1-10 推理②

 眉根を寄せて考えてみるが、これと言ったことが思いつかない。


「じゃあ、何で遼介君は態度が冷たくなったの」

 カナは分かっているのだろう。あたしが頬杖をつき、ふてくされて訊くと、案の定確かな頷きが返ってきた。


「まず、ここで大事なのは、雪野さんと遼介くんはもともとすごく仲が良かったってことだよ」

「はあ。で?」

 知らず知らずのうちに、つい詰問するような口調になってしまった。

 カナは柔和な笑顔で続ける。

「じゃあ、次ね。

 雪野さんは、クローゼット事件の時、ある理由からバタバタしてたって言ってたけど、何だったか覚えてる?」

「バタバタ……」


 確か、何か言っていた気がする。何だったか。記憶をやたらめったら引っ掻き回す。

「あ、志望校が変わって、下宿の問題が持ち上がった?」

 カナは微笑んだまま軽くうなずいた。


 いや、でも。

「これ、何か関係ある?」

 カナはやはりにこやかに微笑んだまま続けた。


「いや、関係あるよ。

 志望校が変わって、下宿の問題が持ち上がったってことは、それまでの志望校は家から近くて、下宿するつもりはなかったってことだよね」

「うん」

 まだ納得がいかないまま首をがくりと縦に振る。


「つまり、遼介くんは、仲の良いお兄ちゃんが大学に進学しても家にいるって思ってたのに、そうじゃないって、急に知ったんだと思うんだよ」

「え?」

「しかも、多分雪野さんの口から知ったわけじゃない。遼介くんはその時、すでにバスケ漬けの毎日だったし、雪野さん、わざわざ時間を取って、遼介くんに下宿の話をしなかったんだと思う。

 もう一回言うけど、遼介くんと雪野さんはすごく仲が良かった。特に、遼介くんは小さい時から面倒を見てもらって、雪野さん以上に思い入れが強かったんじゃないかな。それなのに、雪野さんは家を出る話をしてくれなかった」

「あ、そういうこと?」

 ここまで聞けば、流石に分かった。


 カナは至って普通にうなずく。

「うん。遼介くん、兄弟仲が良いって自負してたのに、雪野さんが話してくれなくて、裏切られた気になったんじゃないかな。それで、すねちゃったんだと思う」


「なるほど……あ」

 深く納得して、気付く。

「もしかして、写真事件の方さ。彼女だと勘違いしたってこと?」

 カナの言葉によると、遼介君は写真の人を兄だと認識しておらず、誰か別の女性だと勘違いしていることになる。しかし、あの写真は、雪野さんの家で撮られている。彼女だと勘違いするのが、自然ではないだろうか。


 そう思って言うと、

「うん。私も同じ意見だよ」

 カナもうなずいてくれた。そして、そのまま続ける。

「多分、レイヤーさんの彼女ができたのかなって考えたんじゃないかな。自分を裏切って出て行ったくせに、彼女とよろしくやってるんだって勘違いして、余計に態度が冷たくなった」


「はあ……」

 思わず感嘆の息が漏れた。これなら、褄が合っている。

 それにしても、この柔らかな喋り口と、論理的な推理の組み立て。もそうだった。


 ふとカナの左耳に付けられたイヤリングが目に入る。

「そう言えば、何でイヤリング付けてんの?」

 気になって訊くと、カナが照れくさそうに笑った。

「いやー、この推理、ほぼ憶測だったから。クローゼットの中を見られた証拠はないけど、逆を言えば見られてない証拠もないわけだし。写真事件の件も、類稀なる兄弟愛で、写真の人がお兄ちゃんだって分かった! って可能性もないわけじゃないし」


 なるほど、確認というわけか。

 カナを見た時の、遼介君の険しい顔を思い出す。

 遼介君は春のサブカルデーで雪野さんを見ている。きっとあのイヤリングも目立つから、見ているはず。推理に自信のなかったカナは、そこを逆手に取って、イヤリングを付けることで自分自身を写真の中の人に見せかけた。もし、カナの推理が当たっていれば、遼介君は写真の中の人=雪野さんの彼女に険しい顔を向ける。そうして、自信の推理が正しいか確認した、という訳だ。


