3-8 ゴールデンウィーク

 拾った生徒手帳はすぐに返すつもりだったが、ゴールデンウィークに入ってしまった。


「休みが明けるまでは返せないか」

 穏やかな昼下がり。自室のベットに寝ころびながら、独り言をこぼす。相変わらず狭い天井だけが目に入った。


 課題でもしようかと身を起こしたが、ふと思い立って、枕の横に置いていたスマホを手に取った。検索エンジンを開き、「Primaryllis」と打ち込でみる。岸井さんについて調べることで、あの時感じた引っ掛かりの正体が分かるかもしれないと思ったからだ。


 それに、と心の中で付け加える。

 岸井さんと話したあの時、あたしは引っ掛かりと同時に、例の落ち着かない気分も感じた。引っ掛かりの正体を明らかにすることで、こちらの正体も分かるかもしれない。ずっと分からないままなのは気持ちが悪い。


 ずらり表示された検索結果の中から、とりあえず一番上のサイトをタップしてみる。

 開いたサイトは公式ホームページのようで、メニューバーには「Primaryllisとは」や「メンバー」、「インフォメーション」などの字が見えた。とりあえず「Primaryllisとは」の項目をタップする。


 ぎっしりと詰め込まれた文字を追っていると、面白い情報が目に入った。


『Primaryllisの名前の由来は、桜草(プリムラ)とアマリリスです。グループ結成日である二月二十四日の誕生花である二つの花の名前から名づけました。メンバー全員とマネージャーの五名で考えた思い入れのある名前です。』


 そう言えば、Primaryllisの衣装には小さなピンク色の花と赤色のユリのような花の髪飾りがあったが、あれはプリムラとアマリリスだったのかもしれない。


 隅々までサイトを見てみた結果、Primaryllisは春木野を中心に活動するアイドルグループであること、岸井さんは「珠沙みさ」という名前で活動しており、Primaryllisのリーダーかつ最年長であることが分かった。しかし、結局引っ掛かりも、落ち着かない感覚も、正体は分からなかった。


「はあ……」

 スマホを放り投げて、ベッドにあおむけに倒れると、壁掛け時計がさかさまに映る。


「……あ、そろそろバイト行かないと」

 どうやら、思ったより長い時間スマホを見ていたらしい。あたしはまたすぐに身を起こして、準備に取り掛かった。


 身支度をし、リビングでカモフラージュとしてノートやら問題集やらをリュックサックに詰めていると、父が隣の座敷から姿を現した。


「優衣。どこか出かけるのか?」

「図書室の自習室で勉強してこようと思って」


 この三年で、すっかり嘘が上手くなってしまった。いや、この三年の話ではないか。もっと小さい頃から、あたしはずっと周囲に、自分に、嘘を吐き続けている。

「そうか。偉いな」


 父は手に持った新聞紙をリビング中央のローテーブルに置くと、満足そうに笑った。



 *****



 ゴールデンウィーク初日とあってか、客の入りは良かった。

 いつもより多い客を捌いて、柄にもなくへとへとになりながら控室に入ると、中には休憩中の白間さんの姿。


「あら、優衣ちゃんお疲れ様」

「お疲れ様です」

 白間春子さんはホール担当アルバイターだ。柔らかな栗色のロングヘアと、優しい性格で客からも店員からも人気が高い。バイトを始めたばかりのあたしの指導係をしてくれた人でもある。


 白間さんの向かいに腰かけると、話しかけられた。

「今日は、お客さん多いから大変よね」

「そうですね」

「優衣ちゃん、家遠いから、疲れててもすぐに帰れないし、大変よね」

 白間さんが気づかわし気な視線を向けてくれる。


「いえ、それほど遠くもないですよ。確かに、白間さんの家に比べたら遠いですけど」

 以前聞いた話だと、白間さんは春木野の近くに住んでいるらしい。そこで、ふと思いついた。


「あの。白間さんはPrimaryllisってアイドル知ってます?」

 Primaryllisの本拠地である春木野の近くに住む白間さんなら、何か知っていることもあるかもしれない。


 とは言え、そこまで期待もしていなかった。白間さんの趣味がアイドルならまだしも、そういう話は聞いたことがなかったからだ。


 しかし、白間さんは「あー、Primaryllisね」とあっさり言った。

「知ってるんですか?」

「ええ。メンバーに幼馴染の子がいるのよ」

「え、そうなんですか」

 思いがけない幸運に驚く。しかし、喜んでばかりもいられない。


 確認として尋ねる。

「ちなみに、その幼馴染って誰ですか?」

「新島日向ちゃんっていう子。芸名は『陽咲』だったかな」

 良かった。岸井さんではなかったようだ。


「それで、Primaryllisがどうしたの?」

 白間さんが不思議そうに首を傾げた。さすがに、無断バイト告発の一件を馬鹿正直に説明する訳にはいかない。あたしは口外しないと約束したのだ。


「あー、友達にPrimaryllisのファンの子がいて、あたしもちょっと興味出てきちゃって。だから、今いろいろ調べてるんです。白間さんはPrimaryllisについて何か知ってることあります?」

