幕間その一 輪郭をなぞる(カナ視点)

「……え?」

 私の反応を見た赤月さんは、「やっぱり何も知らされてなかったんだ」と小さくつぶやくと、私を真っ直ぐに見据えた。


「今日ここに残ってもらったのは、他でもない優衣の話なんだ」

 それから、「まず二つ質問させてもらっていい?」と確認される。状況が読み取れない私はとりあえず水飲み鳥みたいにうなずくしかなかった。


「一つ目は、優衣と高倉さんが同居するまでの経緯。二つ目は、優衣の金銭的な事情」

 指を二本立てた赤月さんに、私は順に答えていく。

「まず、一つ目は高三の春に頼まれたからです」

 それから、私が叔父の家の下宿すると言ったら、「一緒に住ませてくれないか、もちろん光熱費とかその他もろもろは折半で払うから」と言われたこと。電気代などはよほどのことがない限り折半した方が私たち家族としても得な上、私にあの家は広すぎたので、両親と話し合って了承をしたこと。私の両親とも一度会って、挨拶をしていることをかいつまんで話す。


「二つ目は、金銭的援助は実家から受けると言ってました」

 学費や生活費など、自分の所持金で賄えない分は実家からの援助で賄う、と言っていたこと。けれど、基本は自分で払いたいらしく、私と同居したいと言い始めた理由も、『未来のために自立したいけど、金銭面に不安があるから、できる限り使うお金は減らしたいから』と言っていたこと。だから、いつもぎちぎちにバイトを入れていること。これらもかいつまんで話した。


 優衣ちゃんは今でこそ《ふれーず》をメインにバイトをしているが、大学生になったばかりの頃は他のバイトもしていたし、今も単発や短期のバイトをよくしている。


「優衣ちゃんの親御さんは優衣ちゃんの自立したいって思いを尊重して、困った時だけ援助をしてるって感じだと思ってたんですけど……違うんですか?」

 わざわざ訊かずとも分かっていた。赤月さんの話を聞く限り、優衣ちゃんのお父さんは自分の考えが絶対正しいと思って押し付けるタイプに聞こえる。もしそれが実の娘に対しても同様だったら、後は想像に難くない。


 じっと見据えると、赤月さんは少し唸ってから、意を決したように口を開いた。

「正直憶測も多いけど、多分、優衣はお父さんからかなりいろいろなことを制限されて育ってる。行動とか趣味とか」

 やはり、そうだったのか。


 それから赤月さんが話してくれた内容はなかなかに驚くべきものだった。

 優衣ちゃんは、昔は今のような冷めた気怠げな性格ではなく、とても勝気で負けず嫌いで無鉄砲だったのだとか。今は、関わりが薄い人には素を見せず、フラットに「良い人」として接するけれど、昔はそんなこともなかったという。

「小さい時は優衣と俺と近所の男子三人で遊ぶことが多かったけど、優衣はその中でガキ大将的なポジションだったんだよ」

「え⁉ 優衣ちゃんがガキ大将⁉」

 赤月さんはおかしそうに笑いながら、

「いやー、ホントに凄かったから! 俺たちの誰も優衣に勝てなかった。

 で、小一の時、俺が五人での遊びに野球を提案したんだよ。そしたらさあ、優衣がえらく気に入って、ずっとやってたな。人数足りないから大したことできなかったけど、いろいろ工夫して。楽しかったなあ」


 さっきの赤月さんのベン図に「野球好き」と書き込まれていたことを思い出す。けれど、優衣ちゃんが野球好きというのはあまりピンとこなかった。そんなことを言っているのを一度も聞いたことがない。


 赤月さんはさらに続きを語る。

 あんなに野球を気に入っていたのに、ある時から優衣ちゃんが遊びに来なくなったそうだ。おかしいと思い、捕まえて問い詰めたところ、『野球なんてくだらないことはもうしない』『周りに合わせてやってただけ。野球なんて好きじゃなかった』などと言われたそうだ。


「え……」

「俺もまだガキだったし、心配よりも怒りが勝って、それ以来完全に疎遠になった。出会ったことを後悔したレベルの出来事だった。小三の秋だったと思う」

 コーラのコップを持ち上げ、中の氷をくるりと回転させると、赤月さんは頬杖をついた。赤月さんの「後悔するようなことがあっていいはずがない」と言う言葉を思い出す。


「で、完全に交流が途絶えた。他の奴らとも、あんまり話さなくなった。こん時からかな、人間はいろんな要素でできてるって考えるようになったのは。あんなに一緒に遊んでたのに、こんなに簡単に交流が途絶えて、『ああ、俺って、優衣とは放課後に遊ぶ仲間っていう要素でしか結びついてなかったんだ』って。例えば学校で同じ委員会に入るとか、遊びの話以外にもいろんな話をするとか、そういう他の要素でももっと結びつきを作っていれば、こうはならなかったんじゃないかって」

「……」


「んで、だんだんそのことを忘れ始めた時、さっき言った『マンガなんて』事件が起こったわけだ。優衣に『野球なんて』って言葉を植え付けたのはこの人かもしれないって思って、後日、雅秀さん――あ、優衣の父親の名前なんだけど――にそれとなく探り入れてみたらビンゴだった。『女の子が男子と混ざって泥だらけになって遊ぶなんて恥ずかしいだろう』だってさ」

