのポスターの隣に貼られたポスターを指さす。こちらのポスターも見目麗しい少女が四人と「ライブ開催」の字が見えるので、アイドルのものだろう。ポスター上部には「Primaryllis」の字。多分、グループ名だ。全体的に赤色でまとめられたポスターはsalty×swordのものと違い艶やかな印象がある。少女たちはみな赤色のワンピースドレスを身にまとっており、小さなピンクの花と赤色のユリのような花の髪飾りを頭に付けていた。


「名前は知ってますけど、メンバーに誰がいるかとかは知りませんね」

 問われた高倉さんは先ほどまでのテンションが嘘のように、落ち着いた調子で言った。どうやら「Primaryllis」は高倉さんの好みに合わなかったらしい。それなのに、高倉さんは「Primaryllis」のポスターをじっと見つめ始めた。


「どうしたの? 好みの子でもいた?」

「右端のボブの子は割と好みですね……じゃなくて! この左から二番目の子、見てみてくれませんか?」

「え?」

 言われた通りに、左から二番目の少女に目をやる。緩やかなウェーブがかかったロングの黒髪と、顎にあるほくろが艶やかな少女だった。年は、おそらくあたしたちと同じぐらい。アイドルになるに相応しい綺麗な少女だった。しかし、何かが引っ掛かる。


 黙り込んだあたしに、高倉さんはおずおずと言った。

「この子、生徒会長……岸井さんに似てませんか……?」

「へ?」


 高倉さんはポケットからスマホを出し、少し操作してから、こちらに画面を向けてくる。そこには、高校のホームページが表示されていて、昨年の生徒会長当選の挨拶と共に、岸井さんの写真が一番上に掲載されていた。その写真とポスターの少女と見比べてみる。


「……本当だ」

 岸井さんとポスターの少女は全く同じ顔をしていた。口元のほくろの有無など、若干の違いはあるが、メイクやらなんやらでいくらでも顔の印象は変えられる。おそらく同一人物だ。


 ふと、頭の中で、昼に聞いた高倉さんの言葉が再生される。


 ——雇う側と雇われる側、どちらにとっても替えのきかないバイトをしているのかもしれませんよ?

 ——校則によれば、禁止されているのは『バイト』ではなくて、あくまで『金銭を稼ぐ行為』ですし、バイト以外の可能性もあると思います。


 雇う側と雇われる側のどちらにとっても替えのきかない、バイト以外の金銭を稼ぐ行為。そんな行為ないと思っていたが、今分かった。それは、だ。


 高倉さんと顔を見合わせる。

「橋本さん。写真を置いた犯人って」

「うん」

 再度ポスターに目をやる。ポスターの中で、件の少女は艶やかに笑っていた。

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