 正直結構苦しい言い訳だと思う。それに、質問があまりにも抽象的だ。案の定、白間さんは戸惑った表情を浮かべた。


「何か、って言われても……」

 が、すぐさま「あ、でも」と声を上げる。


「来年の二月で結成五周年だそうよ。結成日にはライブをして、深夜まで公式YouTubeで生配信もする予定だって、日向ちゃん言ってたわ。かなり先のことだけど、メンバーみんなとファンとで同じ時間を共有できるのが楽しみだって。あのグループ、すごく仲が良いって言ってたから」

「深夜までやるんですか?」

 驚きに声を上げる。眠たくならないのだろうか。


「ええ、そうみたい。私もYouTubeはそこまで詳しくないから、よく知らないんだけど、割と深夜にかけて配信をする人は多いみたいね」

「へえ、そうなんですね」

 知らない世界だった。あたしは普段からYouTubeをほとんど見ない。まあ、これからも関わることはないだろう。



 *****



 バイトを終え、家に帰ると、リビングに父の姿はなかった。代わりに、台所に母がいる。


 あたしはリビング中央のローテーブルの前に座って、スマホの電源をつけると、YouTubeを開いた。検索バーに「Primaryllis」と打ち込むと、動画がずらっと表示される。どうやら定期的に配信を行っているらしく、アーカイブがいくつもあった。


 今の世の中、誰でも動画投稿ができるようになったと言われて久しいが、こんな身近に動画出演者がいたとは思いもしなかった。あたしが知らないだけで、他にも案外身近に動画投稿者や動画出演者がいたりするのかもしれない。


 いろいろ気になることはあるが、さすがにPrimaryllisの出演している動画すべてに目を通すわけにはいかない。アーカイブは三時間を優に超えているものまで混じっている。

 どうしようか、と画面をスクロールしていると、

「あら、それ、YouTubeよね」

「うわあっ!」

 背後から唐突に飛んできた言葉に、思わず声を上げる。


 振り返ると、母親がお玉を持ったまま、後ろからあたしのスマホ画面をのぞき込んでいた。

「あら、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのよ」

「ああ、うん」

「YouTube見てるなんて珍しいわね」

「ああ、まあ、そうかな」


 YouTubeを見ている理由は口が裂けても言えない。適当にごまかすと、母が「YouTubeって流行ってるのねえ」としみじみと告げた。


「どうしてそんなに流行ってるのかしらね」

「色々見られるっていうのもあると思うけど、誰でも動画投稿できるから、かな。自由度が高いっていうか」

「誰でも投稿できるのね。テレビみたいな感じかと思ってたけど」

「そうみたい。広告収入もあるみたいだし、みんなやりたがるんじゃないかなあ」

 とは言え、あたしも詳しいところはよく知らないが。


「へえ、そうなのね」

 母はやけに興味深そうにうなずくと、キッチンに戻っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、さて、これからどうしようと考える。ひとまず動画を見てみようか? しかし、手当たり次第に見ていくのは非効率極まりない。一旦、情報をまとめてみた方がいいかもしれない。


 あたしは自室に引っ込むと、ルーズリーフを取り出した。ペン立てからシャープペンシルを一本取って、岸井さんにまつわる言葉を列記してみる。


 生徒会長

 Primaryllis

 リーダー

 最年長

 プリムラとアマリリス

 2月24日で結成五周年

 ライブ

 深夜まで動画配信


 書いてみたが、特にこれらの情報が一点に集約される気配はない。

「はあ……」


 我知らずため息がこぼれる。諦めて、勉強した方がいいかもしれない。年が明ければ、すぐ受験だ。


 その時、頭の中で何かが光った気がした。光がレンズを通して一点に集約していくような感覚。しかし、その光は曖昧過ぎて、掴めそうにない。しかし、これが引っ掛かりの正体と関係のあるものだということは分かる。


 何とかその光を掴むため、ルーズリーフを凝視する。

「……もしかして」

 あたしは慌てて立ち上がると、壁にかけた制服のスカートのポケットを探って、岸井さんの生徒手帳を取り出す。不躾だと思いつつも、ページを開く。


 落ち着かない感覚の正体はまだ分からない。けれど、引っ掛かりの正体にはようやっとたどり着いた。

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