4-10 行動

「お、お疲れー」

 汚してしまったカフスを取り換えようと更衣室入ると、端にあるテーブルから店長がこちらに手を振っていた。もう片方の手は、左耳に付いたイヤホンを外している。テーブルの上にはコンビニのショートケーキとスタンドに立てられたスマホが見える。昼休憩を取りつつ、スマホで何かを観ていたらしい。


「お疲れ様です」

「うん、お疲れー」


 店長はイヤホンを耳に戻す。ロッカーからカフスを取り出してつけていると、後ろからこらえきれないように噴き出す声が聴こえた。


 振り返ると、店長は「ああ、ごめん」と一言謝る。

「今推しYouTuberさんがたまたま生配信してたから、昼食べる間だけでもって思って観てるんだけど、それが面白くてさー。コンビでやってるんだけど、特にiviixさんって人が好きでさ、めっちゃ面白いんだよ。主に和服リメイクをやってる人なんだけどね、普段は穏やかなのに、時々出てくる幼少期の話がぶっ飛んでてさ。それなのに、和服の仕上がりはめっちゃ綺麗でさ。本当憧れるわ~」

「そうなんですね」

「チャンネル立ち上げたばっかの頃は、普通の手芸動画ばっかだったんだけど、去年コスプレ衣装作る動画が上がって、それがめっちゃバズってさ。それ以降、登録者数が急増して、今はスパチャの数も凄いんだよね。私もよくしてるんだ」


 そう言って、本当に嬉しそうにショートケーキの最後の一欠けを口に放り込んだ。


「優衣もちょっと観てみる?」

「すみません、遠慮しておきますね」


 せっかく誘ってくれた店長には申し訳ないが、今は好きなものを楽しむ人の顔を見たくなかった。どうしても観る気にはなれなかった。


 あたしはにこりと笑顔を浮かべ、さらに何かを言われる前に急いで更衣室を出た。



 *****



 バイトを終え、裏口から店を出る。これから帰宅するわけだが、さてどうする。

 カナのもとへ行くべきか、祐也の言葉に甘えるべきか。ぐるぐると悩み、足はさっきから同じ場所を行ったり来たりしている。下手したら、一時間ぐらい歩いているかもしれない。


 眉間に皺を寄せつつ、一度立ち止まったみた。すると、斜め前に自販機があるのが目に入る。


「あ」


 その自販機には、おそらくカナが背中に掛けられたと言っていたヨーグルトオレと同じものが売っていた。通所は黒い牛の柄が、赤やら青やらで彩色されているので、「カラフルな柄の牛」という言葉と一致している。サイズも五○○mlのペットボトルだ。おそらく同じものだろう。


 どこに行くべきかさまよっている現状を誤魔化すように、自販機に近づき、ラベルの牛をぼーっと眺めていると、

「あれ、橋本じゃん。何してんの?」


 唐突に後ろから声を掛けられた。振り返ると、白いTシャツ姿の瑠香さんと、制服姿の鈴ちゃんが立っている。鈴ちゃんは半袖の白シャツの上から学校指定の黒いベストを着ているが、暑くないのだろうか。


「あ、瑠香さん、お疲れ様です。鈴ちゃんは、今日シフト入ってたっけ?」


 瑠香さんは先ほどまで一緒に働いていた。しかし、鈴ちゃんはシフトに名前が書かれていただろうか、と思っていると、鈴ちゃんは大げさに手を左右に振る。

「ああー、違います違います。さっきまで高校の自習室で勉強してて、帰り道で瑠香さんにつかまっ……」

「うちだぁー?」

「……一緒に帰ろうとお誘いいただきまして! 今この状況です」

 なるほど、よく分かった。いろいろと。


 瑠香さんは軽く視線を巡らせ、自販機を視界に捉えると、あたしの顔を覗き込みつつ言った。

「もしかして、なんか買おうとしてた? 奢ったげようか?」

「大丈夫です。見てただけなので」

「あー、自販機見てたら、アタシもなんか飲みたくなってきたなあ。ヨーグルトオレ~」


 瑠香さんは歌うようにそう言って、件のヨーグルトオレのボタンを押すと、ポケットからICカードを取り出し、読み取り機に押し当てた。がたん、とくぐもった音を立てて出てきたヨーグルトオレをさっそく開封し、口を付ける。