「正直上手くいくとは思ってなかったんだけど、どうにかなったね」

 伏し目がちに呟くように言ったカナを見てから、衝立越しに窓側の席を振り返る。

 そこには、目を強く擦っている遼介君と、困ったように、しかし嬉しそうに笑いながら、遼介君の背中を優しくたたく雪野さんがいた。


 気づかないうちに緩んだ口元に手をやる。その時。

「ところで、優衣ちゃん」

 唐突に、背後からゆらりと恨めしい気が立ち上った。温度が一気に下がる。

「え」

「人に望まないお洒落をさせてめちゃくちゃにしておいて、何でここにいるの? ねえ」


 厚い前髪の下から、仄暗い瞳が覗く。その視線は、絶対に逃がさないと言わんばかりに、あたしに一心に注がれている。

 まずい。ガチ怒りだ、これ。


 カナがすうっと大きく息を吸う。

「優衣ちゃんのバカっ‼︎」



 *****



 午後五時を回った頃。

 カナを何とかなだめすかすあたしと、まだむくれたままのカナは春木野第一公園にいた。


 そこに、雪野さんが軽く息を弾ませて、やって来る。

「すみません、今駅まで送ってきました」

 そこまで言って、深く頭を下げる。

「本当にありがとうございました」


 すると、さっきまでむくれていたカナが慌てて、ぶんぶん手を振る。

「いえいえっ、そんなっ!」

「いや、本当にお二人のおかげです。もしお二人の力添えが無かったら、ずっと遼介とギスギスしたままでした」


 それから、雪野さんはさきほどファミレスで遼介君が語ったことについて話してくれた。

 実を言うと、散々世話を焼いてくれた兄に拗ねた態度を取っていることを、遼介君は心苦しくも思っていたらしい。

 兄に対する恨みと罪悪感。相反する気持ちだったが、数ヶ月経って遼介君はその二つの感情に折り合いをつけることができたそうな。


「だから、サブカルデーに来てたのは、俺に文句言うためじゃなかったんですって。俺にレイヤーの彼女がいるって勘違いして、もしかしたらその彼女が参加してるかもしれないから、会って『兄をよろしくお願いします』って言うつもりだったって。まあ、その彼女だと思ってたものが兄本人だったのは今もまだ知らないですけど」

 あはは、と雪野さんが苦笑いする。

「今日、俺に会いに来たのも、今までの言動を謝って、彼女と仲良くしろよって伝えに来てたらしいです」

「そうだったんですね。そこまでは私も分からなかったです。……あ!」


 そこで、唐突にカナが素っ頓狂な声を上げた。

「そう言えば、コスプレはどうなさるんですかか……⁉︎ 遼介君との問題は解決しましたけど……?」

「続けるつもりですよ」

「はあぁ、良かった……」

 柔らかくうなずいた雪野さんに、カナが感動のあまり顔を押さえる。放っておくと、このまま咽び泣きそうだ。


 かと思えば、ばっと雪野さんとの距離を一気に詰めた。

「何か手伝えることがあれは、ぜひ言ってくださいね! あんな綺麗な白無垢作れるほど、器用じゃないですけど……って、すみません、差し出がましいことを‼︎」

「……いや、あれ、俺が作ったやつじゃないんですよね、実は」

 雪野さんは、少し気恥ずかしそうに言った。


「え、そうなんですか?」

「はい。YouTubeで和服のリメイクをあげてる方がいらっしゃって。ちょうど白無垢をどうしようか悩んでた時だったので、Twitterの方で作り方を聞いたんです。そしたら『じゃあ、ベースは作りましょうか』と言ってくださって。細かい装飾は俺の方でしたんですけど」


「そうなんですか……でも、とりあえず、頼ってくださいね‼︎ 何でもしますから‼︎」

 カナはいつだって、熱くなると周りが見えなくなる。


 はあ、と息を吐くと、カナがまたもや素っ頓狂な声を上げた。

「あっ、ならイヤリング返さないとですね!」

 カナは大急ぎで左耳に付けたままだったイヤリングを外す。それから雪野さんの腕を取って、その手に握らせた。

「はい、どうぞ!」

「あ、ありがとうございます……」

 カナの満面の笑みに、雪野さんが左下に顔をそらす。

 そして、私は見た。うっすら赤くなった耳。


 これは……落ちたな。


 雪野さんの様子を勘違いしたのか、カナが心配したように捲し立て始める。

「まだ、何か気がかりがあるんですか……? いや、普通に考えたら、私が手握ったからですよね、普通嫌ですよね、すみません‼︎ 前もやっちゃって、ほんとに……すみません‼︎‼︎」

「いや、そういうわけじゃ」

「えっ、じゃ、じゃあ……あっ、疲れてるんじゃないですか? 今日いろいろありましたもんね。大丈夫ですか⁉︎」

「いや、その……」


 まだ騒いでいる二人は放っておいて、空を見上げてみる。

 春の日暮はまだ早い。空の端が濃い青色に沈んでいくのを見ながら、あたしは呆れた笑い顔を浮かべた。

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