「そんな……」


 なんて時代錯誤な、と思うけれど、これが事実なのだろう。いろいろな理解が広まりつつある今も、なんだかんだ言って生まれ持ったあれこれから外れずに生きることを望む人が多いのだろう。でも、性別で好きなものを制限されるなんて、私だったら耐えられない。だって、私が好きなのは「可愛い女の子」だ。


「趣味以外でも同じようなことを頻繁に言われてたんだと思う。外聞がとにかく大事なんだろうな。雅秀さん自身、いいとこの企業勤めで、若くして昇進を重ねたエリートだって聞くし、外聞とか人からの印象を気にしてたからこその今の立場を築けたってのは分からなくもないけど」

 そう言えば、優衣ちゃんの家は比較的裕福だと噂で聞いたことがある。


 赤月さんは「周りから非難されるのを心配するなら、自分が一番の味方になってやればいいのに」と、吐き捨てるように言った。静かな、しかし確かな苛立ちがじわじわと伝わって来る。


 優衣ちゃんとお父さんの関係に気づいた赤月さんは、どうにかしようと優衣ちゃんから状況を聞き出そうとした。しかし、昔みたいな強気さはなくなっている上、家族の話を出そうとしたら、露骨に話を逸らされたそうだ。


「高校も同じとこに行けたけど、結局何も聞きだせなかった。文理が離れたせいで、話す機会も取りにくくなってたし。まあ、この辺で昔みたいに割と気安く話せるようにはなったんだけど」


 しかし、高三の受験期に、優衣ちゃんが前から目指していた大学と違うところを受けるという話が流れてきた。赤月さんは喜んだという。最初の志望校はお父さんのチョイスだろうし、ついに自分の意識を押し通せたのだ、と。


「でも、多分違ったんだよな」

 赤月さんは頬杖を外して、テーブルの上で腕を組んだ。


「俺、春休みに実家に帰って、その時に雅秀さんに会ったんだけど、話聞いてたら、前と言ってることが変わってなかった。だから、多分優衣は、結局雅秀さんに自分の意思は伝えられなかったか、伝えたけど、押し通せなかったんだと思う。で、諦めて、家出るために、自分の思ってることとかいろいろ誤魔化したんじゃないかって。

 で、しかもさ。雅秀さん、優衣が家出る時の条件として、お金とかいろいろ困った場合は、友達とかじゃなくて実家を頼ることを挙げたってのも分かった」


 要するにかりそめの自由、ということだろうか。根本的に問題は解決されていない、と。しかし。

「でも、別にこの状況、そんなに悪いことはないのでは……?」


 きちんと想いを伝えるべきだ、逃げるな、という意見もあるかもしれない。でも、どうしても嫌なら逃げてもいいと思う。逃げるなと言う人はその後の責任なんて取ってくれない。それに、意識的かどうかに関わらず、自分の意見を押し付けてくる人は自分の意見が絶対正しいと思っているからそうしているのだ。だから、なかなかこちらの意見は届きにくく、説得しようとしても、こちらの大切なものを一方的に傷つけられ続けるだけかもしれない。だったら、最初から話し合わないというのも、大切なものを守るための一つの戦略だ。だからこそ、私には優衣ちゃんの行動にこれといって引っ掛かる部分は見当たらなかった。


 赤月さんは深刻な顔で首を横に振り、腕を組んだ。

「いや、明らかに雅秀さんへの依存度が上がる仕組みになってる。雅秀さん自身は別に意図してこうした訳じゃなさそうだけど」

「え?」

「だって、金は返せても、困った時に助けてもらった恩って返しにくいじゃん。重なれば重なるほど、どのくらいの恩を受け取ったかが分かりにくくなって、かなり無茶な頼みも聞き入れざるを得なくなる」

「あ……」


 赤月さんは腕を組んでいるために前かがみになっていた姿勢を起こしつつ、

「優衣が雅秀さんとの関係をどうしたいと思ってるか、俺には分からない。宙ぶらりんの状態でもいいならこのままでも構わないだろうけど。でも、今は無理でも、いずれ完全に自由になりたいんだったら、この状況は確実に良くない。それに、今の話も憶測が多い。

 だから、まずは高倉さんに優衣がどう思ってるか、とか実際の状況を探ってほしいんだ。この役目は高倉さんにしかできないと思ってる」


「そう、ですか?」

 きょとん、と首をかしげてしまう。私と優衣ちゃんの付き合いはまだ浅い。大した切り札にはなれない気がするけれど。


 赤月さんは力強くうなずいた。

「うん。俺は過去にいろいろ家族の話を聞き出そうとしてるから警戒される。高校からの繋がりで、下宿先の提供もしてる高倉さんなら、優衣も無碍にはできないはず」


 赤月さんはそこで言葉を切ると、「それに」と先を継いだ。

「優衣は今まで自分の思いとかをきちんと聞いてもらえたことがない。人の話をちゃんと聞いてくれる高倉さん相手なら、優衣も話しやすいかもしれない。

 今日はこれを頼むために残ってもらったんだけど……どう?」

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