「うま~。これ、美味しいんだよねえ。内田もなんか買ったげようかー?」

「私はもう持ってるので、大丈夫でーす」


 鈴ちゃんはリュックの側面ポケットから、水色のラベルが付いた五○○mlペットボトルを取り出す。底の方にはクリーム色の液体が見え、ラベル上部には大きめの字で「バニラシェイク」と書かれている。もしかして、このバニラシェイクは被害者のうちの一人、確か花村君という子が背中に掛けられたものと同じものではないだろうか。


 ヨーグルトオレにバニラシェイク。思わぬ偶然に内心少し驚いているあたしを脇に、二人はテンポよく会話を始める。

「うっわ、甘そー」

「甘いのがおいしいんじゃないですか! ははーん、分かりました。瑠香さん、もう年だから、甘いもの受け付けないんだ」

「今何か言った?」

「だから、年だから……」

「ん? 良く聞こえないなー。もっぺん言ってみ」

「……すみませんでした」

 いつもの光景だ。この二人、本当に仲いいな。


 鈴ちゃんは「まあ、年齢云々はさておき」と自分のことを棚に上げて、毒気の抜けた顔で言った。


「これほんとにおいしいですよ。買える場所も限られてるんで、レアですし」

「それ言うなら、このヨーグルトオレも買えるとこ限られてるレアものだよ」

「え?」


 思わず呟いてしまった。この二つがレアもの?

「どーしたんですか、優衣さん」

 鈴ちゃんが怪訝な表情を浮かべる。


「いや、今レアって……」

「あ、もしかして優衣さんもこれ飲みたいんですか? 残念ですけど、うちの高校の中庭にある自販機にしか売ってないんですよね、これ。ほしいなら、今度買ってきますけど、他の自販機では売られてるの見たことないです。ゴールデンウィークに旅行しに行った岐阜の旅館の自販機でなら見たことありますけど、それ以外だと一回も見たことないですね」


 鈴ちゃんの言葉に反応するように、瑠香さんも、

「このヨーグルトオレも、ペットボトルタイプのはここの自販機以外だと見たことないなあ。一応スーパーでも買えるけど、紙パックだから扱いにくいんだよね。だから、飲みたくなったら、ペットボトルのをいっつもここで買ってる」

「そう、なんですね……」


 カナから聞いた五か所の被害現場を思い出す。この自販機とも山吹台高校ともかなり離れている。つまり、鈴ちゃんと瑠香さんの話が本当なら、例の不審者は犯行時間のかなり前に、嫌がらせのための飲料を購入したことになる。不審者は山吹台高校の生徒で、田代ゼミに通っているとのことだったので、おそらく田代ゼミに行く前に飲料を購入し、授業を受け、その帰りに犯行に及んだのだろう。


 だが、もしあたしが不審者だとしたら、そんなことは絶対にしないと思う。自販機やコンビニ、スーパーはどこにでもあるし、犯行現場の近くで飲料を買うだろう。五○○mlペットボトルは結構カバンの中の場所を取る上に、重いからだ。それに、最終的に捨ててしまうなら、なおのこと、前もって買って、長い間持っている意味がない。監視カメラもあるかもしれないが、変装を解いて買えばいいだけだ。てっきり不審者もあたしと同じように考え、実行したものと思っていたが、鈴ちゃんと瑠香さんの話を聞く限り、違ったらしい。


 ということは、と考えてみる。不審者からしてみれば、嫌がらせに使う飲料は何でもよかったわけではなかったのだろうか。わざわざ前もって買ったのはそういうことではないのか。不審者は、何らかの理由があって、嫌がらせに使う飲料にヨーグルトオレとバニラシェイクを使いたかった。しかし、田代ゼミ近くの自販機やコンビニ、スーパーでは売っていなかったので、事前に買わなければならなかった、というふうに。では、なぜヨーグルトオレとバニラシェイクでなければならなかったのか……。


 思考に沈みかけるあたしを、瑠香さんの楽し気な声が引き上げる。

「お、『マードック』のコラボ缶も売ってんじゃん。こっちも欲しー」

「『マードック』ってスマホのゲームですよね? 私、コマーシャルで見たことあります」

「そそ。スチームパンクのアクションゲーム」

「最近、めっちゃ流行ってますよね。こないだクラスの子に勧められましたよ」


 瑠香さんはたまらない、と言った様子で力説する。

「めっっちゃ楽しいよ。世界観が最高。こないだも、ガチャ引くために課金しちゃった」

「瑠香さんてよくスマホでゲームしてますけど、好きだからやってたんですね。暇つぶしだと思ってました」

「そーよ。好きだからやってんの」

「へー。よくやるゲームとかあるんですか?」

「FPSとかTPSかなー。畑とか生き物の管理するやつはあんまり。飽きて、すぐ死なせちゃうから。あと、最近はゲーム好きが高じて、サバゲにも興味出てきたんだよねー」


 はて、FPSとTPSとは。fフレームスpパーsセカンドなら知っているが。


「内田はアイドルが好きなんだっけ?」

「はい! 茉由ちゃんまじ癒しです。今度ライブも行くんですよ、楽しみ!」

 瑠香さんから訊かれた途端、鈴ちゃんの目がきらきらと光り出す。普段はつまらなさそうにしていることの多い鈴ちゃんがこんな無邪気な顔をするのも珍しい。



 その後、他愛のない会話をして、あたしたちは別れた。

 去っていく二人の背中を見送り、先ほどは中断してしまった思考に再度沈む。もしかしたら


 ヨーグルトオレとバニラシェイクでなければならなかった理由。二つの飲料の共通点。カナと花村君以外は、大手メーカーの缶のブラックコーヒーだった。大手メーカーの缶コーヒーならどこでも買える。それなのに、カナと花村君にはコーヒーでは駄目だった。それはなぜか。先ほど見た鈴ちゃんの制服姿を思い出す。それから、みなが口を揃えて口にした「派手な染み」の一言。


「……」


 スマホで被害を受けた高校生が通う高校の制服や部活のジャージを検索してみる。

 本多君が着ていたというサッカー部のジャージは白に近い薄緑。


 須永君は当日セーターの下のワイシャツにまで染みてしまっていたという。つまりコーヒーを掛けられたのはセーター。深沢高校の指定セーターは黒いラインが入ったクリーム色。


 桐原君の通う四堂高校の夏服は、白の半袖ワイシャツ。


 花村君が当日着ていたのはセーターとワイシャツ。山吹台高校の指定セーターは黒色。そのセーターを脱ぐと、染みは目立たなくなったと言っていた。下に着ていたワイシャツは白色。


 そして、カナがヨーグルトオレを掛けられたのは、あの日たまたま着ていた紺色のパーカー。


 ……やはり、不審者の正体は……。


 あたしは頭の中で瑠香さんと鈴ちゃんの顔を思い浮かべる。好きなものの話をしていた二人は、とても楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうな顔をしていた。先ほどの店長もそうだった。カナも、よくあんな顔をしている。あたしが遠い昔、自分の手で捨てたものだ。それを取り戻したくて、あたしは家を出て、カナのもとに身を寄せた。それなのに、先延ばし続けた挙句、小学三年生の頃と同じ失態を犯した。


 あたしの推測が合っていれば、カナの被害にあたしは間接的にだが関わったことになる。あたしがカナへの罪滅ぼしをするには、父に蔑みの言葉を取り下げさせるだけでなく、この不審者の面皮を剥がなければならないのではないか。幸い、上手くやれば、あたしでも捕まえられるかもしれない。それに、もし捕まえることができたら、父に対峙する踏ん切りになるかしれない。今度こそ勇気を出して、自分を許せるかもしれない。


 自分でも、思考がおかしな方へ向かって行っている自覚はある。いくらなんでも迷走している。でも、他にどうすればいいのか分からない。


 あたしはスマホを取り出し、早速準備を始めた。

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